読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

太子の御手皮を題簽に用ゐしといふ梵網経

大屋徳城の『寧楽古経選』を読んでいたら次のような記述がありました。

 七大寺の写経は何故に斯くの如く滅亡せしか。之に対する解答は三あり。
(略)
 二は明治時代に優秀なるものを、皇室に献納せしこと之なり。法隆寺に伝はりし聖徳太子の筆と伝ふる法華義疏を始め、般若心経・尊勝陀羅尼・阿弥陀経の貝葉経、太子の御手皮を題簽に用ゐしといふ梵網経、長寿三年の跋ある法華経天平十二年三月の御願経たる文陀竭王経の如きは、最も優秀なる写経なるが、何れも御府に入れり。以上の写影は「法隆寺大鏡」に収む

国立国会図書館デジタルコレクション - 寧楽古経選. 上

法隆寺が皇室に献上した宝物のほとんどは現在東京国立博物館が所蔵し「法隆寺献納宝物」と称されています。ここに挙げられているものも法華義疏を除き東博現蔵品。ただし「般若心経・尊勝陀羅尼・阿弥陀経の貝葉経」は不審。般若心経と尊勝陀羅尼のみで阿弥陀経はないはず(梵本心経および尊勝陀羅尼 - e国宝)。「長寿三年の跋ある法華経」は国宝細字法華経細字法華経 - e国宝)。「天平十二年三月の御願経たる文陀竭王経」は藤原夫人一切経元興寺経)のうちで、これも東博蔵(列品番号B-1631)ですが、現在東博の分類では法隆寺献納宝物に組み込んでいない点に疑問があります。

なんてことはとりあえずどうでもいいのです。ここでこの文を引用した一番の理由はもちろん「太子の御手皮を題簽に用ゐしといふ梵網経」の一節。手の皮を剥いで題簽に利用したなんてグロテスクなことが書いてあって興味深いですよね。ではこの梵網経とは何か? 法隆寺献納宝物で梵網経といえば紺紙金字のものが思い浮かびます。今年の春ごろ法隆寺宝物館で展示されていました。その時撮った写真を掲載します。

f:id:ouix:20150824003413j:plain
f:id:ouix:20150824003706j:plain
f:id:ouix:20150823025425j:plain

またe国宝でも見ることができます。

梵網経 - e国宝

この重文梵網経が件の梵網経かと思いましたが、展示キャプションにはそのような説明はなかったですし、またe国宝の解説も同じく。というわけで、『寧楽古経選』に注された『法隆寺大鏡』(第41集、東京美術学校編、1919年)を見てみました。なおNDLデジコレで公開されています。

本経は顕真の古今目録抄に従へば、梵網経二押御手皮此上書上下外題給拝見此外題之人閇三悪趣之門也東大寺忍法聖人夢見此旨云々今此経者紺紙金泥玉軸太子御自筆云々と云へり、紺紙金泥玉軸の経たるは、今猶古の如し、楷法精美、固より尋常の写手に非ざるも、之を聖徳法王の御自筆と称するは如何にや、本朝金泥を使用せしことは、夙に皇極紀三年夏六月の条に一茎二萼の蓮を得て、豊浦大臣之を蘇我の臣将来の瑞となし、即ち金墨を以て書して、大法興寺の丈六仏に献ずともあれば、之を否むこと能はざれど、紺紙金泥並び用ゐて書写に資すること、推古朝にありしや如何、殊に書体の整美なる始終一画紊れず、写経の規律に由りて、行十七字の制をとれるは、推古朝太子時代として、余りに其技の完成せるにあらずや、太子の筆翰として、其風格を偲ぶよりは、寧ろ其技に堪能なる妙手の風韻を感ぜずんばあらざる也。思ふにこれ現存紺紙経の最古のものにして、特に名手を択びて其任に当らしめ、以て深く敬虔の意を致せしもの、後遂に太子御自筆と称せらるゝを見れば、本寺最大の重宝として崇められしや疑なく、姑く御自筆にあらずとするも、之を希有の重宝と尊重するに於て、今も古も殆ど替はること非ざるべし、経巻外題の太子御手皮を剥ぎて仏陀に供養するは、捨身の義にも叶ひて、功徳無辺際なるを以て、本朝の霊仙三蔵は、手皮長四寸闊三寸を裂きて仏像を画けるを、後に慈覚大師入唐して、五台山より長安へ向ふの途次、金閣寺堅固菩薩院に於て、当時尚ほ保存せらるる由を聞ける記事を其日録入唐求法巡礼行記に残せり、古人法の為に勇猛精進すること斯の如し、今や目のあたり手皮の外題を拝するに於ては、唯益々其感を深うして復た云ふ所を知らざる也、本経は図に明らかなる如く、一部二巻を厨子内に奉安し、回転して之を礼拝するの装置とせり、此装置は函蓋なる葵紋にも知るく、本寺再興の大檀那たりし桂昌院の寄進に成れるにて、之を見るも重宝中の重宝として、永へに尊敬せられしを知るべき也

