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「日本書道文化の伝統と継承」展@帝京大学総合博物館

うかがってからだいぶ間が空いてしまいましたが、まだ開催中ということもあり、記録を残しておこうかと。もう1度くらい行くかもしれませんし。相変わらず、愚にもつかない話を。

なお、この展覧会では近世や近現代の書も展示されていますが、ここでは「第一章 古筆の美」のみを取り上げます。

会場で配られた出品リストには、実は展示されていないものも掲載されています。厳密に言うと、その断簡が貼られた手鑑自体は展示しているが、展示箇所にはその断簡が含まれないもの。聞いてみたところ展示替えはないそうです。ただ、その展示されてはいないがリストに載っている作品は、図録には図版や解説が載っています。そして、図録は展示とは構成を変えています。ここでは、図録に準拠して書き進めたいと思います。

図録は既に一般書店でも販売しております。

日本書道文化の伝統と継承

日本書道文化の伝統と継承

その前に。この展覧会の第一章で展示されたものは、未装5葉、掛幅5幅、手鑑5帖ですが、この手鑑についてざっくりと。

展示されている手鑑は「翰墨城」、「はまちどり」、「まさごの鶴」、「古筆手鑑」、「時代不同和歌抄」で、いずれも個人蔵。

このうち後3者については詳しい解説はありませんでした。展示も各数葉ほどで、うち展示キャプションがついているのは1葉2葉。ほかに展示されていないが図録に掲載されているのが各1葉ほどあったりなかったり。さほどいい古筆切が収録されていない手鑑であろうかと思います。

「まさごの鶴」は全106葉(表53葉、裏53葉)。図録に掲載されているのは「柏木切」と伝二条為明筆「狭衣物語断簡」。

「古筆手鑑」は全72葉(表40葉、裏32葉)。図録に掲載されているのは伝小野道風筆「装飾法華経断簡」と「法輪寺切」と「広沢切」。

「時代不同和歌抄」は全123葉(表65葉、裏58葉)。図録に掲載されているのは「公実集切」(真観監督書写本)。

「はまちどり」は全295葉(表152葉、裏143葉)。この手鑑は2012年に出光美術館(丸の内)で開催された「古筆手鑑」展でも出品されたものです。その図録の別府節子さんによる解説を参考にすると、大正末期の前田家の売り立て目録である『前田侯爵家御蔵器入札目録』(東京美術倶楽部、1925年)に記載されていることなどから、前田家伝来品と判明するものです。「配列や全体としての内容に体系的な秩序はみられ」ないながらも、貴重な古筆切を含む手鑑であるとのこと。この出光の図録に図版が掲載されているのは、

の6葉。今回の図録に図版が掲載されているのは、

の6葉。聖武と俊頼は名称違いで同じ断簡ですが、それ以外は重複していません。

つづいて「翰墨城」。個人蔵で、MOA美術館が所蔵する国宝とは同名異品。全131葉(表66葉、裏65葉)。ただし裏の101の1葉剝されており、それを引けば130葉。表の24は「尼崎切」と「如意宝集切」の呼び継ぎのようで(展示も図版もないのでどのようになっているかは不明です)、それを分けて考えれば1葉足す、というような数え方はしないみたいですね。図録の74-75ページに「古筆手鑑『翰墨城』所収古筆切一覧」が掲載されています。高城弘一さんの解説によると、明治時代ころの仕立てで、「概ね手鑑行列に従った配置」、「色紙・短冊は一切ないという質的水準」、「平安時代の書写にかかるかな古筆も少なくなく、資料的価値が高い」。『古筆学大成』には1葉も紹介されていないので調査から漏れたかとのこと。

剝された101について。展示が裏だったので、この剝された箇所を見ました。極札が残っており、筆者は「弘法大師」、書き出しは「丘當知」。「所収古筆切一覧」には「「絵因果経切」あったも現存せず」とのこと。SAT DBで検索すると、過去現在因果経のなかで「丘當知」の3字が連続するのは1箇所(03.0650a24)のみで、巻4の中ほど後ろより。ここで思い浮かぶのが国宝芸大本です。芸大本は2紙失われていますが、この佚失部は「丘當知」を含みます。すなわちここにもともと貼ってあった「絵因果経」は芸大本の断簡であったのではないかと推測されます。

