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「根津青山の至宝」展@根津美術館

根津美術館で開催中の「根津青山の至宝」展に行ってまいりました。もちろん目当ては展示室5の古写経展示。

つい最近、田中光顕の『古経題跋随見録』という本の存在と、その自筆本が早稲田大学図書館に所蔵され、画像が公開されていることを知りました。

古経題跋随見録. 巻第1-2 / 田中光顕 輯集

これを読んでいたところ、青山蔵また青山文庫蔵などと書かれている田中光顕所蔵の古写経の多くが、現在は根津美術館に所蔵されいていることに気づき、どういう関係があるのだろうと疑問に思い調べようかと考えていたんですよね。そんななか開かれた展覧会で、この件についてタイミングよく解説されていて、おかげでスッキリしました。根津嘉一郎は1919年末に60巻ほどの古写経をまとめて光顕から譲受したそうです。それを見たいという人からの要望に応え翌20年1月に開いたのが「古経同好会」というお披露目会。根津美の古写経コレクションのついて詳しいことは知らないものの、知っている範囲でも凄まじいコレクションだなという感触はあったのですが、田中光顕のコレクションを引き継いだものがベースにあるというのならば納得です。というわけで、せっかくですから、『随見録』にも触れつつ感想をメモしておきたいと思います。

大般若経巻第二十三(和銅経)

重文|1帖|紙本墨書|日本・奈良時代 和銅5年(712)|00140

迂闊にもいままで気づかなかったのですが、和銅経って紙の縦が短いんですね。今回神亀経と並べて展示していて分かりやすく違いが目立っていました。文化遺産データベースで確認すると和銅経は縦23.2㎝*1神亀経は縦25.8㎝*2と2.6cmの差。ただし、字高はあまり変わらず、上下の余白の差です。神亀経の方が一般的な料紙の寸法に近く、和銅経は短い。折本に改装するときに上下を切り落とし整えたのでしょうか? なお本巻は6行1折で、『古筆大辞典』*3によると太平寺本は5行1折、常明寺本は6行1折、見性庵本は天明6年の火災のため旧態を損していると書かれているだけで何行1折かは分かりません。残存する前後の巻は常明寺蔵ですので、この巻も常明寺から出たものでしょう。

この根津本は養鸕徹定の『古経題跋』(1863年)に記載されている巻で「和州薬師寺蔵」の項にあります*4。『古経題跋随見録』では青山文庫蔵*5

図録によると楊守敬の奥書があるとのこと。この奥書は『随見録』に写されてます*6

なお今回は図録を購入しておらず、ざっと立ち読みしただけで済ましたので不確かですが、和銅経の解説の所にミスがあったと記憶します。太平寺に142帖(国宝)、見性庵に43帖、常明寺に27帖(以上重要文化財)というような記述は間違いで、常明寺の27帖も国宝です。ではなぜ27帖が国宝で43帖が重文なのか? 見性庵本は焼損しているということなので、状態の問題でしょうか。

和銅経と神亀経では、残存数の少ない珍しい後者の方に目が行っていましたが、こうやって並べてみると和銅経の方が魅力的ですね。すくなくともこの和銅経巻23と神亀経巻267では前者の方がいいように見えます。東京だと和銅経を所蔵しているのは他に五島美術館(2巻)と静嘉堂文庫、また太平寺本の一部が東博寄託。ここらへんの展示も楽しみに待ちたいと思います。なお国会図書館所蔵の巻409*7は後世の摸写本とのこと*8

文化遺産データベースリンク

大般若経巻第二百六十七(神亀経)

重文|1巻|紙本墨書|日本・奈良時代 神亀5年(728)|00144

『随見録』では「用長麻紙五張。紙長五尺八寸二分。広八寸六分。首第一紙九十五行。二紙九十六行。三紙九十七行。四帋九十六行。五紙五十八行。跋文二十行。巻末尺余ノ余白ヲ存ス。軸水晶。紫褾。紫緒。」また「青山蔵。醍胡三宝院執事僧玉園快応ノ贈ル所。」*9

表紙と緒についてはよく見えず、軸は記述のままで水晶、後補でしょうか。「玉園快応」についてはよく知りません。なお『解題叢書』(1916年)に収録された養鸕徹定の『古経題跋』では神亀経巻53の項に「巻第二百六十七、関戸氏蔵」と注されています*10。この辺どのように所蔵が移り変わったのかは不明*11

新川登亀男さん編の『仏教文明の転回と表現』*12に収録される「付録 天平改元以前の仏典・仏菩薩等一覧:第三 写経編3-長屋王発願経(神亀経)」を参考に神亀経の現存リストを挙げておきます(もとの「一覧」はより詳しい説明があります)。

  • 巻46、大阪・施福寺蔵(奈良博寄託)、願文なし。
  • 巻53(巻末断簡)、名古屋・伯応旧蔵(所在不明?)。
  • 巻217、石山寺蔵、願文なし。
  • 巻219、センチュリー文化財団蔵、願文なし。センチュリー文化財団 オンラインミュージアム
  • 巻267、根津美蔵。
  • 巻336、大阪・施福寺蔵(奈良博寄託)、願文なし。
  • 巻465(巻末断簡)、東博蔵。
  • 巻468、個人蔵(東博寄託)。
  • 巻564、京都・神光院蔵(所在不明?)

