漉き染めと漉き掛け

根津美術館で開催中の展覧会「はじてめての古美術鑑賞 ―紙の装飾―」展のチラシの裏に、藍紙の今城切の図版を添えつつ次のような記述がありました。

すきぞめ【漉染め】
藍色に染めた微細な繊維を無染色の繊維と混合して漉く技法。藍色の繊維の分量により、淡い水色から藍色に近い色まで出すことができる。

今回の展覧会では、この漉き染めの遺品として(しっかりとメモを取ってはいないので、あやふやなところもあるのですが)

が展示されていたかと思います。

しかし、上記の漉き染めの解説、私の記憶にある藍紙の作り方と違う説明がされてい気がしたんですね。そこで、いくつか本にあたってみたところ、どうやらいわゆる漉き染めには2種類あるらしい。両者を区別するために、ここでは仮に根津美のチラシで解説されている方を「漉き染め」、もう1つを「漉き掛け」と呼びたいと思います。「漉き掛け」も一種の「漉き染め」でそう呼ばれることもあるのですが、ここでは分けて考えるために語を区別します。もちろん2種類の技法があるということ自体は何の問題もありません。困るのは同一遺品について食い違う説明がなされているケースですね。どちらを取るべきなのでしょうか。

以下、目についた漉き染めと漉き掛けに関する記述を引用します。さらに細かく見ると漉き染めの説明も多少異なる点があるようにも思えますが、この際置いておきます。

漉き染め

小川靖彦『万葉集 隠された歴史のメッセージ』(角川選書

藍紙本万葉集

料紙は雁皮紙ですが、漉染(紙の原料を先に染色してから漉く方法)による薄藍色で統一されています

『平安古筆の名品展』(五島美術館

藍紙本万葉集

料紙は、藍の染料を混ぜて漉きこんだ紙で

『時代を写す仮名のかたち』(出光美術館

藍紙本万葉集 巻第九

藍の漉きかけ(染料で先染めした繊維を水中に溶解させて漉き上げる)による料紙

「漉きかけ」という語を使っていますが、説明から漉き染めと判断したのでこちらに分類します。

髙橋裕次「日・中・韓の料紙に関する科学的考察」(『東京国立博物館紀要』47所収)

12 藍紙金光明最勝王経巻第6断簡 B-53
C0010092 藍紙金光明最勝王経断簡 - 東京国立博物館 画像検索
13 藍紙金光明最勝王経巻第6断簡 B-5-1-1
C0094407 藍紙金光明最勝王経断簡 - 東京国立博物館 画像検索

料紙は、藍染の紙の反故と無着色の繊維を混合した「漉き染め」による料紙で、その配合の量によって色の濃淡が生じていると判断できる。混合紙であることは、図13-3の虫損箇所の内部に藍繊維が確認できることからも明らかである。(略)
 漉き染めについては、神護景雲4年(770)の「奉写一切経料紙墨納帳」に「須岐染紙二万張」とあり、繊維の段階で染めるか、着色繊維を混ぜるかのいずれかの方法によるもので、漉き染めの技法はおそらくは中国より伝わったと考えられる。
 正倉院紀要の調査報告では、唐時代の詩人王勃の詩文集である「詩序」(ID117)の第7紙に、藍染めの繊維の漉き込みが確認でき、さらに再生原料も利用されたことが分かるとする。また、特定の染料で染めた調布(おそらくは2mm前後に裁断されたもの)に雁皮系繊維を交えて漉き上げた色紙は、配合率はともかく、現存する「法隆寺献物帳」「大小王真跡帳」などの色紙の抄紙法と共通するとの指摘は注目すべきである。

