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東博の古筆・古写経展示(2016年1月から2月)

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仏教の興隆―飛鳥・奈良

東京国立博物館 - 展示 日本美術(本館) 仏教の興隆―飛鳥・奈良 作品リスト
本館 1室 2016年1月19日(火) ~ 2016年2月28日(日)

大智度経巻第七十五(石山寺一切経

1巻|奈良時代天平6年(734)|千葉・円福寺蔵

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天平六年歳次甲戌十一月廿三日写播磨国加茂郡既多寺
     針間国造古玉

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既多寺知識経。播磨国の有志が結縁し既多寺(廃寺)で書写した知識経。

石山寺一切経天明年間に尊賢によって朱刷りの雲龍文表紙の折本に改装されました。この巻75は巻子本に再改装されています。下に挙げたハーバード・アート・ミュージアム蔵の巻90は折本のまま。

今回は訓点資料の展示が多いですね。

全部、白墨にて訓点傍註を施し、同じ白墨にて、第五十の表紙裡に、天安二年の識語あり。今傍訓等の運筆の放縦なるより推をば、講師の口授に随ひて、匆々に記入せしものにして、其仮名遣の如きは、皆当時の口発のまゝなるべし。唯惜らくは、白墨もて記せるが上に、改装の際、注意せざりし為めに、漶滅殊に甚しく、分明ならざるもの多きことを。

国立国会図書館デジタルコレクション - 仮名遣及仮名字体沿革史料

「漶滅」のためなのか、展示部分にはそもそも訓点が施されていなかったのか分かりませんが、訓点を見ることはできませんでした。

天安二年(八五八)、山階寺興福寺)の大詮大徳の講義を基に加点されたものであると考えられている。

https://www.tulips.tsukuba.ac.jp/exhibition/tannyuu/catalog.pdf

日本写経綜鍳p272-274。日本古写経現存目録p34-36(86巻。欠巻は巻1-11、23、30、31)。なお「本経は近年散帙せるもここには各〻所有者名を記さず」。

ざっと探した限りでは

不空羂索神呪心経

1巻|奈良時代・8世紀|奈良・西大寺

撮影禁止でした。展示は巻末。こちらは訓点が比較的はっきり見えます。訓点資料としての価値を脇に措いて写経そのものを見ても佳品だと思います。

西大寺本 不空羂索神呪心経寛徳点の研究--釈文と索引--:第33輯

(白書)
寛徳二年五月廿八日於南円堂点畢

賢愚経断簡(大聖武

1幅|伝聖武天皇筆|奈良時代・8世紀|筒井邦子氏寄贈・B-3214

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C0058616 大和切 - 東京国立博物館 画像検索
賢愚経巻9須達起精舍品39(T0202_.04.0419a29-b02)

來出外經行是時須達遙見世
尊猶如金山相好威容儼然昞
著過踰護彌所説億倍覩之心

紺紙銀字華厳経 断簡(二月堂焼経)

1幅|奈良時代・8世紀|柳澤敬素氏寄贈・B-3241
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C0086812 紺紙銀字華厳経断簡_二月堂焼経 - 東京国立博物館 画像検索
華厳経(60巻本)巻6(T0278_.09.0432a23-b02)

入里乞食 當願衆生 入深法界 心无鄣礙
到人門戸 當願衆生 入惣持門 見諸佛法
入人堂室 當願衆生 入一佛乘 明達三世
遇難持戒 當願衆生 不捨衆善 永度彼岸
見捨戒人 當願衆生 超出衆難 度三惡道
若見空鉢 當願衆生 其心清淨 空无煩惱

仏教の美術―平安~室町

東京国立博物館 - 展示 日本美術(本館) 仏教の美術―平安~室町 作品リスト
本館 3室 2016年1月19日(火) ~ 2016年2月28日(日)

不空羂索神咒心経

重文|1巻|西園寺公衡筆|鎌倉時代・嘉元4年(1306)|B-2452

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不空羂索神咒心経 - e国宝

為家門繁昌寿命長遠息災安穏
所願成就出離生死奉書写之二十
勝利八法経文更勿成疑敬白
 大日本国嘉元四季丙午二月辛卯八日己酉
     前右大臣従一位藤原朝臣公衡敬白

仏説像法決疑経

1冊|平安時代・12世紀|B-3081

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展示リストに員数「1冊」と書いてあるので折本ではない冊子本かと期待しましたが折本でした。継目が変になっているところがあり(写真3枚目)、12世紀の書写ということも合せて、巻子本を後世に改装したものでしょう。巻末の「蓮忍」(キャプションでは筆写と推定しています)字の脇に蓮弁のようなものが2つ書かれていますが、これな何でしょうか?