以前書いた記事「鈍翁による翰墨城の改変について - ときかぬ記」に頂いたコメントで、11行の芸大本断簡で手鑑剥がしのものについてご教示頂きました。言及されている手鑑は如意宝集切2葉で極が宗尊親王紀貫之だとのこと。これは翰墨城の特徴と一致します。これを踏まえると、やはり剥がされた断簡は芸大本でいいようです。コメント通りの行づつ分けるとこの断簡の書き出しが「丘當知」にならないような気がする点気になりますが(私がどこかで勘違いをしているのか)。

しかし、なぜ極札を手鑑に残したのか、一緒に剝さなかったのかは疑問です。鑑定書は鑑定品とセットにしておくべきでしょう。考えられるのは、この札は新しくたいして価値がないものであるから剝さなかったということ。「所収古筆切一覧」を見ると、この鑑定は「不明A」なる人物のもの。この不明Aによる鑑定は、翰墨城所収断簡の半分近くを占めます。とすると、この札は、明治時代ごろにこの手鑑が作成された際の、その作成者またはそれに近い人物によるものだという風に考えられないでしょうか。すなわち、この不明Aの筆跡が判明すれば、この手鑑の作成に関わった人物が見えてきそうに思います。

以上で手鑑に関する話を終えまして、図録の構成に従って、各断簡を見ていきます。なお、展示の有無については多少記憶があやふやなところもあり、間違っていたらごめんなさい。

1. 賢愚経断簡

聖武天皇筆|奈良時代/8世紀

  • 古筆手鑑「翰墨城」所収(展示なし)
  • 古筆手鑑「はまちどり」所収(展示なし)

翰墨城断簡は5行、2行(巻12、大施抒海品、0405a03-05)と3行(巻1、二梵志受斎品、0353c17-19)の呼び継ぎ。はまちどりは5行(巻6、月光王頭施品、0389b11-15)。後者は紙が赤みを帯びたいわゆる赤聖武。図録解説曰く

料紙表面に塗布された胡粉から、白色の料紙が大半を占めるが、赤みを帯びた部分も存在する。制作当初からのものか、経年による変色かは不明。

根津美術館蔵の手鑑第一号に押された大聖武は、はまちどり断簡に直接続きますが、根津断簡は図版(『観賞シリーズ12 館蔵 古筆切』)を見る限り白いですね。ここがちょうど継目で紙が違うのかもしれませんが。

2. 鳥下絵観普賢経断簡

光明皇后筆|平安時代/11世紀

  • 古筆手鑑「翰墨城」所収(展示なし)

丁字吹き金銀泥下絵金界墨書の観普賢経。2行(09.0393b27-29)。同様の法華経が伝存しますが、もともと一具だったのか否か。センチュリー文化財団蔵品(センチュリー文化財団 オンラインミュージアム)がツレらしい(『出典判明仏書・経切一覧稿』25ページ)。ただ、これひと目見たときからしっくり来ないんですよね。素人の感覚なんてまったくあてにならないでしょうが、法華経の切(たとえば妙法蓮華経巻第四断簡(鳥下絵切) - e国宝)と比べて、たしかに字形は似るけどうまくないように見える。手鑑「月台」 蝶鳥下絵経切 - e国宝と比べると別手か。いや、別手なのはかまわないんですけど、腕がけっこう落ちる気がしたりしなかったり。

3. 紫紙金字金光明最勝王経断簡

菅原道真筆|奈良時代/8世紀

  • 古筆手鑑「翰墨城」所収

3行(巻3、09.0415c12-15)。図版では紙の色が紺色に見えますが、展示物を拝見したところ、他の紫紙金字金光明最勝王経断簡と同様の紫色をしていました。また、この図版では金字に濃い薄いのムラがあるように見えます。現物はそのようには見えなかった。意図的か否かはともかく、そういう点が強調されるような写り方で撮られた写真なのでしょうか。ちょっと興味深い図版です。

4. 太秦

聖徳太子筆|平安時代/12世紀

  • 古筆手鑑「翰墨城」所収(展示なし)
  • 未装

紺紙金字1行9字の法華経。定信の筆跡に似ています。翰墨城の展示は裏であり、ほぼ全開でしたが、展示場所のスペースの関係でごく一部畳んでおり、見れない断簡がありました。その1つがこの太秦切。残念。2行(譬喩品、09.b18-19)。未装の1葉は5行で、1行(譬喩品、09.0015b20-21)、2行(信解品、09.0016c04-05)、2行(信解品、09.0017c16-18)の呼び継ぎ。いずれも宝塔らしきものは確認できず。

