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後白河院自筆説はどうなったのでしょうか?

三井記念美術館の次回の展覧会が更新されて「三井家伝世の至宝」展が紹介されてますね(http://www.mitsui-museum.jp/exhibition/index2.html)。予想どおり手鑑「高㮤帖」の出品、期待です。

なお、このページでの表記を見ると「古筆手鑑「高㮤(たかまつ)」帖」とのこと。この手鑑は「たかまつ」「たかまつ帖」「高松帖」「高㮤帖」などと表記が安定しませんが、私は「たかまつ」と書いてました。理由は指定名称が「手鑑「たかまつ」(百八十六葉)」であること、また三井記念美術館のサイトで「古筆手鑑 たかまつ」と表記していたこと(http://www.mitsui-museum.jp/collection/collection.html)などでした。それが今回は「古筆手鑑「高㮤(たかまつ)」帖」と変更していまして、なんかちょっと裏切られた気分です。2004年の中村健太郎さんの論文では「高㮤帖」表記ですし*1、「高㮤帖」の方がいいのでしょうか。一応、本体無銘(表紙の表中央部が大きく破損とのこと)、内箱「多可万川」(たかまつ)、外箱「高㮤帖」です。

「高㮤帖」紹介で掲載されている写真は2枚。右側は「本阿弥切」が2葉ならんで押されたところ、左側は中央の断簡が注目で、梁塵秘抄の断簡ですね。他にツレが3葉知られています。筆跡などから書写年代は後白河院の時代まで遡りうるもので、かつ金銀泥で下絵が描かれた豪華な料紙を用いていること、しかも界線(天に2本、地に1本)が引かれていることから格式を感じさせる写本であり、梁塵秘抄の浄書本の可能性が指摘されるものです。

しかも、古谷稔さんがこれらについて梁塵秘抄撰者の後白河院自筆であると発表*2し、新聞などで報道され*3話題となりました。このときはまだ「高㮤帖」所収断簡かツレであるとは気づかれていなかったため、のこり3葉に関してですね。それに対して小松茂美さんが批判、この3葉は3筆に別れ、しかもその中に後白河院の筆跡はないと主張します*4。この後、「高㮤帖」所収断簡が発見され、それを合わせた4葉について古谷さんはあらためて自筆説を詳述*5するも、小松さんは納得しません*6。熱い師弟バトルですが、4から5行の断簡がわずか4葉、比較する後白河院の真蹟*7もさほど分量があるわけではなく、お互いに相手を納得させるだけの材料を欠くよなあと思いました。

という話を、1999年当時リアルタイムで追っていたわけではありません。「高㮤帖」の展示を予測して予習をしていた折に知りました*8。ただ当時のことはそれなりに調べがついたのですが、その後の展開がよくわからないんですよね。この話どうなったんだろうと疑問に思っております。新たなツレの断簡なりが出てこないと話は動かないんでしょうけど、この16年で新出断簡があったのか否かも含めて把握できていないので。今回「高㮤帖」の紹介でこの梁塵秘抄断簡を掲載したということは、この断簡についてそれなりに説明してくれるのではないか、現状把握ができそうだと期待をしております。

*1:CiNii 論文 -  鑑定文書による古筆手鑑調製年次推定考 : 三井文庫蔵手鑑『高〓帖』を中心として

*2:「伝久我通光筆「梁塵秘抄断簡」と後白河法皇の書」『日本音楽史研究』第2号(上野学園日本音楽資料室年報、1999年)所収、NDLサーチ

*3:毎日新聞』1999年5月20日朝刊など

*4:『読売新聞』1999年6月2日および3日東京夕刊

*5:後白河法皇の仮名書法と「梁塵秘抄断簡」--書の"ゆらぎ"と筆跡考証の視点」『MUSEUM』563号(東京国立博物館、1999年)所収、NDLサーチ。なお、4葉すべてのカラー図版が掲載されています。

*6:『読売新聞』2000年1月20日東京夕刊

*7:後白河法皇宸翰消息」(妙法院蔵)および「後白河法皇勅報」(天理大学附属天理図書館蔵)

*8:ちなみに言うと、「高㮤帖」の複製本解説では出典が特定されていません。古筆切DBで検索、梁塵秘抄と書かれている→「高㮤帖 梁塵秘抄」などでググる→1999年頃に話題になっていたということを知る→NDLサーチで「梁塵秘抄」を検索、年を絞ってあたりをつける→図書館という流れ。