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作者の欄に「伝○○」(伝称筆者)を書くべきではないと思う

三菱一号館美術館の館長である高橋朋也さんの『美術館の舞台裏』(ちくま新書、2015)に次のような一節があります。

美術館の舞台裏: 魅せる展覧会を作るには (ちくま新書)

美術館の舞台裏: 魅せる展覧会を作るには (ちくま新書)

 日本美術の展覧会で作品紹介のプレートに「伝 ○○」と明記されているのをご覧になったことはありませんか? 例えば「伝 雪舟」と記載されていれば、「これは雪舟の作であろうといわれています」という一種のお断りです。特定できない作品については、あくまで個人名記載はせず、ぼやかした表現を選択する。所蔵者・関係者に対する一種の気配りでもあり、断定するのを避けて、とりあえず判断を保留しておくことも日本的な手法なのです。*1

「あくまで個人名記載はせず」の部分がよく分かりませんが(特定できないなら記載もできない)、それはさておき、「断定するのを避けて、とりあえず判断を保留しておく」手法として「伝○○」という表記が取られている、理由のひとつは「所蔵者・関係者に対する一種の気配り」という主張でしょう。しかし、この考えは古筆好きからすると、かなり違和感があります。古筆の展示における「伝○○」は判断保留のためではないケースが多いのです。

例えば、大阪市立美術館で開催中の「王羲之から空海へ」展の出品予定作品リスト(PDF)をご覧ください。展示期間変更が3点あり、それらについては冒頭にも掲示しています。その部分。

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127の「高野切第一種(古今集巻第二十)」の筆者の欄は「伝紀貫之」で、時代は「平安時代・十一世紀中期」。紀貫之は9世紀後半から10世紀前半の人です。時代つまり書写年代を11世紀中期としているということは「断定するのを避けて、とりあえず判断を保留」なんてしていないですよね。「高野切第一種(古今集巻第二十)」の筆者が貫之であることを明白に否定しています。

これは一般的に受け入れられた考えで、展覧会独自の判断ではありません。高野切の筆者を貫之と考えている人は、研究者も愛好家も誰ひとりとしていないでしょう。高野切だけではありません。この展示予定リストで筆者が「伝○○」になっているもののほとんどは、真筆であることが明確に否定される、またはかなり疑わしいと推定されるものです。

にもかかわらず、なぜ「筆者」の欄にこの「伝○○」(以下「伝称筆者」とも表記します)を書くのか? この美術館・展覧会だけではありません。例えば出光美術館。開催中の「美の祝典」展の出品リストでは「作者名」の欄に伝称筆者を書いています。

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他の美術館も同様で、展示キャプションや出品リストまた図録などで、作者・筆者が書かれている欄(必ずしも明確に「作者名」や「筆者」などの名称が使われているわけではありませんが、そうと判断できる箇所)に当たり前のように伝称筆者が記されているのです。これが私にはどうにも納得がいかない。

よく博物館などに行かれまして、展示されているものを見て、例えば「伝紀貫之筆 高野切」とかですね、「伝なになに筆」、「伝える」という字を頭につけている場合があります。そうでない「伝」がつかないものがあります。「伝」がついている場合はどう読むかというと「ウソ」って読めばいいんです、あれは。

02.「第一講 変体仮名を読もう(1)第二章 古筆切を読む(1)」 | Waseda Course Channel

Waseda Course Channel | 早稲田大学公開授業動画にある授業動画での兼築信行さんのご発言。授業ですからね、話を聞いてもらうためにちょっと極端な言い回しをするのは一種のテクニックであり、不用意な言い回しだと思いますが批判しようというつもりはありません。むしろ、大袈裟に言えば「ウソ」であることを、美術館・博物館が書いているということに不満があるのです。

冒頭に引用した高橋さんはさらに次のようにも仰っています。

 なぜ、日本の美術界が不明瞭さを選択してきたのか。一つには、日本人は、「ファジー(曖昧)」な領域を許容する、場合によってはそこに魅力を感じる精神性を持っているからだとも推測できます。他方で、現実的な側面においては、真贋が曖昧なままのほうが都合がいいと思う人が多数いるからだとも思われます。
 美術品の真贋には、必ずお金が関係してきます。万が一、真作が贋作になれば、評価額がまったく違ってきます。一億円の価値があると思われていた作品が一〇〇万円相当と評価されてしまったら、資産価値が百分の一になってしまう。評価額が変われば、保険料が変わります。美術館側も各画商も資産価値が変わることで、所蔵家との関係がかなり微妙になることも考えられます。
 このようにいろいろと不具合が出てくるのは否めません。日本美術はそういうケースを慮って、真贋をなるべくグレーにしているところがあります。決して感心できる不文律ではありませんが、ここに大きくメスをいれるとなると日本美術界全体がひっくり返るような大騒動になるやもしれず。今後の改革が望まれる課題ではあります。*2