5. 装飾法華経断簡

小野道風筆|平安時代/12世紀

  • 古筆手鑑「はまちどり」所収
  • 古筆手鑑「古筆手鑑」所収

この装飾法華経を見たのは確かなのですが、両方展示していたか片方だったか記憶にありません。雲母引き、天地に金の小切箔撒き、金界墨書。はまちどり断簡は2行(巻5、提婆達多品、09.0035c19-21)。古筆手鑑断簡は5行(巻5、踊出品、09.0041c05-10)。「月台」と「紫の水」にツレと思われるものがあります。いずれも同じく巻5の断簡。

6. 金銀箔装飾観普賢経断簡

筆者未詳|平安時代/12世紀前半

  • 未装

天地に金銀箔撒き、金界(鍮泥か)墨書。6行(09.0390a06-12)。裏面の装飾をそのまま残しているとのことですが、それが見えるような展示ではなくかつ図版もないので、どのような装飾であるか不明です。またツレの情報などもありませんでした。『久能寺経と古経楼』121ページに掲載の五島美術館所蔵の掛幅「装飾経断簡」(12行、観普賢経)が、場所も近く、料紙や特に筆跡が似ていると思います。ツレなのかなと思いますが、ただ状態があまりにも異なるという点が気になるところ。こちらは、あい剥ぎした紙背と思われるものを呼び継ぎしています。

7. 安倍小水麿願経断簡

伝安倍小水麿筆|平安時代/貞観13年(871年)

  • 古筆手鑑「翰墨城」所収

小水麻呂願経(慈光寺大般若経)の断簡。5行(巻113、05.0633b09-14)と5行(願文前欠、下部欠損激しい)の呼び継ぎ。

8. 飯室切

嵯峨天皇筆|奈良時代/8世紀

  • 古筆手鑑「翰墨城」所収(展示なし)

黄紙(図版を見る限りでは茶色)墨書、白墨による書き入れあり。3行。図録では勝鬘師子吼一乗大方便方広経(勝鬘経)としていますが間違いで、瑜伽師地論巻31、30.0456b11-14です。国宝翰墨城に勝鬘経の飯室切が押されているので混乱したでしょうか。小林強さんの『出典判明仏書・経切一覧稿』34ページ、「嵯峨天皇、瑜伽師地論《飯室類切・空海加筆》」の項に掲載されています。ツレなし。なお、展覧会の図録解説では「書風や料紙から、奈良時代の書写と考えられる」としつつ、同書掲載の「古筆手鑑『翰墨城』所収断簡一覧」では「平安時代」と違いがあります。図版見る限りなかなかいい筆跡。奈良ですかねえ。

なんとなく根津美術館の所蔵する五月一日経の瑜伽師地論巻24(文化遺産データベース)とこの断簡を比べたんですけど、これがびっくりするくらい筆跡が似ていたんですね。ひょっとしたら同筆ではないかと。松本包夫さんの「聖語蔵五月一日経の筆者と書写年代その他(二)」によると、瑜伽師地論の第3帙(巻21から巻30)の筆者は高忍熊(読めない。あとで調べます)。この断簡の筆者も高忍熊なのかもしれません。高忍熊が五月一日経の瑜伽師地論第3帙を書写したのは天平11年10月と11月なので、もしかりに本断簡が同筆なら、書写年代はどんなに広くとっても前後数十年以内、絞れば天平写経ということになるでしょうか。なお念のため、五月一日経の瑜伽師地論第4帙(すなわち巻31から巻40)は忍坂成麻呂が写しており、巻31を含む8巻が聖語蔵に現存します。五月一日経本と大正蔵本の巻31の開始位置は同じであり、調巻が異なりこの断簡の部分が五月一日経本では巻30であるということでもない。すなわち、この断簡は五月一日経ではありません。

9. 清水切

後鳥羽天皇筆|鎌倉時代/13世紀

  • 古筆手鑑「翰墨城」所収(展示なし)

銀界銀天蓋蓮台墨書法華経。4行、2行(巻5、踊出品、09.0040a07-09)と2行(巻1、序品、09.0004b13-15)の呼び継ぎ。図録には「白紙に銀泥で天蓋と蓮台を刷った料紙に」とあります。しかし、半蔵門ギャラリーさんの解説では、