仁平四年甲戌五月三日於興福寺文殊堂尋範一校了
                 蓮忍

願文

重文|1巻|叡尊筆|鎌倉時代・文永6年(1269)|奈良・般若寺蔵

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国立国会図書館デジタルコレクション - 日本国宝全集. 第58輯

キャプション曰く「本文は弟子の手になり、署名は叡尊の自筆と思われる。」

文永六年三月廿五日沙門叡尊敬白

法華経玄賛 巻第六

1巻|石山寺伝来、中田祝夫氏旧蔵|平安時代・9世紀|個人蔵

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全部廿巻、多く缺けて僅かに二巻を残す。共に白墨を以て、訓点を施せり。仮名の体、及び筆勢金剛頂瑜伽法門経及び蘇悉地経略疏に同じ。故に其巻六末に慈凝と記せりと雖も、こは此経の所有者と見ゆれば、之を淳祐の点と定めてこゝに序でたり。○巻中雌黄を以て塗抹し又紫点朱点若くは赭点を交へ施せるところあり。

国立国会図書館デジタルコレクション - 仮名遣及仮名字体沿革史料

CiNii 論文 -  法華経玄賛の古點について

10巻本。白墨の訓点は会場では殆んど見えませんでしたが、写真では多少見えますね。

四天王寺縁起残巻

重文|1巻|惟宗季重筆|平安時代・承安3年(1173)|京都・三千院

撮影禁止でした。展示は17条憲法のところ。文治3年(1187)に別筆で訓点が加えられています。

金光明最勝王経注釈断簡(飯室切本)

1幅|伝嵯峨天皇筆|平安時代・9世紀|B-3291

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C0078057 金光明最勝王経注釈断簡(飯室切本) - 東京国立博物館 画像検索

これも訓点資料ですね。

金光明最勝王経註釈巻4(T2197_.56.0755b28-c13)

薩埵喃莎訶
善男子此陀羅尼是過九恒河沙
諸佛所説爲護九地菩薩故若有
誦持此陀羅尼呪者脱諸怖畏惡趣
惡鬼人非人等怨賊災横及諸苦惱解
脱五障不忘念九地
善男子菩薩摩訶薩於第十地得
陀羅尼名破金剛山由智能破如金剛障故/故得惣持名破金剛山
恒姪他悉提蘇悉提謨折儞木察
儞毘木底菴末麗毘末麗涅末麗
忙掲麗呬㘓若掲鞞曷喇怛娜掲鞞
三曼多跋姪麗薩婆頞他娑憚儞
摩㮈斯莫訶摩㮈斯頞歩底頞咥
歩底阿喇誓毘喇誓頞主底菴密栗
底阿喇誓毘喇誓跋㘕謎跋羅蚶
麽莎囇晡喇儞晡喇娜曼奴
喇剃莎訶
善男子此陀羅尼灌頂吉祥句是

仮名観無量寿経

1幅|伝後京極良経筆|鎌倉時代・13世紀|筒井邦子氏寄贈・B-3217

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C0068419 仮名観無量寿経切 - 東京国立博物館 画像検索

古筆学大成25仮名観無量寿経2伝後京極良経筆仮名観無量寿経切、図版163、p137
出典判明仮名散文関係古筆切一覧稿、(仮名本)観無量寿経、良経(後京極)(1)《押界本》

訓点資料の関連としての仮名書き経の展示ということでしょう。

観無量寿経(T0365_.12.0344a12-14、「除無數劫生死之罪。如此菩薩。但聞其名獲無量福。何況諦觀。若有欲觀觀世音菩薩」)

す無数劫の生死のつみをのそくかくの
こときの菩薩はたゝそのなをきくに無
量の福をういかにいはんやあきらかに
観せんをやもし観世音菩薩を観せんと

宮廷の美術―平安~室町

東京国立博物館 - 展示 日本美術(本館) 宮廷の美術―平安~室町 作品リスト
本館 3室 2016年1月19日(火) ~ 2016年2月28日(日)

代集

重文|1巻|鎌倉時代・13世紀|B-3111

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代集 - e国宝

勅撰集金葉集で終っているのは変ですよね。ここで抜けがあるのでしょうか?

