読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

東博の古筆・古写経展示(2016年3月から4月)

f:id:ouix:20160303203230j:plain

いまは上野に行っても東博に寄る暇はなさそうですけれども。

仏教の興隆―飛鳥・奈良

東京国立博物館 - 展示 日本美術(本館) 仏教の興隆―飛鳥・奈良 作品リスト
本館 1室 2016年3月1日(火) ~ 2016年4月10日(日)

報恩経

1巻|伝魚養筆|奈良時代・8世紀|B-26

f:id:ouix:20160303203224j:plain
f:id:ouix:20160303203225j:plain
f:id:ouix:20160303203226j:plain

1行34字の細字経で、報恩経全7巻のうち巻3以降を収めます。ただし34字を続けて書くのではなく、17字づつ上下2段組にしています。更に上段と下段の間に罫線を引いていまして、一見すると読む順序を間違えそうですね。同様のものを奈良博で開催中の伊豆山神社展で見たばかり(細字法華経)。ただし、そちらの推定書写年代は12-13世紀で時代は全然違います。

展示は巻4の巻頭あたりから。後出の手鑑「月台」に押された東大寺切は三宝絵の堅誓師子のところで、元ネタはこの報恩経巻7にあります。それに絡めてその部分を展示するかと思ったのですが、別のところでしたね。

称讃浄土仏摂受経

1巻|奈良時代・8世紀|B-1158

f:id:ouix:20160303203227j:plain
f:id:ouix:20160303203228j:plain
C0056692 称讃浄土経 - 東京国立博物館 画像検索

奈良時代の称讃浄土仏摂受経といえば先ず思い浮かぶのは、光明皇后の供養のために発願された称讃浄土仏摂受経。七七忌までに1800巻(該経は全1巻なので1800部)が完成しました。明確にこの時の写経であると判明している遺品はなかったはず。願文が書かれたのだとすれば該巻は関係ありませんが、書かれなかったケースを考慮にいれれば該当する可能性がなくはないかと。

色紙金光明最勝王経巻第六断簡

1幅|奈良時代・8世紀|個人蔵

f:id:ouix:20160303203229j:plain

金光明最勝王経巻6(藍紙T0665_.16.0429c07-09、紫紙0429a28-b01)。

2014年に根津美術館で開催された「名画を切り、名器を継ぐ」展にも出陳されたものです。図録の図版番号12、p40に掲載。東博寄託だったんですね。この写経については過去4回触れています。

白氏詩巻

東京国立博物館 - 展示 日本美術(本館) 白氏詩巻 作品リスト
本館 2室 2016年2月16日(火) ~ 2016年3月13日(日)

白氏詩巻

国宝|1巻|藤原行成筆|平安時代・寛仁2年(1018)|B-2533

f:id:ouix:20160303233049j:plain
白氏詩巻 - e国宝

色変わりの料紙に白氏文集巻65所載の詩が書かれたもの。藤原定信の別紙識語などから藤原行成筆とされています。

料紙の色について東京国立博物館 - コレクション 名品ギャラリー 館蔵品一覧 白氏詩巻(はくししかん) では「赤紫・薄茶などの美しい染紙を交用」と2色のみの指摘です。褪色していてわかりにくいですが、第3紙はすこし青みがかった色なので青系統の色の料紙も使われていたでしょう。上の写真で分かっていただけるでしょうか?

奥書。年号を「長和」と間違え傍に点を打って見せ消ち、改めて「寛仁二年」と書き始めています。経師の筆を借りたのでうまく書けんかった。笑わないでくれよ。

長和
寛仁二年八月廿一日書
 之以経師筆
 点画失所来者
 不可咲ゝゝゝ

行成の玄孫定信による識語。定信がこの白氏詩巻と道風の屏風土代(三の丸尚蔵館蔵)を購入した経緯が記されています。

正二位権中納言侍従  年卌七
 保延六年庚申十月廿二日癸巳辰刻物売
 女白蓬門入来売手本二巻
 一巻野道風屏風土代/一巻此本見一定之由賜價
 直■■女人太成悦気即以退出
        宮内権大輔定信本也
件女人宅自塩小路北自町尻西町尻面之辻内
有在俗経師云々件経師之妻也

巻首欠(どの程度失われたか不明)。また現状の第1紙はもともと現状の第3紙と第4紙の間にあったもの。巻頭が半端であるのを嫌い第3紙を巻頭に移したようです。紙背継目に伏見院の合縫花押が書かれており、それが合っていることから、伏見院が所蔵する以前(もちろん伏見院所蔵時代を含む)に、この第3紙を巻頭にもっていく操作が行われたようです。なお、第2紙端裏に「大納言殿」と書かれているとのこと(『古筆大辞典』「白楽天詩巻」項)。これは現状と同じく巻首が失われ9紙になった後かつ第3紙を巻頭に移す前に書かれたものでしょう。

その後、江戸時代初期には霊元天皇の手に。霊元天皇は秋萩帖も所蔵しており、両巻を収める箱をつくりました。箱書きを天皇自身が書いています。

C0095513 秋萩帖 - 東京国立博物館 画像検索

蓋裏の「外題定信筆」は第2紙端裏の「大納言殿」でしょうか? もしそうであるならば、定信の時代に9紙になっていたということになります。もちろん定信筆という鑑定が合っていればの話ですが。

仏教の美術―平安~室町

東京国立博物館 - 展示 日本美術(本館) 仏教の美術―平安~室町 作品リスト
本館 3室 2016年3月1日(火) ~ 2016年4月10日(日)

色紙華厳経

1巻|平安時代・12世紀|B-2482

f:id:ouix:20160303203231j:plain
f:id:ouix:20160303203232j:plain
f:id:ouix:20160303203233j:plain