蛇足ですが、『古筆手鑑大成』『写経の鑑賞基礎知識』『手鑑月台』等に、界の上下の天蓋、蓮台を銀泥にて「描く」とありますが、どう視ても捺したようにしか見えません。「薄い銀泥で捺している」との解説を最近みつけ、やはりそのような解釈もあるのだと納得しました。

半蔵門ギャラリー - 装飾法華経『清水切』 | 古美術品専門サイト fufufufu.com

刷りなのか捺しなのか、言い換えればプリントなのかスタンプなのか。私はスタンプだと思っていたのですが、プリントなのかなあ。それともスタンプの意(またはそれを含む意)で刷るという語を使ったのか。

10. 笠置切

万里小路宣房筆|南北朝時代/14世紀

  • 古筆手鑑「翰墨城」所収(展示なし)

金界墨書観普賢経。1行、09.0392c05-06。万里小路宣房真筆の法華経の結経の断簡。

11. 法輪寺

藤原行成筆|平安時代/11世紀半ば

  • 古筆手鑑「古筆手鑑」所収

今回の目玉ですね。数年前だかに新たに発見されたもので、初公開だったかな。藍紙に羅文飛雲を漉きかけ。雲母砂子も撒いているでしょうか。和漢朗詠集巻下、詠史全部、題を含め6行。漢詩と和歌の間に継目がありますが、当初のものだと思われ。

12. 紙縒切

藤原佐理筆|平安時代/11世紀後半~12世紀前半

  • 未装

飛雲紙に金銀砂子撒き。道済集。7行。紙縒切いいですよね。この断簡もそうですけど、行がすっとまっすぐ通る感じが心地よい。釈文6行目「さきくのかみも」の「く」の読みがちょっと疑問。

13. 白氏文集切

藤原行成筆|平安時代/11世紀後半

  • 古筆手鑑「翰墨城」所収

白氏文集巻26江州司馬庁記。2行。古筆学大成25白氏文集10藤原行成筆白氏文集切のツレ。同書50ページ掲載の図版38の5行の模写のうち、所在不明とされた前2行の断簡です。この前の東博での行成特集展示で東博所蔵のツレが展示されていました。「伝」をつけつつも「藤原行成の真筆である可能性が高い」と。また小松茂美さんは真筆認定です。この帝京の展覧会での図録では、「行成自筆説に慎重な意見もあり、今後の詳細な筆跡研究が期待される」と留保し、また時代を「十一世紀後半」としているということは否定的なのかな。

14. 荒木切

藤原行成筆|平安時代/11世紀後半

  • 古筆手鑑「翰墨城」所収

古今集巻10、449。奥1行抹消か。

15. 香紙切

藤原佐理筆・伝小大君筆|平安時代/11世紀後半

  • 古筆手鑑「翰墨城」所収(伝藤原佐理筆)
  • 古筆手鑑「翰墨城」所収(伝小大君筆)

前者は高城弘一さんの言う第2種、後者は第1種。後者は詞書のみ3行ですが、いいですね。

16. 巻子本古今和歌集

  • 未装

赤い蠟箋で、牡丹文でしょうか。5行。古今集巻5。第1行は2字で1字欠損「け□(釈文は「り」を充ててます。293を脱しているのか、293の末尾を誤写したか)」。2行目以降は294詞書と作者。

17. 東大寺切(三宝絵詞断簡)

源俊頼筆|平安時代/保安元年(1120)

  • 掛幅装

和製唐紙。菱唐草文。寄り合い書きなんでしたっけ? まだ区別つかず。

18. 唐紙拾遺抄切

源俊頼筆|平安時代/12世紀前半

  • 古筆手鑑「翰墨城」所収
  • 古筆手鑑「はまちどり」所収

伝俊頼筆の唐紙拾遺抄切で次の伝公任筆のとは別本。和製唐紙。翰墨城断簡は3行、七宝繋ぎ。はまちどり断簡は9行、牡丹唐草文。図録解説の「部分的に他の平安古筆には確認できない文様も含まれる」という点が気になります。

