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「名画を切り、名器を継ぐ」展@根津美術館

根津美術館で開催中の「名画を切り、名器を継ぐ」展に行って参りました。こまかく6期にわかれた展覧会ですが、大きく前期・後期の2期で、時期を選んで2回行けば全部見られる親切な構成。もちろん2回足を運んですべて拝見致しました。テーマも出品作品もかなりツボの展覧会で、満喫したので、書跡を中心に記録を残しておきたいと思います。なお展示期間については面倒なのでいちいち注しません。いま展示されているか否かは、美術館の「出品目録」をご覧ください。


2 瀟湘八景図 洞庭秋月 伝 牧谿
これは絵も素晴らしいものなのですが、表具も注目です。国宝修理装潢師連盟刊の『装潢史』*1には総金襴表具の一幅物の最高峰と書かれています。たしかに凄まじい。ご本紙も合せて、眼福でした。

10 古筆手鑑「翰墨城」
「翰墨城」の概要についてはこちらをご覧ください。展示は裏で、「155 伝聖徳太子 戸隠切」から「213 伝藤原伊経 難波切」まででした。

まず一つ指摘を。会場では「断簡通称・筆者(伝称筆者)・出典」を書いたカードを添えて展示していたのですが、そのうち「183 伝藤原公任 糟色紙」に添えたカードには「糟色紙 藤原定信筆 (順集)」とありました。定信筆と推定される順集の断簡で「糟色紙」と言えば、西本願寺本から切り取られたものですが、しかしこの「翰墨城」の「糟色紙」は、それとは別の物です。後拾遺集の抄出本と推定されるもので、筆跡も異なります。おそらく「糟色紙」の名称から誤解されたのではないかと思います。

さて全59葉の展示。いちいち語っているとキリがないので、2点だけ。「178 伝藤原行成 唐紙経切」は、今回の展示では無視されていて前述のカードがなかったものですが、出典は「法華文句」で、おそらく「C0010523 唐紙経切 - 東京国立博物館 画像検索」の連れだと思います。現地で確認しましたが、筆跡が似ていたので、間違いないかと。「213 伝藤原伊経 難波切」は「元暦校本万葉集 巻第十四(古河本) - e国宝」から別れたものですが、それはともかく、横幅がより大きな断簡を剥がした痕がありました。気になります。

11 古写経手鑑「染紙帖」
http://home.att.ne.jp/grape/koten/somegami1.htm」に「染紙帖」の収録断簡リストがあります。展示は前期が「13 伝菅原道真 讃岐切」から「32 伝万理小路藤房 山田切」まで(だったと思う)。後期は「1 伝聖武天皇聖武」から「10 空海 金剛般若経開題断簡」まで。

やっぱり「大聖武」はいいなあ。「阿弥陀院切」は「注大般涅槃経断簡(阿弥陀院切) - e国宝」の連れでしょうか。この特徴的な字が似ています。「飯室切」は大字の方。「絵因果経断簡」は絵よりも字が見どころ。細めの筆線で少し偏平なこの字、かなりいいですよね。鑑識眼に自信はありませんが、奈良写経の中でも優品ではなかろうかと。気になるので翻刻しておきます。

出家者亦願隨從於
是那提迦葉伽耶
葉各與二百五十弟
子至於佛所頭面禮
足而白佛言世尊唯

「過去現在因果経 巻第四」(T0189_.03.0650a14-16)です。「金剛般若経開題断簡」は別のより大きな断簡も展示されていました(15)。また「翰墨城」にも押されています(展示なし)。

前期でよかったのが「讃岐切」。細字の「合部金光明経」(たぶん)の断簡で、「合部金光明経巻第八断簡(讃岐切) - e国宝」の連れだと思いますが、この「藻塩草」の方はグッと来ないんですよね。本物と画像の違いでしょうか。「目無経断簡」は「金光明経巻 第四」で「金光明経残巻 (目無経) - e国宝」から出たものです。途中継目で罫線がズレているところがありますが、この部分で大量に失われています。この断簡は、その失われたものの一部。26の「唐紙経切」が今になって気になっているのですが、メモも取らず記憶にもないので困りました。ひょっとしたら上で挙げた法華文句の「唐紙経切」の連れなのかもと思ったのですが。まあ五島美術館が所蔵するものなので、また見る機会もあるでしょう。

12 色紙金光明最勝王経断簡
13 色紙金光明最勝王経断簡

連れの2葉で、また染紙帖にも1葉。さらに図録解説には「東京国立博物館所蔵の断簡一幅(縹七行)」を挙げていますが、おそらく「C0010092 藍紙金光明最勝王経断簡 - 東京国立博物館 画像検索」のことだと思います。とすると「C0097443 藍紙金光明最勝王経断簡 - 東京国立博物館 画像検索」や「C0094408 藍紙金光明最勝王経断簡 - 東京国立博物館 画像検索」も連れかもしれません。名筆。

