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神於寺縁起絵巻

今年の1、2月に東京丸の内出光美術館で開かれた「物語絵 ―〈ことば〉と〈かたち〉」展を訪れた際、もっとも惹かれた作品は「神於寺縁起断簡」というものでした。絵巻の断簡を掛幅にしたもので、中央に山が描かれ岩窟から煙が立ち上る、ちょっと不思議な感じのする絵。状態もよく、印象に残る作品でした。最近、ふと思い出して調べてみると、これがなかなか興味深い絵巻であるということが分かり、かつウェブ上にはこの絵巻に関する情報が少ないので、書き記しておこうかと思います。

以下の文章は、秋山光和さんの「「神於寺縁起絵巻」の復元と考察 ―いわゆる「光忍上人絵伝」をめぐって―」*1を主に参考にさせていただきました。なお、秋山さんはこの出光断簡(当時は個人蔵。件の展覧会の図録に画像あり)について「風景表現として秀逸である。特に前後に重なる山峰の描き分けや、尾根や樹木の鮮やかな緑と小祠や鳥居の朱色との対比、また懸崖や巌窟を示す渇筆風の皴の入れ方など、画家の巧みな技法を看取することができよう」と絶賛しています。

神於寺(こうのじ/じんおじ)は大阪府岸和田市に現存するお寺。その由来を記した神於寺縁起絵巻(2巻)は切断され諸家に分蔵されています。寺にはその絵巻から派生した写本が3本伝わっています。

  1. 絵巻模本:2巻。上巻7段・下巻6段の計13段。おそらく明治時代に作成されたもの。現存断簡のうち模本に写されていない図様が8箇所ほどあり、模本が作成された当時すでに一部は切り取られていたと考えられる。
  2. 快恵本:2巻。末尾に寺史を補記したあと「旹 寛文六稔丙午三月上浣日書写之 快恵」という奥書を有する本。絵に当たる部分は空白としている。詞書は細かい違いはあるものの、字句や書体も含め模本にほぼ一致。
  3. 明治本:1帖。美濃紙の罫紙。寺蔵の古文書類の写しも併載。1893年頃か。快恵本と同じく絵に当たる部分は空白としている。文中に1箇所、快慶本にも模本にもない文章が含まれていて、しかも現存断簡の中にこれに相当する図様が存在する(ネルソン・アトキンス美術館蔵、後述)。

この神於寺縁起の内容については「岸和田のむかし話2 神於寺縁起絵巻 - 岸和田市公式ウェブサイト」をご参照ください。いちおうここでも大略を書いておくと、役行者による創建と宝勝権現の影向(1~6段)、荒廃(7段)、光忍上人が来朝、宝勝権現が上人に再興を託し、勅命が下る(8~9段)、再興された大伽藍と盛大な弥勒大会の様子(10段)、光忍上人略伝(11段)、弘法大師による般若心経書写奉納(12段)、参詣の心得とでも言うべき一段(13段)。

絵巻の制作年代は、表現技法上の特色から鎌倉時代末14世紀半ば近くであろうとのこと。特徴のひとつに、画面に紺紙の小片を貼付し金泥で説明の文字を入れているという点があります。この絵巻はかつて十分に知られていなかった頃には「光忍上人絵伝」と呼ばれていました。

先述のように、原本は切断され諸家に分蔵されています。模本に写されていない断簡もあるなど不明な点もありますが、絵の残存率は高く9割方は残っているようです。しかし、詞書はすべて散逸し現在ただの1行も残っていないというんですね。ここで参考にしている秋山さんの論文は1980年とちょっと古いものですが、出光の展覧会図録の解説でも詞書について触れていませんし、また小林強さんの「出典判明仮名散文関係古筆切一覧稿」(2007年、CiNii)にも見当たらないので、まだ見つかっていない様子。明治時代に作成されたと考えられる模本には詞書があるので、当時は残っていたわけです。絵の残存率の高さに比較して、詞書はゼロというのはなんとも奇妙な感じがします。*2

また絵の方は、国内の美術館では既述の出光美術館蔵断簡(第6段、断簡番号⑧)*3のほか、頴川美術館に1枚あります(第1段、断簡番号①)。出光断簡は龍神の住む巌窟からは雨の前に必ず白雲の沸き立つ様を描いたもの。頴川断簡は神於山一帯の景観および役行者と語る地主明神の姿が描かれています。

ほかは国内の個人蔵、またアメリカの美術館・財団が多く所蔵しています。国外にあると実物を見るのは難しいので、その点さびしいものですが、一方でアメリカの美術館では所蔵品の画像の公開が進んでおり、この神於寺縁起絵巻断簡も多くの画像を閲覧することができます。以下それらの紹介。

バークコレクション

http://burkecollection.org/catalogue/30a,+b-from-jin%C5%8Dji-engi-emaki
aは第4段、断簡番号⑤。右から順に役行者、宝勝権現の式神役行者の従者鬼神、宝勝権現。宝勝権現が神於寺に影向する様。もとは中央で切断され分蔵されていたようで、中央にうっすらその痕跡がのこります。この場面は模本に描かれておらず、模本の製作時にはすでに抜けていたものと思われます。またこの断簡の左半分とまったく同じ図様の掛幅が別に存在するそうで、秋山さんはその別本は模写や複本ではなく贋作であろうとしています。さらにフリーア美術館所蔵の断簡(断簡番号⑬)にも同一構図のものがあること、また現在1図しか知られていないものでも、原本ではなく別本の断簡の可能性があるものも存在するそうです。

