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東博に行ってきました

鳥獣戯画展は混み混みだったので通常展だけ。180分待ちという甲巻と修復で新事実の判明した丙巻はともに東博寄託のはずで、そのうち本館で見れるでしょうし。

鳥獣戯画展の影響でしょうか、本館は普段より人がいました。もちろん話題の三日月宗近のところは特に賑わっていて、平日昼間だというのに20人ほどの行列。しかしその賑わいも東洋館までは及んでいませんでしたが。

古今和歌集巻第一断簡(関戸本) 伝藤原行成

本館特別2室・平成26年度新収品
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1行目「よみひと」の字母は「夜微飛東」、10行目「こひし」の字母は「古避之」。

2013年の「和様の書」展に出品されていたものですね。当時は個人蔵だったようです。

料紙は藍染め繊維の漉きかけによる染紙。キャプションによるともと1紙の表裏であい剥ぎしたもの。表裏で色の濃さが異なるのは、漉きかける藍染め繊維の量を変えているからでしょうか。

西本願寺本の信明集と筆跡が似ており、同筆という説も一部にあるというのを最近知りました。

小林さんは同筆説には否定的。

四分戒本并序

本館1室

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神護景雲二年称徳天皇勅願一切経のうち。

景雲経は称徳天皇の勅願による一切経で、奈良後期を代表する写経のひとつです。聖語蔵経巻のうち「神護景雲二年御願経」742巻のほとんどが実際には景雲経ではないと判明し、巷間にある景雲経の価値が一段と高まっております。もちろんこれは願文があるので確実。

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神護景雲二年歳在戊申五
月十三日景申弟子謹奉為
先聖敬寫一切経一部工夫之荘
厳畢矣法師之轉讀盡焉伏願橋
山之鳳輅向蓮場而鳴鑾汾水之龍
驂泛香海而留影遂披不測之了
義永證弥高之法身遠墍存亡
傍周動植同茲景福共沐禅流或
變桑田敢作頌曰
非有能仁誰明正法惟朕仰止給脩
慧業権門利廣兮抜苦知力用妙兮
登岸敢對不居之歳月式垂罔極之
頌翰

まあ、なんて書いてあるかよくわからないんですけどね、私は。

2行目の「景申」は、狩谷棭斎『古京遺文』南円堂銅灯台銘の考証に

景申即丙申。唐人為太祖諱。丙為景。此襲用之。孝謙皇帝所寫。一切経跋亦云。神護景雲二年歳在戊申五月十三日景申。与此同。

国立国会図書館デジタルコレクション - 古京遺文 2巻

とありまして、唐世祖李昞の諱を避けた由。

摩訶僧祇律 巻第三十九(五月一日経)

本館1室
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尾題のところに朱方印が捺されています。
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見づらいですが、「東大寺印」かと。

聖武

本館1室
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半年前にも展示されていたものです。

和歌体十種・和歌体十種断簡

本館2室

全画面e国宝に掲載されています。

キャプション
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また、1089ブログでも紹介されています

よく読めば問題ないとは思いますが、ひょっとしたら誤解があるかもしれないので書いておくと、断簡を合わせてもすべてが揃っているわけではありません。断簡の前に1首、後に2首抜けております。その部分はいまだ所在不明だと思われます。

新編国歌大観第5巻の解題(井上宗雄さん)によると、大東急記念文庫蔵奥義抄(杉原賢盛筆三冊本、寛正三年写)所収の「和歌十種躰」が唯一の完本で、新編国歌大観では底本の国宝巻子本の欠落部をそちらで補っています。

解題によると当時は高野家蔵。この高野家とは東博にある浅井忠作品76点の高野コレクションの高野時次さん。

1089ブログでは「その行方不明だった断簡が、約20年前に発見されたのです!」としていますが、1987年の『帝京史学』3号に掲載された大舘右喜さんの「巻子本和歌体十種の断簡について」で報告されているので、約30年前ですね。

またブログの「「和歌体十種」は、壬生忠岑(860?~920?)の著作とされる歌学書で」というのも気になるところ。キャプションの「『和歌体十種』は、10世紀の末から11世紀初めに成立した歌論書で」と食い違います。

新編国歌大観の解題では

序文に、木工権頭を極官とした貫之を「土州刺史」と記すのは不審であり、また天慶八年(九四五)忠岑撰とあるが、忠岑は九二〇年代に没していたと推測されており、偽書で、内容的には一〇世紀末から一一世紀前半の歌論として適合されると考えられ、その頃の成立かとする説が強い(藤平春男氏「新古今とその前後」)

と書かれています。忠岑没後かなり経ってから成立した偽書のようですね。

この国宝の書写年代は諸説ありますが、広くとって11世紀半ばから12世紀初頭といったところ。つまり偽書の成立から更に50年から100年ほど後に書かれたものです。

序文

夫和歌者我朝之風俗也興於神代盛
于人世詠物諷人之趣同彼漢家詩章
之有六義然猶時世澆季知其軆者少
至于以風雅之義當美判之詞先師土
州刺史叙古今歌粗以旨歸矣今之所
撰者只明外貌之區別欲時習之易論
也于時天慶八年冬十月壬生忠岑

飛雲
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了佐による別紙識語

右和歌軆十種一巻者序有之
御子左一流忠家卿御真筆也最可謂家珎者也
忠家卿者五條三位俊成卿之祖父也世間希有之
物躰也或人依御所望證之而已
慶安五暦
    八月仲旬     古筆了佐(印・花押)

なぜ忠家と極めたのかよく分かりません。また忠家の真筆である可能性はほぼ無いでしょう。

文殊師利根本大教王金翅鳥王品(神護寺経)

本館3室
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神護寺経は、首題の下の方に「神護寺」という朱方印が捺されますが、その朱印は見えず、何かを消したような痕跡があります。
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軸端
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曾丹集切 伝西行筆

本館4室
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すきぬ覧つきひもしらす
はるはたゝやとのわかくさかえ
もてそしる
あらけにてやふけにみえ
しはるのゝもなつはいろ/\
はなさきにけり
みをのうらのひきあみのつなのた
くれともなかきはゝるのひとひ
なりけり