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筑後切の裏写りした文字

最近、三井記念美術館の所蔵する手鑑「たかまつ」の複製本*1の別冊解説を読んでいます。なぜ今そんなものを読んでいるかというと、年末年始あたりに展示されるのではないかとニラんでいるから。三井記念美術館で大きな展覧会を開催するんですよね。まあ、実際「たかまつ」が出るかどうかは分かりませんが、いずれにせよ現存する手鑑のなかでも屈指の優品、いい断簡が多く楽しく解説を読んでおります。というわけで、しばらく「たかまつ」がらみの話が増えるかと。なお、この手鑑は「高㮤帖」「高松帖」「高まつ帖」「たかまつ帖」「たかまつ」と、表記が統一されず揺れていますが、このブログでは「たかまつ」で通す予定です、ご了承ください。

まずは「筑後切」の話から。

9. 拾遺和歌集断簡(筑後切)*2

伏見天皇筆。鎌倉時代。斐紙墨書、27.8x47.6cm(11.4cm幅に折目あり)、上下藍の打雲紙。『拾遺和歌集』巻二十哀傷巻末歌(1351)および本奥書。極札「伏見院 いかるかや (「琴山」印)」*3

(1行抹消「うた也」)
  うへ人かしらをもたけて
  御かへしをたてまつる
いかるかやとみのをかはの
たえはこそ我おほきみの
みなをわすれめ

(6行分ほどの余白)

貞応元年九月七日壬子未時以家証本
重書之暗愚所存為備後代之証本
也     民部卿藤原定家

筑後切」は伏見院宸筆の三代集。原装巻子本、各20巻全60巻。『後撰集』巻二十(大阪誉田八幡宮蔵)の書写奥書に「永仁二年十一月五日書訖」とありまして、おそらく三代集とも1294年伏見院30歳ごろの筆跡と考えられています。完本はこの『後撰集』巻二十のみ(ただし改装されている)、ほかわりと多くの残巻・断簡が残ります。

「たかまつ」所収断簡にみられる「貞応元年九月七日云々」の本奥書は現存する唯一のもので、すなわち「筑後切」の『拾遺集』は定家貞応元年九月七日書写本の貴重な伝本です。これを指摘したのが、杉谷寿郎さんの「拾遺集定家貞応元年九月七日書写本考」*4で、ここには筑後切本拾遺集の45の断簡と巻子の77首分の翻刻が掲載され、当該本について考察されています。

杉谷さんは「本断簡にみる貞応元年九月本の奥書は、定家の奥書すべてではなくて、続いてあった記載は切断されてしまっているのではないかと予想される」と仰っています。複製本の解説では『後撰集』巻二十同様の書写奥書があった可能性が指摘され、この断簡は厳密には巻末ではなく、少なからず続きがあったようです。

また「『後撰集』は定家の貞応元年九月三日本を底本としているが、『拾遺集』も貞応元年九月七日本という、きわめて近い定家校訂本を用いている。『古今集』の底本は未詳ながら、あるいは京極家への定家本の伝流と関係があることかもしれない」という杉谷さんの指摘は興味深いですね。

さて、複製本解説には少し気になることが書いてあります。

上下藍の打雲がある料紙で、十一・四糎幅に折り目があり、一時、折本となっていたことがわかる。全面に仏書らしいものが裏文字で写っており、折り目と関係があるようにも思われる。

表面に裏文字で写っているということは、裏面に仏書らしいものが書かれて(または摺られて)いたということでしょう。そして折本に改装されていたと。興味をそそられる話ですが、実はこの件解決しております。以下、石澤一志さんの「伏見天皇筆「筑後切」」*5によります。

大日本史料』康安元年(1361)雑載に載る『忠光卿記』*6の6月6日条に、伏見院宸筆の後撰・拾遺集の裏に涅槃経を摺った折本についての証言があります。この忠光とは柳原忠光(1334-1379)は元蔵人頭で左大弁、3月に参議となり公卿に列しているとのこと。原文の代わりに、石澤さんによる訳を引用します。

伏見院宸筆の三代集(というものがあり、その内)、古今(集)は、関東にお遣わしになった。二代集(三代集の内、古今集を除いた後撰・拾遺集)の裏に、涅槃経(草子〈冊子〉である)を摺られ、銘(奥書・識語か、題簽)には(後光厳天皇の)宸翰を染められるように、去々年(一昨年)であったか、法皇(光厳院)から言ってよこされた。このほど、心閑かに、御結縁されるように(ということを)法皇から言ってこられた。一合の箱にいくつかの状が納められていた。私は、(後光厳天皇の)仰せにより、これを拝見した。

裏に涅槃経を摺写した伏見院宸筆の二代集が複数あるとは考えられないので、筑後切の裏写りした文字が『涅槃経』(『大般涅槃経』40巻)であると確認できれば*7、『忠光卿記』で触れられた伏見院宸筆の三代集とは筑後切のことだと言って間違いはないでしょう。そして実際、石澤さんは京大図書館蔵中院文庫本の筑後切で、裏写りした文字が涅槃経であると同定しました。

では、なぜそんなことをしたのか? ということまでここで話してしまうのはやめておきましょう。興味のある方は是非石澤さんの論文をご覧ください。なかなか熱い話です。

*1:貴重書刊行会、1990年、NDLサーチ

*2:頭の「9」は手鑑「たかまつ」の通し番号。つまり最初から9番目に貼られている断簡です。

*3:CiNii 論文 -  鑑定文書による古筆手鑑調製年次推定考 : 三井文庫蔵手鑑『高〓帖』を中心としてによります

*4:『語文』78(日本大学国文学会、1990年、NDLサーチ)所収

*5:久下裕利, 久保木秀夫 編『平安文学の新研究 : 物語絵と古筆切を考える』(新典社、2006年、NDLサーチ)所収

*6:『進献記録抄纂』42所収

*7:石澤さん曰く「現存する「筑後切」の裏面に、実際に経文が残っている例はまだ嘱目していない」とのこと。そして「一度に全てを剥離し、銘々に装訂し直された可能性が高」いとも。