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法隆寺の所蔵する行信願経

2月に奈良に旅行した際、法隆寺大宝蔵院にて行信願経を拝見しました。「奈良旅行中に見た写経について - ときかぬ記」にも書いた通り、展示されていたのは大般若経巻293。

後日、田中塊堂さんの『日本古写経現存目録』(思文閣、1973年、NDLサーチ)を確認すると、(この項記述が混乱していて、願文を有する巻の列挙が2箇所にあり、かつ挙げている巻数・巻次に相違があるのですが)願文があるとして列挙されている中に巻293が見当たらないのです。

  • (p72)大般若経巻433、494、498、279、280(列挙の順序はそのままです)
  • (p73)大般若経巻384、363、432、494、497、498、499。法華経巻2。瑜伽師地論巻13

当然、法隆寺大宝蔵院では撮影ができなかったので、大般若経巻293が展示されていたというのはメモによります。私のミスなのか、それとも『現存目録』の誤記載か。

そこで法隆寺が所蔵する経典のリストが掲載されている『法隆寺の至宝 : 昭和資財帳 第7巻 (写経・版経・板木)』(小学館、1997年、NDLサーチ)を確認してみました。

法隆寺が所蔵する経典は「法隆寺一切経」890巻(重文、文化遺産データベース)および「大般若経〈写経四百七十巻/版経百三十巻〉」(重文、文化遺産データベース)、その他があります*1。巻末の目録を参考に、行信願経の願文を有するものを挙げると

行信願経の願文を有する大般若経巻293が法隆寺に現存するので、私の間違いではなかったようです。

更に目録に漏れている断簡があります。『法隆寺の至宝』には山本信吉さんによる解説「法隆寺の経典」が収録されています。ここで挙げられているのは、

行信発願の奥書がある経巻は『大般若経』七巻のほかに勧進『一切経』のうちに『法華経巻第三』『瑜伽師地論巻第十三』『同十九』の三巻があり、そのほか『瑜伽師地論巻第二十残巻』『大般若経(巻次未詳)断簡』があって、合せて十二巻が寺内に現存している。(p202)

この『大般若経(巻次未詳)断簡』は、

瑜伽師地論巻第十九断簡(1) 一巻
 もと五重塔内に納置されていた経巻入木箱の中に伝わったもので、断簡ではあるが巻末に天平四年五月廿三日の書写奥書がある。弥勒信仰に基づく知識経である。
 なお、経巻入木箱には他に三種の写経が納められていて、一は瑜伽師地論巻第七十一(奈良時代写経)の上端部断簡、二は大般若経断簡四種を一巻に合せたもので、奈良時代三種、平安時代後期一種。奈良時代写経の一つは行信発願経である。*3(p213)

とあるものでしょう。

さて、この「法隆寺の経典」をよく読んでみると、どうやら他にも大量に行信願経が残っているようにも読めます。

 法隆寺の写経の中で、最も有名なのは奈良時代の東院『大般若経』と平安時代の勧進の『一切経』である。東院『大般若経』は「行信大僧都一筆大般若経」とも呼ばれて、法隆寺にとって由緒ある『大般若経』で、時代には『行信大般若經信讀記』があって、室町時代の在り方を伝えている。もとは六百巻が完存していたが、伝来の途中で欠巻を生じ、現在は奈良時代写経四百十二巻を中心に平安時代写経五十九巻と鎌倉時代版経七十八巻、室町時代版経五十一巻を補って六百巻としている。奈良時代写経のうち七巻には神護景雲元年(七六七)九月五日に僧行信の発願文(実は行信の発願の趣旨を伝えた弟子孝仁等の敬白文)があり、僧行信が大般若経法華経、金光明経、瑜伽師地論など合せて二千七百巻の書写を発願したが、完成を見ることなく死没したため、弟子孝仁らが先師の志をついで神護景雲元年九月に完成したことを伝えている。本文の筆跡は奈良時代後期の写経生の手になるもので、巻第三十一・第百八十七・第五百五十八の巻末紙背に校生の校正墨書がある。
 (略)なお、行信発願の奥書がある経巻は(略)合せて十二巻が寺内に現存している。(p202)

