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山中の色紙

山中の色紙というのがあります。小倉色紙のひとつで、俊成歌が書かれたもの。現存するものらしく、古筆学大成第16巻に写真が掲載されています。また集古十種に模刻があります。

国立国会図書館デジタルコレクション - 集古十種. [13]

ご覧いただくとわかりますが、第4句を「やまのなかにも」と書き誤っていまして、そこから山中の色紙とよばれた由。

この山中の色紙について、続近世畸人伝(1798年刊)巻之三・傾城吉野には次のように書かれています。

さればある諸侯、いかなるついでにかまみえ給ひて、いかにもこれがよろこぶべきものをあたへばや、と案じたまひて、小倉色紙のうちに俊成卿のうた、世の中よ道こそなけれ、といふ歌の四の句、山の中にもと誤りかき給ふが、かへりて、山中の色紙といひ伝へて名物となりたるをとうでゝ贈り給ふ。はたして是は二なくよろこびけると也。

近世畸人伝(正・続)

島原の遊女吉野(1606-1643)は数寄人だったので、ある諸侯が喜んでもらおうと山中の色紙を贈ったと。その後、ある事件があって灰屋紹益(1607-1691、本阿弥光悦の甥光益の子。三郎左衛門。灰屋に養子に入る)に身請けされたものの、紹益は父親の勘気に触れ勘当されます。

されども思ひかはしてまどしきよをへてもうれへとせず。此時に及びて彼山中の色紙は売たりとぞ。千切や与三右衛門といふもの買しが、今はある諸侯の家蔵となるとなん。

この時、生活が苦しかったのか山中の色紙を売却したと語っています。のちに、偶然の出会いと光悦の口添えで勘当が許されたとのこと。続近世畸人伝から60年後の中村経年の積翠閑話(1858年刊)にも「千切屋の。何某なる者へ売わたしぬ。」と書かれています。

しかし、この続近世畸人伝と積翠閑話の語る売却話には疑問があります。

玩貨名物記(原本1660年刊、下に引用するのは後世の写本)*1に、

俊成 一 世の中 京ハイヤ三郎左エ門*2

国立国会図書館デジタルコレクション - 玩貨名物記

とあるんですよね。刊行年の1660年は吉野没後です。まあ、古い情報だったとか、紹益が後に買い戻したとも考えられますけれども。

更にいうと、後にこの山中の色紙は松平不昧の手に渡るのですが、その経緯について、馬琴が紹益の孫栄庵に会って聞いています。この灰屋家は、紹益以後没落したそうで、

栄庵にいたりてます/\窮するをもて。(略)山中の色帋は雲州侯へたてまつり

国立国会図書館デジタルコレクション - 羇旅漫録 : 壬戌. 中

つまり紹益から孫の栄庵まで伝わり、栄庵が不昧(雲州侯)に献上したと。とすると続近世畸人伝のいう千切や与三右衛門(呉服屋)が入る余地はなさそうです。不昧はこの色紙を一千両で買い求めたと雲州蔵帳に書かれているそうです。同書はまだ見ていませんが、古筆大辞典の山中の色紙の項に書いていました。

また、同項には

『山中の色紙』は近世の初めに佐野(灰屋)紹益が遊女吉野に与えたと言われている。

これには出典が書かれていませんが、そのような伝承もあるのでしょうか。

なお、灰屋が没落した原因として馬琴が挙げているのが、紹益の奇行です。

よし野は佐野紹益に請出さる。紹益は灰屋と號す豪富なり。吉野は紹益に先だちて死す。
 都をは花なき里となしにけり吉野を死出の山にうつして 紹益
これその時述懐の歌なり。或人云。吉野が屍を火葬して。紹益みづからこれを喰ひ盡しけり。紹益がよし野に愛着せることかくの如し。是よりして灰屋の家おとろへたりといふ。經亮話

国立国会図書館デジタルコレクション - 羇旅漫録 : 壬戌. 中

他に「骨灰を酒にひたして飲みほした」などの伝承もあるそうですが「喰ひ盡し」の方が凄みがありますね。


以下、余談

さて、そもそもなぜ私がこの山中の色紙に興味を抱いたのかと言いますと、出光美術館の所蔵する手鑑「見ぬ世の友」に「山中切」というのがあるんですよ。時代不同歌合断簡で、おそらくもと枡形冊子本。69番左、是則歌。伝称筆者は源通具

六十九番
 左
をしかふす夏野ゝ草の
みちをなみしけき恋ちに
まとふころかな

これについて複製本解説*3

ところで世に“山中の色紙”と喧伝されているものがある。藤原俊成の『よのなかよみちこそなけれおもひいるやまのおくにもしかぞなくなる』の第四句を“やまのなかにも”と書き誤った色紙で、灰屋紹益が遊女吉野に与えたという逸話や、松平不昧が千両で買った雲州名物の一つとして名高いものである。山中切という名は、同じ色紙形でもあり、こうした故事になぞらえ名付けられたものであろう。

と言っているのですが、山中切と山中の色紙との共通点が色紙形(方形)であることくらいしかないんですよね。そしてもちろん、単に色紙形というのであればそれ以外にいくらでも例はあるわけで、わざわざ山中の色紙をだす必要はない。片や定家、片や通具。片や百人一首、片や時代不同歌合。片や俊成、片や友則。片や装飾料紙、片や素紙。山中の色紙から命名するのは不可解ですよね。

まあ、結果として山中の色紙という面白いものを知れたので、それはそれでいいのですが。

*1:著者不明、序文に萬治庚子(三)四月の年號があり、序文の初に「往年小堀遠州公、平素所達于見聞之名貨自記之、余幸得其寫本」とあるので遠州公の選定したものであることはわかる。まづ徳川幕府のものと。諸侯諸名家のものとの二つに分け、御物分として、掛物、茶入、歌書、花入、茶碗、釜、水指、茶杓、香箱、香爐、聞香爐、盆、臺、硯、壺、天目を列記してある。この書所載のものは皆後にいふ大名物である。( 国立国会図書館デジタルコレクション - 茶碗鑑賞の書 )

*2:「右エ門」に見えますが「左エ門」と読んでおきます

*3:見ぬ世の友 (出光美術館): 1973|書誌詳細|国立国会図書館サーチ