14 法隆寺献物帳 N-5
法隆寺献物帳 - e国宝

藍色の楮繊維75%と無色の雁皮繊維25%による混合紙

15 淮南鴻烈兵略聞詰第廿(秋萩帖 紙背) B-2532
秋萩帖/淮南鴻烈兵略聞詰(紙背) - e国宝

第2紙以下は、(略)藍紙については藍染の繊維を混合していることからみて、これらの料紙は7~8世紀の紙であると判断できる。

16 円珍贈法印大和尚位並智証大師諡号勅書 B-2405
円珍贈法印大和尚位並智証大師諡号勅書 - e国宝

料紙は、墨で文字が書かれた紙を漉き返している。雁皮系の繊維が多いが、楮も含まれている。薄縹色にみえるのは、0.01mm~0.03mm程度に短く切断あるいは磨り潰されたと思われる藍染の繊維を混合しているためである。次の「幼学指南鈔」の写本にみえる料紙と比較しても明らかなように、12世紀頃、典籍に用いられた上質な漉き返し紙においては、稀に染色された繊維が混じることがあっても、色紙にするために藍繊維を混合した例は他にみられない。おそらく、意図的に紙の漉き返し繊維を使用した混合紙は、この勅書を最後に見られなくなるのではないかと推測される。

円珍贈法印大和尚位並智証大師諡号勅書」は927年。「意図的に紙の漉き返し繊維を使用した混合紙」というのはここで話題にしている「漉き染め」とイコールと考えていいのでしょうか。それとも違うのか。前者だとすれば10世紀前半に漉き染めは廃れたということになります。とすれば、上に挙げたもののうち泉福寺焼経、今城切、棟梁集切、和泉式部続集切、藍紙本万葉集は11世紀以降であるので漉き染めではないということになりますが、如何?

漉き掛け

『王朝美の精華 石山切』(徳川美術館

【漉きかけ すきかけ】
漉き染めの一手法。漉き染めは染色をおこなった紙素(煮熟して塵取りをし、さらに叩解した紙の原料となる繊維)を漉き上げて作られるが、漉きかけは、打曇紙と同じく地紙として別に漉き上げられた湿紙のうえに、染色された紙素を漉きかけて作られている。
 伝藤原行成筆「猿丸集切」(図版番号153・154)の浅葱色は漉きかけによっている。また重ね継ぎの裏面(五枚重ねの一番下の表面)には漉きかけ紙が多く用いられている(図版番号86左頁および参考図版5)

ポイントとなるのは地紙です。着色した紙素を(他と混ぜるなどして)漉くのが漉き染め、別に漉き上げた紙(地紙)を用意して、さらに上に着色した紙素を漉く(漉き掛ける)のが漉き掛け。

増田勝彦「平安時代の打雲」(『必携古典籍・古文書料紙事典』(八木書店)所収)

 「漉き掛け」とは、一度漉いた紙を地紙として、その上にさらに紙漉き技術で著色繊維を堆積させる技法です。著色した繊維は漉き掛けに使用するだけではありません。無色あるいは他の色の繊維と混合して絵具のように望みどおりの色の紙を造っていた例が、すでに八世紀には見られます。「法隆寺献物帳」(天平勝宝八年〔七五六〕の修理報告書『修復』五、岡墨光堂、一九九八年)によると、薄い藍色の表紙は紙全体を染料に漬けたり、刷毛で塗布したりすることをせず、無色の雁皮繊維二五%に藍色楮繊維七四%を混合して漉き上げた混抄紙でした。そして繊維の殆どが短く切断されているのです。繊維切断は、八世紀の製紙技術では珍しくありません。
 その後、一一世紀になると著色繊維による漉き掛けを施した料紙の例が俄然多く残されています。藍紙本として知られる『万葉集』第九残巻(京都国立博物館蔵)、『桂本万葉集』(宮内庁蔵)、「栂尾切」(大和文華館蔵)、「堺色紙」(手鑑『美努世友』所載、出光美術館蔵)、『古今和歌集』(曼殊院蔵)が知られています。いずれも一一世紀の成立とされていますが、「法隆寺献物帳」の伝統を引いた全面に著色繊維が観察される料紙であり、文様を造るには至っていません。そして、殆ど全部の漉き掛け繊維が切断されているのです。

