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国会図書館所蔵の山門切? 27行、宝暦九年人見求による識語あり

国立国会図書館デジタルコレクションで山門切らしきものを見つけました。

国立国会図書館デジタルコレクション - 古寫經疏斷簡附人見氏系圖. [1]

「蘇之惠自佛樹西蔭覺影東臨漢魏寔爲」から「歸依以實際爲大覺玄軀無爲是調御」までの27行。大正蔵の広弘明集巻第二十二にほぼ同文の箇所があり(52巻260頁中下段)、「広弘明集巻第二十二難范しん神滅論断簡(山門切) - e国宝」と比べて字もそっくりです*1

しかし、リンク先には「山門切」との記述はなく、またいくつかの文献をあたったものの、この断簡について触れているのを見つけられなかったので、すこし不安も。

この断簡は27行もの大断簡であることも注目ですが、さらに宝暦九年の年記をもつ人見求なる人物の長文識語が興味深いものです。小野篁の署名入り奥書(あやしい)や快賢(「快賢(かいけん)とは - コトバンク」と同一人物?)なる人物の奥書が引用されるなど。通用字体に改めて翻刻しておきます。

右仏経文余曩祖野相公之真書也
相公題巻尾云此一巻書某小悩之
間寂莫之餘信病心所発適時時書
之而以慰独臥愁情大凡這巻経数
日而成矣 承和三歳丙辰五月八
小野篁又快賢書其終云此書小
野篁之筆蹟也尭海房寄附当寺仍
納常住 弘安二己卯三月十四日
石州多陀寺住快賢且相公伝云或
問相公曰以公大賢正直剛義而書
仏経何不修聖経乎対曰有人需之
唯病餘消間已矣臥縟数日形容不
敬也故憚称先王伝也小子何無学
夫礼矣求恭惟此蹟伝余家数世無
記年月也只 江戸火災多恐亡失
矣故三分此文一蔵野州足利郡学
校家譜云相公者 敏達天王九世
孫也為 嵯峨天王貴重晩建家墊
於下毛野足利教其子孫則今学校
是也学校伝記云 天長中小野篁
野州足利地与魯国相似宜置学
校同九年八月五日 淳和天王可
其奏鳴呼相公大賢明察雖百世亦
可知也有感乎此言今聞見此民間
之風俗剛毅又有文即此相公風化
之所及也只願一変至於道其一蔵
求釆地野州足利郡西場村雲竜堂
此地野 大猷公所賜求高祖賢知
元徳而雲竜堂亦賢知所為請封告
者也一則蔵求家以欲永伝来世時
宝暦九年己卯
関東臣野相公三十六世孫西場主
姓小野氏人見求克己謹識(有如白水)(人見求印)

*1:もう一つウェブ上で見れる山門切に「C0083529 経切手鑑 - 東京国立博物館 画像検索」があるんですが、なんとなく違和感を覚えなくもないので、本文で挙げるのは避けます。