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紙背の文字を手本にした手習い

野尻忠さんの「続修正倉院古文書第五巻の習書-写経所文書の表裏関係-」(『鹿園雑集』11号(2009年)所収)に興味深い習書の例が紹介されていました。

取り上げているのは続修正倉院古文書第5巻のうちの3紙(習書があるのはそのうちの1紙)。正倉院文書は多次利用および(視点によっては破壊行為ともいえる)整理によって複雑になっていますが、とりあえずこの3紙についてまとめると。

  1. (表・第1から第3紙・1次利用)「大宝二年御野国本簀郡栗栖太里戸籍」
  2. (裏・第3から第1紙・2次利用)(天平19年)8月22日から始まる「観世音経紙充帳」
  3. (表・第1から第2紙・3次利用・1の戸籍の上に重ね書き)天平19年8月1日から始まる「観世音経紙納并充帳」
  4. (表・第3紙・3次利用・1の戸籍の上に重ね書き)習書

なお、2の「観世音経紙充帳」が「第3から第1紙」と逆順になっているのは、紙背の利用は一般的に天地は変えずにひっくり返すので、客観的に見ると文字(行)の進行方向が逆になるからです。一方を基準に第1第2第3紙と決めると、その裏は第3第2第1紙の順序になります。

さて、焦点になっているのは4の表・第3紙に書かれた習書(練習のために記した文字)です。この習書の手本は同じくこの第3紙の中にあります。どこにあるかというと、ひとつはその面に書かれている1の戸籍です。これは分かりやすい。いいなと思った文字の側に書いて模しているわけです。

もうひとつの手本が意外なところにあります。習書の紙背に書かれた2の「観世音経紙充帳」(第3紙)です。しかし、紙背の文字を手本にするなんて可能でしょうか? この習書のある紙は、よく見れば文字が裏写りしている。じゃあその裏写りした文字を参考に反転して書いたのかって、そんなわけはない。そうではなくて、巻物を展開しているときには、これから開こうとする直後の紙背が見えます。こういう状態で見えた文字を手本として書かれたのではないかというのが野尻さんの考察。おもしろいですよね。まさに盲点といった感じでした。なお、どういうことかこの説明では分かりにくいという方は、上にリンクを貼った論文内に野尻さんによる模式図が載っているので、そちらをご覧ください。

さて、野尻さんがどのようにしてこの事実に気付いたかというと、ご本人の説明によれば、

 ところで、正倉院文書の原本の状態を知りたいとき、写真を切り貼りして元の巻子本の姿を再現しようとする研究者は多いと思われる。かくいう筆者も、正倉院文書のある部分が気になり始めると、その巻子全体のミニチュア版を作って確認しないと気が済まなくなる。紙背の写真も切り貼りし、表裏を背面で合わせて完成すると、思いがけないことに気付いたりもする。

原本に似せて製本してみると気づくこともあるものですね。