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鈍翁を擁護する

根津美術館で開催中の展覧会「名画を切り、名器を継ぐ」展に関連して、益田鈍翁やその周辺について批判的な意見を書かれている方がいました。


遊行七恵の日々是遊行 名画を切り、名器を継ぐ

文化財の改変については慎重であるべきであり、なるべく現状を維持すべきこと、ましてわざわざ破壊するなど言語道断であるという意見はまったくもって同意します。そして、その価値観をもってすれば鈍翁たちの行為というのは「傲慢さと、ある種のグロテスクさ」を感じるものであるというのもわかります。しかし、考えなければいけないのは、その価値観が普遍的なものであったのかということです。文化財はなるべく改変すべきではない、そんなのは当たり前の話じゃないかと思われるかもしれませんが、しかし、現代ほどこの規範意識が強まった時期はないのです。展覧会に出品されていた数多くの作品のように、過去には様々な文化財に手が加えられていました。考え方・価値観というのは時代によって変わります。

江戸時代の文化財改変について、手鑑を例に見てみましょう。リンク先のブログでは、このようにおっしゃっています。

手鑑などのように世に散逸しそうなものを集めて一つにする、というのは名画カットとは違うように思う。とはいえ、それも元から剥がすという行為が入れば別だが。

この方は手鑑について誤解をされているように思えます。手鑑というのは「世に散逸しそうなものを集めて一つにする」というもようなものではありません。もちろん、中にはそのようなものも存在するでしょう。しかし、現存する代表的な手鑑は異なります。手鑑は、ある程度決まった配列が存在して、それを実現するために方方から断簡を集めて作るものなのです。表は冒頭に聖武天皇の「大聖武」と光明皇后の「蝶鳥下絵経切」を並べ、裏は聖徳太子の「戸隠切」から。さらに、さまざまな歌人・名筆、公卿、御子左家、世尊寺家、僧、武家などの各人をある程度揃えなければ格好がつかないとなれば、そのために数多くの巻物や冊子本が切断されただろうということは容易に想像がつきます。手鑑という存在自体が、いかに江戸時代の人が文化財に対して(現代から見れば)メチャクチャなことをしていたかの見本市みたいなものです。

それだけではなくて、手鑑に貼るために酷い改変を行っているのもあります。たとえば、手鑑「藻塩草」の「多武峰切」(妙法蓮華経巻第三断簡 多武峰切 (手鑑「藻塩草」のうち) - e国宝)。1句4字の偈文が1行3句づつ書かれていますが、1段目と2段目の間に切断痕が見えます。実はこれもと1行4句だったものを、2段目をカットすることで1行3句にしているんですよね。法華経のテキストを参照すれば、この部分が飛んでいることがわかります。なぜこんなことをしたのか? ヒントはその寸法にあります。カット後の縦寸が33.5cm、「藻塩草」自体の縦寸は40.0cm。手鑑に貼るために縦寸を調整したのでしょう。また、現在根津美術館で展示されている手鑑「翰墨城」に貼られた「源家長 和歌懐紙断簡」も、手鑑に貼るために横幅を調整しています。和歌懐紙の前半分の断簡ですが、台紙に収まらないので1行目にあったはずの「詠二首和歌」が切り取られています。その部分はもちろん行方不明。1紙をそのまま掛幅などにしていれば完存したかもしれないのに、手鑑に貼ることになったせいで、まず半分にし、さらに1行カットしで、部分的にしか残らなかったわけです。

鈍翁など近代数寄者による文化財の改変は、現代から見れば金に飽かした傲岸不遜と捉えることもできましょう。しかし、あれはむしろ前近代における文化財への処し方を継承する伝統的な態度だと捉えるべきなのではないでしょうか。悪く言えば、あの行為は維新後にも残った前近代性のひとつであって、文化財保護については、戦前からの努力が実を結び、ここ数十年でやっと近代化を果たしたと考えた方がいいかと思います。近代人であり、切断の記録や逸話がのこる鈍翁は標的になりやすいでしょうが、現代とではなく、前近代の改変と同列に扱った上で評価を定めるべきでしょう。もちろん、現状維持を基本とする現代の文化財保護に関する考え方というのが正しいと思います。平然と改変が行われていた過去に戻るべきではない。しかし、だからといって、その現代の価値観で過去を断罪するというのは、やはり慎重であるべきだと思います。

そういった意味で、私は鈍翁なんかとは比べものにならないくらいはるかに修学院切に関してブチ切れてますよ。