巻465巻末断簡と巻468は最近東博で展示されていました。センチュリー文化財団の巻219は折本装で縦24.5cmとすこし短い。

文化遺産データベースリンク

観世音菩薩受記経(聖武天皇勅願一切経

重文|1巻|紙本墨書|日本・奈良時代 天平6年(734)|00152

これは『随見録』には見当たりませんでした(見落としかも)。

願文

朕以万機之暇披覧典籍全身延命安
民存業者経史之中釈教最上由是仰
憑三宝帰依一乗敬写一切経巻軸已
訖読之者以至誠心上為国家下及生
類乞索百年祈祷万福聞之者無量劫
間不堕悪趣遠離此網倶登彼岸
    天平六年歳在甲戌始写
     写経司治部卿従四位上門部王

『古筆大辞典』*13には天平7年帰国の玄昉が将来した経論5000巻あまりを書写したものではないかと見えます。願文の「天平六年」と時間が前後しますが、『続日本紀天平6年4月7日条に見える大地震を受けて「全身延命、安民存業」を祈願しての一切経書写であろうと推測しています。また門部王は川内王の子で、天武天皇の曽孫、聖武天皇の又従兄弟とのこと。

『日本古写経現存目録』*14を参考に現存リストを挙げると、

  • 七知経、檀王法林寺蔵。
  • 観無量寿経上(願文「天平六年」以下欠)、逸翁美術館蔵。
  • 観世音菩薩受記経、根津美術館蔵。
  • 楞伽阿跋多羅寶経(巻尾欠)、 知恩院蔵。
  • 蘇婆呼童子請経巻下(養鸕徹定『古経捜索録』所載)。
  • 金剛寿命陀羅尼経(養鸕徹定『古経捜索録』所載)。
  • 大方広仏華厳経巻第三十、某氏蔵/奥書、天平六年甲戌始写/同十三年辛巳二月十四日終功(荼毘紙)。

一番下の華厳経は「しばらくここに具す」と念の為に挙げられているもので疑いあり。その上の2巻は1852年の『古経捜索録』に記されているだけで、以後の存在が確認されないもののようです。知恩院の楞伽経は巻尾欠、願文が失われているでしょうか*15。すなわち、聖武天皇勅願一切経であるとはっきりしており、かつ確実に現存が確認できるのは上の3巻のみでしょう。

文化遺産データベースリンク

大唐内典録巻第九第十残巻(六人部東人発願一切経

重文|1巻|紙本墨書|日本・奈良時代 天平勝宝7歳(755)|0187

『随見録』では「雨森氏蔵。青山文庫ニ帰ス」*16。「雨森氏」は雨森菊太郎(ウィキペディア)でしょうか。また『続古経題跋』(1883年)にも「田中光顕蔵」項に記載されてます*17*18

願文の翻刻は余裕のあるときにでも。とりあえずは『随見録』をご参照下さい。

田中塊堂さんの『日本写経綜鍳』*19によれば

奥書によると國醫六人部東人が四恩を感じ知識を集めて三蔵を書寫し孝謙天皇の聖壽と衆生の万福を願つてものである。寫經生三尾淨麿は正倉院文書中に見られないが、この一卷によつて左京捌條二坊に住みしことその健實なる筆蹟は一切經書寫の淨業と共に記すべきものである。因にこの東人は續日本紀に同年外從五位下に叙された六人部藥の一族であらう。尚大和講御堂にある大般涅槃經卷卅三は下半を損じてゐるがその奥書に「六人部」の三字の讀まれるものが一巻ある。一具經としては卷九の斷簡が手鑑中に貼られてゐる位で他に見存しない。

『随見録』『続古経題跋』『日本写経綜鍳』いずれも巻10としていますが、巻9と巻10の残巻を継いだもののようです。手鑑に貼られているという巻9断簡は「古筆切所収情報データベース」で引っかからないのでお手上げ。