14 崔子玉座右銘 断簡 空海
15 金剛般若経開題断簡 空海

ともに空海真筆だそうです。「金剛般若経開題断簡」の方は、同時代の写経を裏返しにした呼継ぎが面白い。「崔子玉座右銘」は1行2字の大字で圧倒されます。4行目と5行目の間に38字の欠字とのこと。つまり切りとっているわけですが、紙継ぎが判然としないんですよね。丁寧な仕事です。狩野探幽旧蔵品で探幽が表装したかとのこと。更に鈍翁が手に入れ大師茶会のきっかけとなった作品。

余談ですが、この秋、東京では色々なところで空海が展示されていましたね。東博の国宝室では「風信帖」、松濤美術館醍醐寺展では「大日経開題」、サントリー美術館高野山展では「聾瞽指帰」、そして根津美術館の「崔子玉座右銘断簡」と「金剛般若経開題断簡」。示し合わせたかのように豪華に揃ったこの展示、堪能させていただきました。なかで一つ挙げるとすれば「崔子玉座右銘」かなあ。

16 三体白氏詩巻 小野道風
これはやはり最後の「夢行簡」がいいなあと思います。とくに笠嶋忠幸さんが『日本美術における「書」の造形史』(笠間書院)で触れられていた「緑無」の連綿。自然な連綿ではなく、造形的意識があったのではないかと指摘されていた所ですが、本物をじっくり鑑賞させていただきました。

19 蓬莱切 伝藤原行成
20 蓬莱切 伝藤原行成

飛雲や羅文と異なり、打曇は鎌倉時代以降も残り現代まで伝わる装飾技法ですが、鎌倉以降のものと平安時代のものはすこし違いがあるようです。で、やはり平安時代のものがよく、この「蓬莱切」は平安打曇紙の代表的遺品の一つ。現物見ると、やはり惚れ惚れします。筆跡は高野切第三種。ちょっと固いというか動きがないというか、そんな印象を持ちました。図録解説には「貴族の子女の手習いの始めの手本として書かれた可能性が指摘されている」とのこと。

23 石山切 伊勢集 伝藤原公任
24 石山切 伊勢集 伝藤原公任
25 石山切 伊勢集 伝藤原公任
26 石山切 伊勢集 伝藤原公任
27 石山切 伊勢集 伝藤原公任
28 石山切 貫之集下 藤原定信筆
29 石山切 貫之集下 藤原定信筆

いやあ、いいもの見せていただきました。これだけずらりと「石山切」を並べていただけるのはありがたい。すべて継紙で、26と27は重継ぎ。またその2つと29では羅文紙を用いていますし、28の銀泥下絵の輝くばかりの状態の良さ。

今回の展覧会のテーマは切継ぎなどの文化財の改変ですが、この改変については否定的な意見も多いでしょうし、私自身ももちろん文化財の変更は極力避けるべきだと思っています。しかし、切ったからこそこうして並べて鑑賞できるというのも一面真理なわけでして。例えば24と25はもともと表裏だったものなので、同時に目にすることは不可能でした。切断の効用です。

あと最近「王朝美の精華・石山切 : かなと料紙の競演 : 徳川美術館新館開館二十周年記念秋季特別展 (徳川美術館): 2007|書誌詳細|国立国会図書館サーチ」を購入して、じっくり鑑賞しているのですが、定信いいですね。展覧会場だと距離があって筆跡の良し悪しはわかりにくいこともあるのですが、図版でじっくり読んでみると、定信たまらんなと。最近やっと魅力がわかってきました。

32 安宅切・詩書切 伝藤原行成筆・藤原定信筆
E0041388 安宅切・詩書切 - 東京国立博物館 画像検索」です。図版解説に書いていませんでしたが、「詩書切」は「翰墨城」の「182 伝藤原公任 詩書切」の連れではないでしょうか。同時期に展示してたら比べられたんですけどね。

この2葉を合わせて表装したのは、江戸末期の絵師・冷泉為恭とのこと。この名前は古筆の世界ではたまに聞きます。例えば「手鑑「月台」 法輪寺切 - e国宝」の月花の絵は為恭のものです。この断簡は為恭の旧蔵品で、呼継の紙を自ら描いたのでしょうか。また伝公任の「葦手歌切」の1葉。「葦手 - 三上のブログ」に画像あります。白黒の画像なのでわかりにくいと思いますが、殿舎・楼台・樹木・人物が描かれています。為恭による後書きだそうで。

33 大色紙 伝藤原公任
「34 中色紙」や「35 小色紙」の連れですが、これだけやたらに状態がいいんですよね。しかもなかでは一番大きいもの。更に、古今集の賀歌3首

