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太秦切の見えざる宝塔

太秦切」と呼ばれる写経断簡は(少なくとも)2種類あります。とりあえずここでは区別のために太秦切α・太秦切βと呼び分けることにします。

太秦切α
紺紙金字一字宝塔法華経。1行10~11字。伝称筆者は聖徳太子。ネット上で見れる画像は「写経手鑑「紫の水」,奈良国立博物館」があります。「東博に展示されていた二つの太秦切 - ときかぬ記」で取り上げたもの。

太秦切β
紺紙金字法華経。1行9字。行草体(定信風)。伝称筆者は聖徳太子。ネット上で見れる画像は「写経手鑑「紫の水」,奈良国立博物館」や「Object View | Open F|S | Collections | Freer and Sackler Galleries」などです。

この太秦切βは別に「法隆寺切」と呼ばれることもあって注意を要します。私が目にしたものを整理すると、

太秦

  • 白鶴美術館蔵手鑑極札
  • 手鑑「翰墨城」複製本*1
  • 古筆手鑑大成 第3巻 文彩帖 根津美術館*2
  • 古筆手鑑大成 第6巻 あけぼの(上) 梅沢記念館蔵*3
  • 古筆手鑑大成 第16巻 手鑑 金沢市立中村記念美術館蔵*4
  • 小林強『出典判明仏書・経切一覧稿』*5
  • 根津美術館『鑑賞シリーズ12 館蔵古筆切』2011年

法隆寺

併記

その他

「対照表」は、翰墨城を太秦切、見ぬ世の友と陽明文庫蔵大手鑑をともに法隆寺切とし、後者2葉をツレではない別断簡と見なしている様子。

また未確認ですが「古筆切DB」での検索で見つかった次の3点もツレの可能性があるので挙げておきます。


もともと「太秦切」にはαβの2種類ある上にβの方は「法隆寺切」とも呼ばれていてまぎらわしい。困りますよね。ではβの方をどう呼ぶべきか。上のリストを見ると「太秦切」の方が使われているようですがαと混同しやすい。片や「法隆寺切」は「増補古筆名葉集」の記述とまったく異なるので違和感があります。

法隆寺切 生帋墨字朱ニテ一字毎ニ宝塔アリ一行四字

国立国会図書館デジタルコレクション - 増補古筆名葉集 2巻

先日コメントで太秦切βについて「「太秦類切」もしくは稀に「戸隠類切」と云われていますね」と教えていただきました。「太秦類切」で統一・定着されるなら、それがいいように思えます。ただ確認した範囲では文献上で「太秦類切」という表記を見ないので、とりあえずここでは「太秦切」と書くことにします(特に区別するときは「太秦切β」)。


さて、この太秦切βの解説には不思議なところがあります。

古筆大辞典

一行に九基の宝塔を作り、塔心に金泥で経文を一字ずつ書写している。現在宝塔は見えない。見えないが、もとは確かにあったに違いない。上下の文字の間が二センチもあいているのは、もとは宝塔があって、塔心に文字を一字ずつ書写していたからである。

「見ぬ世の友」複製本解説

今は見えないが、上下の字間がひらいており、やはりもとは宝塔文があったのであろう。

古筆手鑑大成第2巻(執筆は杉谷寿郎さん)

字間が二センチほども開いているので、宝塔が描かれていたものと推測され、宝塔経の一種とされている

古筆手鑑大成第3巻(執筆は平林盛得さん)

これはもと銀泥で宝塔が画かれ(または雲母で型押しか)ており、その塔身部に一字ずつ経文を書写したもので、現在宝塔部が剥落してしまったため、やや異様に見えるのである

古筆手鑑大成第6巻(執筆は平林盛得さん)

本切は、銀泥(雲母か)の宝塔が剥落したものである

古筆手鑑大成第16巻(執筆は平林盛得さん)

本切は、宝塔は見えないが(剥落したか)


つまり、残された現物に痕跡は確認できないけど宝塔があったはずで、この写経は一字宝塔経だったとしているんですよね。

根拠として挙げられているのは字間が開いていること。そしておそらく「増補古筆名葉集」の太秦切の記述も影響しているでしょうか。

太秦切 紺帋金字経一行九字一字毎に銀泥ニテ宝塔アリ凡立一尺一寸三歩*14

国立国会図書館デジタルコレクション - 増補古筆名葉集 2巻

平林盛得さんが銀泥で宝塔と言っているところ、この記述の影響がみれます。

しかしその痕跡すら確認できないならば、もう少し慎重な言い回しをすべきではないかと私は思います。たとえば次のように。

手鑑大成第12巻(執筆は山本信吉さん)