紙背にびっちり文字が書かれていたのはこれでしたっけ? 展示会場のキャプションには書名が記されていましたが、メモをし忘れました。ただ、仏典の注疏の類で知られた書ではないようですね。こういうのに限って頼みの文化遺産データベースの解説が間違っているという。

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大乗掌珍論巻上残巻

重文|1巻|紙本墨書|日本・奈良時代 8世紀|00177

『随見録』には「押法隆寺印」、「明治廿六年十二月観。島田南村蔵。帰于青山文庫。」*20。また下巻に重出*21。「島田南村」は詳細不明。

文化遺産データベースから解説を引用すると

本文の全面にわたって白書の註記と、白書朱書の訓点があり、紙背にも朱白二様の註記がある。これらの註記は奥書により承和元年(834)、嘉祥2年(849)をはじめとする時期に施されたものであることが知られ、訓点研究上重要な資料を提供する。

この奥書(白書)は

承和元年七月二十八日於岡基読了
嘉祥二年八月十五日一度勤了
同年九月五日薬師寺西院講

なお田中塊堂さんは、この奥書から平安時代初期の写経と見なしています*22。注記などが本文書写と同年である必要はないので、書写年代はもっと上げられるかもしれませんが、奈良時代まで上げられるか否かという専門的なことはよくわかりません。

文化遺産データベースリンク

註楞伽経巻第七

重文|1巻|紙本墨書|日本・奈良時代 8世紀|00158

『随見録』には見当たらず。五月一日経の方はあったのですが。

おおぶりな撥型白密陀軸は原装のようです。こういう大きさの軸端は始めて見ました。保存がよく白密陀の残りがいいのかツヤがあります。第1回展観目録では「原表紙」と明言しており、そのようにも見えましたが、キャプションや文化遺産データベースでの解説では触れられず。

小林強さんの『出典判明仏書・経切一覧稿』には巻7の断簡(2紙分?)が挙げられているので、根津本は完本ではなく途中抜けているかもしれません。ついでに『一覧稿』を参考に現存を挙げると

  • 巻1、京博蔵。
  • 巻2断簡、諸家蔵
  • 巻4残巻(約200行)、某家蔵。
  • 巻5、知恩院蔵。
  • 巻6断簡、諸家蔵
  • 巻7、根津美蔵

このうち巻6の巻末断簡は東博蔵で先日展示されていました。ほかウェブ上で見れるものでは巻6が2つ、手鑑「月台」所収断簡(手鑑「月台」 註楞伽経 - e国宝)また国会図書館所蔵残巻(国立国会図書館デジタルコレクション - 注楞伽經卷7斷簡*23があります。

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根本百一羯磨巻第六

国宝|1巻|紙本墨書|日本・奈良時代 8世紀|00173

近頃修理を行ったようで、修理後の初お披露目。表紙や軸(撥型赤密陀)は原装、緒は今回の修理で新しく拵えたそうです。

『随見録』では、「右無題跋。書法非凡。一行十二三字」、「此ノ同種尊勝院ニ在リ。巻一巻六巻五ノ三巻ヲ脱ス。想フニ其一カ。」、「岩谷一六居士蔵。明治十七年十月八日借覧。後日帰青山文庫。」*24

尊勝院にあるものというのはつまり聖語蔵の経巻。現在巻1は正倉院聖語蔵に現存するので、巻1を脱するというのは不審です。尊勝院蔵分も『随見録』に記載*25、こちらでも巻1脱なので、一度蔵外にでているのでしょうか。「岩谷一六」は巌谷一六ウィキペディア)。

筆者が念林老人なる人物であるという話は以前しましたが、今回の展示キャプションでも紹介されていましたね。飯田剛彦さんの「聖語蔵経巻「神護景雲二年御願経」について」*26では、聖語蔵経巻のうち念林老人写の経典がほかにいくつか挙げられています。

該巻は、根津美術館第2回展観(1942年)にも出品されました。その目録には

根本説一切有部百一羯麿巻第六で全巻具備してゐる。その峻整暢達せる筆法が、奈良時代写経の一般書体とは異なるところに特色あり、数ある奈良時代写経中の最優品である。なほ軸附端裏に、「二校浄成」とある。*27

とあります。この「浄成」は高向浄成であると今回のキャプションに書かれていました。「宝亀三年と推測される校経注文(二〇466)の記載が初見。宝亀五年十一月に今更一部の経師とする文書(二三171)があり、同六年四月の経師手実の勘検まで写経所での勤務が確認できる。」*28とのこと。

田中光顕曰く「書法非凡」。第2回展観目録曰く「峻整暢達せる筆法」「数ある奈良時代写経中の最優品」。奈良後期の写経がわずか1巻で国宝指定を受けるというのは尋常ではなく、それだけ評価の高いものなのでしょう。