泉福寺経(泉福寺焼経)。60巻本華厳経巻54。展示は大正蔵743頁上段3行から巻末の745頁下段22行まで。巻頭から完存するかは不明ですが、キャプションに「巻首に「泉福寺常住」の朱方印がある」はこの巻についての言及だと考えられるので、恐らく巻首は残っていると思います。

藍紙に金または銀の揉箔撒き。展示部分は金でした。

法華経分別功徳品

重文|1帖|鎌倉時代・建長5年(1253)|滋賀・宝巌寺蔵

撮影禁止でした。これは以前取り上げていますね。http://ouix.hatenablog.com/entry/20150227/1424968722

法華経巻第四(浅草寺経)

国宝|1巻|平安時代・11世紀|東京・浅草寺

撮影禁止でした。展示は巻頭部分、ただし表紙を丸め見返しを見せていません。

法華経開結含め10巻完存する平安時代後期11世紀の装飾経。丁字染(丁子吹)し金の小切箔を密に撒いた料紙に金泥界墨書(10巻同筆)。見返しは本紙よりも濃い目に染めた紙に金銀泥で経意絵を描きます。表紙も同じく濃い茶色で左上に外題を金泥で打付け書き。巻緒や紫壇地に螺鈿で蝶鳥文を表わした軸端も含め当初のもの。

「丁子吹した料紙に金の小切箔を蒔き、金銀泥で小鳥や草花を描く」とはキャプションの言。浅草寺経に小鳥や草花の下絵はありません(すくなくともそのような記述も図版も見たことがない)。百歩譲って見返し絵への言及だとしても不適。2014年東博平成館で開かれた「和様の書」展でも巻1と2が展示されましたが、その展覧会図録にはこんな変なこと書いていないんですけどね。

11世紀に製作された当時から浅草寺に伝来したとは考えづらいので、後世に浅草寺に入ったと思われます。それに関する記録は残っていないのでしょうか。

妙法蓮華経文句 巻第四上 断簡(唐紙経切)

1幅|平安時代|11世紀|B-12-5

写真撮ったのですがピンぼけしてしまいました。3行。妙法蓮華経文句巻4上(T1718_.34.0047b06-09)。傷んでいたので文様は判然としませんが白具引き地の唐紙。次の断簡のツレだと思われます。ツレではないようです。

妙法蓮華経文句 巻第四上 断簡(唐紙経切)

1幅|伝藤原行成筆|平安時代・11世紀|B-2461

C0010523 唐紙経切 - 東京国立博物館 画像検索
C0012723 唐紙経切 - 東京国立博物館 画像検索
C0005959 唐紙経切 - 東京国立博物館 画像検索

妙法蓮華経文句巻4上(T1718_.34.0047a06-14)
こちらは花唐草文がはっきり残っています。押界(空罫)墨書。この断簡は田中塊堂さんの『日本写経綜鍳』p486に「から紙法花経」として掲載されています(図版から同定)。唐紙は「普通の和歌の料紙として冊子に用ゐられたもので、具引の関係上巻子に仕立るには具が剥落し易い為め、巻子本写経には余り歓迎せられなかつたやうである。故に現存するとも断片に止る。これも冊子の断簡である。」

装飾無量義経断簡

1幅|平安時代・11世紀|個人蔵

f:id:ouix:20160303203234j:plain

これもピンぼけですが、比較的マシなので掲載。無量義経(T0276_.09.0388b24-c20)。
奈良博(写経手鑑「紫の水」所収)とセンチュリー文化財団(掛幅)所蔵のもののツレでしょう。センチュリー文化財団は12世紀としてますね。私もそちらの方がいいような気がします。

宮廷の美術―平安~室町

東京国立博物館 - 展示 日本美術(本館) 宮廷の美術―平安~室町 作品リスト
本館 3室 2016年3月1日(火) ~ 2016年4月10日(日)

手鑑「月台」

1帖|奈良~鎌倉時代・8~14世紀|B-2537

f:id:ouix:20160303203235j:plain
手鑑「月台」 - e国宝

展示は表の冒頭から35の中院切まで。つまり如意宝集切2葉と広沢切1葉の計3葉を除いて表すべての展示です。

各断簡の下に出典・断簡通称・伝称筆者を書いたカードを添えていますが、これがあまりよくない。ちなみにe国宝の記述と似ています。いちいち指摘するのもアレなんで、1つだけ。

f:id:ouix:20160303203236j:plain

「寂然」ですね。同じミスがe国宝でも見れます。「ジャクネン」と打って変換ミスしたか。

1. 法輪寺切 伝藤原行成

手鑑「月台」 法輪寺切 - e国宝
古筆学大成3和漢朗詠集7伝藤原行成法輪寺切本和漢朗詠集、図94、p192
極札「行成卿 恋/為実 〔琴山〕 六代古筆了音極也」
和漢朗詠集巻下・恋。もと巻子本。11世紀後半ごろ。
料紙は薄藍色の漉き染めで、羅文の飛雲文様を漉き込み、更に雲母砂子を撒いたものを使用しています。この羅文飛雲は現存は法輪寺切のみの珍しい物ですが、残念ながら月台に貼られた2葉は羅文飛雲がない部分ですね。ウェブ上で見られるものだと

があります。筆跡は高野切第3種系統で、11世紀後半ごろの書写と推定されています。

この断簡は3行目と4行目の間に継目があり、「夜」と「吟」の払いが切れています。またこの部分に糊代痕なのか雲母砂子が見えない部分が1筋あり。ただテキストは連続します。

為君薫衣裳君聞蘭麝不馨為君事
容餝君見金翠無顔色 
更闌夜静長門閇而不開月冷風秋団扇杳
而共絶 張文成

2. 法輪寺切 伝藤原行成

手鑑「月台」 法輪寺切 - e国宝
古筆学大成3和漢朗詠集7伝藤原行成法輪寺切本和漢朗詠集、図91、p190
極札「行成卿 金谷 〔琴山〕」、「行成卿 金谷 〔顕〕」(清水了因)、「月花 藤原為恭画之/徳治已往古料紙用之」
和漢朗詠集巻下・懐旧。1のツレ。
呼続の月花画は左下の極札どおり藤原(冷泉)為恭画で、この断簡は為恭旧蔵品。