古今和歌集筑後切)

1巻|伏見天皇筆|鎌倉時代・13世紀|B-3202

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C0094775 筑後切本古今和歌集 - 東京国立博物館 画像検索

古筆学大成5古今和歌集80伏見天皇筑後切本古今和歌集、図版97、p98-112

古今集巻18(978-1000)

  むねをかのおほよりか
  こしよりまうてきたり
  けるときにゆきのふりけるをみ
  てをのかおもひはこのゆきの
  ことくなんつもれるといひける
  おりによめる
きみかおもひゆきとつもらは
たのまれすはるよりのちは
あらしとおもへは
  かへし
      宗岳大頼
きみをのみおもひこしちの
しらやまはいつかはゆきの
きゆるときある
  こしなりけるひとにつかはし
  ける
      きのつらゆき
おもひやるこしのしらやま
しらねともひとよもゆめに
みえぬよそなき
  たいしらす
      よみひとしらす
いさこゝにわかよはへなん
すかはらやふしみのさとの
あれまくもをし
わかいほはみわのやまもと
こひしくはとふらひきませ
すきたてるかと
      きせむほうし
わかいほはみやこのたつみ
しかそすむよをうち山と
ひとはいふなり
      よみひとしらす
あれにけりあはれいくよの
やとなれやすみけむひとの
おとつれもせぬ
  ならへまかりける時に
  あれたる家におんなの琴ひ
  きけるをきゝてよみていれ
  たりける
      よしみねのむねさた
わひゝとのすむへきやとゝ
みるなへになけきくはゝる
ことのねそする
  はつせにまうつるみちにて
  ならの京にやとれりけるとき
  よめる
      二条源いたるの朝臣
ひとふるすさとをいとひて
こしかともならのみやこも
うきなゝりけり
  たいしらす
      よみひとしらす
よのなかはいつれかさして
わかならむゆきとまるをそ
やとゝさたむる
あふさかのあらしのかせは
さむけれとゆくゑしらねは
わひつゝそぬる
かせのうへにありかさためぬ
ちりのみはゆくゑもしらす
なりぬへらなり
  家をうりてよめる
      伊勢
あすかゝはふちにもあらぬ
わかやともせにかはりゆく
ものにそありける
  つくしに侍けるときにまかり
  かよひつゝこうちける人のもと
  に京にかへりまうてきて
  つかはしける
      きのとものり
ふるさとはみしこともあらす
おのゝえのくちしところそ
こひしかりける
  女ともたちとものかたりして
  わかれてのちにつかはしける
      みちのく橘くすなおか女
あかさりしそてのなかにや
いりにけむわかたましひの
なきこゝちする
  寛平御時にもろこしの
  はう官にめされて侍りける
  時に東宮のさふらひにて
  をのこともさけたうへける
  ついてによみ侍ける
      ふちはらのたゝふさ
なよたけのよなかきうへに
はつしものおきゐてものを
おもふころかな
  題しらす
      よみひとしらす
かせふけはおきつしらなみ
たつたやまよはにやきみか
ひとりこゆらむ
  あるひとこのうたはむかし大和国
  なりける人のむすめにあるひと
  すみわたりけりこのおんなおや
  もなくなりて家もわるくなり
  ゆくあひたにこのおとこ河内の
  くにゝひとをあひしりてかよ
  ひつゝかれやうにのみなりゆき
  けりさりけれともつらけなる
  けしきもみえてかふちへ
  いくことにおとこのこゝろのことく
  にしつゝいたしやりけれはあや
  しとおもひてもしなきまに
  ことこゝろもやあるとうたかひて
  つきのおもしろかりける夜かうち
  へいくまねにてせんさいのなか
  にかくれてみけれはよふくるまて
  ことをかきならしつゝうちなきて
  このうたをよみてねにけれは
  これをきゝてそれより又ほか
  へもまからすなりにけりとなん
  いひつたへたる
たかみそきゆふつけとりか
からころもたつたのやまに
おりはへてなく
わすられむときしのへとそ
はまちとりゆくゑもしらぬ
あとをとゝむる
  貞観の御時万葉集
  いつはかりつくれるそと
  とはせ給ひけれはよみて
  たてまつりける
      文屋ありすゑ
かみなつきしくれふりおける
ならのはのなにおふみやの
ふることそこれ
  寛平御時うたゝてまつり
  けるついてにたてまつりける
      大江千里
あしたつのひとりをくれてなく
こゑはくものうへまてきこ
えつかなむ
      藤原勝臣
人しれすおもふこゝろはゝる
かすみたちいてゝきみかめ
にもみえなむ
  うためしけるときにたてま
  つるとてよみておくにかき
  つけてたてまつりける
      伊勢
やまかはのおとにのみ
 きくもゝしきをみ
  をはやなからみる
    よしもかな

