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平安古筆の名品展@五島美術館

せっかくいい展覧会にうかがったので、取るに足らないものですが、感想などを残しておこうかと。

Ⅰ 仮名の成立から典型へ

1. 綾地歌

草仮名の遺品。古筆学大成25の未詳歌集②伝藤原佐理筆綾本未詳歌集切に当たるものです。①の伝なしの方の綾地歌切(賀歌切)とは別本。ツレは1葉で共に夏歌。そのツレの金沢市立中村美所蔵の1葉は、同様に4行1首で上半中央に大きく四菱文様が見えます。本品もわずかに同様の文様が残るということですが、図版でもガラス越しの現物でも確認できず。

筆跡は秋萩帖に似ており、また下の方が痛み1字分ほど失われてます。そこで思い浮かぶのが秋萩帖の第1紙。3字の脱字があり、うち2字は行が変わるところなんですよね。小松さんは、それを踏まえて、秋萩帖の第1紙は模写で原本はこの綾地歌切本ではないかと推測されてます。真偽のほどは定かではありませんが、興味深いお話。

貴重なものなのでしょうけれど、傷み激しくなんとも言えず。。。

2. 継色紙

五島美術館蔵。何度か拝見していますが、いつ見てもいいですねえ。

原装は粘葉装で、内面書写つまり料紙表側のみ書写し裏側は白紙としてます。この場合、書写してる見開きと白紙の見開きが交互に現れますが、実際は、折り目をつけなければページをめくったときに裏側で開ききらずそのまま次の表側までめくれると思うので、その点はあまり不思議に思わなくてもいいのかもしれません。(追記)東博のお土産屋さんで、粘葉装のメモ帳を買ったんですが、思っていたのと違う動きをして、白紙のページは開きますね。そのまま次の表側までめくれるということはありませんでした。頭で考えるだけではなく、実物に当たるのは大事だなとあらためて。細かく言えば、当時のものとは紙や仕事の丁寧さなどで違いはあるでしょうけど。(追記了)

むしろ面白いのは、(継色紙にもいくつかの書き方がありますが、とりあえずこの歌は)上句を見開きの左ページに書き、下句をめくった次ページ(厳密に言うと次々ページになるのか)の見開き右ページに書いているということでしょう。つまり、いま掛幅の状態では1首を一目に収めることができますが、原装だと上句下句を別々に見ることしかできなかったわけです。なぜこんな書き方をしたのでしょうか?

図録解説に

伝称筆者は小野道風(八九四~九六六)、自筆との確認はできないが、書写時期は道風の活躍時期と近いと考えられる。その根拠は、使用される言葉に「あ行」と「わ行」の「え」と「ゑ」の使いわけがなされていること、料紙に色違いの染紙を使用し、装飾料紙としては古い形式と考えられることによる。

これは「あ行」と「や行」の「え」の間違いでしょう。「あ行」と「わ行」の「え」と「ゑ」の使いわけだと、道風の時代か否かの判断基準にはなりません。で、実際に使いわけがなされているか調べてみました。古筆学大成16掲載の継色紙所収歌全34首(うち半端4首、模写2首)のなかで「え」が使われているのは次の3首の1箇所づつ。冒頭のアラビア数字は「「継色紙」と他歌集所収歌との対比一覧」(418から421ページ)で付された歌番号です。なお、古筆学大成出版以後に出てきた継色紙については未確認。

  • 09はなのいろはゆきにまかひてみすともかをたにゝほへひとのしるへく
  • 26われみてもひさしくなりぬすみののきしのひめ松いくよへぬらん
  • 33きみをおきてあたしこころをわかもたはすゑの松山なみもこなむ

09は「見ゆ」の未然形、33は「越ゆ」の連用形なのでや行、また「江」は万葉仮名でや行えの訓仮名として使われているので26も同じくや行。図版を確認するとすべて「盈」を字母とした仮名を用いています。

橋本進吉の「古代国語の「え」の仮名について」*1によると、「盈」の字は「奈良朝から平安朝初期までの文献に於て、仮名として用ゐた例は(略)一つも無い」とのこと。古い論文なのでその後状況は変わっているかもしれませんが、「盈」の字はあ行とや行の「え」が確実に区別されていた頃には使用例がないというわけです。しかしながら、「盈」の字が「え」の仮名として使われたとすればや行だろうという話もしている*2。この場合、どのように考えればいいのでしょうか。

