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「時代を映す仮名のかたち」展@出光美術館 再訪

前回訪れたときはよく分からずあまり楽しめなかったので、図録で勉強してからまた訪れました。前回よりはだいぶマシでしたけど、やはり中世の書・和歌・歴史について決定的に知識が欠けているなあと。とりあえずは、以下記録用にいくつか気づいた些事を。

13. 石山切 伊勢集

図版で見るのと実物の印象がかなり異なりました。唐紙なんですけど、地は暗く文様部分は発光しているかのような不思議な見え方でおもしろい。図録解説の料紙についての説明を引いておきます。

本断簡の料紙は黄色具引き地に、桜蔓唐草文を雲母刷りにした唐紙に、銀泥で鳥や折枝を描く。

22. 右大臣百首切

仲綱の歌が好み。

これやこのつもれはうみとなるといふなみたのひとつおちはしめぬる
(これやこの積もれば海となるといふ涙のひとつ落ち初めぬる)
けふまてはおしふる人もなかりしにきみこそこひのいろはなりけれ
(今日までは教ふる人もなかりしに君こそ恋のいろはなりけれ)

必ずしも優れた歌というわけではなさそうですけど、わりと印象深い。源頼政の子で、平家物語で活躍するあの仲綱でいいんですよね?

28. 新古今和歌集竟宴和歌懐紙 伝後京極良経筆

前回訪れたときは「伝」付きで会場内には特に解説もなかったので、しっかり見ていなかったのですが、図録解説によると真筆の可能性が高いと。なかなかときめく一品。

31. 珍誉集切(重要文化財手鑑『隠心帖』中の内)/55. 金剛院切(重要文化財手鑑『隠心帖』上の内)

会場内でも図録でも隠心帖という手鑑に関して説明はありませんでした。上と中があるということは全3帖でしょう。全3帖で重要文化財に指定されていると手鑑といえば「大手鑑{第一帖九十三葉/第二帖九十九葉/第三帖百一葉}」(文化遺産データベース)だけだと思うので、おそらくこれではないかと思います。

東京大学史料編纂所の「2015年度に実施された一般共同研究の研究概要(成果)」のうち「一般共同研究 研究課題  『隠心帖』を中心とする古筆手鑑の史料学的研究」によると

松下幸之助旧蔵、逸品中の逸品として知られる古筆手鑑『隠心帖』
この『隠心帖』は、長年行方不明となっており、史料編纂所蔵の写真帖によってしか内容を知ることができなかった。ところが2013年度に現蔵先が判明

今回の展示ではこの手鑑について説明もなく、また展示も見開き2面のみとごく僅かだった理由は分かりませんが、そのうち一般にも紹介される時期が来るのではないかと期待をしております。個人的にとりあえず気になるのは、前回の記事で触れた天平十四年五月一日経が貼られているのはこの手鑑なのかということ。それだけでもいいのでどなたか教えてください。2013年度といえば、所在不明重要文化財が話題になった年。現蔵先が判明したのはこれがきっかけなのかな。

31. 珍誉集切(重要文化財手鑑『隠心帖』中の内)/32. 珍誉集切/33. 高瀬切

31と32はツレで、珍誉集の原本と考えられているもの。珍誉自筆か。図版で見ると32の料紙が青っぽく見えるのでちょっと疑問でしたが、実物は31同様の素紙でした(金泥下絵は後入れとのこと)。

33の高瀬切は、31・32を含む珍誉集原本の転写本の断簡。本品とほぼ同じ箇所の原本の断簡(つまり31・32とツレの断簡)が京博の所蔵する重文「大手鑑(八十葉)」(図録では『高松家旧蔵御手鑑』と呼称)に貼られています。

大手鑑(八十葉) - e国宝

図録の図版は、この原本の方ですね、高瀬切ではありません。間違えたのでしょう。図版(珍誉集切)は詞書で終わっていますが、高瀬切はその詞書の歌の部分まであります。

41. 和歌色紙 伝後京極良経筆

本断簡の興風の和歌は、勅撰集の所載歌ではないが、貫之撰『新撰和歌集』、公任撰『三十人撰』、定家撰『百人秀歌』(『百人一首』の原型)などの代表的な秀歌集に所載のある名歌で

本品に記された和歌は「たれをかもしる人にせむたかさこの松もむかしのともならなくに」。古今集所載(巻17・909)で百人一首歌ですよね。何と勘違いしたのか、どういう間違え方をしたのか謎。百人秀歌所載で百人一首に漏れた歌のような書き方ですが、その4首はすべて勅撰集所載歌ですし。

44. 伊勢切(手鑑『墨寶』坤の内)