重文大般若経600巻の内412巻が奈良写経で、内7巻に「行信発願の奥書がある」。問題は行信発願の奥書がない405巻の奈良写経。これが願文のない(書かれなかったor失われた)行信願経なのか、それともまったく別の奈良写経なのか。明確には書いていませんが、前者であるように読めます。

田中塊堂さんも同様の見解。『日本写経綜鍳』(思文閣、1974年、NDLサーチ、三明社昭和28年刊の複製)には

法隆寺には大般若經數百卷と法華、瑜伽は諸家の所蔵と共に僅に數卷のみ存してゐる。(略)因みにこの經には願文のないものが多くて識別に困難のやうであるが、表紙、軸と虫損の特徴を以てすれば一瞥明らかにされる。(p155-156)

また『日本古写経現存目録』でも、法隆寺現存の大般若経の巻次を列挙した後「右内願文在尾」として数巻の巻次を挙げているという書きぶりから、願文不在のものも行信願経とみなしていたように見えます。

しかし、一方で対立する見解もあるようで。例えば春名好重さん編の『古筆大辞典』(淡交社、1979年、NDLサーチ)「ぎょうしんきょう 行信経」項

『行信経』は法隆寺に納められていた。『大般若経』は東院に伝えられ(略)現在四百二巻残っているが、平安時代の末の写経や鎌倉時代・室町時代の版経などがまじっていて、『行信経』は七巻だけである。(p286)

402巻という巻数が不明ですが、「『行信経』は七巻だけ」という断言は願文の有しないのは行信願経ではないという主張でしょう。

また、上代文献を読む会編の『上代写経識語注釈』(勉誠出版、2016年、NDLサーチ未登録)「【奈良朝写経66】 大般若経巻第百七十六(行信願経)」(該項の執筆は稲城正己さん)には

 このうちの『大般若経』は、行信願経として尊重され、修理・補写されながら法隆寺東院伽藍に保管され続けてきた。その他の経典は、一一世紀末~一二世紀初頭に整備された「法隆寺一切経」に組み込まれることによって残存している。行信願経の僚巻は、『大般若波羅蜜多経』七巻、『妙法蓮華経』一巻、『瑜伽師地論』二巻が法隆寺に、『瑜伽師地論』数巻が京都国立博物館等に分蔵されている。(p407)

とあって、これも願文のないものは行信願経ではないという判断のようです。

どちらなのでしょうか?

なお、『上代写経識語注釈』の記述は、法隆寺所蔵分に関して大般若経の断簡と瑜伽師地論の1巻(未指定の巻20か)を見落としています。また『上代写経識語注釈』で取り上げられている巻176(唐招提寺蔵)以外にも、『日本古写経現存目録』は「散帙経」として大般若経を3巻挙げています。

  • 巻32(竜門文庫蔵)
  • 巻43(久原文庫蔵)
  • 巻477(守屋孝蔵氏蔵)

龍門文庫善本書目を見ると阪本龍門文庫にあるのは巻571です。『現存目録』には願文について触れられていません(ただし軸付紙に墨書がのこっているとのこと)。久原文庫のは現在あるとすれば大東急記念文庫でしょうが、調べがつかず。なお「有願文」とのこと。守屋孝蔵さんのは京博かと思ったのですが、「館蔵品データベース | 京都国立博物館 | Kyoto National Museum」ではそれらしきものはヒットせず。なお他の巻には「有願文」と書かれているところに「訳文」と記載されていましたが、何のことやら分かりませんでした。訳場列位?

また更に、小林強さん著・高城弘一さん編の『出典判明仏書・経切一覧稿』(大東文化大学人文科学研究所、2010年、NDLサーチ)のp81には「大般若経《行信発願法隆寺一切経》」として、巻56・94・156・185・438の断簡が各巻1葉から数葉挙げられています。

*1:法隆寺の至宝』では一切経(一)重要文化財(二)未指定、大般若経(一)重要文化財(二)(三)未指定、その他の写経、版経と分類しています。ここでは単純化しました。

*2:『日本古写経現存目録』では「巻第二」とありましたが、図版から巻3で間違いありません。

*3:「他に三種の写経」の後に、2種(または5種)しか挙げられていないところ文意不明ですが、引用そのままです。