3. 古今集切(未詳歌集断簡) 伝藤原行成

今回の目玉の1つ。この切については以前取り上げたことがあります。

源氏物語が書かれた頃の仮名と製本 - ときかぬ記

ツレの断簡について、料紙の放射性炭素年代測定によって、西暦1000年頃の紙だと判明しました。すなわち書写年代もその頃であると。もちろんこの件について疑問を挟むことはできます。測定は1度しかなされてないので、測定ミスかもしれない。また、ずいぶんと失礼な話ではありますが、捏造という可能性も否定はできません。検証がなされてないので扱いは慎重にすべきでしょう。さらに測定結果を認めても、古紙を用いたとか、漉き返しなどの可能性も考えられます。しかし、料紙装飾や、筆跡、崩し方、散らし方などを考え合わせて、古いものだと考えていいのではないかと思います。

原装は巻子装。展示されている断簡は、藍と薄藍の紙の継目部分をまたいで書かれています。現存6葉中この断簡を含め3葉が継目またぎ。ゆったりと間を取った書き方をしていることから、前から順に書いてたまたま継目をまたいだのではなく、あえてこの色が変わる継目部分を選んで書いてたのでしょう。

継色紙の上記のような不思議な書き方も、これを考慮すると1つの考えが浮かびます。当時は1紙を1色にしか染めなかった(と思う)。だとすれば、地の色を変えるには料紙を変えるしかなかったのではと。

4. 仮名消息 伝藤原行成

読めない。。。

鳩居堂所蔵の国宝「伝藤原行成筆仮名消息(十二通)」(文化遺産データベース)のツレですよね。この12通に複数の筆跡があるようで、伝行成ですが、少なくともすべてが行成筆であるとは言えないわけです。解説では、本品について行成より少し時代を下げてました。

5-7. 関戸本古今集

高野切と同時代かもしくは少し遡るかもと推定される古今集の古写本です。同色の濃薄を1枚づつ重ねた2枚を1括とする列帖装(綴葉装)が原装。

5は内容が左右連続し、切り継ぎのないもとの見開き。中央の上下2箇所に2穴づつ綴じ穴らしきものが確認できます。6は5行2行1行の3紙呼び継ぎです。

8-13. 高野切

高野切が6葉出てるって凄くないですか!?

今回の展示では、料紙の雲母砂子がはっきりと見えます。高野切の雲母砂子は展覧会での展示では見えないことが多いのですが、今回はくっきり。特によく見えるのが五島美の巻1巻頭断簡で、正対すると見やすいですね。他の5葉は、展示場所が異なり照明の当たり方が違うからか、斜めから見た方が見えます。

14. 大字和漢朗詠集

高野切第一種系統で、同筆と言われてます。和歌3行書きと、2行書きの高野切より大字で書かれてます。東博が所蔵してるのでそこそこ見る機会はありますが(直近は行成の特集展示)、現存10葉ほどの珍品。

8の高野切巻1巻頭に近い丁寧な書き方ですね。同じ高野切でも、巻1巻末に近い9や巻9の断簡である10などは、もっと早くリラックスした書きぶりです。

15. 升色紙

これも雲母砂子撒きですが、今回の展示で初めて雲母砂子を確認できました。ほんと今回いい展示ですよ。

16. 桂本万葉集断簡(栂尾切)

高野切第二種系統で、同筆、源兼行の筆跡とされます。三の丸尚蔵館蔵桂万葉のツレ。

これ好きだなあ。仮名で書かれた和歌、1首を2行に書いてますが、行間を狭め、一部重なりつつ文字が絡み合う様がいい。

17-18. 関戸本和漢朗詠集

これも第二種系統で、一般には同筆と考えられているかと思いますが、図録解説を読むと含みのある書き方。

17は鶯のところ全部です。原装は巻子。関戸朗詠は行書きで前から順に詰めて書いてるはずなので、鶯がこの場所に書かれているというのは偶然であり、切断するときも内容に基づいて切ってるだけなんですが、計ったようにいいバランスですよね。色変わりの料紙の継目部分で、右が濃藍、左が薄藍。料紙幅が2対3くらいの絶妙な位置です。また漢字で書かれる漢詩の箇所は比較的に墨付きが多く黒いわけですが、それが薄藍まで達している点などを含め、料紙と筆跡のバランスもいい。そして極めつけは、継目を真ん中に堂々とまたいで書かれた1行。

