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註楞伽経の五月一日経本と伝魚養筆本(続)

註楞伽経の五月一日経本と伝魚養筆本 - ときかぬ記」の続きです。

この時言い忘れていましたが、「五月一日経本」と「伝魚養筆本」という名称は私が勝手に呼んでいるだけで、一般的な用語ではないのでご注意ください。

さて、上の記事を書いた当時は五月一日経本の画像がネット上には上がっておらず、かつ書籍の図版も小さいものしか見れていなかったので、両本の比較が難しかったのですが、現在は書陵部蔵の巻3と5が「宮内庁書陵部収蔵漢籍集覧」で見れるようになり状況が一変しました。

比べてみると、雰囲気は似たところはあるのですが異筆でしょうね。

皆川完一さんの「光明皇后願経五月一日経の書写について」によると、五月一日経本の筆者は古神徳で天平12年3月写(なお願文と跋はそれぞれ異筆)。

皆川さんの論文では古神徳筆の五月一日経が他に2点挙げられています。

ひとつは出曜経巻8。こちらも書陵部蔵ですが、現在のところ「宮内庁書陵部収蔵漢籍集覧」には掲載されていません。

もうひとつは、おもしろいものなので引用しましょう。

田中光顕は古経題跋随見録の中において、「仏本行経巻第七 天平十四年五月一日記 光明皇后御願文多クハ天平十二年五月一日ニシテ、十四年五月一日全ク同文ノ跋アルモノ甚稀ナリ、埜邨素軒氏出曜経ヲ蔵ス、十四年五月一日ノ跋文アリ、余カ見シ所僅ニ二巻ノミナリ」という。この仏本行経巻第七について頭書は「浅艸蔵前冬木手鑑ニ在リ」と注しているが、この手鑑は中野忠太郎等の手を経て、現在松下幸之助氏の有に帰している。本文六行と願文のみの断簡であり、全体をみることはできないが、願文と本文は同筆である。これは天平十四年十月・十一月の間に古神徳によって写されたもので、手実に「第七巻十七枚」とあるものであり(八ノ九六)(中略)。恐らく古神徳は十四年に写したために、誤って「天平十四年五月一日記」と書いてしまったのであろう。

田中光顕の古経題跋随見録は自筆本が早稲田大学にあり、その画像が公開されています。

簡単にまとめると、五月一日経の願文の末尾が「天平十四年五月一日記」となっている写本を田中光顕が記しているのですが、それは誤写であろうと。間違えた理由は、写した年が天平14年だったからだという話です。

この断簡が貼られている手鑑は当時松下幸之助さんが所蔵していたということですが、現在出光美術館で展示されている隠心帖のこと?

ちなみに上記の出曜経巻8と思われるもの*2も随見録に見え、「書法絶倫」と絶賛しています。

同筆の註楞伽経も書法絶倫という理解でいいのでしょうか。

*1:私の使用端末の問題もあるのかもしれませんけれど、このビューワー使いにくいですよね。画面のどこでもクリックすると次のページに行くという機能を停止して欲しい。せっかく公開して頂いているのにあまり文句を言うのもあれなんで、ここでこっそり愚痴っておきます。

*2:「巻第十」の「十」を見せ消ちして「八」と訂正している点ちょっと疑問も。画像が挙げられれば、「巻首闕/信品第十」の記述と合致するか否かで判断できますので、最終的な判断はそれを待ちます。