申文

重文|1幅|藤原定家筆|鎌倉時代・13世紀|B-2369

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申文 - e国宝

定家が昇進を希望した申文で、建仁2年定家41歳の筆跡と推定されるもの。その年に左近衛権中将に昇進しました。この昇進の月についてe国宝の解説また展示キャプションでは「10月」としているのですが、藤原定家 - Wikipediaだと「閏10月24日」で、公卿補任に「建仁二壬十廿四転中将」とあるんですよね。どちらが正しいのでしょうか?

転任所望事
 少将之中任日位階第一
 出仕旧労四代
 就中寿永二年秋忝列仙籍以来
 奉公労二十年
 当時中将之中舎兄一人之外皆多年之
 下臈数代之後進也
今雖相兼此理若依兄弟之並可為昇進
之妨候欤然者自斉信道信朝臣以来中将
常為兄弟相並之官自恃従少将当初
定家常黥兄弟同官之名安元之昔
拝侍従文治之比無其闕剰加次将此両度
奉公日浅競望人多若被嫌此事者
尤可有其沙汰候欤而先遂此望重預叙爵
今及衰暮之齢始被妨此望候者兄仕
朝廷者誰励奉公候乎就中近年
三品崇班雖家顕家卿相並
台閣七人之中長兼加任
夕郎三人之中顕俊並補
 是皆古今之例或希或無之況又
国通任少将敦通任侍従多無奉公
之旧労各預並兄之朝恩当時之徳政
大略如斯況定家更無一人之上臈
久蒙多年之超越今遂此望誰為非
拠候乎
但此事猶依身不肖難被免候者本
望更不限此一事候専顧衰老凡卑
之質不好顕耀声華之職為近衛次将
者被遷便宜要官者古今之恒例候欤
内蔵頭右馬頭大蔵卿之間若自然其
闕出来候者抂被遷任候乎是皆雖以
過分之望忝為後進之所帯令
申其闕何無其憐候乎此三ヶ官之事
若被遷任候者懇切所望超過于転
任候者也所詮空疲中郎之望狂
列近仗之末候之条心肝如摧悲涙
難乾候之間重所申入候也以此趣可御
洩申候定家恐惶謹言

吉野切

1幅|伝後醍醐天皇筆|鎌倉時代・14世紀|B-2487

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C0062332 吉野切 - 東京国立博物館 画像検索

古筆学大成16恋部集1伝後醍醐天皇筆吉野切本恋部集、図版221、p274
散佚歌集切集成増訂第二版、未詳歌集(吉野切)16、p97

なへてよりひかけもをそき心地して
たのむるくれそしつ心なき

茶の美術

東京国立博物館 - 展示 日本美術(本館) 茶の美術 作品リスト
本館 4室 2016年1月2日(土) ~ 2016年3月13日(日)

後撰集巻第一断簡(白河切)

1幅|伝西行筆|平安時代・12世紀|個人蔵|2016年1月19日~2016年2月14日

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古筆学大成6後撰和歌集7伝西行筆白河切本後撰和歌集、図版107、p199

後撰和歌集巻1・春(30、31、33)

ひとこゝろうさこそまされ
はるたてはとまらてきゆる
ゆきかくれなむ
むめのはなかほふきかくる春風
こゝろをそめは人やとか
めむ
かきくらしゆきはふれとも
しかすかにわかいへのそのに
うくひすそなく