19-20. 名家家集切

第二種系統ですが異筆。原装は粘葉装冊子本。飛雲紙ですが見えないので、ない部分(裏?)なのでしょう。20は2紙呼び継ぎ。

21-24. 十巻本歌合切

21は寛平御時后宮歌合の断簡ということで、東博の国宝残巻(寛平御時后宮歌合(十巻本) - e国宝)の佚失部の一部ですね。

22と24は同筆でしょうか。21と23も近い感じがします。機会があれば確認しようかと。歌合大成では(手元にあるのは不十分な資料なので機会があれば後で補充します)、

  • (21)5〔寛平五年九月以前〕皇太夫人班子女王歌合。巻4。
  • (22)105某年或宮菊合。巻9。
  • (23)75天延三年三月十日一条中納言為光歌合。巻9。
  • (24)72天禄三年八月規子内親王前栽歌合。巻7。

25-26. 如意宝集切

公任撰の私撰集である如意宝集の現存する唯一の写本の断簡。筆跡は高野切第二種系統と言いますが、けっこう雰囲気違うような気がしたりしなかったり。

27. 亀山切

上下藍の雲紙に雲母砂子撒き。この断簡の雲ははっきりしないですね。雲母砂子ははっきり見えます。

非常に繊細な印象をうける字です。好き。

28. 近衛本和漢朗詠集断簡

高野切第三種系統。

唐紙ということですが、痛み激しく文様はよくわかりません。角度をつけて下の方からのぞきこむようにすると、かすかに見えなくもないのですが。

29. 法輪寺

同じく第三種系統。うまいですねえ。

料紙は藍紙で、現存品では唯一の羅文飛雲を漉きかけ、さらに雲母砂子撒きで、展示品はその羅文飛雲がある部分です。帝京大学総合博物館の「日本書道文化の伝統と継承」展でも詠史の部分が出てまして、そちらは羅文飛雲が2箇所。地の藍紙は(もともとなのか、照明の関係かわかりませんが)、こちらの方が明るい色できれいに見えました。

30. 催馬楽

鍋島報效会蔵の国宝催馬楽譜の佚失部の一部です。この国宝鍋島本について図録に

もと粘葉装の冊子本で、現在、三十一枚の綴葉装に改装した一冊として残る

と書かれているのですが、粘葉装を綴葉装(列帖装)に改装するというのがよくわからず。

II 多彩な仮名表現の展開

31. 寸松庵色紙

三色紙揃い踏み!! なおいずれも五島美術館蔵品です。

で、この五島美の寸松庵色紙は何度か見たことがあるんですが、今回ほどはっきりと唐紙の瓜文様が見えたことはありません。この五島美所蔵品は、現存品の中では比較的状態がいい。それが普段より見やすく展示されています。

この展覧会は、いい品が大量に出てるというだけでなく、展示の仕方もいいですね。

32. 小島切

原装は粘葉装とのこと。右下が傷んでいるのは、ページをめくる指で汚れたか。左側に糊代らしき痕跡は見えませんが、虫食い多いのでこちらが綴じている側、右が小口か。ちょっと印象薄い。

33. 荒木切

荒木切もいい古筆ですよね。本品は特に重ね書きなどをもちいて見どころの多い断簡。

荒木切はさまざまな料紙を交用してます。展示品は雲に飛雲を合わせたもので珍品。荒木切でも現存4葉、ほかの写本で使われてるというのも聞いたことないです(単に私が知らないだけかもしれませんが、珍しいことは変わらず)。(追記)と書いたそばから出光美術館で久松切本の和漢朗詠集で見かけるというね。すっかり忘れてました。(追記了)

ちなみに上記の「日本書道文化の伝統と継承」展で、個人蔵の翰墨城が出陳されており、そこに荒木切が1葉押されてます。1首2行に詞書作者の行を含め3行、特に工夫のない普通の2行書き。歌は、上掲の升色紙とおなじ深養父のかはな草の歌で、見比べてみるのも一興かと。隠し題ですけど、ともにその点に工夫した書き方はしてないですね。詞書に書いているからわざわざそこを強調する必要もないでしょうけど。

34-35 元暦校本万葉集切(有栖川切)

34は巻4、35は巻11の断簡で同筆とのこと。同じ字(相・尓・成・事・宿など)を比べてみると確かにそっくり。ただ、筆か書写態度の違いか、少し印象は異なります。35のほうが丁寧ですね。34は最後の2行が弓なりに曲がってしまっている。

