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坪井みどり『絵因果経の研究』(山川出版社)

絵因果経の研究 (美の光景)

絵因果経の研究 (美の光景)

坪井みどりさんの『絵因果経の研究』読了。祖本と現存諸本の関係について論じた本で、まとめるとだいたいこんな感じ。

  1. 現存古因果経諸本の祖本は1本であり、7世紀半ばに唐の宮廷周辺で作成されたものであろう。
  2. ただ、この制作は太宗から高宗への代替りを挟んでおり、それが醍醐寺本・上品蓮台寺本・出光本の巻序の早い3巻と益田家十紙本・芸大本の2巻との差にでている。
  3. 制作から時を置かずに副本(ないし模本)が日本にもたらされたのではないか。
  4. 醍醐寺本と蓮台寺本はもと一具で、益田家十紙本も合わせて一具となるように、あまり間をおかず書写された補写本か。
  5. 芸大本と出光本ももと一具だった可能性があり、藤原南家仲麻呂・刷雄父子の制作と推測。

4と5。醍醐寺本と蓮台寺本については、西山厚さんが「両者がもと一具であった可能性も捨てきれない」(p186)*1と仰っているようですが、『角川絵巻物総覧』(NDL Search)に基づくという「絵因果経 - Wikipedia」では「以下の諸本はそれぞれ画風や経文の書風が微妙に異なっており、別々のセットから1巻だけが残ったものと思われる」*2、また「絵因果経 - e国宝」の解説でも「現存の『絵因果経』は各本それぞれ表現に特徴があり、同時期同画師の制作とは考えられない」と5本すべてが別セットと考えるのが一般的でしょうか。5の仲麻呂・刷雄父子の制作という推測については「直接の証左は今のところない」(p179)とご本人が仰っています。

1と2の祖本についての話はなかなか面白かったです。異体字に関する調査に基づく制作年代の推定はわりと説得力があったかと。もともと1本であったという点については、多少の飛躍を感じなくもなかったですが、宮廷周辺での制作だったため、代替わりがあって巻三上(または巻三下)までとそれ以降は制作に時間差が生まれ、それが現存本の異体字の使用状況や画風の違いとして現れているという説明は、きれいにハマっているのではないでしょうか。肯定するにせよ否定するにせよ、なかなか確たる証拠が出てくる話でもないので、扱いは難しいでしょうけれども。

坪井(槙)みどりさんは、検索する限り10年前に書かれたこの本と、それ以前の論文「古因果経の絵画史的位置(「古美術」100号記念研究論文佳作賞)」(NDL Search)しか書かれていないようですね。今どうされているのでしょうか。

以下、気になった所の引用。

異体字に関する調査から「大まかな結論として、醍醐寺本、出光本、蓮台寺本の三巻は七世紀半ば以前に作られた原本群、十紙本、芸大本の二巻はそれより後に成立した原本群から写されたと推定できる。仮に前者を「原本群A」、後者を「原本群B」と呼ぶ」(p41)

「「原本群A」は七世紀前半の終りごろ、全体的に七世紀後半の特徴を示す「原本群B」は(略)遅くとも六七〇年代ごろと考えられる」(p41)

「五巻の書写系統を論じた第三章で推論したように、巻序の早い三巻の中国原本(中国原本群A)が七世紀前半の終りごろ、巻序の遅い二巻の中国原本(中国原本群B)が七世紀の後半の初めごろであり、ひと続きの一具として作られたとすると、両者の画風の違いは、中国の祖本が巻第一前半から巻第四後半へと巻次の順に太宗朝から神宗*3朝にかけて作られていく過程で起こった変化であると推定される」(p116)

「日本の古因果経諸巻は中国の同じ一具に共通の根をもつ転写本である蓋然性が強い」(p116)

「絵因果経全体に基調として流れる高雅で瀟洒な味わいを考慮すると、制作者は広い意味で宮廷関係の画家ではなかったかと思われる。(略)現存の絵因果経から推測される原本の巻ごとの画風の多少の違いは、年代差だけでなく、各巻が別の画家によることに起因する面もあるようで、複数の画家を動員し得る組織立った制作環境を思わせる。宮廷のための制作であったために、六四九年の太宗から高宗への交替が、「中国原本群A」と「中国原本群B」の間の文字使いや画風の違いを助長する時間的ギャップをもたらしたのかもしれない」(p117)

玄奘が帰国した六四五年か太宗の高句麗遠征の翌年で、また『大唐西域記』が七月に完成した貞観二十年(六四六)ごろに太宗の意思により着手したと推定したい」(p125)

経録には、絵因果経を示唆する八巻本の因果経は見えない。「普通の経典とは別の扱いで宮廷にのみ秘蔵されていたか、それらの目録が編纂された時点で既になくなっていたかであると想像される。この事実と、日本の絵因果経の拠った中国原本が七世紀半ばより遅い時期の字体の用法の影響を受けていない状況が、日本へもたらされた拠本は玄奘の指導で作られた原本の、ほとんど同時作の副本で、制作から時を経ず舶載されたのであろうことを示唆する」(p127)

