読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

東博の古筆・古写経展示(2016年5月から6月)

仏教の興隆―飛鳥・奈良

東京国立博物館 - 展示 日本美術(本館) 仏教の興隆―飛鳥・奈良 作品リスト
本館 1室 2016年5月17日(火) ~ 2016年6月19日(日)

瑜伽師地論 巻第四十八(行信願経)

1巻|奈良時代神護景雲元年(767)|千葉・円福寺蔵

前回の展示は、去年の12月から今年の1月にかけて

撮影不可(前回は可能でした)。既に撮影済みなんですけど、今回は展示箇所が少し異なり巻尾全開で、軸付け部分に紙背墨書が見えたんですよね。記録用に残しておきたかったところです。「了」「信巻」、他幾つかの字は上下の切断と虫損ではっきりしません。なお田中塊堂さんの『日本写経綜鍳』*1p155には「まゝ軸付に一校田次、一校掃守孫麿など見られて、中央経所の書写であることは明らかである」と書かれています。同時期に内裏系の写経所で書写された景雲経や、数年前に東大寺写経所の経師が参加した善光朱印経などとは趣きの異なる字であるように思えるので、それらとは別の写経機関が関与したでしょうか。

奈良時代元興寺の僧で、法隆寺東院伽藍の復興に尽力した行信の発願経の1巻。願文によると法華経・金光明最勝王経・大般若経・瑜伽師地論「合弐仟柒伯巻経論」としますが、それらを1部づつだと合計718巻で2700巻にまったく足りません。『上代識語註釈』*2p407(該当項執筆は稲城正己さん)は「同一経典が複数部書写されたと思われるが構成は未詳。」とします。『綜鍳』p155では「妙法蓮華経。最勝王経、大般若経、瑜伽師地論等二千七百巻」と別の経論も合せて2700巻と解釈しています。行信は完成前に没し、弟子の孝仁が遺志を引き継いで完成させました。この弟子孝仁は『註釈』曰く「他に見えず。伝未詳。」とのこと。

仏説宝雨経 天平十二年五月一日光明皇后願経

1巻|奈良時代天平12年(740)|B-1035-3

f:id:ouix:20160519185102j:plain
f:id:ouix:20160520001825j:plain
C0032179 仏説宝雨経_巻第9 - 東京国立博物館 画像検索

前回の展示は去年の9月から10月。巻9。展示は巻末部分。

聖語蔵経巻に同じく五月一日経の宝雨経巻2・5・8・10の4巻があります。松本包夫さんは「聖語蔵五月一日経の筆者と書写年代その他(一)」*3にて、この4巻について天平14年9月建部広足筆と推定されています。正倉院文書の天平14年7月の装潢本経充帳(禅院本経充帳、八112)に「宝雨経五巻建部広足用九十二紙*4とあり、また同年9月30日作成の建部広足手実(天平14年6-11月の一切経経師手実案帳うち、八92-93)に「建部広足 請雑経十八巻既写了/(略)宝雨経五巻第二十八文一第五十九文一第八十八第九十九文一第十十八文一(略)/「以上十八巻」天平十四年九月卅日「読道主 勘人成」」*5とあることなどによります。

筆跡の比較をしていないので断言はできませんが、おなじ五月一日経で、ちょうど聖語蔵に抜けている巻9であることを考えると、この巻も天平14年9月建部広足筆ということでよいのではないかと思います。

手実の「第九十九文一」とは、巻9に19紙および願文に1紙(つまり全20紙)使用したという意味です。上の推定が正しければ、この展示されている経巻は全20紙ということになるでしょう。

なお、なぜ広足が全10巻の宝雨経をとびとびで書写していたかというと、この頃にはまだこの5巻しか伝わっていなかったからだそうです。天平宝字5年に残りが伝来したとのこと。