国立国会図書館デジタルコレクション - 法隆寺大鏡. 第41集

勢い全文を引用してしまいました。まずは本筋に関係ありませんが興味深いところを片付けておきましょう。最後の部分の「回転して之を礼拝するの装置」というのは上に写真を掲載した箱の中身の話。後掲の図を見ても詳しいことはよく分かりませんが、単なる箱ではなくその中で写経を読めるような仕組みになっているようです。NDLデジコレの画像は利用自由なので、折角ですから転載しておきましょうか。
f:id:ouix:20150824013006j:plain
国立国会図書館デジタルコレクション - 法隆寺大鏡. 第41集より

さて本題。まず顕真の『古今目録抄』(13世紀前半)が引用されています。注目すべきは「紺紙金泥玉軸」。上掲の重文梵網経の特徴と完全に一致します。そしてまた「押御手皮此上書上下外題給」と言っているわけですから、『寧楽古経選』の言う「太子の御手皮を題簽に用ゐしといふ梵網経」はこの梵網経なのでしょう。

東大寺忍法聖人」なる人物はよく分かりませんでした。また夢に見たのは「押御手皮此上書上下外題給拝見此外題之人閇三悪趣之門也」の全文を指すのか後半だけなのか不明です。が、ともかく13世紀前半には、この梵網経の外題簽は聖徳太子が手の皮を剥いで作ったものだという伝承があったことが分かります。

『古今目録抄』は、自筆草稿本が残っています。梵網経と同じく東博法隆寺献納宝物。e国宝で見れます。

古今目録抄(聖徳太子伝私記) 上巻 - e国宝

上の『法隆寺大鏡』の文章。一見するとこの荒唐無稽な伝承を無批判に受け入れているようにも読めますが、よくよく読んでみると必ずしもそうではないことが分かります。この梵網経の書写年代について、太子時代のものであることに懐疑的なんですよね。「之を聖徳法王の御自筆と称するは如何にや」「推古朝にありしや如何」「推古朝太子時代として、余りに其技の完成せるにあらずや」と。後世に書かれたものだとすれば、「経巻外題の太子御手皮を剥ぎて仏陀に供養する」ことは不可能。書き手も頭から信じていたわけではないのでしょう。そして、現在では、太子の時代よりもはるかに後のものであると考えられています。今年の展示の際のキャプションや上掲e国宝では「平安時代・9世紀」、隔たること約200年。

さて、e国宝ではその問題の題簽も見ることができます。

梵網経 巻一 表紙 - e国宝
梵網経 巻二 表紙 - e国宝

普通題簽には紙が使われるものですが、この梵網経の題簽は紙とは少し違うように見えます。というわけで『法隆寺献納宝物特別調査概報20 書蹟1』(東京国立博物館、2000年、NDLサーチ)を確認してみると「外題簽の材質は革か」とのこと。題簽に動物の皮(に見えるもの)が使われているという話は初めて聞きました、他に類例はあるのでしょうかという疑問はさておき、紙や布の題簽をもって聖徳太子の手の皮だとする伝承が存在したとしたらあまりにもバカバカしい話ですが、動物の皮(に見えるもの)であるのだとしたら、だいぶまともに聞こえるようになりますね。人皮だって動物の皮なのですから。もちろんそれでも飛躍はあります。動物の皮(に見えるもの)を見て人間の皮だと思うのはおかしい。強いて言えば『法隆寺大鏡』で語られた霊仙三蔵の逸話などを補助線に引けば理解は可能でしょうか。ちなみにこの『調査概報』では「平安時代・11世紀」と、推定書写年代を2世紀下げています。