36. 針切

重之の子の集の巻頭部分。見開き2ページ分で、継いだものではなくもともと1紙のようにみえます。中央に綴じ穴か虫損か単なる汚れか判然としない物あり。原装は列帖装。列帖装で巻頭部分が継目のない1紙に見開き2ページ分書かれるというのは不自然ですよね。針切は相模集と合せて書かれたもので、相模集が先、重之の子の集が次に書かれたのかな。

自撰家集のようですね。冒頭の長い詞書はどういうときに歌を詠んだのかというようなこと。自意識の発露を感じ、興味深く読みました。

37. 藍紙本万葉集

推定筆者は藤原伊房で、国宝藍紙万葉巻9のツレです。本品は巻10。筆が割れても構わずにグイグイと書いていく力強い筆跡。

出光美術館で19日から開催される「時代を写す仮名のかたち」展で京博の国宝残巻(萬葉集巻第九残巻(藍紙本) - e国宝)出るみたいですね。五島のこの展覧会は平安古筆と推定されるもののみ(一部厳密に言えば鎌倉極初期)で手鑑の展示なし、出光の展覧会は中世古筆に力点がありかつ手鑑見努世友出陳と相互補完的な展覧会になりそうです。

38. 久海切

舶載の唐紙でかなり状態悪いですね。文様もわかりませんし筆跡も追いづらい。なお図録に

現在は、巻十二、十三、十四、十五に限った断簡が八葉確認できるのみである。本品は、巻十二恋歌一の断簡。ほかはすべて個人蔵。

とありますが、東博蔵の手鑑毫戦(もと個人蔵、10年ほど前に東博が収蔵)に1葉貼られてます。

手鑑「毫戦」 - ときかぬ記

39. 御蔵切

図録解説に「丸みがあり、曲線の強調された音楽的なリズミカルな書風」と書かれていますが、残念ながら私にはその音楽は聞こえず、リズムも感じませんでした。模写すれば分かるのでしょうか。しかし技巧的で難しそうです。

40-42. 太田切

和漢朗詠集の断簡で、漢詩は端正な筆致、和歌は個性的で独特、ところどころ奔放ささえ感じる筆跡で、一筆なのか疑問に思ったりもするおもしろい写本。ただ、舶載の唐紙で状態悪いものが多く、とくに細い線で書かれた和歌の方は筆跡が読み取りづらいですね。今回の展示品では、比較的状態のいい40は和歌の部分が太田切独特の魅力が薄い部分ですし、41と42は傷み激しい。なかでは、41の6行目「わた」が可愛らしい字形です。

43-44. 本阿弥切

有名古筆のなかで、私が特に魅力を理解できないのが、この本阿弥切。なんど見てもよく分からない。今回も残念ながら分からず。。。

45. 和泉式部続集切

これもわりと分からない方です。

46. 惟成弁集切

いいですねえ。

図録解説に

本断簡のほか、藤田美術館東京国立博物館の手鑑と個人の手鑑にある。掛物は二点。合せて十点に満たない。

藤田美術館の手鑑は知りません。東博のは月台を指すでしょう。個人は毫戦で、久海切の項に既述のとおり東博現蔵ですね。

Ⅲ 仮名の新風の登場

47-48. 筋切

藤原定実筆と推定される古今集の断簡。

47は見開き。48は1頁分よりすこし幅が狭いので1ページ足らず。この48の最終行が特殊表記和歌なんですよね。

伝越部局筆「阿野切」の特殊表記和歌 - ときかぬ記

筋切・通切でも、この表記はページの変わり目(左ページの左端)でいくつか見られます。和歌がページで分断される(一覧できない)のを避けるためでしょうか。切断されているので確証はありませんが、この断簡も同様でしょう。気にせず分断しているところもあるけれど、継色紙のころに比べると随分意識が変化してると言っていいのかもしれません。時代下って今城切は、私が確認した限りではページまたぎが1首もない。書写する人にもよるでしょうが、こういうところに時代の変化を感じます。

なお上にリンクを貼った記事で取り上げてる阿野切は見努世友所収。出光の展覧会で展示されるかも。

49-51. 巻子本古今集

筋切・通切や元永本と同筆で藤原定実筆と推定されています。

筆跡が類似するだけでなく、草仮名や訓仮名をまぜるところも共通します。舶載の唐紙で、蠟箋の51は比較的マシですが、いずれも状態が芳しくなく。49は図録解説で「人物文、壺」と書かれます。壺はなんとか確認できますが、人物は1行目「此哥」の右に顔が薄っすら。一番良く見えるのは上部の波文ですね。