聖武

1幅|伝聖武天皇筆|奈良時代・8世紀|個人蔵

f:id:ouix:20160519174448j:plain
f:id:ouix:20160519174529j:plain

前回は1年前。キャプションに賢愚経とありますが、阿毘曇八犍度論巻27です。

この断簡は、聖語蔵経巻の「神護景曇二年御願経」の「阿毘曇経」(No.1657、首欠*6)の逸失部分の一部にあたる断簡ではないかと思います。だとすれば、今更一部一切経のうちで、宝亀6年6月陽胡穂足筆。

近年、聖語蔵経巻の「神護景曇二年御願経」の大半が実際には景曇経ではなく今更一部一切経であると判明しました(飯田剛彦さんの「聖語蔵経巻「神護景曇二年御願経」について」*7)。この飯田さんの論文には、末尾に「神護景曇二年御願経」のリストが付いています。このうちNo.1579から1605の27巻と、No.1656および1657が阿毘曇八犍度論で、今更一部一切経、第1帙(巻1から10)が丈部浜足筆、第2第3帙(巻11から30)が陽胡穂足筆と特定されています。

宮内庁正倉院事務所所蔵聖語蔵経巻 カラーデジタル版 第3期 第3回配本 (神護景雲二年御願経 3)』*8で、巻27のNo.1657を確認すると、展示断簡に相当する部分は失われています。また断簡と比べ、字形は酷似し、字詰も同様、行が真っ直ぐではなくちょっとふらつく感じも同じ、また紙質も(聖語蔵の画像は少し見にくかったですが)巻末を除き同様の白い料紙であり、傷み具合も似ていると思います。

元暦校本万葉集 巻一・巻二(古河本)

東京国立博物館 - 展示 日本美術(本館) 元暦校本万葉集 巻一・巻二(古河本) 作品リスト
本館 2室 2016年5月10日(火) ~ 2016年6月12日(日)

元暦校本万葉集 巻一(古河本)

国宝|1帖|平安時代・11世紀|B-2530-7
f:id:ouix:20160519174420j:plain
元暦校本万葉集 巻第一(古河本) - e国宝

  中皇命徃于紀温泉之時御歌
君之齒母吾代毛所知哉盤代乃岡之草根乎
去来結手名
きみかよもわかよもしらすいはしろの
をかのくさねをいさむすひてな
吾勢子波借廬作良須草無者小松下乃草
乎苅核
わかせこはかりほつくらすくさなくはこま
つのもとのくさをかれかし
吾欲之野嶋波見世追底深伎阿胡根能
浦乃珠曽不拾
わかおもひしのしまはみせつそこふか

元暦校本万葉集 巻二(古河本)

国宝|1帖|平安時代・11世紀|B-2530-8
f:id:ouix:20160519174352j:plain
元暦校本万葉集 巻第二(古河本) - e国宝

登母
あきのたのほむけのよするかたよりにきみ
によりなくことたかふとも
  勅穂積皇子遣近江志賀山寺時但馬皇女御作
  歌一種
遺居而恋管不有者追及武道之阿廻尓標結吾勢
おくれゐてこひつゝあらすはおひゆかむ
みちのくまわにしゆへりわかせ
  但馬皇女高市皇子宮時竊接穂積
  皇子事既形而御作歌一首
人事乎繁美許知痛美己世尓未渡朝川渡
ひとことをしけみこちいたみおひのよに
いまたわたらぬあさかはわたる
  舎人皇子御歌一首

仏教の美術―平安~室町

東京国立博物館 - 展示 日本美術(本館) 仏教の美術―平安~室町 作品リスト
本館 3室 2016年5月17日(火) ~ 2016年6月19日(日)

去年7月の展示と同じセットです。

大般若経 巻第二百二十一(安倍小水麿願経)

1巻|平安時代・貞観13年(871)|大井才太郎氏寄贈、B-949

f:id:ouix:20160519185040j:plain

「小水麿」に「こみずまろ」とルビをふっていました。去年の奈良博での「平安古経展」や埼玉歴博での「慈光寺」展では「おみずまろ」と読んでましたね。

巻末22行+尾題+願文という、数多く残る小水麿経のなかでは短い断簡ですが、この巻の筆跡はわりといいほうだと思います。

大般若経 巻第三百六十四

1帖|鎌倉時代・13世紀|B-2051

f:id:ouix:20160519175242j:plain

藤井庄春日社経。前回展示より1行多く見せています。

大乘院御門跡 正徳六丙申年三月日被加修覆畢
  正平廿三年戊申六月日為現當二世所願成就加修複了 源盛
       元仁二年三月十四日■春日御社■本

2字読めず。後者は「直」?