我君は千よにましませさゝれいしのいはほとなりてこけのむすまて
かくしつゝとにもかくにもなすらへて君かや千よにあふよしもかな
千はやふる神やきりけむつくからに千とせのさかもこえぬへらなり

が書かれたものですが、宮内庁三の丸尚蔵館蔵と、まさにあるべき所にあるといった点も素晴らしい。

48 白描絵入源氏物語残巻 浮舟・蜻蛉
49 白描絵入源氏物語残簡 浮舟
50 白描絵入源氏物語断簡 早蕨
51 白描絵入源氏物語断簡 早蕨

もともと粘葉装の白描絵入冊子本。13世紀後半というと、源氏物語の伝本ではかなり古いものですよね。しかも挿絵入りの冊子本。絵巻に似ていますが、より個人で楽しむという側面が強い形態でしょう。挿絵入りの冊子本で、これより古いものは現存しているのでしょうか。気になります。

52 佐竹本三十六歌仙斎宮女御
53 佐竹本三十六歌仙小大君
54 佐竹本三十六歌仙大中臣頼基
55 佐竹本三十六歌仙小野小町
56 上畳本三十六歌仙藤原兼輔
57 上畳本三十六歌仙小大君
58 上畳本三十六歌仙紀貫之
59 上畳本三十六歌仙源重之

前期に女性、後期に男性を展示していたのですが、あまりの落差に愕然としました。もちろん女性のほうが華やかで見ごたえがあったわけです。全然違いますよね。

なおテーマが切継ぎということなので、上畳本貫之の詞書と絵の間にある痕跡についての解説があるかと思っていたのですが、会場のキャプションや図録解説ではその点に触れていなかったですね。あの痕跡についての藤本孝一さんの説*2はしっくりこないので、他説も見てみたいなあと思っているのですが。

97 信楽壺 銘破全
初代根津嘉一郎(号青山)翁蔵品で、少しだけ欠いて置くように指示したら、粉砕されてしまい意気消沈、しかし益田鈍翁や野崎幻庵がその振る舞いを賞賛したので機嫌を直したという話がある壺だそうです。修復された現物に破壊された状態のカラー写真が添えられていてちょっと混乱したのですが、図録解説には「近年修復された」とのこと。ずっと破壊された状態のまま保管していたようですね。なお解説ではつづけて「しかし、この姿をみた初代根津青山は、どのような感想をもつだろうか」と書いていて、じゃあなんで修復したんだろうと疑問に思ったり。

落葉色紙
これは特別展に出品されていたものではなく、同時開催の館蔵品展示で展示室6に掛けられているものです。「寺落葉」の題と歌1首が書かれた和歌懐紙の断簡(後半分)です。題から、建仁元年(1201)10月19日に「渓山風・寺落葉」の題で熊野那智社で開かれた歌会の懐紙(即ち「熊野懐紙」)の断簡だと推定されています。この時の熊野御幸は定家が随行した時のもので、「熊野御幸記」に歌会のことが記されており、また定家の懐紙の模写が残っています。また「落葉切 - 書跡 : 所蔵品一覧 | 香雪美術館」はその時の後鳥羽院の懐紙の断簡であるそうです。しかし、残念ながら根津の「落葉色紙」は懐紙の後半分であり署名はなく、また前半分が失われていることなどから、筆者すなわち詠者は不明です。

素紙に墨書、筆跡も華麗とは言いがたいもので、多くの人には印象に残らない品だと思います。そしてまた、断簡であり、作者・筆者不明であるとなると、数々の名宝を持つ根津美術館の所蔵品の中では、それほど高い価値があるものでもありません。しかし、この作品、根津美術館にとっては重要な作品なんですよね。というのも、根津美術館は初代根津嘉一郎翁の収集品を展示するためにつくられた美術館なのですが、その嘉一郎翁がこの「落葉色紙」を好んだんだそうですね。1918年11月に自邸で初めて催した茶会で掛けたとのこと。また初代の遺志を継いで美術館を創設した二代目嘉一郎翁の好みでもあったようで、世間の価値基準に関わらず、美術館にとっては大切な作品なわけです。そして実際大事にされているようです。様々な「愛蔵のかたち」を見せる特別展にあわせて、美術館のひとつの「愛蔵のかたち」を見せるという展示構成、どこまで意図的かはわかりませんが、この演出はよかったです。

*1:一般社団法人 国宝修理装潢師連盟|刊行物『装潢史』の頒布について

*2:絵巻物はもともと詞書と絵が別々の巻に書かれたもので、江戸初期頃に現在の形態に改装されたという説を唱えてらっしゃって、その根拠の一つにこの上畳本貫之を挙げています。『日本の美術 no.505 文書・写本の作り方』(至文堂)。