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観普賢経

国宝|1巻(2巻のうち)|彩箋墨書|日本・平安時代 11世紀|00205

これも『随見録』には見当たりませんでした。

丁字染(濃淡を交用)に金の揉箔撒き、金界、墨書。

同様の無量義経も根津美にあり、もと一具であったと考えられてます。開結経が存在するなら、当然本経もあったはずと思っていたのですが、赤尾栄慶さんは本経が書かれなかった可能性も考慮してるようです*29

文化遺産データベースリンク


最後に、『随見録』上巻末に記された光顕の歌を。白檮舎は大口周魚。

  大正八年八月十五日是書を
  白檮舎大人贈るとて   光顕
いくひらもなきふみなれとゝしつきの
こゝろこめてしあとしのはなむ*30

1919年8月にこの本を周魚に贈り、年末に古写経60巻ほどを嘉一郎に譲渡した光顕の心境や如何。

*1:http://bunka.nii.ac.jp/db/heritages/detail/146717

*2:http://bunka.nii.ac.jp/db/heritages/detail/169408

*3:春名好重編著、淡交社、1979年、NDLサーチ

*4:国立国会図書館デジタルコレクション - 解題叢書

*5:http://archive.wul.waseda.ac.jp/kosho/ha04/ha04_05096/ha04_05096_0001/ha04_05096_0001_p0008.jpg

*6:http://archive.wul.waseda.ac.jp/kosho/ha04/ha04_05096/ha04_05096_0001/ha04_05096_0001_p0007.jpghttp://archive.wul.waseda.ac.jp/kosho/ha04/ha04_05096/ha04_05096_0001/ha04_05096_0001_p0008.jpg

*7:国立国会図書館デジタルコレクション - 大般若波羅蜜多經卷409

*8:天平改元以前の仏典・仏菩薩等一覧:第三 写経編2-長屋王発願経(和銅経)」(新川登亀男編『仏教文明の転回と表現』勉誠出版、2015年、NDLサーチ)所収。

*9:http://archive.wul.waseda.ac.jp/kosho/ha04/ha04_05096/ha04_05096_0001/ha04_05096_0001_p0057.jpg

*10:国立国会図書館デジタルコレクション - 解題叢書

*11:早稲田大学図書館の書誌情報に記されている「大正8[1919]」はこの本を人に贈った年です(本稿末参照)。書かれた年、また記された情報がいつのものかは確定できず?

*12:*8参照

*13:前掲

*14:田中塊堂編、思文閣、1973年、NDLサーチ

*15:ひょっとしたら後出の註楞伽経巻5を指しているのかも。根津美蔵の註楞伽経巻7の首題は「楞伽阿跋多羅寶経」です。

*16:http://archive.wul.waseda.ac.jp/kosho/ha04/ha04_05096/ha04_05096_0001/ha04_05096_0001_p0026.jpghttp://archive.wul.waseda.ac.jp/kosho/ha04/ha04_05096/ha04_05096_0001/ha04_05096_0001_p0027.jpg

*17:国立国会図書館デジタルコレクション - 解題叢書

*18:これを見る限り、『随見録』は、少なくともその記載する情報は1919年のものとは言えなそうです。

*19:思文閣、1974年、三明社昭和28年刊の複製、NDLサーチ

*20:http://archive.wul.waseda.ac.jp/kosho/ha04/ha04_05096/ha04_05096_0001/ha04_05096_0001_p0026.jpg

*21:http://archive.wul.waseda.ac.jp/kosho/ha04/ha04_05096/ha04_05096_0002/ha04_05096_0002_p0029.jpg

*22:前掲『日本写経綜鍳』p313および前掲『日本古写経現存目録』p93

*23:「卷7」と書いてますが巻6です

*24:http://archive.wul.waseda.ac.jp/kosho/ha04/ha04_05096/ha04_05096_0001/ha04_05096_0001_p0042.jpg

*25:http://archive.wul.waseda.ac.jp/kosho/ha04/ha04_05096/ha04_05096_0001/ha04_05096_0001_p0047.jpg

*26:正倉院紀要』第34号(宮内庁正倉院事務所、2012年)所収、PDF

*27:国立国会図書館デジタルコレクション - [財団法人根津美術館]展観目録. 第2回

*28:前掲の飯田さんの論文より

*29:『古写経 = The sacred letters of early sutra copies : 聖なる文字の世界 : 特別展覧会守屋コレクション寄贈50周年記念』京都国立博物館、2004年、NDLサーチ

*30:http://archive.wul.waseda.ac.jp/kosho/ha04/ha04_05096/ha04_05096_0001/ha04_05096_0001_p0079.jpg