52-53. 拾遺抄切 伝藤原公任

ちょっと印象薄い。。。

帝京大学総合博物館の「日本書道文化の伝統と継承」展に2葉(個人蔵掛幅と個人蔵手鑑翰墨城)でている伝公任筆唐紙拾遺抄切のツレでしょう。

54. 唐紙朗詠集切

文様は一本竹。こちらは壁にかけていたため多少距離がありましたが、くっきり文様が見えます。この文様いいですよね。平安時代っぽくないデザインのようにも見えたり。当時の趣味の幅の広さを感じさせます。

筆者は伊房か。ただ伊房説を取っていたとしたら、藍紙万葉とここまで離して、章も違う所で展示する点が疑問なので、別筆の可能性を考慮してるでしょうか。

右端の2行は和歌で、次のように書かれています。図録の釈文を参照しました。

十月錐れと共に甘南美の社の木葉は雨に去雨れ

これ「神無月時雨とともに神名備の森の木の葉は降りにこそ降れ」なんですけど、こんな書き方するんですね。「錐れ」で「しぐれ」、「去」で「こそ」(「去年」なら理解できる)。「雨」で「ふる/ふ(れ)」と読むのは辞書にあるので、それなりに使われた読みでしょうか。私は初めて知りましたが。「社」は「杜」の誤写。

55. 銀切箔唐紙切(金玉集切)

公任撰の私撰集である金玉集の最古写本の断簡。ただしツレはなくこの1葉のみ現存です。

筆者は筋切や巻子本古今集切などと同筆で定実らしい。筆跡が似ているのは確かですが、状態のさほどよくない断簡1葉で確実な筆跡鑑定ができるや否や。

56. 下絵拾遺抄切

この比較的大きな銀泥下絵はいいですよねえ。筆者はこれも定実説有力だそうです。

図録に

現在、図版を確認できる断簡は、巻一と三の八点のみ。本図のほか、東京国立博物館に一点、そのほかは個人蔵でなかなか目にできない。

とのこと。東博の1点とは

C0014644 下絵拾遺抄切 - 東京国立博物館 画像検索(列品番号:B-2430)

のことでしょうか。ならこれは?

C0066484 下絵拾遺抄切_「ひくらしに」 - 東京国立博物館 画像検索(列品番号:B-3276)

57. 久松切

図録掲載の図版、さすがにこれはないやろ。

上巻巻頭の目次部分と前栽の呼び継ぎ。飛雲紙に金銀箔撒き。巻頭の方は箔が寂しいですね。印象薄し。

58-62. 二十巻本歌合断簡(柏木切・二条切)

前後期展示替え含め全5葉出ますが、一番の注目は後期展示の58。A罫料紙で、紙背に「財」印(2顆見えます)が捺されたものです。もちろん筆跡もいい。

歌合大成では(手許の不十分な資料に基づくので抜けがあり間違いがあるかも)、

  • (58)197承保二年二月廿七日陽明門院殿上歌合。巻5。A財二甲。
  • (59)300元永二年七月十三日内大臣忠通歌合。巻12。E三甲。
  • (60)104某年或所不合恋歌合。巻次不明。
  • (61)5〔寛平五年九月以前〕皇太夫人班子女王歌合。巻4。A財一甲。
  • (62)300元永二年七月十三日内大臣忠通歌合。巻12。E三甲。

63-67. 石山切

石山切が5葉ですよ(展示替えありで1度に出るのは4葉ですけれど)。

石山切といえばなんといっても継紙。67に重継、66と67に破継、64に切継と3種揃いました。67(五島美蔵)・65(前期)・63(後期)は壁に掛けているので少し見づらいですが、64と66は間近に見れる展示でいいですね。64の紺紙と藍紙の色の良さよ。

65は漉き返し紙です。『王朝美の精華・石山切』の解説 資料編の34ページに

ただし「伊勢集」には紙屋紙が見開き一枚(四頁分)、および継紙の中に使用されている箇所が一つあり、漉き返しである紙屋紙は表裏に剥げないため、そのままとされた(図版番号59-1・2)