金谷酔花之地花毎春匂而主不帰南楼嘲
月之人月与秋期而身何去 

3. 和泉式部続集切 伝藤原行成

手鑑「月台」 和泉式部続集〈上巻〉切 - e国宝
古筆学大成19和泉式部続集1伝藤原行成和泉式部続集切(一)第一種、図188、p185
極札「和泉式部続集切」(周魚)
和泉式部続集。もと粘葉装冊子本。11世紀末から12世紀前半ころの書写か。和泉式部続集切は2筆あり(2人が分担書写)、こちらは第1種(甲類)。

料紙は素紙と藍紙の交用で、一部に草花・雲龍丸・杉並木・花唐草・牡丹の文様が見えます。この断簡はそのうち雲龍丸文。この文様がどのような手法で表されているのかはっきりしていません。具引地に空摺をした蠟箋という意見もある一方、髙橋裕次さんは「管見の限りでは、漉き返し紙あるいは藍の引き染めの紙で、具引きは施されておらず、空摺りかどうかは定かではない。文様は連続しておらず、「飛び文様」といわれている。その周辺がしみのようになっており、何かを塗布しながらの空摺り、あるいは蠟箋を模した丁字摺の可能性がある。」*2と仰っています。

    ひさしうけつらてかみのいみし
    うみたれたれは
ものをのみゝたれてそおもふたれにかはいまは
なひかむゝはたまのすち
みはひとつ心はちゝにくたくれはさま/\もの
のなけかしきかな

4. 和泉式部続集切 伝藤原行成

手鑑「月台」 和泉式部続集〈下巻〉切 - e国宝
古筆学大成19和泉式部続集1伝藤原行成和泉式部続集切(一)第二種、図203、p200
極札「和泉式部続集切 奥一行者隔十九行他哥之下句」(周魚)
和泉式部続集。3のツレ。こちらは第2種(乙類)。なお第1種第2種は異筆ながら書風は近く、また次の針切も近い系統です。
藍紙で3紙の呼び継ぎ(4行、3行、1行)。上に引用した通り髙橋さんは「藍の引き染め」と書いているのですが、漉き染めのように見えなくもない。

   かたゝかへにいきて夜ふか
   きあか月かいつとて
あはれともいはまし物を人のせし
あか月おきはくるしかりけり
   をむなともたちの二三人ものかたり
   するをよそにみやりて
かたらへはなくさみぬ覧人しれす
そをぬれきぬとひともみるへく

5. 針切(相模集) 伝藤原行成

手鑑「月台」 針切 - e国宝
古筆学大成19相模集1伝藤原行成筆針切本相模集
極札「世尊寺殿行成卿 ものにのみ 〔守村〕」「源重之女集切 針切」
相模集。11世紀末から12世紀前半ころの書写か。
針切は「相模集」と「重之の子の僧の集」の2集が1人の手によって合綴書写されたと推定されているもので、こちらは相模集。零本の末尾に「こなたはしけゆきかこのそうのしふなり 仁与」(こなたは重之が子の僧の集なり 仁与)と5行に書かれ、筆者は仁与(不詳)と考えられます。

ものにのみおもひいり火の山のはにかゝる
うきみとなとてなりけむ
おもひつゝいはぬ心のうちをこそつれなき
ひとにみすべかりけれ

6. 敦忠集切 伝藤原公任

手鑑「月台」 未詳歌集断簡 - e国宝
大成17敦忠集2伝藤原公任筆敦忠集切(一)
極札「四条大納言 公任□ たまひて 〔琴山〕」
敦忠集。雲紙に銀箔撒き。もと冊子本。
なお、古筆学大成は伝公任筆敦忠集切を(一)(二)(三)と3つに分けていますが、池田和臣さんはこれら3つが「同一冊子のツレであった可能性が捨てきれない」*3と仰っています。

  たまひて
まれにのみあふたなはたのこ
よひよりうつれるみつのかけとしらなむ
  すかはらのすけひらかむすめ

7. 香紙切 伝小大君

手鑑「月台」 香紙切 - e国宝
大成16麗花集2伝小大君筆香紙切本麗花集、図143、p191
極札「四条大納言殿 公任卿 おひねして 〔守村〕」
麗花集。もと粘葉装冊子本。料紙は丁字染(染色はまちまち)。
かなり癖のある筆跡で、たとえば和歌1文字目の「た(太)」なんて、ちょっと納得のいかない感じがあります。

     けれは  人丸
たひねしてつきてえぬらしほとゝ
きすかみなひやまにさよふけてなく
     ゑちこのくにゝなりける
     はしかくほとゝきすのなかさ
     りけれは    人丸

8. 砂子切 藤原定信筆

手鑑「月台」 兼輔集切 - e国宝
古筆学大成17兼輔集2伝藤原公任筆砂子切本兼輔集、図147、p208
極札「四条大納言公任卿 ゆきのこと 〔琴山〕」
兼輔集。藤原定信筆。12世紀初。
本願寺本三十六人家集とおおよそ同時代に書写されたと推定されている同じく三十六人家集の1葉。兼輔集のほか業平集・公忠集・中務集(筆者は各々異なる)の断簡が残ります。兼輔集・業平集・公忠集の筆者は本願寺本にも参加、兼輔集の筆者は藤原定信と推定されています。料紙は色々の染紙または素紙に金銀(または銀)砂子(小切箔)を撒いたもの。