また字間が通常の写経に比べ広いことから、もとは戸隠切のように一字ずつが宝塔の中に書かれた一字宝塔経で、その宝塔が磨損したのではないかとする説があるが、宝塔が画かれていたことは確認できない。


なお宝塔の痕跡があるという記述もあります。「翰墨城」複製本解説。

今はかろうじてその痕跡を知るだけであるが、当初は銀泥で宝塔文を置いていたと思われる。

ほかに痕跡の報告を見たことがないので、これについては疑問を感じております。


最後に、私が確認した太秦切βすべての翻刻を載せておきます。1葉のみ信解品でほか全て譬喩品。連続する2品が残ることから、おそらく一品経ではなく8巻本。巻二の前半部分。他の巻については聞かないので失われてしまったでしょうか。

手元に画像がないものもあり不確かなところがいくつかあるので、参考程度のものと捉えてください。

手鑑「見ぬ世の友」(2行、譬喩品、大正0010c26-28)
二十力諸解脱同共一
法中而不得此事八十

手鑑「翰墨城」(2行、譬喩品、大正0011a14-16)
非是實滅度若得作佛
時具三十二相天人夜

手鑑「見ぬ世の友」(1行、譬喩品、大正0011b21-22)
隱豐樂天人熾盛琉璃

手鑑「あけぼの」(1行、譬喩品、大正0012a16-17)
最大法輪爾時諸天子

手鑑 白鶴美術館蔵(2行、譬喩品、大正0012b09-10)
不言諸佛世尊以種□
因縁譬喩言□方便説

写経手鑑「紫の水」(2行、譬喩品、大正0013a21-22)
之苦若生天上及在人
間貧窮困苦愛別離□

フリーア蔵掛幅装(7行、譬喩品、大正0013c01-05)
出火宅到無畏處自惟
財富無量等以大車而
賜諸子如來亦復如是
爲一切衆生之父若見
無量億千衆生以佛教
門出三界苦怖畏險道
得涅槃樂如來爾時便

商品詳細ページ ┃:: 古筆・古筆切・短冊等の古典籍・書画・文房四宝・古美術【大阪・北浜 玄海樓】(1行、譬喩品、大正0014b10)
蔓延衆苦次第相續不

大手鑑 陽明文庫蔵(1行、譬喩品、大正0015b05-06)
令至滅度我爲法王於

手鑑 金沢市立中村記念美術館蔵(5行、譬喩品、大正0015b29-c04)
劫盡更生如是展轉至
無數劫從地獄出當墮
畜生若狗野干其影𩑔
痩黧黮疥癩人所觸□
又復爲人之所惡賤□

手鑑「文彩帖」(2行、譬喩品、大正0015c10-11)
諸童子之所打擲受諸
苦痛或時致死於此死

手鑑「あけぼの」(1行、信解品、大正0017a19)
言咄男子汝常此作勿

*1:翰墨城 : 国宝手鑑 (中央公論社): 1979|書誌詳細|国立国会図書館サーチ

*2:古筆手鑑大成 (角川書店): 1984|書誌詳細|国立国会図書館サーチ

*3:古筆手鑑大成 (角川書店): 1986|書誌詳細|国立国会図書館サーチ

*4:古筆手鑑大成 (角川書店): 1995|書誌詳細|国立国会図書館サーチ

*5:出典判明仏書・経切一覧稿 (大東文化大学人文科学研究所): 2010|書誌詳細|国立国会図書館サーチ

*6:古筆大辞典 (淡交社): 1979|書誌詳細|国立国会図書館サーチ

*7:古筆手鑑大成 (角川書店): 1984|書誌詳細|国立国会図書館サーチ

*8:古筆手鑑大成 (角川書店): 1993|書誌詳細|国立国会図書館サーチ

*9:見ぬ世の友 (出光美術館): 1973|書誌詳細|国立国会図書館サーチ

*10:書 (出光美術館): 1992|書誌詳細|国立国会図書館サーチ

*11:高松帖 : 古筆手鑑 重要文化財 (貴重書刊行会): 1990|書誌詳細|国立国会図書館サーチ

*12:筆林 : 古筆手鑑 三井文庫蔵 (貴重本刊行会): 1995|書誌詳細|国立国会図書館サーチ

*13:禅院の美術 : 建仁寺正伝永源院の名宝 (和泉市久保惣記念美術館): 2000|書誌詳細|国立国会図書館サーチ

*14:この記述、太秦切αと比べると1行の字数と宝塔が銀泥であるという点に違いがあります。αβどちらを指しているのか。それともまた別の太秦切があるのでしょうか。