19. 唐紙拾遺抄切

藤原公任筆|平安時代/12世紀前半

  • 古筆手鑑「翰墨城」所収
  • 掛幅装

和製唐紙ですが、ともに状態があまり良くなく文様ははっきりせず。

20. 柏木切 類聚歌合断簡

藤原忠家筆|平安時代/12世紀半ば

  • 古筆手鑑「まさごの鶴」所収

歌題不明の右1首、樹留寒風の左右2首の計3首10行。歌合大成の古筆索引に掲載されておらず、3首とも和歌 語句検索でかからないのでお手上げです。料紙はA罫、筆跡を判断する力は私にはありません。

右歌の末尾2箇所に「本まゝ」と書かれており、また歌には字数がおかしいなど変なところがある。書写の際に善本を手に入れられなかったみたいですね。筆者自体が親本に疑問を持っているせいか、字形が不確かなところがあり、釈文はすべて解読していますが、実際そう読むのか、そもそも読めるのかと思うところも。ただとりあえず、「右 かへ」と読んでいるところは「右 かつ」でしょう。余談ながら、「かち」ではなく「かつ」であることに以前から違和感が拭えず。。。

21. 詩書切

藤原公任筆(推定/藤原定信筆)|平安時代/12世紀前半

  • 古筆手鑑「翰墨城」

3行。和漢朗詠集巻下・草に所収の漢詩句(437)。本朝文粋・奏状中に全出。いわゆる直幹申文。

22. 日野切

藤原俊成筆|鎌倉時代・12世紀後半

  • 古筆手鑑「翰墨城」所収(展示なし)

5行。千載集巻13、817歌及び818詞書後欠。

4行目「くたり/\けるを」を「くだりくだりけるを」って読んで一瞬なんだろうなと思ったのですが、「くだりたりけるを」ですね。

23. 石山切貫之集下断簡

藤原公任筆|(推定/藤原定信筆)|平安時代12世紀

  • 掛幅装

唐紙で白具引き地に獅子二重丸唐草文、銀泥下絵。

最終行の「わひし」の書き方がおもしろい断簡。以前図版で見て印象深かったものですが、思いかけずも実物を拝見しました。こういうの嬉しい。

24. 白河切

西行筆|平安時代/12世紀

  • 古筆手鑑「翰墨城」所収

後撰集巻10、613詞書前欠から614作者まで。

釈文の「あまた或本」は「あきたゝ或本」ではないかと。

25. 本能寺切

藤原定家筆|鎌倉時代/13世紀

  • 掛幅装

時代不同歌合773番。

26. 公実集切

藤原公任筆|鎌倉時代/13世紀

  • 古筆手鑑「時代不同和歌帖」

真観本。

27. 年魚市切

藤原為家筆|鎌倉時代/13世紀

  • 掛幅装

金銀箔撒き。詞花集巻7、188下句から190第2句まで。もともと小さいサイズの本の断簡で、実物と図版は印象がだいぶ異なります。

28. 北野切

藤原為家筆|鎌倉時代/13世紀

  • 古筆手鑑「翰墨城」所収

古今集巻20、1071から1073。和歌2行書きで題を含め9行。奥1行の直前に継目があり、その1行の紙のみ上下藍の雲紙です。巻子かと一瞬錯誤しましたが、冊子本(列帖装)のようです。

29. 内侍切

伝藤原良経筆|鎌倉時代/13世紀

  • 古筆手鑑「翰墨城」所収

天地藍の雲紙に金銀箔砂子を霞引き。和漢朗詠集巻上・春・鶯、70から72。藻塩草にツレがあります。和漢朗詠集巻上断簡(内侍切) - e国宝

30. 雁金切

伝慶運筆|鎌倉時代/13世紀

  • 古筆手鑑「翰墨城」所収

金銀箔撒き金泥下絵(雁金の部分の傷み方からすると金泥ではないかも)。古今集巻4、227詞書から上句まで。藻塩草にツレがあります。古今和歌集巻第二断簡(雁金切) - e国宝

31. 右衛門切

伝寂蓮筆|平安時代/12世紀

  • 古筆手鑑「翰墨城」所収

古今集巻2、117詞書前欠から118歌まで。

最終行の末字の右下の「ハ」は裏写りした文字でしょうか? ただ、なぜここに「ハ」があるのか。

32. 今城切

伝飛鳥井雅経筆(推定/藤原教長筆)|平安時代/12世紀

  • 未装

古今集巻11、511から513の3首。素紙。

33. 角倉切

伝阿仏尼筆|鎌倉時代/13世紀

  • 古筆手鑑「翰墨城」所収

後撰集巻14、1004詞書前欠から1006詞書まで。

釈文5行目「入こす」の「こ」を脱、また6行目「たえたりし」は「たえたりと」だと思います。それはいいとして、同行「うちはしを」なのかなあ。ぱっと見そうは見えないですよね。他の断簡の字も見て比べたいところ。解説、