ちょっとわかりにくいのですが、おそらく「法隆寺献物帳」は漉き染め、他は漉き掛けということであろうと思います。

髙城弘一「古筆と料紙」(『必携古典籍・古文書料紙事典』(八木書店)所収)

 染め紙は、原紙を染料に浸けて染める「浸け染め」、刷毛で塗る「刷毛染め」(=引き染め、王朝期の古筆にはほとんど遺例なし)、染め紙を紙素に戻したものを「華」といい、それを湿紙に漉き掛けて紙表だけに色をつける「漉き染め」などがある。
 漉き染めで全体的に華を漉き掛けてあっても、大根の切り口のようにモヤモヤと繊維が絡み合っているような「羅文紙」もある(口絵45頁)。これは今日なお不明な技法の一種であるが、一方、復元も試みられている。また漉き染めを部分的に施したものが、「雲紙」(打雲・打曇)や「飛雲」(口絵45頁)である。王朝期の雲紙は、天地ともに(または角から)藍色の華が雲形に漉き掛けられている。
(略)
 伝藤原行成筆「法輪寺和漢朗詠集」(陽明文庫他蔵)は、飛雲が羅文になっている唯一の例といえる珍しいもので、料紙全体は漉き染めの上、雲母砂子も撒かれている。

雲紙、飛雲、羅文紙と同様の技法であり、「華」を一面に均等に漉き掛けたのが、今話題としている漉き掛けです。

髙橋裕次「日・中・韓の料紙に関する科学的考察」

15 淮南鴻烈兵略聞詰第廿(秋萩帖 紙背) B-2532
秋萩帖/淮南鴻烈兵略聞詰(紙背) - e国宝

第1紙は雁皮を主体とする漉き返しと思われる地紙の上に、藍染めの紙を細かく切断して再利用した楮繊維を漉きかけるという、10世紀以降の漉きかけの料紙とみられる。

18 継色紙「こひしさに」 B-2459
C0023370 継色紙 - 東京国立博物館 画像検索

やや黄色がかった楮と雁皮の混合紙(墨痕から漉き返し紙と判断できる)の上に藍色の楮繊維を漉きかけており、緑がかってみえる。漉きかける藍色の繊維の量の多寡によって料紙の色合いが異なる

24 群書治要 B-2531
群書治要 - e国宝

紗目のある地紙の表裏に先染めの繊維を漉きかけており、裏側の方が漉きかける繊維の量が多めである。薄茶は引き染め。紫は表は漉きかけ、裏は引き染めである。縹も表は漉きかけ、裏は引き染めで、破損箇所をみると、内部は着色がなく、地紙の色である。

第1文は何色の紙を指しているか明記していませんが、藍紙でしょうか。「破損箇所をみると、内部は着色がなく、地紙の色である」は漉き染めではないことの明証と言っていいでしょう。

27 関戸本和漢朗詠集切 B-2510
C0021961 関戸本和漢朗詠集切 - 東京国立博物館 画像検索

料紙は、雁皮の漉き返し紙の上に、藍染の紙を細かく切断して再利用した楮繊維を漉きかけているとみられる。

28 関戸本古今集切 B-3271
C0066479 関戸本古今集切_「みちのくうた」 - 東京国立博物館 画像検索

本幅の料紙は、黄色がかった雁皮の上に藍染の楮繊維を漉きかけており、地紙は紗漉きで、両面書きの裏側に紗目がみられる。

29 栂尾切 B-3245

本幅は、本紙を相剝ぎし、紗目のある裏を分離して、左に貼り継いでいる。本紙の表は褐色し、後世に上から藍などを塗布したようにみえるが、もとは裏面とほぼ同じ縹系統の色であったと考えられる。顕微鏡による観察では、墨の痕跡が確認できることから、漉き返しの地紙の表裏に、藍色の楮繊維を漉きかけ、さらに雲母引きを施している。