とあります。実際に図版番号59のもの(徳川美術館蔵)、1枚の半分の両面2ページ分で両面表具にしているようです。継紙の中に使用されいるのは、参考図版3として掲載されている湯木美術館蔵品で、こちらは切断せずに1枚4ページ分そのまま、同じく両面表具を使用。ただし、裏の右ページは貫之集の遊紙。上から貼って見えなくしているのでしょうか*3。鈍翁旧蔵品で、そもそも両面表具が鈍翁の発案らしい。

では、この春敬文庫蔵の本品(もと徳川美術館蔵品と1枚だったもの)はどうなっているのでしょうか? あい剥ぎしていないのならばそのまま裏が残っているのか。両面表具だという話は聞きませんから、裏側をそのままにして表具に貼り付けているのでしょうか。

67はもとの見開き2ページ分。ただし料紙裏で継いでいた側。つまり左右でもとの料紙が違い、装飾が異なります。右は破継で、左は唐紙の裏側。石山切は1ページ毎に見る機会が多く、また見開き2ページ分でも料紙表側が多いので、こうして料紙の裏側の見開きで1幅にしているというのは貴重ですね。正直、左右が調和してない感じがあります。

68. 本願寺本三十六人集断簡(兼輔集切)

図録解説「紙は、唐紙の裏面」とだけですが、ちょっとした下絵もあるでしょうか。

69-71・73. 砂子切

まとめちゃいますね。

兼輔集、中務集、業平集、さらに公忠集の断簡が残っており、筆跡は異なるものの料紙に共通するところがあることなどから、もともと一具のもので本願寺本とは別本の三十六人家集の写本であろうと考えられています。ただし、すべて断簡であり確証はないせいか、図録解説の態度は慎重。

73の業平集いいですね。ただ切断されており、1ページまたは見開きでのバランスが見たかった。

72. 貫之集切 伝藤原行成

これわりと好きで、現地で見とれてました。

図録解説だと、いわゆる伝藤原行成筆貫之集のツレであるのか今ひとつわかりづらい。会場の解説だと文面が異なり、明瞭にツレであると書かれていました。24.0x22.0cmと大きい断簡で、継目はありません。冊子本だと思われますが、大きい冊子本ですね。

74. 多賀切

藤原基俊真筆。名筆とはいい難いかもしれませんが、解説も言うように、俊成の筆跡の中に影響があるようにも見えます。俊成は基俊の弟子なので、実際に影響があるのか、それもと2人の関係を知った上で見るから、関連付けてしまうのか。

75. 山名切

新撰朗詠集断簡。多賀切との筆跡の比較から、撰者藤原基俊自筆と推定されています。2紙呼び継ぎ。間に漢詩句2首と和歌1首が入ります。

この銀泥下絵があまりいいものには見えず。さらに字の上に書かれているようにも見えるのは、経年による変化なんでしょうか。

76. 烏丸切

後撰集。飛雲紙に金銀箔撒き。本品は白いので具引き? 多くは次の中院切と似たような紙色です。

図録の

ほぼ同筆と思われるものに(略)伝藤原定頼筆「下絵拾遺抄切」などがある。

は79の下絵歌集切(拾遺抄)を指しているのだと思われます。すなわち80も「ほぼ同筆」。

77-78. 中院切

後拾遺集。烏丸切に非常に雰囲気が似ており、油断すると見分けがつかなくなります。一番わかりやすい違いは飛雲で、こちらは縦長。飛雲を漉きかける時は横長にするでしょうから、紙を(幾つかに切断し)90度回転させて使用してます。これは筋切と同じ。また両面に飛雲が漉かれているのも特徴で、これは他に元暦校本万葉集くらいしかありません。つまり飛雲がなければ烏丸切。

両者とも勅撰集で雰囲気が似ているとはいえ、料紙のサイズも違いますし、細かく言えば装飾も異なるので、もともと一具であったとは考えにくいでしょうか。

79-80. 下絵歌集切

79が拾遺抄で80が古今集。各数葉のツレがあるのみで詳細不明ですが、もともと一具のものであった可能性があるそうです。なお、言うまでもなく56下絵拾遺抄切とは別本。

81-83. 大色紙・中色紙・小色紙

もと同一の巻子本から切り出されたと考えられる3葉。先日、三の丸尚蔵館で展示された大色紙もツレですね。というと、縦の寸法がかなり異なることに疑問を懐きますが、かなり自由な散らし書きをしていて、上下に余白をとりながら書いたところもあり、その余白を切と取ったのが小色紙になるということです。なかには和歌を6行書きにして、上下2段に書いているところもあるよし。