この断簡は4行目と5行目の間に継目があります、つまり2紙呼び継ぎなのですが、この2首はもともとの贈歌と返歌なんですよね。つまり離れたところを継いだのではなく、ほぼ連続するところをついでいます。「ほぼ連続」というのは、歌仙歌集本だと間に「かへし」1行があり、この断簡ではその部分がないから。返歌である以上「かへし」などの詞書は必要なところですよね。もと冊子本なのでここがページの変わり目だと思われますが(もと1枚の表裏か)、返歌の詞書を抜くのは奇妙な感じがします。もともとこの1行は書き落とされていたのでしょうか。

  さくらはなのちれるをみて人に
ゆきのことちりくるはるの
 さくらはなはるはのこれる
   心地こそすれ
さくらはなしらかにまかふ
 おいひとのやとにはゝるも
      ゆきはたえせし
 式部卿のみやうせたまてのころ
 やまさとのさくらのはなにさし
  て三条のおとゝ

9. 拾遺抄切 伝藤原公任

手鑑「月台」 拾遺抄切 - e国宝
古筆学大成7拾遺抄5伝藤原公任筆拾遺抄切(一)、図246、p282
極札「四条大納言公任卿 いくよつもれる 〔琴山〕」
拾遺抄。11世紀末から12世紀初。
古筆学大成では舶載の唐紙としますが、展覧会図録『春敬の眼:珠玉の飯島春敬コレクション』*4では和製唐紙とします。文様は片面刷りで、裏面は雲母引きのみ。月台断簡は文様が確認できないので裏面でしょうか。

30葉以上が伝存し、拾遺抄の古筆切としては最も多いものです。本願寺本三十六人家集に同書風のものが存在し(『古筆大辞典』は敏行集・遍昭集・頼基集と同筆と認定)、そのころの書写と考えられます。

いくよつもれるゆきにかある覧
  屏風のゑにこしのしらやまのか
  たかきてはへりけるところに
       藤原佐忠朝臣
我一人こしの山ちにこしかともゆ
きふりにけるあとをしそみれ
あしひきの山ちもしらすきし

10. 益田朗詠集切 伝藤原公任

手鑑「月台」 益田朗詠集切 - e国宝
古筆学大成14和漢朗詠集16伝藤原公任筆益田本和漢朗詠集切、図65、p144
極札「四条大納言公任卿 款冬/点着雌 〔守村〕」
和漢朗詠集巻上・春・款冬。11世紀後半あたり。
益田鈍翁が所蔵したことから益田本とよばれる和漢朗詠集巻下1巻が東博に所蔵されております(巻首の首題と目次部分欠。重文。和漢朗詠集 巻下 (益田本) - e国宝)。その上巻にあたるものの断簡です。

唐紙・蠟箋・染紙・雲紙・飛雲紙・素紙に雲母砂子・金銀揉箔を撒いた料紙を交用しています。この断簡は雲紙に雲母砂子撒き。e国宝の画像だとわかりにくいですが、実物を見ると多少はキラキラとします。

   款冬ゝゝは山ふき也/俗説誤云々
点着雌黄天有意款冬誤綻暮春風
書窓有卷相収拾詔紙無文未奉行 保胤
かはつなく神なひかはにかけみえていま
やさくらむ山ふきの花 厚見女王
わかやとのやへ山ふきはひとへたにちり
のこらなむはるのかたみに 兼盛

11. 益田朗詠集切 伝藤原公任

手鑑「月台」 益田朗詠集切 - e国宝
古筆学大成14和漢朗詠集16伝藤原公任筆益田本和漢朗詠集切、図69、p147
極札「四条殿大納言公任卿 朗詠詩哥作者 〔琴山〕」
和漢朗詠集巻上・夏・花橘。10のツレ。こちらは紫紙に金の揉箔撒き。

  花橘
盧橘子低山雨重栟櫚葉戦水風涼 
枝繋金鈴春雨後花薫紫麝凱風程 後中/書王
さつきまつはなたち花のかをかけは
むかしの人のそてのかそする
ほとゝきす花たちはなのかをとめて
なくはむかしの人やこひしき

12. 烏丸切 伝藤原定頼

手鑑「月台」 烏丸切 - e国宝
古筆学大成6後撰和歌集3伝藤原定頼筆烏丸切本後撰和歌集、図37、p36
極札「世尊寺殿行成卿 あつさゆみ 〔重〕」(古筆了雪)、「烏丸切 後撰集秋下」(周魚)
後撰和歌集巻7・秋下。もと粘葉装冊子本。12世紀初めころ。
料紙は飛雲紙に金銀箔撒き。後出の中院切に料紙・筆跡ともに似ています。本願寺本三十六人家集の元真集および伝藤原定頼筆下絵古今集切・同下絵拾遺抄切と同筆か。

あつさゆみいるさの山をあきゝりの
あたることにやいろまさるらん
  はらからとちの中に如何なる
  ことかはへりけむ
        もとかた
きみとわれいもせの山をあきくれは
いろかはりぬるものにそありける
  たいしらす
おそくともいろつくやまのもみちはゝ
おくれさきたつゝゆやおくらん

13. 大字切 伝源俊頼

手鑑「月台」 大字切 - e国宝
古筆学大成2古今和歌集27伝源俊頼筆民部切本古今和歌集、図199、p220
極札「源俊頼朝臣
この断簡については以前触れました。http://ouix.hatenablog.com/entry/20141212/1418320774。豪快というか奔放な筆跡に魅了されて古筆学大成を見てみると、ツレに羅文紙があってびっくりしたときの記録です。このうち3の手鑑「見努世友」所収断簡は、出光美術館での冬の展覧会で見れるかも。

 秋
蕭条涼風与
 衰鬢誰教
計会一時秋

14.民部切 伝源俊頼

手鑑「月台」 民部切 - e国宝
古筆学大成2古今和歌集27伝源俊頼筆民部切本古今和歌集、図199、p220
極札「源俊頼朝臣 はむなしき 〔牛庵〕」
古今集。11世紀後半。料紙は舶載の唐紙で鳳凰唐草文。