「日本の美術界が不明瞭さを選択してきた」のは「真贋が曖昧なままのほうが都合がいいと思う人が多数いるからだとも思われます」ということから分かるのはは、「伝○○」という表記は真贋を曖昧にすることが目的のひとつだという意見です。しかし、古筆における筆者欄の伝称筆者表記は、一般的にはこれが当てはまりません。先ほど述べたように、多くの場合「伝」が付いている筆者名は実際の筆者ではないと広く認識されているから。特に美術館などで展示されるような美術的価値の高い作品(すなわち金銭的価値が高い作品)については、そう考えていいでしょう。曖昧ではありません。明確に否定されている、もしくはそれに準ずるレベルで疑わしいと考えられているのです。

ではなぜ作者欄に「伝」をつけて伝称筆者を書くなんてことをするのか。正直、私にはさっぱり理由がわかりません。

書跡・古筆に関心のある人ならば、こういう慣習について知っているでしょうから特に問題にはなりません。しかし、書跡展示になじみのない人がこの表記を見たときどのように捉えるでしょうか。それがほんとうの筆者である可能性が高いと誤解したとしても仕方のないことだと思います。実際紛らわしいですから。そういう観点から見れば、この表記は高橋さんの仰るとおり曖昧だと思います。その上で鑑賞者に対して誠実さを欠いているとも言えます。

ですから、私は作者欄に伝称筆者を書くのをやめるべきだと思うんですよね。美術館・博物館はすべての人に開かれているべきであり、なじみの薄い人にも明快で誤解の少ないようにすべきでしょう。この表記は明らかにそれに反します。

しかも、そこに明瞭さを求めたとしても「日本美術界全体がひっくり返るような大騒動」にはならない。というのも、コレクターも愛好家も古美術商も美術館も研究者も、古筆に関心ある人はすべて既に「伝」がついてる時点で筆者とは見なさないわけですから。何らかの手段によってほんとうの筆者が特定されればそれを筆者と見なし、特定されないならば筆者未詳、場合によっては伝称筆者が実際の筆者である可能性を考慮するといった感じ。作者欄から伝称筆者名がなくなったとしても、たいして状況は変わらないわけです。

誤解されないように言っておきますが、私は伝称筆者を書くなと言っているわけではありません。伝称それ自体は尊重すべきでしょうし、分類整理に便利だったりもするし、特に時代が下がったものに関しては、古筆家が実際の筆者を知っていた可能性もあるなど蔑ろにはできない。しかし、それは作者の欄に書くものなのかって思うのです。

どこに記すべきなのか。実際の作者であると間違われる箇所でなければどこに書いたっていいと思います。展示リストには表記されている方が望ましいので、説明欄落ちは困る。とすれば、作品名に入れ込むか、新たに伝称筆者欄を設けるかの2択しょう。その上で作者欄に「未詳」と書いてあればさらに親切ですね。

作者の欄に記すのは作者(と推定される人物)に限定されるべきで、それ以外は書いてはいけない。これ、当たり前のことだと思うんですよ。そして、伝称筆者は作者ではない。もちろんその伝称(過去の古筆家の鑑定)が当たっていると思うなら作者欄に記せばいいんですよ、「伝」抜きで。ちょっと留保したいというなら「(推定)」くらいはつけてもいい。「伝」をつければ作者欄に絶対に作者とは考えられない人物の名前ですらも記載することができるというのは、私には到底理解できない感覚です。

そりゃ、作者欄に「伝紀貫之」とか「伝藤原行成」とか書いてる方が見栄えはいいかもしれません。でも、美術館・博物館って見世物小屋じゃないのですから、こういう誤解を招くことは避けた方がいいですよ。

実際、どういう理由があってこんな慣習が続いているのか、私には想像がつきません。ご存知の方がいらしたらご教示いただければ幸いです。そして、仮に大して意味がないなら、害があることなので止めた方がいいと思います。


なお、否定的な形で引用してしまったために誤解を受けそうですが、この『美術館の舞台裏』は面白い本ですよ。美術館・展覧会に足を運ばれる方なら楽しめます。おすすめです。


続き

ouix.hatenablog.com

*1:手許にあるのがKindle版なのでページ数不明です。「第5章 美術作品はつねにリスクにさらされている? 2 日本美術、グレーゾーンへの執着――「伝 ○○」という逃げ道」より。

*2:同じ節からの引用