春日版大般若経 巻第九

1巻|鎌倉時代・13世紀|内藤堯宝氏寄贈、B-2835

f:id:ouix:20160519185901j:plain

大般若経 巻第四百三十(東大寺八幡宮経)

1巻|鎌倉時代・寛喜元年(1229)|B-2053

f:id:ouix:20160519185834j:plain

キャプションの言う「紙背に捺(お)された黒印から「東大寺八幡宮経」と呼ばれる」の黒印「東大寺八幡宮」がこれか。

大般若経 巻第一百卅八

1巻|鎌倉時代・宝治元年(1247)|B-2007

f:id:ouix:20160519175213j:plain

書写奥書の「白豪寺」は奈良の白毫寺のことでしょうか。キャプションは「奈良・白豪寺」と書いているんですよね。豪と毫は通用したのでしょうけど、現在の表記は「白毫寺」で固定されているはずなので、キャプションは「白毫寺」であることを否定しているようもに読めます。

宮廷の美術―平安~室町

東京国立博物館 - 展示 日本美術(本館) 宮廷の美術―平安~室町 作品リスト
本館 3室 2016年5月17日(火) ~ 2016年6月19日(日)

書状

重文|1幅|慶滋保胤筆|平安時代・10世紀|B-2536
f:id:ouix:20160519175049j:plain
書状 - e国宝

狭衣物語絵巻断簡

重文|1幅|鎌倉時代・14世紀|A-1294

f:id:ouix:20160519182622j:plain
f:id:ouix:20160519182618j:plain
狭衣物語絵巻断簡 - e国宝

狭衣物語絵巻に物語の古写本の断簡を貼り付けています。この断簡は狭衣ではなく、源氏・澪標。

御いとゝつゝましけれとはしちかうゝち
なかめ給けるさまなからのとやかにてもの
し給けはひいとめやすしくゐなのいと
ちかうなきたるを
 くゐなたにをとろかさすはいかにして
 あれたるやとに月をいれまし
といとなつかしういひけち給へるそとり/\
にすてかたきよかなかゝるこそ中/\みもく
るしけれとおほす
 おしなへてたゝくゝゐなにをとろかは

平成27年度新収品展 I

東京国立博物館 - 展示 日本美術(本館) 平成27年度新収品展 I 作品リスト
本館 特別1室・特別2室 2016年5月17日(火) ~ 2016年5月29日(日)

装飾法華経

1幅|平安時代・12世紀|百瀬治氏・百瀬富美子氏寄贈、B-3458
f:id:ouix:20160519182556j:plain

法華経見宝塔品。天地に金銀箔撒き、金泥界墨書。ツレの候補になるほどに似た経切の記憶はありません。キャプション曰く「その書風や料紙装飾のあり方などから、平安時代後期(12世紀)の制作と考えられる。」とのこと

法華経 薬王菩薩本事品第二十三

1幅|鎌倉時代・12世紀|百瀬治氏・百瀬富美子氏寄贈、B-3456
f:id:ouix:20160519182531j:plain
法華経薬王品。キャプションでは目無経と書風が相通じるとして、鎌倉時代(12世紀)と推定しています。こちらも似たようなのを見た記憶はありません。

明月記断簡

1幅|藤原定家筆|鎌倉時代・建暦元年(1211)|百瀬治氏・百瀬富美子氏寄贈、B-3464
f:id:ouix:20160519182504j:plain
1089ブログによると、写本から文章自体は知られていたものの、原本は新出とのこと。