料紙は”焼唐紙”を使用する。"焼唐紙"は本来は、文様を陽刻した版木等に紙を押し当てて焼き色の文様を付けたものであるが、本断簡のような鎌倉時代の和製の焼唐紙は茶色の染料で摺り出している。文様は梅樹。

前半の本来の焼唐紙の説明が意味不明です。どうやって焼き色の文様を付けるのか書かれていません(版木を押し当てただけでは付かないでしょう)。(追記)私が誤解・錯誤している可能性がありますので見せ消ちにしておきます。失礼いたしました。もう少し調べてから記事にするかもしれません。(追記了)この焼唐紙については知らなかったので、あとで確認しようと思います。

図版を見てこんなの展示されていたかなあと記憶になかったのですが、再訪して分かりました。会場では文様はほとんど見えず。覚えていないわけです。図録で見るといい感じの料紙なので、ちょっと残念でした。

48. 伏見院三十首切

左側に不自然な余白あり。かすかに読み取れる文字から、もともとは「浦千鳥/我が世には集めぬ和歌の浦千鳥むなしき名をや跡に残さん」の歌が書かれていたことが判明します。図録解説では、この歌は在位中に応製百首を催行できなかった無念さを読み込んだ歌であろうとした上で、「おそらく無念さの調子が掛け物に相応しくないとされて、削られたのだろう」と推測しています。ちょっと疑問。本当のところは削った人間に聞いてみないと分かりませんが、抹消痕を見るに詞書1行と和歌2行書きのうちの前半1行しか書かれていなかったはず。すなわち、この1ページで見れば半端な歌になっていたわけで、そのことを嫌って抹消したのではないかなあと。そういう断簡(抹消痕があり、その抹消した部分は和歌が半端である)はわりと見かけるんですよね。

なお、1の高野切の奥1行は、余白を作るためにわざわざ1行多く切って抹消したものです。

55. 金剛院切(重要文化財手鑑『隠心帖』上の内)/56. 金剛院切

この2葉はツレということでいいんですよね? 図録解説がその点明瞭でなく、また筆跡は同じでしょうけど、料紙装飾の雰囲気がかなり異なるので迷います。で、この56の下絵がいい。

57. 巻物切

雲とをくとひつれてゆくゆふからすまかはぬいろもはてはきえつゝ
(雲遠く飛び連れて行く夕烏紛はぬ色も果ては消えつつ)

59. 足利尊氏奉納春日社詠七首和歌(七社切)

直義歌

  鹿
春日野のほかまてしかのわけゝるは神もみちある世をまもるらし(有註)

この「有註」について、たまたま今読んでいる小川剛生さんの『武士はなぜ歌を詠むのか』*1に出ていて知りました。

和歌の末にある「在(有)注」という注記は、一首がある事実に基づくものの、その具体的内容は明示したくない場合の、一種のサインである。最初から「注」は記されてはおらず、読み手は一首の背景に思いを馳せなければならない。

別府節子さんの「「足利尊氏諸寺社法楽和歌(七社切)」について」*2によると、本法楽和歌の尊氏による発願は建武3年(1336)6月、人々への勧進は同年11月、詠進を受けて、清書・奉納は暦応2年(1339)12月末とのこと。端作りにみる直義の官位(従四位上左兵衛督)は暦応元年8月以降のものということで、作歌は1338年か1339年でしょう。さて、何の事実に基づくのでしょうか。

なお、別府さんの論文では、個人蔵の手鑑「翰墨城」所収の七社切について触れられていません。当時は知られていなかったでしょうか。『日本書道文化の伝統と継承』63ページに図版が掲載されています。題(神祇)と和歌1首の3行の断簡。別府さんは現存の七社切について5つに分類していますが、この断簡がそのうちどこに分類されるか、私には判断つかず。

60. 足利尊氏奉納稲荷社詠八首和歌(七社切)

図録解説に

和歌本文部分に装飾はないが、この料紙には裏絵がある。そのモティーフは水鳥、蝶、蜻蛉、飛鳥、葦叢、碁盤、稲穂、鳴子等、多様で、この裏絵が表側に映って見えている。

この写本は東京大学史料編纂所所蔵で、紙背を含めて画像が公開されています。

画像一覧 - SHIPS Image Viewer

00000007から00000010までが紙背で、水辺の景色、水草、水鳥、蝶、蜻蛉などが確認できますが、画像が粗くちょっと見づらい。00000009、水辺に脚つきの四角いものが2脚あります。これが碁盤?

*1:角川選書、2016年。元版は角川叢書、2008年

*2:出光美術館紀要』第20号、2014年