はむなしきからのなにやのこらむ
        紀貫之
きみこふるなみたしなくはからころ
もむねのあたりはいろもえなまし
  題不知
よとゝもになかれてそゆくなみたかは
ふゆもこほらぬみなはなりけり
ゆめちにそつゆやをくらむよもすから

15. 尼崎切 伝源俊頼

手鑑「月台」 尼崎切 - e国宝
古筆学大成12万葉集9伝源俊頼筆尼崎切本万葉集、図225、p266
極札「源俊頼朝臣 らむいもを 〔琴山〕」
万葉集巻12。もと列帖装冊子本。雲母引き。推定書写年代は諸説ありますが、古筆学大成では11世紀半から12世紀初。京大図書館に巻16の残巻あり(別筆)。http://edb.kulib.kyoto-u.ac.jp/exhibit/tenjikai/doc/tjtx060.htm

らむいもをゆきてはやみむ
悪木山木夫悉明日従者靡有社妹之当将見
あしかやまこすへこそりてあすよりはなひ
きたれこそいもかあたり見む
鈴鹿河八十瀬渡而誰故加夜越爾将越妻毛不在君
すゝかゝはやそせわたりてたれゆゑかよこ
えにこえむつまもあらすきみなくに

16. 御堂関白集切 伝源俊頼

手鑑「月台」 師実集切 - e国宝
古筆学大成19御堂関白集1伝源俊頼筆御堂関白集切、図228、p214
極札「源俊頼朝臣 霞たつ 〔琴山〕」
古筆学大成に掲載されているのは2葉のみ。うち1葉は図版の転用で原本所在不明、現存は(その後発見されていなければ)この1葉のようです。

  まへとてたちぬおくのかたより
  いつらおはしつる人はたちたま
  ひぬるかとあれは春宮へとて今
  まいらんとてありつるといへはこゝろ
  うのことやとて
霞たつはるのみやにといそきつる
はなこゝろなるひとにや有覧

17. 東大寺切 伝源俊頼

手鑑「月台」 東大寺切 - e国宝
古筆学大成25三宝絵1伝源俊頼東大寺切本三宝絵、図199、p163
極札「源俊頼朝臣 みもすてに」
三宝絵上8堅誓師子(新大系p33)。新大系の注を引用すると「金色の毛をしていたため猟師の策略にかかって毒の矢を射られたが、僧形の猟師を見て、ひたすら苦痛を忍び、殺されて皮を剝ぎとられた堅誓師子の話。報恩経七・親近品を中核的資料とし、一部に若干の潤色が認められる」。
名古屋市立博物館が所蔵する零巻に「保安元年六月七日書うつし/おはりぬ」と見えます(三宝絵 文化遺産オンライン)。両面に文様のある和製唐紙、片面は菱唐草文で片面は七宝繋文と亀甲繋文のものがあります。この断簡は傷んでおり多少わかりづらいですが菱唐草文。

みもすてにのりのころもなりもしその
身をやふりてはほとけの身をやふるになり
なむとおもひていきをゝさめていたきをし
のひてしはらくありてとくのけやうやく
ふかくいるにいたくゝるしきことたへかたけ
れはなをはをかみてくひてむとするに
なをしひておもひとまるこの人うちには

18. 柏木切 伝藤原忠家

手鑑「月台」 柏木切 - e国宝
古筆学大成21歌合2伝藤原忠家・俊忠ほか筆二十巻本歌合 一〔仁和元年-三年夏〕民部卿行平歌合、図40、p77
極札「忠家卿 なつふかき/左には山のかたを二行半 俊忠卿 〔琴山〕」「柏木切」(周魚)
1〔仁和元年-三年夏〕民部卿行平歌合(歌合大成)。二十巻本類聚歌合巻13。
A罫料紙。萩谷朴さんによると筆跡は標題が第一種甲類、本文が第一種乙類(増補新訂版歌合大成5p3307)とのこと。
二十巻本類聚歌合は大量かつ複雑なもので、歌合大成に書かれた萩谷さんの成立論を読んでもなにやらさっぱりわからなかったのですが、久保木秀夫さんの「二十巻本類聚歌合成立試論」*5を読んで、なるほど確かにこれなら理解しやすいなと思いました。すなわち、二十巻本類聚歌合は罫線の引かれ方で何種類かの料紙に分類できますが、それらは各々が別個に編纂された歌合集であり、それらを再編集したのがこの二十巻本類聚歌合であろうという説です。

在原民部卿家歌合 行平云々
  郭公   左には山のかたをすはまにつくり
 一番 左ち 右にはあれたるやとのかたをすはま
                 につくりてありける
なつふかきやまさとなれとほとゝきすこゑはし
けくもきこえさりけり
    右
あれにけるやとのこすへはたかけれと山ほとゝきす
まれになくなり

19. 二条切 伝藤原俊忠

手鑑「月台」 二条切 - e国宝
古筆学大成21歌合2伝藤原忠家・俊忠ほか筆二十巻本歌合 四五天暦十年〔二月廿九日〕麗景殿女御御荘子女王歌合、図97、p159
極札「俊忠卿 柳/あをやきの 〔琴山〕」「二条殿切」(周魚)
45天暦十年〔二月廿九日〕麗景殿女御御荘子女王歌合(歌合大成)。二十巻本類聚歌合巻9。
A罫料紙。これかっこいい筆跡ですよね。線の肥痩が極端で重ね書きを用いた個性的な書。月台では1番好きな断簡です。萩谷朴さんはこの筆跡を第一種甲類に分類しています(増補新訂版歌合大成5p3305)。他に第一種甲類に分類されているものでウェブ上で見れるのは、例えば類聚歌合 - e国宝のうち同様に縦罫を引いてある料紙(A罫料紙)のところなど。こちらは普通に書いていますね。