bは最終第13段、断簡番号㉑。山に入るときは斎戒沐浴しなさいよという段で、身を清める2人と神官から祓いを受ける僧侶を描きます。秋山論文ではアメリカ個人蔵。

ハーバード美術館

http://www.harvardartmuseums.org/collections/object/202559
第7段(3)、断簡番号⑪A。霊場荒廃を人々に諭すために、宝勝権現が往来する船を転覆させ旅人を落馬させる。

http://www.harvardartmuseums.org/collections/object/211941
第10段、断簡番号⑰。第10段の絵は仁王門から下の社、香堂、鐘楼、食堂、金堂、講堂、宝塔、宝蔵と続く大伽藍と盛大な弥勒大会の様子を描く、絵巻のクライマックス(模本では前半を欠く)。これはそのほんの一部分で、右端に見えるのは下の社、中央に僧侶の一団が描かれています(模本には存在しない絵)。詞書は別絵巻のを呼継ぎしたもの。弘法大師伝絵巻(高野大師行状図画)の詞書。6巻本の「高野大師行状図画」(地蔵院蔵)、第4巻第1段「帰朝上表事」にほぼ一致するそうです。またフリーア美術館に6巻本系の詞書を持つ第3巻の内容に該当するものが蔵されているそうで、それとの関係が示唆されています。フリーアの弘法大師行状絵巻は、詞書が見えませんが次の2点のことでしょうか。

呼継ぎされた詞書をいちおう翻刻しておきますと

鳳凰のかけりとふかならす堯舜
をみる仏法の行蔵は時をえて巻舒す
今一百餘部の金剛乗教両部の曼荼

ネルソン・アトキンス美術館

ネルソン・アトキンス美術館のサイトでは各作品紹介頁に固定URLがふられていないので、http://www.nelson-atkins.org/collections/index.cfmで"konin"などと検索してみてください。

The Korean Deity, Hôshô Gongen, at the Site of the Ruined Temple (Jinoji)
第7段(2)、断簡番号⑩。荒れ果てた多宝塔を見守る宝勝権現の姿を描いた絵ですが、謎のある断簡です。模本にこの画面が描かれていないというのは、他にも同様のものがあるので問題にはならないのですが、対応する詞書も模本や快恵本には存在しないんですよね。しかし明治本にはその詞書が存在する。また線描の運びや色調などにも問題はあるそうです。模本に存在しないのは、模本作成以前に切り取られたと考えればいいので問題はないのです。しかし、対応する詞書や絵の存在を示す空白が明治本に存在するにもかかわらず、寛文6年書写の快恵本に存しないというのは辻褄があいません。ただ、快恵本はその部分に紙継ぎがあるそうなので、快恵本も切り取られたと考えられそうです(なぜ切り取ったのか?)。また秋山さんは線描の運びや色調などの問題を指摘されていますが、それは別本(贋作)である可能性を示唆しているでしょうか。

Procession of Priests with Offerings (Miroku dai-e)
第10段、断簡番号⑮。ハーバード美術館断簡の少しまえの部分で、色紙形(紺紙金字の小片)には「弥勒大会」とあります。楽器を奏する僧侶などの一団。呼継ぎされた詞書は、ハーバード断簡のツレです。画像が小さいく読めないので秋山さんの論文から引用させていただます。

ひさにあゆみていまたならはさると
ころをならひ首をかたふけ足をう
けていまたきかさるところを聞

メトロポリタン美術館

http://www.metmuseum.org/collection/the-collection-online/search/45525
第10段、断簡番号⑱C。ハーバードやネルソン・アトキンズの断簡と同じ第10段の最後の部分。3メートル近い大断簡で(画像は4分割)、順に食堂・金堂・講堂・多宝塔・宝蔵が描かれているはずなのですが、宝蔵部分が見当たりません。不審。

フリーア美術館

http://www.asia.si.edu/collections/edan/object.cfm?q=fsg_F1962.9
第9段、断簡番号⑬。屋内で対座する藤原冬嗣と光忍上人。寺院再興の勅命を伝えるシーンです。

フィラデルフィア美術館

http://www.philamuseum.org/collections/permanent/58857.html
http://www.philamuseum.org/collections/permanent/58863.html
第12段、断簡⑳AとB。切断されていますが、もともと1つの絵だったので合わせて。右に断崖の上で合掌する弘法大師、左中央の山頂の円形石積みは埋経の塚、さらに左に帝釈天


なお、秋山さんの論文で寛政8年刊の『和泉名所図会』巻四に神於寺の図が載せられていることが指摘され転載されていますが、国会図書館デジタルコレクションで見れる館蔵本では巻三です。また神於寺の全体図だけでなく紹介文も書かれていたので、合わせてリンクを貼り、翻刻しておきます。

布引山神於寺神於寺村にあり天台宗山上神社の神官寺なり例祭十月八日
宝勝権現山上にあり寺説に曰百済国より渉り当国鱧崎の浦に着岸し給ふといふ旧記紛失して祭神詳ならず延喜式和泉郡意賀美の神社歟
仏殿本尊千手観音左文殊右弥勒仏を安置す
開基役行者中興は百済国の沙門光忍和尚今坊十餘戸あり什宝に法螺一口天竺より将来といふ当寺第一の霊器なり又松虫鈴鈴虫鈴倶に役行者の持具也それ当山は泉州の最中にして南北を遥に見渡し西の方は海面渺々として日の斜なる頃日*4の入りしほの頃淡路の嶋山にかゝりて当国第一の絶勝なり風光を好む人到らずんばあるべからず

山上の宝勝権現社は廃仏毀釈の際に失われたとのこと。

*1:『在外日本の至宝』二(毎日新聞社、1980年、NDL search)に所収。

*2:模本の詞書は実は原本なんじゃないかなんて冗談みたいなことを思ってみたり。まあ、そんなことはないでしょうけど。

*3:章段および断簡番号は秋山論文に依ります。以下同様。

*4:この1字自信ありません