82の右の余白部分に継目があります。一見すると文様がつながっているようですが、花菱文がほぼあっているだけで唐草はずれてますね。おそらく右側に余白が欲しかったので呼び継ぎしたかと。人知れずこそ。

84-85. 松籟切

これは状態がいいですね。和製唐紙で文様がはっきり残ります。

会場での釈文は確認してませんが、図録だと、84の9番左第3第4句で、1字落としているのではないかと。「まつはらはかすにきみか」→「まつはらはかすにきみか」。それともこの点は「か(可)」の一部と考えて「ゝ」を書き落としたと見るべきなのか。

85の10番左の第2第3句は「きみにあふよもあるへきに」を「きみにあふへき」と書き間違え、「き(支)」の上に「よ」を重ね書きして「もあるへきに」と続けています。これも図録の釈文「きみにあふへきよもあるへきに」とあるのはおかしいかと。

86-87. 天治本万葉集

字が小さくてよく見えず。あまり見せるための筆跡という感じもせず。実用向けの写本なのかなと思われます。しかし、ならばなぜ巻子なのか。

88. 拾遺抄唐紙色紙

ツレがなくこの1葉のみの伝存とのこと。ならばなぜ拾遺抄だとわかるのだろうと思いましたが、どうやら拾遺抄くらいにしか載っていない歌のようですね。「和歌 語句検索」(拾遺抄未収)ではこの歌は見つけられず。

89-92. 源氏物語絵巻詞書断簡

五島美術館徳川美術館が所蔵する国宝源氏物語絵巻のツレ、詞書の断簡です。短い断簡とはいえ4葉もあるんですね。贅沢な展示です。

国宝本と同様に金銀箔をふんだんに用いた豪華な料紙がみどころ。筆跡も見事ですが、暗めの料紙なのでちょっと見づらい。

平安時代末期の仮名

93. 胡粉地切

具引き地で、剥落したために文字も少し読みづらくなっています。唐紙や雲母引きもそういう傾向ありますよね。1000年残すなら料紙装飾は選ぶ必要がありそうです。

94. 今城切

同じく巻15ですが、右の藍紙は826と827、左の素紙は772から774。

95. 大江切

金箔は残っているところ疑問ですが、左2行抹消してそう。

96. 歌切 伝藤原行成

謎断簡。ツレはないとのこと。緑の染紙に、不成型で大きさも不揃いな金箔を撒いたもの。図録は「79「下絵歌集切」にやや似る料紙で、筆跡も内容的にも近いものがあるが」と言いますが、料紙については箔の大きさの不揃い感からちょっと賛同しづらい意見です。筆跡も、どうなんでしょう。他の方の意見もうかがってみたいところ。そもそも、似ているというならなぜ章を分けて展示しているのか。これ下絵があったような気がします。ただ図版だと見えず。

97. 戊辰切

和漢朗詠集の写本で原装は巻子上下2巻。完本として伝存しましたが、1928年戊辰の年に切断されました。上巻は藤原伊行筆、下巻はその父藤原定信筆というのが定説。ただし上巻はともかく下巻については異論あり。図録解説では、

下巻を親が書写し、子が上巻を書写する例は、当時の常識としては尋常ではなく、さらに検討が必要であろう

と留保しているように読めます。展示場所も石山切や砂子切から離れてますし。

右紙の巻頭部分の料紙には無数の斑点あり。紙背に撒かれた銀箔の影響でこのような斑点が出ることがありますが(目無経など)、これもそうなのでしょうか? ただ戊辰切の他の部分でこの斑点を見ないんですよねえ。そもそも戊辰切に紙背装飾があったのでしょうか。巻頭だということを考えると、見返しの影響?

98. 尼子切

拾遺抄の断簡で、一般には藍紙万葉などと同筆で藤原伊房筆と推定されているものですが、本展では慎重な姿勢。藍紙万葉と離して別の章に展示しているということは、これも否定的な見解なのかな。似てはいますけどね。