30 藍紙本万葉集切 B-2450
C0008921 藍紙本万葉集切 - 東京国立博物館 画像検索

雁皮の地紙の上に藍染めの楮紙の漉き返しの繊維を漉きかけ、銀揉箔を撒いたもの。

44 石山切(伊勢集) B-1301
C0015518 石山切(伊勢集) - 東京国立博物館 画像検索

右側の水色の紙は雁皮紙に藍の繊維を漉きかけ、あらかじめ型紙を置いて白紙にした部分に、藍と紫の小さな飛雲を配している。

表面的に染めているからこそ、型を置いてその形を白抜きにできるわけです。すなわち漉き染めではありません。

49 色紙華厳経断簡(泉福寺経) B-3216

色が黄色みがかっているのは、地紙が雁皮紙で、その上に藍染めした楮繊維を漉きかけていることによる。藍染めした楮繊維とともに染色されていない楮繊維が混じっているのは、紙の状態で藍に染色した紙を短く切断して再利用しているためと思われる

むすび

「佚名本朝佳句切」と呼ばれる詩書断簡があります。現存4葉のうち2葉に大きな飛雲があり、現存する飛雲のなかで最古のものではないかと推定されています。池田和臣さんがその料紙の炭素14年代測定をしたところ、9世紀末から10世紀末ごろの値がでました。また、上記の「継色紙」は諸説ありますが10世紀後半ごろと言われます。「秋萩帖」第1紙もその頃まで遡るか。漉き染めの「円珍贈法印大和尚位並智証大師諡号勅書」は927年。(私の誤解でなければ)髙橋裕次さんは漉き染めは「この勅書を最後に見られなくなるのではないかと推測される」とされます。漉き掛けの技法が10世紀前半から存在したとすれば、または漉き染めがもう少しあとまで使われていたとしたら、ちょうど入れ替わったように見えます。

私の見た範囲では、11・12世紀の古筆料紙では漉き掛けの方が詳しく説明されているのでそちらを信じたくなりますが、とはいえすべてが漉き掛けなのかというとよくわからんというのが実感です。とりあえず、この2つをしっかり区別して記述してほしいなあと思いました。

おまけ

ほかに気になることを2点

荼毘紙

おなじく根津美術館の展覧会チラシを引用します。

紙の原料にも用いられる檀の木の表面の粉末を胡粉に混ぜて表面に塗った特殊な紙

荼毘紙に見える無数の粒子は紙に漉き込まれていたものだと思っていたのですが、胡粉に混ぜて塗ったという説ははじめて聞きました。どうなんでしょう?

通切

展覧会のスライドレクチャーに参加された方がメモを公開されています。非常に参考になりますので、展覧会に行かれる方はぜひご覧ください。
はじめての古美術鑑賞ー紙の装飾ーメモ|けろみんのブログ
そのなかで、

裏は通しという、ふるいのような目の荒い用具に物に押し付けることで凹凸がくっきりしたマス目になっており描きにくそうである。

通切の文様を通し(篩)に見立て通切と名付けたのは遥か後世のことで、名称と技法は別に考える必要があります。その上で、この篩文がどのようにつけられたかですが、目の縦横が真っ直ぐではなく歪んでいるので、布などの柔らかい素材でつけられたものではないでしょうか。

髙橋裕次さんは上掲論文で

篩目の様な痕跡がどのようにして付いたかが問題であるが、紙漉きの際の紗の痕跡としては、目が粗すぎて繊維が通り抜けてしまう。料紙に布目をつける布目打ちに使用した紗の痕跡であり、その後この紗は、表側の羅文を作るときに用いられたと考えられる

また東京国立博物館 - 1089ブログでは

紙を漉くときに、ふるいに布をひいていたため、布の目がついています。

と漉桁ではなく「ふるい」という言葉を使っているため紛らわしくなっており、かつ上記の髙橋さんの説とは若干異なりますが、ともかく布の目の痕だとされています。