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粘葉装の書写は綴じの前か後か?

橋口侯之介さんの『和本への招待 日本人と書物の歴史 角川選書』第一章「千年前の『源氏物語』を復元する」につぎのような記述があります。

 平安時代、正規の書物は巻物にして保管することが義務づけられていた。まだ印刷物はごくごく一部なので、大半は手書きである。それが書かれた一枚一枚の紙を、糊で継いで巻いていく。*1

紙の普及とともに三、四世紀には巻子が普遍化していったと思われる。文字や絵を料紙に書(描)き、それを糊でつなぎ木製の軸を芯にして巻いていくのが正規の巻子装である。*2

これおかしいですよね。書写してから継いでいるというように読めますが、順序が逆で、巻子装は継いでから書写するものだと思います。もちろん例外はあるでしょうけれども、後者である証拠はいくらでも挙げることができます。

例えば、文字が継目を跨いでいるもの。

罫線が継目でずれていないというのも証拠になるでしょう。明らかに継いでから罫線を引いており、当然その後に文字を書きます。

印刷してから製本する版本に馴染んでいると、写本もその順序、つまり書写してから製本すると考えがちですが、実際には製本が先で書写が後なんですよね。いや、製本というと語弊があるでしょうか。(ある程度の)継ぎや綴じが先で、書写、その後表紙付などの工程を経て書物に仕上げるのでしょう。

写本が製本されてから書写されることに対し、印刷術の発見は、その先後を逆転させて書物を最も大きく変えた。巻物が必ず製本されてから書写されたことは歴史の事実が明らかにしているが、その事実に書物の構造を嗅ぎ取れば、冊子も写本は製本されてから書写されたことになる。製本してから「書く=印刷」ことは不可能であり(「春日版」の巻刷りについては疑問があるとする意見あり)、書物は印刷術の発見によって、初めて「書いて(印刷)」から製本しなければならないことを発見した。

書物の歴史第5章

ここまではっきりと断言していいのかどうか分かりませんが、一般論としてはこれいいのだと思います。

さて、橋口さんはさらに次のように言います。

 粘葉装と列帖装の違いは製本上の違いだけでなく、本づくりの過程にも違いがある。粘葉装はばらばらの紙に文字を書きそれを順番になるようにあとから綴じていくことができる。
 それに対して、列帖装は先に製本してまう。ある程度の計算をしておいて、足りないことがないように、かつ多すぎないように想定して製本をしておく。そこに書いていくのである。*3

列帖装では書写が後だという意見にはまったく異論はありません。問題は粘葉装ですよね。これも先の「書物の歴史」に書かれた原則に従えば、橋口さんの説と異なり書写が後ということになりそうですが、巻子装の場合と違って証拠を挙げるのは難しい。

まず、継目での罫線ついて。粘葉装で罫線を引いているものといえば、元暦校本万葉集東大寺三宝絵詞、今城切古今集が思い浮かびます。残念ながら冊子で残っている東博蔵の元暦校本零本20帖は「元暦校本万葉集 - e国宝」で見れますが、全部糸か何かで綴じられ(大和綴?)改装されていて確認しづらい。東大寺切も零本ありますが、いま手元に影印がないので確認できません。今城切は冊子では残っていません。ただ「C0068427 今城切 - 東京国立博物館 画像検索」が糊痕のところに罫線が引かれていないように見えるというのは、綴じた後に罫線を引いた(つまり書写をした)証拠になりましょうか。東大寺切の零冊における継目をまたぐ罫線と、それぞれの断簡の糊痕の罫線についてはいずれ機会があれば確認したいと思います。

もうひとつ、文字が継目をまたぐケース。冊子本で文字が見開きページをまたぐというのは考えにくいのですが、それっぽいのをひとつ見つけました。

墨付から数えて12丁表1行目16字目の「眷」の右払い。ほんの少しだけですが、右ページにかかっているように見える。というわけで、少なくとも扇面法華経冊子(粘葉装)は綴じた後に書写をしたと言ってよいのではないでしょうか。

*1:Kindle位置No.372

*2:Kindle位置No.386

*3:Kindle位置No.503