なお、この伝承は13世紀前半の『古今目録抄』が最古の記録ではなく、もっと遡ることができます。大江親通の『七大寺巡礼私記』(1140年)。

金泥梵網経二巻納筥
斯経非太子御筆然而其外題之下押
御手皮其上斯外題給尤可拝見

国立国会図書館デジタルコレクション - 七大寺巡礼私記

「非太子御筆」と書いていますが、わざわざ断っているということは既に太子筆という話があったのでしょう。「其外題之下押御手皮」の意味がはっきりしないものの、「押御手皮其上斯外題給」と『古今目録抄』と同様のことが書かれています。

13世紀後半。日蓮は『開目抄』(1272年)の最後の部分で、この件について軽く触れています。この頃にはだいぶ広まっていたのでしょうか。引用は大正蔵本(84巻232頁下段から233頁上段)、SAT DBを利用しました。

夫釋尊ハ娑婆ニ入。羅什ハ秦ニ入。傳教ハ尸那ニ入リ。提婆ト師子ハ身ヲスツ。藥王ハ臂ヲヤク。上宮ハ手ノ皮ヲハク。釋迦菩薩ハ肉ヲウル。樂法ハ骨ヲ筆トス。天台云。適時而已等云云佛法ハ時ニヨルヘシ。日蓮カ流罪ハ今生ノ小苦ナレハ。ナケカシカラス。後生ニハ大樂ヲウクヘケレハ大ニ悦ハシ

『古筆大辞典』(春名好重編著、淡交社、1979年)によると、三条西実条は天文22年(1553)3月9日に法隆寺でこの経を見ていまして、『吉野詣記』に次のように記しています。

さて法隆寺にと心さしけり。南無仏の御舎利出給ふ時刻定まれり。遅くもやとて。駒うち早め参りけるに。舎利講弐三段よませたる時分にて。聴聞随喜せしに。ことのをはりに。舎利出おはしましけり。この寺の脇坊とて。年老事おかしき人。内陣へ参るべきよし申せしかば。参りて霊宝ども拝み奉る。様々のもの有中にも。梵網経御身の皮を外題の紙に用之。御血にて銘をあそばしたる御経。たぐひなく覚え侍り。

国立国会図書館デジタルコレクション - 群書類従. 第11輯

血で題を書いたというのが加わっていますね。つづいて、屋代弘賢が寛政4年(1792)11月20日にも見ていますが、外題簽については触れていません。

三経院といへるにて宝物共拝見。先七種宝物とてわきて尊重せる有。いはゆる七種は釈迦如来の糞掃衣・聖徳太子真筆紺紙金泥の梵網経・神代真鈴・賢聖瓢・太子御足印御茵・御弓・御箭等なり。梵網経は真字なり。

http://archive.wul.waseda.ac.jp/kosho/ru04/ru04_01559/ru04_01559_p0057.jpg

[道の幸]. [上,下巻] / 弘賢 [撰]

鳥居フミ子さんの「聖徳太子伝の浄瑠璃化 : 土佐浄瑠璃「太子伝」を中心にして 」(CiNii)によると、古浄瑠璃聖徳太子御伝記(江戸板)」(元禄頃刊行)には「太子は経典書写のために蘇我妹子に政事を托して片岡山にこもる。滅後の利益を残さんと、両手の皮をはいで梵網経におす」ことが描かれ、また土佐浄瑠璃「太子伝」にも「太子は別殿をしつらえ、仏道修行のために勝鬘経・梵網経を書写し、手の皮を剥いで外題におす」ことが語られるそうです。詳しく調べてはいませんが、どうやら中世以後この伝承が太子伝に取り入れられていったようですね。

その元となった梵網経が現存し、かつ展示された際には拝見することができるというのはなんともありがたい話であります。ただ、肝心の外題簽の部分が展示されることがないだろうことはすこし残念ですけれども。

追記

だそうです。