細身の線は女筆を思わせ、筆者を阿仏尼と伝えるが確証はない。

当時は性別によって筆線の太い細いに明瞭な差があったという証拠があるのでしょうか。なかったとしたら剣呑なもの言い。

34. 醍醐切

二条家俊筆|南北朝時代/正慶2年(1333年)

  • 古筆手鑑「はまちどり」所収(展示なし)

右ページは古今集巻19、1016作者から1021詞書後欠。左ページは奥書。列帖装で、綴じ穴残ります。呼び継ぎしたものではなく、もとの1紙でしょうか。新撰古筆名葉集に「奥書アル切レナリ」とあるので、このときには既に切られていた(というかバラされていた)のでしょう。奥書

正慶二年二月八日以相伝之証
本所終書写之功也
   右近衛権中将藤原朝臣(花押)

ここまで書いてあったら特定できるのかなと疎い私は考えてしまうのですが、伝称どおり二条家俊である可能性も含め、まだ特定できていないみたいですね。というか、そもそも家俊という人がよくわかっていないらしい。

35. 重之女集断簡

源実朝筆(藤原資経筆)|鎌倉時代/13世紀

  • 古筆手鑑「はまちどり」所収(展示なし?)

布目打ち、下絵(この下絵が何で描かれているのか、少なくともこの断簡を見る限り私には分かりません)。冷泉家時雨亭文庫に伝存する資経本私家集と同筆で、これもその一具であったもの。

36. 五条切

伝二条為世筆|鎌倉時代/13世紀

  • 古筆手鑑「翰墨城」所収(展示なし)

後撰集。伝称筆者の為世は続後撰集の撰者。解説に

本文は、上質な白紙に巻子本の形態で書写しており、勅撰和歌集の写本としてはかなり由緒のある典籍であったと考えられる。撰者自筆の可能性も指摘されており、今後詳細な筆跡の検討が望まれる。

正直、あまりうまい字には見えず。

37. 七社切

世尊寺行尹筆|南北朝時代/14世紀

  • 古筆手鑑「翰墨城」所収(展示なし)

藍の雲紙に、金界、天地に金銀砂子撒き。「足利尊氏が複数の寺社に奉納した法楽和歌の断簡」とのこと。ちょうど今日から出光美術館(丸の内)で開催される「時代を写す仮名のかたち」展で2巻出陳されます。詳しく知らないので、そちらで勉強してきます。

38. 源氏物語絵巻詞書切

伝津守国冬筆|鎌倉時代/13世紀

  • 古筆手鑑「はまちどり」所収(展示なし)

天理本源氏物語絵巻の詞書断簡。5行。若菜下。

39. 狭衣物語断簡

伝二条為明筆|鎌倉時代・13世紀

  • 古筆手鑑「まさごの鶴」所収(展示なし)

金銀箔撒き。12行。

40. 筑後

伏見天皇筆|鎌倉時代/永仁2年(1294年)

  • 古筆手鑑「翰墨城」所収(展示なし)

上下藍の雲紙。3行。後撰集巻12、884詞書。

41. 広沢切

後伏見天皇筆(伏見天皇筆)|鎌倉時代/13世紀

  • 古筆手鑑「翰墨城」所収(展示なし)
  • 古筆手鑑「古筆手鑑」所収(展示なし)

翰墨城は題「獣」1首、古筆手鑑は題「秋地儀」と「促織」の2首。

42. 宸記切

後鳥羽天皇筆|鎌倉時代/13世紀後半

  • 古筆手鑑「翰墨城」所収(展示なし)

雲母引き。5行。後鳥羽院宸記。

43. 金沢文庫

伝尊円親王筆|南北朝時代/14世紀

  • 古筆手鑑「翰墨城」所収(展示なし)

金沢文庫万葉集。2行、巻13、3336前欠。

44. 竹屋切

後円融天皇筆|室町時代/15世紀

  • 古筆手鑑「翰墨城」所収(展示なし)

藍雲紙下絵。源氏物語・初音。藻塩草にツレがあります。源氏物語「夕霧」巻断簡(竹屋切) - e国宝