 柳
  左 勝
あをやきのえたにみたれるいとなれは
はるのくるをもしらすそあらまし
  右
あさことにまつもみるかなあをやきの
いとはよる/\いろやまさると

20. 山名切 藤原基俊筆

手鑑「月台」 山名切 - e国宝
古筆学大成16新撰朗詠集1藤原基俊筆山名切本新撰朗詠集、図14、p14
極札「藤原基経 懐旧/昔尼父之在陳兮 〔琴山〕」
新撰朗詠集。12世紀前半。
和漢朗詠集平安時代の写本の1つ多賀切と呼ばれるものに、署名入りの奥書部分の断簡が残っており、それとの筆跡の比較から撰者藤原基俊の自筆本と考えられている新撰朗詠集の断簡。これ以前の部分には点がうたれていますが、この断簡を含む懐旧以後には見られずまた抹消痕も確認できないことから、何らかの理由で点をうたなかったようです。

 懐旧
昔尼父之在陳兮有帰歟之歎音鍾儀幽而
楚奏庄舄顕而越吟 登楼賦 王仲宣
昔君鳥紗帽贈我白頭翁憎今在頂上君
つねよりも又ぬれそゑした本かなむかしをか
けておきしなみたに  赤染衛門

21. 鶉切 伝藤原顕輔

手鑑「月台」 鶉切 - e国宝
古筆学大成4古今和歌集47伝藤原顕輔筆鶉切本古今和歌集、図112、p131
極札「藤原顕輔卿 おほかたは」
唐紙。古筆学大成の図版では、この断簡の文様は確認できず、解説でも言及がありませんでした。e国宝で見ると薄っすらと見えます。実物はよりはっきりと確認できます(料紙を正面から見ると見やすかったです)。古筆学大成の言う「土坡と草叢に鶉」。この断簡も好きですね。月台だと大字切・二条切・鶉切が特に好みです。

おほかたは月をもめてしこれそこの
 つもれは人のおいとなるもの
  月おもしろしとて凡河内躬恒
  まうてきたりけるによめる
        きのつらゆき
かつみれとうとくもある哉月影の
 いたらぬさともあらしと思へは
  池に月のみえけるをよめる
ふたつなき者に思ひしをみなそこに山のはならていつる月影

22. 顕広切 伝藤原俊成

手鑑「月台」 顕広切 - e国宝
古筆学大成2古今和歌集32藤原俊成筆顕広切本古今和歌集、図276、p286
極札「俊成卿 みちのくに 〔琴山〕」「顕広切」(周魚)
古今集巻13。この顕広切は俊成真筆説と否定説がありましたが、炭素14年代測定で鎌倉末から室町初期の値が出たため、真筆説は苦しい感じ。

なお鶴見大学が所蔵する伝津守国冬筆の古今集(1帖、南北朝時代写、上帖のみの残欠本)に永暦元年の俊成本の本奥書が記されており、それが古筆切名物などに紹介される顕広切の奥書の情報(永暦年中顕広ト奥書アリ)と一致することから、この顕広切は俊成の永暦元年本(の転写本)と判明しました。第138回鶴見大学図書館貴重書展「収書の真髄」解題(PDF)をご参照ください。

       たゝみね
みちのくにありといふなるなとりかは
なきなとりてはくるしかりけり
       御春ありすけ
あやなくてまたきなきなのたつたかは
わたらてやまんものならなくに
       元方
人はいさわれはなきなのをしけれは
むかしもいまもしらすとをいはん

23. 了佐切 藤原俊成

手鑑「月台」 了佐切 - e国宝
古筆学大成3古今和歌集34藤原俊成筆了佐切本古今和歌集、図21、p24
極札「五条三位俊成卿 〔重〕」(古筆了雪)
古今集巻4秋上。藤原俊成筆。こちらは真筆と広く認められています。

わかためにくるあきにしもあらなくに
むしのねきけはまつそかなしき
ものことにあきそかなしきもみちつゝ
うつろひぬくをかきりとおもへは
ひとりぬるとこはくさはにあらねとも
あきくるよひはつゆけかりけり
  是貞親王ミコのいへの哥合哥
        よみ人しらす
いつはとはときはわかねとあきのよそ
ものおもふ事にかきりなりける

勘物

仁和御子/寛平二年為/親王元左近中将

24. 惟成弁集切 伝坊門局筆

手鑑「月台」 惟成集切 - e国宝
大成19惟成弁集1伝坊門局筆惟成弁集切、図41、p38
極札「坊門局 風ふけは 〔琴山〕」
惟成弁集。もと冊子本。11世紀末から12世紀初か。
第1首第5句の■のところ「ら」だと思うのですが読めず。

   あやめ
風ふけはすゑうちなひくかくれぬの
あやめの草もこゝろある■し
   ほたる
いさりひのうかへる影と見えつるは
なみのよるしるほたるなりけり

25. 村雲切 伝寂然筆

手鑑「月台」 村雲切 - e国宝
大成18貫之集5伝寂然筆貫之集(一)、図94、p93
極札「寂然法師 かりにとて 加筆 定家卿 のふ 〔琴山〕」
貫之集。もと粘葉装冊子本。料紙は銀の小切箔を密に、金の小切箔をまばらに撒いたもの。
同筆なし。集付や書入れは定家筆(この断簡では最終行「つむ」を消して「のふ」と訂正)。冷泉家時雨亭文庫に巻子本に改装された15紙が現存します。定家手沢本で冷泉家伝来でしょう。寂然真筆の可能性もあります。

