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「よみがえる仏の美」展@静嘉堂文庫美術館

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静嘉堂文庫美術館で開催中の「よみがえる仏の美」展に行ってきました。いろいろ素晴らしい作品が出陳されていますが、目当ては古写経です。

2. 大般若経巻245(和銅経)

展示は巻頭。折本、5行1折。虫損多し。太平寺旧蔵か。

大般若波羅蜜多経巻苐二百卌五
初分難信解品苐卅四之六十四*1

この写経について、キャプションは次のように解説しています。

本経は文武天皇の菩提を弔うために長屋王(684~729)の発願により書写されたもの

発願文を普通によむと確かにこのような解釈になります。今回はその部分が展示されていなかったので、代わりに京博蔵の巻250の発願文を示すと(大般若経巻第二百五十 - e国宝

藤原宮御㝢 天皇慶雲四年六月
十五日登遐三光惨然四海遏密長屋
殿下地極天倫情深福報乃為
天皇敬写大般若経六百巻用尽酸割
之誠焉
和銅五年歳次壬子十一月十五日庚辰畢
     用紙一十八張    北宮

「藤原宮御㝢天皇慶雲四年六月十五日登遐」の「天皇」が文武天皇を指すことは間違いありません。その上で「為天皇敬写」と書いているわけですから、崩御した文武天皇のため、菩提を弔うことを目的として書写したと考えられます。しかし、それを否定する説もあります。

上代写経識語注釈』(勉誠出版、2016年、NDLサーチ)には次のよう書かれてます(該項の執筆は桑原祐子さん)

 写経の目的を文武天皇追福とするなら、次の三点において疑問が生じる。
 第一は、写経の時期である。文武天皇没から既に五年経過している(略)
 第二に、経典の種類である。『続日本紀』「正倉院文書」等から考えると、天皇・皇后・皇太后追福のために「大般若経」が書写された例はない(略)。大般若経の書写や転読は「消除災害・平復疾病・国家安寧」を目的とする。(略)
 第三に、願文中に死者の死後の世界に関わる表現が見いだせない。(略)つまり追福を目的としていることが、願文の表現から明確には窺えないのである。
 以上の点から、「天皇」は「元明」をさす可能性を考え、写経の目的を「国家安寧」とする可能性を考えたい。(p27-28)

願文4行目の「為天皇敬写」の「天皇」を、1行目の「天皇」即ち文武天皇とではなく、そのとき位にあった元明天皇と解釈すると。

また、今回のキャプションでは触れられていませんでしたが、この願文には「北宮」という論点もあります。e国宝の解説では「長屋王の妃であり、文武天皇の妹でもある吉備内親王草壁皇子の女)の宮であると推測されるに至った」としていますが、同じく『上代写経識語注釈』には

従来、「北」を夫人の住まいと解して、吉備内親王をさすと考えられてきたが、近年の長屋王家木簡の解読によって、高市皇子の宮(香具山之宮)の家政機関を引き継いだ長屋王のもう一つの家政機関を示す名称と考えられている。

とのこと。参考文献には

が挙げられていましたが、私は

で読みました。森さんは当時研究所に勤めてたので、おそらく『調査報告』も森さんの手になるものでしょう。読んだ限りは、北宮=高市皇子の宮の家政機関継承説の方がよさそうです。

3. 仏説華手経巻4(五月一日経)

~5月15日

展示は巻頭。表紙欠、多少破損が見えますが、わりと保存状態はいいと思います。首題、

華手経惣相品第十四   [下部欠損]

華手経(全15巻*2)の1巻。天平十二年五月一日光明皇后願経(五月一日経)。奈良博所蔵の巻12がおそらく僚巻ではないかと思います。

華手経 巻第十二(五月一日経)|奈良国立博物館
華手経(巻第十二)(五月一日経)|画像データベース | 奈良国立博物館

この五月一日経は発願文に「天平十二年五月一日」と年記が記されていまして、書写年代はこの天平12年(740)が採用されることが多いですが、正倉院文書によって具体的に書写年月が特定される場合があり、それを用いることもあります。今回の展覧会では、この制作年は「天平12年(740)以降」と記されていました。しかし、上にリンクを貼った奈良博のサイトでは巻12について「天平10 738」「正倉院文書から天平10年書写と推定される」と書かれており矛盾します。

奈良博の時代推定の根拠は、正倉院文書の「写一切経充装潢帳」(続々修27ノ4、大日古7p110*3)の「(天平10年)六月七日道守味当受経 花手経十五巻百六十三……」(書写の終った華手経15巻などの装潢(ここでは製本)を装潢師の道守味当に割り振ったという帳簿)によると思われます。書写からそれほど間を置かずに装潢に回される筈なので、書写年代は天平10年(738)と推定されます。静嘉堂の言う「天平12年(740)以降」の根拠は分かりません。あるいは僚巻ではないのか。

5. 紺紙金銀行書華厳経巻15断簡(「古経鑑」の内)

展示されていたのは25行、華厳経(60巻本)巻15(T0278_.09.0495b07-c04)。

界罫が特殊で、天地の横界が金、縦罫が銀です。この特徴的な罫は、「金銀交書経 - ときかぬ記」で触れた植村和堂さんの『日本の写経』(理工学社、1981年、NDLサーチ)p136記載の出典未記載の3行断簡と同様です。清衡経より古体に見えるのも同様。

8. 古経貼交屏風

作品名は「古経貼交屏風」ですが、経切だけではなく仏画や裂も貼られていました。キャプションによると

蜀紅錦をはじめ「法隆寺献納宝物」と同じ裂などが多くみられることから、法隆寺什物との深い関わりが推定される。

とのこと。

この屏風に貼られた経切についてはまだ調べが足りないので、簡単に。

註楞伽経が2葉。別本だろうと思います。左隻第2扇6行は伝魚養筆本、巻7で根津美本の佚失部でしょう。右隻第2扇19行断簡は巻6。伝魚養筆本でないとすれば五月一日経本かと思いますが、巻6は個人蔵(重文、現在所在不明)。この巻に抜けがあるのか、それともまた別本なのでしょうか。五月一日経本は図版に恵まれないので、ちょっと比較が難しい。

右隻第3扇に光覚知識経(巻末および識語部分)。舍利弗阿毘曇論巻10。『日本古写経現存目録』p67-68に収録。

右隻第3扇に二月堂焼経(13行、巻52)、第6扇に隅寺心経。同第4扇5行は行信経か。大般若経巻81。

*1:この1字重ね書きによって修正

*2:10巻など巻立の異なるものあり

*3:https://clioimg.hi.u-tokyo.ac.jp/viewer/image/idata/850/8500/05/0007/0110.tif