大井川行幸歌会序断簡

1幅|伝後京極良経筆|鎌倉時代・13世紀|百瀬治氏・百瀬富美子氏寄贈、B-3462
f:id:ouix:20160519183445j:plain

「承保3年(1076)10月に催された白河天皇の鷹狩の大井川行幸歌会の(源師房作)の部分」だそうです。古筆切所収情報データベースで検索してもかからないので、これ以上この写本に関する情報つかめず。

古今和歌集

1幅|伝後京極良経筆|鎌倉時代・13世紀|百瀬治氏・百瀬富美子氏寄贈、B-3461
f:id:ouix:20160519190217j:plain
古筆学大成の伝良経筆古今集切のところには見当たりませんでした。3種あるうちの(一)のツレでしょうか。
f:id:ouix:20160519174516j:plain

みまくのほしきたまつしまかも
なにはかたしほみちくらしあまころも
たみのゝしまにたつなきわたる
 紀貫之かいつみのくにゝはへりける時
 やまとよりこへまうてきてよみてつか
 はしける   藤原忠房

古筆手鑑

1帖|平安~江戸時代・8~19世紀|百瀬治氏・百瀬富美子氏寄贈、B-3466
f:id:ouix:20160519185123j:plain
121葉で、調製は江戸時代かとのこと。小松茂美さんの調査記録が付属しているそうです。
f:id:ouix:20160519183417j:plain
右は何でしょうか? 左は古今集巻17。「山科殿 顕言」
f:id:ouix:20160519183350j:plain
源氏・絵合。「津守国冬」
f:id:ouix:20160519183308j:plain
何でしょう。「蜷川親当
f:id:ouix:20160519183240j:plain
百人一首
f:id:ouix:20160519184508j:plain
新古今巻10。
f:id:ouix:20160519184445j:plain
分かりません。極札には「かな消息切」とあります。「慈鎮和尚」
f:id:ouix:20160519184422j:plain
これも不明。「後二条院宸翰」
f:id:ouix:20160519184400j:plain
同じく。和歌 語句検索ではこの歌かかりません。

いてにけりのわきになれる夕くれの
  くもまのそらをわたる月かけ

f:id:ouix:20160519184336j:plain
物語の断簡のようですが、特定できませんでした。次の次の断簡とツレで、連続しそうです。その断簡には「とへかしなうつろふ花のいろ/\もさのみやよそにきくのしらつゆ」の歌。「稙通 九条殿」。
f:id:ouix:20160519222318j:plain
「蒲生形部貞秀」。翻刻、ちょっと自信ないですが。

数ならぬ庭を御笠の山にみて
よろつ世よはふあしたつのこゑ

f:id:ouix:20160519185145j:plain

書状

1幅|町田久成筆|明治8年(1875)|阿部愛子氏寄贈 P-12660

f:id:ouix:20160519185806j:plain

これちょっとおもしろかったので、ついでに。東博の前身「博物館」の初代館長町田久成の手紙。「世界地図の文様を摺り出した用箋に本文を書く」とのこと。一部拡大してみます。

f:id:ouix:20160519185805j:plain
日本(南が上です)
f:id:ouix:20160519185804j:plain
右に「北アメリカ」の文字。左は「ニウヨーク」か。
f:id:ouix:20160519190239j:plain
南アメリカ

*1:思文閣、1974年、三明社昭和28年刊の複製、NDLサーチ

*2:上代文献を読む会編、勉誠出版、2016年、NDLサーチ

*3:書陵部紀要』15号(宮内庁書陵部、1963年)所収、NDLサーチ

*4:https://clioimg.hi.u-tokyo.ac.jp/viewer/image/idata/850/8500/05/0008/0112.tif

*5:https://clioimg.hi.u-tokyo.ac.jp/viewer/image/idata/850/8500/05/0008/0092.tif

*6:後出の飯田剛彦さんの論文では「首尾とも欠」と書かれていますが、画像を見ると巻尾は存在しました。ただし料紙が異なっています。よく分かりませんが、ここではとりあえず関係ないので置いておきます。

*7:正倉院紀要』34号(宮内庁正倉院事務所、2012年)所収、NDLサーチ

*8:丸善、2010年、NDLサーチ