かりにとてわれはきつれとおみなへし
みるにこゝろそおもひつきぬる
つねよりもてりまさるかなあきやまの
もみちをわけていつるつきかけ
こゑをのみよそにきゝつゝわかやとの
はきにはしかのうとくもあるかな
さくかきりちらてはてぬるきくのはな
むへしもちよのよはひつむらん
            のふ

26. 右衛門切 伝寂蓮筆

手鑑「月台」 右衛門切 - e国宝
大成4古今和歌集45伝寂蓮筆右衛門切本古今和歌集、図51、p68
極札「寂蓮法師 かつみれと」、「右衛門切」(周魚)
古今集巻17。12世紀末ころ。もと粘葉装。墨で枠界を引きます。同様の界は後出の今城切、また元暦校本万葉集に見られます。

かつみれとうとくもあるかな月かけの
いたらぬこともあらしとおもへは
  いけに月のみえけるをよ
  める
ふたつなきものと思しみなそこに
山のはならていつる月哉
  たいしらす

27. 仮名観普賢経切 伝藤原公任

手鑑「月台」 仮名観音普賢経切 - e国宝
古筆学大成25仮名無量義経・仮名観普賢経1伝藤原公任筆仮名無量義経・仮名観普賢経切、図152、p131
観普賢経(T0277_.09.0389c23-25。「相次。不離大乘。一日至三七日。得見普賢。有重障者。七七日盡然後得見。復有重者)
料紙は金銀箔撒きで、料紙・筆跡とも前出烏丸切に似ます。書写年代もその頃か。

ひつきて大乗をはなれす一日より三七日に
いたりて普賢をみることをうおもきさは
りあるものは七々日のゝちにしかうしてのちに
みることをうまたおもきことあるも

28. 右大臣家百首切 伝西行

手鑑「月台」 五首切 - e国宝
古筆学大成22右大臣兼実家百首1伝西行筆右大臣家百首切第一種、図189、p200
極札「西行法師 いとせめて 〔養心〕」、「兼実公百首切」(周魚)
大臣家百首和歌。
治承2年3月20日から6月29日にかけて、右大臣九条兼実がほぼ10日ごとに10度に分けて2題各5首づつ披講した百首歌。20題各5首で20人が参加し計2000首。

        資隆
いとせめてひとをゆかしくおもふかな
これをこひとはいふにやあるらむ
こひくさのたねたねをはいまそうゑそむる
しけらぬさきにあふよしもかな

29. 堀河院百首切 伝甘露寺資経筆

手鑑「月台」 堀川院百首切 - e国宝
古筆学大成22堀河院御時百首和歌2伝甘露寺資経筆堀河院百首切、図160、p177
極札「西行法師 やまさくら 〔牛庵〕」
堀河院百首。12世紀前半。
堀河院百首の成立からそれほど時を置かない写本の断簡です。古筆学大成の解説に、この月台断簡について「古筆家が甘露寺資経の筆とする」と書いていますが、極札は「西行法師」です。他の断簡は資経なのでしょうか。

やまさくらにほふさかりはしらくもの
やへたつみねと人やみるらん
           紀伊
たくひなくみゆるははるのあけほのに
にほふさくらのはなさかりかな
           河内
そよにのみみれはあかぬかやまさくら
はなのむしともなりてしらはや
  春雨
のへことにみとりそまさるいそのかみ
ふるはるさめのひましなけれは

30. 龍山切 伝源通親

手鑑「月台」 龍山切 - e国宝
古筆学大成9千載和歌集7伝源通親筆龍山切本千載和歌集(二)、図264、p239
極札「久我殿通親公 うたゝねに 〔牛庵〕」
千載和歌集巻15。12世紀。
龍山切は1首2行書きと3行書きの2種があり、古筆学大成では別本として分けています。ただし、書風は類似し、書写時期も同じ頃(奏覧本が提出されてから間もなく)と推定しています。

千載和哥集巻第十五
 恋哥五
  たいしらす
    相摸
うたゝねにはかなくさめし
ゆめをたにこのよにまたは
みてやゝみなむ

31. 今城切 藤原教長

手鑑「月台」 今城切 - e国宝
大成3古今和歌集40伝飛鳥井雅経筆今城切古今和歌集、図192、p211
極札「飛鳥井殿雅経卿 いへよりかせの 〔琴山〕」、「今城切 古今集第十九巻」(周魚)
古今集巻巻19。もと粘葉装冊子本。藤原教長筆。
今城切は古筆見によって飛鳥井雅経筆と鑑定されていましたが、手鑑「高㮤帖」(三井記念文庫蔵)に押された奥書断簡(前半欠)および飛鳥井雅縁自筆の『諸雑記』(京大蔵)に転写されたその奥書の全文から、実際の筆者や書写の経緯・親本の素性などが明らかになりました。すなわち、治承元年9月12日から24日に渡る守覚法親王への古今集講釈に用いるために、同年8月19日に藤原教長が書写を終えた写本で、親本は貫之の妻筆かつ貫之の書込みがあるもので、源有仁崇徳院に献上した本とのこと。雅縁は応永14年ころ斯波義将とその子義重および広橋兼宣と共に仁和寺御室永助法親王に招かれました。その時、永助法親王が義将に贈った古今集がこの今城切(もちろん当時はまだ切断されていません)で、遠祖教長の筆跡であることに感銘をうけた雅縁が奥書を書き写しました。雅縁の4代前が飛鳥井家の祖雅経、教長はその雅経の大伯父にあたります。

 いへよりかせのゆきをふきこしける
 をみてそのとなりへつかはしける
       清原深養父
ふゆなれとはるのとなりのちかけれは
なかゝきよりそはなはちりける
 たいしらす よみひとしらす
いそのかみふりにしこひのかみさひて
  たゝるにしあれはいのねかねつる

