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屋代弘賢が薬師寺で見た魚養筆大般若経は魚養経なのか?

屋代弘賢が1792年に薬師寺を訪れた際、魚養筆の伝承がある大般若経を見ているんですが、その大般若経は魚養経(薬師寺経)であるという説があります。『古筆大辞典』「うおかいきょう 魚養経」項。

寛政四年(一七九二)十二月六日、屋代弘賢(一七五八~一八四一)は薬師寺で『魚養経』を見て、『道のさち』(巻の中)に「宝物は魚養筆の大般若六百巻、黄なる紙にて、真字なり、第百五巻・第百十巻かけたり、世に散在せるは此二巻のうちなるよしいへり、」と書いている。

この『道の幸』は早稲田大学図書館が写本を所蔵しており画像が公開されています。

また塚本樹さんという方が現代語訳をされウェブ上に公開されていて、そこには本文も掲載されています。

『古筆大辞典』の引用部を含め、この3者の該当箇所の本文はすべて同じです。

旧十輪院宝蔵と魚養経 - ときかぬ記」でも触れたとおり、魚養経は遅くとも室町後期には薬師寺にあったことはほぼ間違いありません。理由は二つあって、いちおうここでも繰り返しておくと、一つは天文3年(1534)に薬師寺で作られた魚養経用の経櫃が残っていること(藤田美術館現蔵)。また一つは、表紙外題部の朱円印の存否です。魚養経は巻頭首題部に「薬師寺印」の朱円印が2顆、第1紙紙背に「薬師寺金堂」の黒印が1顆押されるという特徴があります(後者は例外あり)。さらに表紙にも特徴がありまして、原装と覚しき古い表紙には外題部にも巻頭に捺されたものと同じ「薬師寺印」朱円印が1顆捺されています。しかし、室町後期に改装されたと思われるものを含め、後世に改装された表紙にはその朱円印が捺されていません。つまり、普通に考えれば、この朱円印は室町後期の改装以前に捺されたものであり、そのとき既に薬師寺に存在したということになります。

また、現在も薬師寺はこの魚養経のうち40巻以上を所蔵しています。この所蔵分は散逸した残りでしょう。散逸時期は近代に入ってからでしょうか。藤田美術館に387巻所蔵されるのをはじめ470巻以上が現存するほど残存率が高い魚養経。やはり近い時期に寺外に流出したと考えるのが妥当です。つまり、魚養経は遅くとも室町後期(確証はありませんが、おそらく書写された奈良時代後期)から、明治時代初期までは薬師寺に存在した筈です。

という風に考えると、江戸時代には当然薬師寺に存在したのだから、1792年に弘賢が薬師寺で見た魚養筆と言われる大般若経はこの魚養経であると見做したくなるのですが、そうするとおかしい点があるんですよね。というのも、弘賢が当時既に「かけたり」と記録している巻105と巻110が、どうやら現存するらしいのです。

最近、魚養経の所在を調べております。といっても、ほぼ次の2文献に依っているだけなんですけど。

「調査研究」には、藤田美術館に所蔵される387巻の詳細なデータが記載されています。つまり藤田美術館に魚養経のどの巻が蔵されるかが分かります。『一覧稿』の方は、図版が掲載された書物・図録・目録などを列記するもので、必ずしも現蔵が分るものではありませんが、少なくともその図版が掲載された当時はその巻が存在したであろうことは推定できます。

前者によると、巻105は藤田美術館にあるようです。また後者によると、巻110は

  • 『「日本の古書・世界の古書」展目録 : ABAJ(日本古書籍商協会)創立30周年記念』ABAJ、1995年、NDLサーチ
  • 『百萬塔古筆切展示即売会目録』八木書店、2000年

の2冊に図版が掲載されているとのこと。ほんの15年20年前に展示されていました。

さて、この矛盾をどう考えればよいでしょうか。弘賢もしくは弘賢が話を聞いた薬師寺の人間が巻数を間違えた? 巻数で誤字・脱字? たとえば巻205と巻210であれば上掲2文献には記載されていません。もしくは、当時の薬師寺には魚養筆の伝承がある大般若経が2セットあった? これはさすがに無理筋か。

弘賢が見た大般若経は魚養経だったのでしょうか?



以下余談。

センチュリー文化財団の所蔵している大般若経の巻93なんですが、

薬師寺経」に通常あるべき「薬師寺印」「薬師寺金堂」の墨印のみが見えない。

にもかかわらず、魚養経(薬師寺経)であると認定しています。しかしながら、「調査研究」によると巻93は藤田美術館にあるので、やはりこれは魚養経ではないと思います。

もちろん、だから価値がないという話では全くなくて(金銭的価値は多少落ちるかもしれませんが)、ではこの大般若経はいったい何なんだ? とむしろ興味がわいて来るという話です。奈良後期という推定は間違いないでしょうし、魚養経と紛れるほどの名筆。僚巻は現存するのでしょうか。魚養経ではない可能性が高いから残念ではなくて、魚養経と考えて疑わないのはもったいない経巻なんじゃないかなあと思います(サイトの記述を改めていないだけで、財団の方は既に認識済みでしょうが)。

また巻215にも不審な点があります。というのも、上記2文献に重複して記載されているのです。藤田美術館に所蔵される一方で、『思文閣古書資料目録』119号と『思文閣古書資料目録』152号 にも図版が掲載されているとのこと。この『思文閣古書資料目録』を確認できていないので(気楽に確認できるところに所蔵されていないのです)、なんとも言えませんが、どちらかに誤植があるのか、それとも『目録』に載る魚養経はセンチュリー文化財団蔵の巻93と同様のものなのか、それとも巻215は2巻存在するのでしょうか。

上の方で「現在も薬師寺はこの魚養経のうち40巻以上を所蔵しています」と書きましたが、不審に感じた方もいるかもしれません。しかしこれは「調査研究」の記述に基いています。

残存巻数について言えば、藤田美術館に三百八十七巻、薬師寺に四十巻以上

文化遺産データベースで確認すると

薬師寺所蔵の重要文化財指定を受けた魚養経の員数は33巻です。しかし、『古筆大辞典』や『一覧稿』では巻数を明記しつつ37巻挙げています。買い戻したのか、新たに発見されたのか分かりませんが、4巻増えているわけです。「文化遺産データベース」のページから「国指定文化財等データベース」に飛ぶとト書欄に「自巻第一至第十、自巻第三百十一至巻第三百三十、巻第二百八十七巻第三百四十四、巻第五百七十八」と書かれています。これが重要文化財指定を受けている分。さらに増加分の4巻は巻297、巻414、巻431、巻513。「調査研究」によれば、更に数巻存在するとのこと。ただし、これが何巻であるのかは記載されておらず不明です。

また『一覧稿』の方には、「大阪市立美術館蔵〈巻87他・総計五巻分あり〉」とありまして、4巻分巻数が記載されていません。これも不明。というわけで現存することがわかっていながら(私には)巻数が特定できないものが合わせて10巻弱あります。

最後に、上記2文献に所在が明記されていないもので、私が確認したものについて記しておきます。

巻11。国立国会図書館

巻81。台東区書道博物館

巻157。MIHO MUSEUM

巻207。九州国立博物館

巻221。センチュリー文化財団蔵

巻226。五島美術館または大東急記念文庫蔵。去年夏、五島美術館の館蔵品展で拝見しました。

巻499。ハーバード・アート・ミュージアム蔵

巻588。奈良国立博物館