「筆者は、白雉五年(六五四)帰朝の第二次遣唐使船によってもたらされた「文書・宝物」の中に絵因果経の副本ないし模本が含まれていた可能性が大きいと考える。(略)ただし、原本群Aと原本群Bの異体字の使用状況や絵のモチーフの扱いが截然と異なり、原本群Bが七世紀後半の初めごろの異体字の傾向をはっきりと見せているから、原本群Aの副本ないし模本が第二次遣唐使の滞在中に原本に忠実な形で作られて舶載され、続いて制作された原本群Bの副本ないし模本が白雉五年に日本を発ち、斉明天皇元年(六五五)に帰国した第三次遣唐使によって将来されたこともあり得る。」(p129)

米田雄介「氏は、玄奘のもとで漢訳された経巻そのもの、あるいは、ほぼ同時にそれを弟子が写したものが、訳経直後に日本にもたらされて、いわゆる聖語蔵の唐経の中に現存すると、実証的に指摘され、おそらく道昭が持ち帰ったのであろうと言われる。このように漢訳されたばかりの貴重な、しかも玄奘の周辺で作られた経巻がすぐに日本にもたらされたとすると、同時期に作られた絵因果経の中国側による副本がただちに日本に舶載されたとしても不思議はないであろう。」(p129)

「芸大本と出光本には、中国原本のなごりをとどめると思われる古い要素と奈良時代も末に近づく制作から来る新しい要素が共存する点に特徴がある。しかし、出光本では、単にそれらを共存させているだけでなく、いわば、クラシックをジャズに編曲するような、自由な融合をさせているところが独特であり、奈良末期の新しい生気を感じさせる」(p147)

醍醐寺本は、ある点で中国の原本に存したであろう画風をかなりよく伝えていると思われる。醍醐寺本とほぼ同時期に写されたとみられる蓮台寺本は、より古様な中国原本の画風にのっとりながら、透明感のある色料をさらに自由に使って風景表現に厚みを増すなど、拠本の臨写時に画家自身の自然観照を加えているようである。十紙本は簡素な構図を基調としながら、上記二巻と同様の丁寧な描法を用いており、制作年代が近いことを暗示する。これに対し、芸大本と出光本には、色面の扱いや描線などに古拙な要素を伝えながらダイナミックで新しい表現の萌芽が見出され、特に出光本には醍醐寺本には見られない進んだ自然景や動物の描出があり、制作年代が遅れることを思わせる。特に興味深いのは、このような日本での書写年代の差からくる違いの背後に中国での制作年代のわずかな差に起因すると思われる原本群における様式的発展のあとが、かなり明瞭に読み取られることである」(p169)

※原本の製作年代の差と日本での書写年代の差を表にしてみました。

奈良時代中期 奈良時代後期
原本群A 醍醐寺本、蓮台寺 出光本
原本群B 十紙本 芸大本

「前章で古因果経の制作に関わる諸問題を多角的に吟味することにより、各巻の書写年代などが次第に具体性を帯びてきた。すなわち、醍醐寺本と蓮台寺本は図書寮に以前から存した絵因果経をもとに図書寮経が造東大寺司に移管された七五四年より前に制作され、芸大本と出光本は奈良時代後期に藤原南家が関係して書写制作された可能性が高い」(p186)

「まず、蓮台寺本、醍醐寺本、十紙本については、この三巻にのみ見られる校合が有力な手がかりとなる。すなわち、訂正すべき漢字の左側に「ト」の字、右側に校本の当該文字を朱で書き入れる方法が三巻に共通している。注目すべきことは各巻の校合の書風が同一の手になるとみられることである。(略)そして同じ書き入れ方法でしかも同筆の手になる校合が行われていることを考えれば、その校合時にこの三巻が一具であったことは容易に推定される。」(p187)

蓮台寺本、醍醐寺本、十紙本がかなり早い時期に一具であったことが推論される。このうち、「薬師寺印」と思われる円印二顆の残る醍醐寺本と蓮台寺本は、第六章第七節で述べたように、共に、図書寮か、薬師寺にあった内裏系写経所で作られた可能性が高い。両巻は書風、画風からみても天平期という制作年代が想定され、巻ごとに手の違いはあっても、もと一具として作られたものと考えて大過ないであろう」(p187)

「これら三巻に使われた紙の紙幅や、一行の行数が二十七字で一致する点を考慮すれば、十紙本は醍醐寺本、蓮台寺本と合わせて一具となるように、あまり間をおかず書写されたものと考えられないであろうか。何らかの理由で補作されたのかもしれない」(p188)

「興福伝法」の印は興福寺伝法院の「創建の推定される弘仁年間から伝法院が焼亡したという永承四年(一〇四九)に至る、二世紀余りのうちに過ぎない」(p194)

*1:奈良国立博物館『大和の古代美術 渡来文化需要のかたち』展図録、1988年

*2:『角川絵巻物総覧』の「過去現在因果経」項の執筆は有賀祥隆さん

*3:ママ。高宗