32. 今城切 藤原教長

手鑑「月台」 今城切 - e国宝
古筆学大成3古今和歌集40伝飛鳥井雅経筆今城切古今和歌集、図189、p208
極札「飛鳥井殿雅経卿 わすられん」
古今集巻18。
今城切は藍・薄茶・白(素紙)の3色の料紙が交用されていまして、こちらは藍紙。藍紙は藍に着色した繊維を漉きかけた漉き染め。

わすられんときしのへとそはまちとり
ゆくゑもしらぬあとをとゝむる
 貞観御時万葉集はいつはかりつ
 くれるそとゝはせたまひくれはよ
 みてたてまつりける 文室有季
かみなつきしくれふりおけるならのはの
なにおふみやのふることそこれ

33. 姫路切 伝藤原為家

手鑑「月台」 姫路切 - e国宝
古筆学大成22伝藤原為家筆姫路切本源氏狭衣百番歌合、図114、p139
極札「為家卿 なく/\も 〔琴山〕」
源氏狭衣百番歌合。鎌倉時代中期ころ。
金銀切箔砂子で装飾された料紙。全体的に白っぽくところどころ剥げているようにみえるところから、下地に何か塗っている様子。その色が抜けているところは紙背か隣のページの装飾による影響をうけたようで、霞引きなどの形になっています。

なく/\もなをしつる山かな
四十二番
 左
  宇治におはしましてむなしく
  かへりたまふとて
       兵部卿親王
いつくにか身をはすてんとしら雲の

34. 中院切 伝源実朝

手鑑「月台」 中院切 - e国宝
古筆学大成8後拾遺和歌集1伝源実朝筆中院切本後拾遺和歌集、図106、p186
極札「四条黄門定頼卿 としへぬる 〔守村〕」、「中院切」(周魚)
拾遺和歌集巻4。
料紙・筆跡ともに前出の烏丸切に似ています。ただし筆跡似ているものの別筆のようです。また、この中院切の飛雲は両面にあります。現存するもので同様の両面飛雲はほかに元暦校本くらい。また飛雲が縦長ですが、これは(大きさは異なるものの)筋切を髣髴します。横紙使い。

くるときこゆるすゝむしのこゑ
            前大納言公任
としへぬるあきにもあかすゝすむしの
ふりゆくまゝにこゑのまされは
  かへし       四条中宮
たつねくる人もあらなむとしをへて
わかふるさとのすゝむしのこゑ
  長恨哥の絵に玄宗もとのところに
  かへりて虫ともなきくさもかれわた
  りてみかとなけきたまへるかたあ

35. 中院切 伝源実朝

手鑑「月台」 中院切 - e国宝
古筆学大成8後拾遺和歌集1伝源実朝筆中院切本後拾遺和歌集、図233、p213
極札「藤原定頼卿 やまてらの 〔琴山〕」
拾遺和歌集巻10。34のツレ。
34に比べると染め色が薄く箔もまばらです。

  おやなくなりて山寺にはへりける人
  のもとにつかはしける
           読人不知
やまてらのはゝそのもみちゝりにけり
このもといかにさひしかるらむ
  出羽弁かおやにおくりて侍けるを
  きゝてみをつめはいとあはれなる
  ことなといひつかはすとてよみ侍

以下、展示はされてませんが、ついでに。

36. 如意宝集切 伝宗尊親王

手鑑「月台」 如意宝集切 - e国宝
古筆学大成16如意宝集1伝宗尊親王筆如意宝集切、図版83、p134
極札「宗尊親王」、「如意宝集切」(周魚)
如意宝集。拾遺集巻12所載の「あすしらぬわが身なりとも恨みおかむこの世にてのみやまじと思へば」の詞書
如意宝集は藤原公任撰と考えられている私撰集。高野切2種系統の筆跡で、11世紀後半ころの書写と推定されています。

けさうしてひさしうなりはへ
りにけるをむなの夏至日をうた
かひなくおもひやゆみてものいひ
はへりけるほとにしたしきさま
になり侍りにけれはこのをむな
のいみしうゝらみわひてのちには
さらにあはしといひはへりけれは
      能宣

37. 如意宝集切 伝宗尊親王

手鑑「月台」 如意宝集切 - e国宝
古筆学大成16如意宝集1伝宗尊親王筆如意宝集切、図版97、p144
極札「宗尊親王 ぬすひとの 〔琴山〕」
如意宝集。36のツレ。
古筆学大成の釈文は「恵慶法師」としていましたが「恵京(亰)法師」に見えます。

ぬすひとのたつたのやまにいりにけ
りおなしかさしのなをやなかさむ
 かうふりやなきをみはへりて
        恵京法師
かはやなきいとはみとりにあるもの
をいつれかあけのころもなるらん

38. 広沢切 伏見院筆

手鑑「月台」 広沢切 - e国宝
古筆学大成
極札「後伏見院 除夜言志 〔拝*6〕」
伏見院自筆の御集断簡。

  除夜言志
つきいつることしのけふのよへのこゝろ
人はいそけと我しのとけし
としくれてあはれなるへきこよひしも
しけくまきつゝもゝしきのうち
としくるゝこよひひと夜のいとなみは
なへてひとしき心なるへし

*1:奈良博が先日画像データベースと収蔵品データベースを改悪しまして、この断簡の画像単独のURLがなくなってしまってので、この中から探して下さい。

*2:「日・中・韓の料紙に関する科学的考察」(『東京国立博物館紀要』47号、東京国立博物館、2011年)所収、NDLサーチ

*3:『古筆資料の発掘と研究 : 残簡集録散りぬるを』青簡舎、2014年、p280

*4:印象社、2008年、NDLサーチ

*5:『和歌文学研究』108号(和歌文学会、2014年)所収、二十巻本類聚歌合成立試論 : 2014-06|書誌詳細|国立国会図書館サーチ

*6:中村健太郎さんの「朝倉茂入の極印」(『若木書法』5号、國學院大學若木書法會、2006年)に依ります。