図録に

本図は裏面で見えないが、ほかは藍や緑の染められた紙に、銀泥で蝶や鳥、折枝などを描いたものがある

と本品には下絵はないと書かれていますが、2行目「り」の右、同「つこ」のところ、また3行目「は」のところに小さいながら下絵が描かれているようにみえます。

99. 大色紙 伝寂蓮筆

料紙装飾は展示されている作品の中では源氏物語絵巻詞書断簡に近い金銀箔撒き。原装は巻子。筆跡は信貴山縁起絵巻詞書に似ると。今回のポスターに使われた作品。

中央に継目があります。文字が切れてるので不審もありますが、歌は繋がってるので、もとの継目でしょう。改装や修理の際に少し切断されたのでしょうか。

伝寂蓮の大色紙といえば、国宝翰墨城から1葉剥がされてます(代わりに伊予切が押されている)。本品なのか、別の断簡なのかまだ確認とれてません。別かな。

鈍翁による翰墨城の改変について - ときかぬ記

100. 未詳歌集切 伝西行

現存7葉48首。おそらく誰かの自筆草稿と考えられるもので、筆者イコール作者。ただ、なぜか紛れた能因の1首を除いてほかの歌集に見えず、作者すなわち筆者が特定できずにいます。

冷泉家時雨亭文庫所蔵の断簡から筆者はどうやら俊成と近い関係にあったようであり、また放射性炭素年代測定でもその辺の年代がでたため、ひょっとしたら伝称通り西行ではという意見もあり、とすれば西行の歌が新たに47首増えることになる。仮に西行でなくとも、50首近い和歌と名筆と評価の高い筆跡の持ち主が特定できたとしたらかなり熱い話であり、注目を浴びる古筆であります。

101-102. 五首切

もと巻子本で、紙背を利用するため一時袋綴の冊子本になっていたとのこと。102に見える裏写りした文字はそのときのものでしょう。

103. 曽丹集切(枡形本)

西行の一連の古筆のなかで、私にとって比較的魅力が理解しやすいのがこの枡形本曽丹集切ですね。比較的読みやすいというのが一番の理由。

104. 橘為仲集切

枡形本曽丹集切に似ており、こちらも伝西行のなかではわかりやすい。

105. 小大君集切

左の余白はもともとですかね。ここに並んだ伝西行のうちでは比較的紙質がいいように見えます。

ちょうど今雨降りける夜に書いてますが、冬なので晴れませんね。

106-107. 小色紙 伝西行

図録解説で「……力強い闊達な連綿を見せる。さらに心地よい流れで、詞書と和歌とが一体となり、頁ごとの表現の完成度が高い」と絶賛。私にはまだちょっと早いみたいです。

108. 白河切

現在、東博で白河切が6幅展示中ですね。帝京大学総合博物館で開催中の「日本書道文化の伝統と継承」展でも、個人蔵翰墨城に押された1葉が展示中。2016年秋冬の白河切祭り。出光でも出るかな。

原装は列帖装。該品は見開きで、中央上下に綴じ穴が確認できます。

109. 昭和切

俊成真筆と推定される古今集の写本は御家切、了佐切、昭和切とありますが、個人的には昭和切が好み。しかもこの断簡は賀歌の巻頭とめでたいところ。墨色も黒々と美しく残ります。

もと列帖装とのことですが、右に見える2組4つの穴は列帖装で開く穴じゃないですよね、たぶん。後世の修理の際、紙縒りを通して補強した穴でしょうか。

110. 歌合切 藤原定家

通具俊成卿女五十番歌合を定家が書写し、判を加えた冊子本の断簡と推定されるもの。もと列帖装。これで見開き2ページ分だと思いますが、もともとどうなっていたのかよくわからず。

後で判を書き加えるため余白をたっぷりとって歌合を書いていたので、左ページのような空白があるのは問題はないのですが、継目や綴じ穴が確認できませんでした。

*1:橋本進吉博士著作集. 第3冊 (文字及び仮名遣の研究)』(岩波書店、1949年)所収

*2:なぜそんな話をしているのかというと。そもそも、奥村栄実の古言衣延弁には、高橋富兄による増補によって、や行えの仮名の1つとして「盈」が挙げられています。これは古事記巻中の神武天皇の「宇陀の高城に」の歌に「畳畳」という箇所があって、これを古事記伝では、よくわからないが「盈」の草書を「畳」と誤ったのだろうとして「エエ」と訓じており、富兄曰く「盈ハ以成ノ切ニテ清韻第四等」(ここらへん私はよく分かりません)だからや行えとして挙げているのです。橋本はこの「盈」がえ音を表すならや行に当たるだろうというのは同意しています。しかし、ここの「畳畳」は「盈盈」ではなく「亜亜」で「ええ(あ行)」だろうと結論づけています。

*3:表は内容が見開きで連続するが、裏は左右のページで内容がつながらないのでそれを嫌ったか。