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雑記2

高野切巻五断簡

高野切本の現存する巻は巻一、二、三、五、八、九、十八、十九、二十で、残りの巻は失われたものと思われる。このうち、巻五(個人蔵)、巻八(山口・毛利博物館蔵)、巻二十(高知県蔵)の3巻のみが巻物として完存し(3巻とも国宝)、巻一、二、三、九、十八、十九は断簡として各所に分蔵されている。

高野切 - Wikipedia

高野切の現存部分に関する記述ですが、巻五の断簡について書き落としていますね。

高野切の巻五は、古今集巻五に存する歌をすべて載せる国宝完本(ただし流布本と1首異なり、排列も違う所がある)の他に、歌1首づつが書かれた断簡2葉が別に伝存しています。その2首は270番歌と298番歌で、多少の異同はありつつも完本にも含まれています。前者は手鑑「世々の友」(林原美術館蔵)に後者は手鑑「毫戦」(東博蔵)に貼られており、ともに高野切第二種[伝紀貫之] (日本名筆選 3)および古筆学大成 (第1巻)に画像が掲載されています。

なぜこんな断簡が現存するのか。一番単純な解答はどちらかが贋作であるというものでしょう。まさか国宝指定されている完本が偽物であるはずもなく、ならば断簡がということになるでしょうが、しかし困ったことに(?)この断簡も本物だと認められているんですよね。実物を見た専門家が口を揃えて本物だと言っています。贋作が珍しくもない古筆、しかも状況が状況だけに慎重な鑑定がされたはずで、にも関わらず本物だと言われているのであれば、やはりそうなのでしょう。

断簡を国宝完本と比べるとテキストに違いが認められます。断簡は270番歌では詞書で「いへの」を脱しており、289番歌でも詞書が異なるほか、第1句で誤写、さらに第5句も本断簡のみの独自本文です。両者を比較できるように、翻刻しました。

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さて、その上で、この断簡はいったい何なのかという話になるんですが、可能性として複本と切り出しの2つが考えられます。

複本説というのは、つまり高野切の巻五は2本(以上)作られて、そのうち1本が完本として残り、1本(またはそれ以上)が切断され断簡が残ったという説です。たとえば石井久雄さんは「古今和歌集元永本の周辺における漢字」(PDF)のなかで次のように言っています。

さて,第二種第 5 巻については,この一軸のほかに,270 番歌・298 番歌がそれぞれ断簡で伝わっていることが,問題である。すなわち,一軸のほうで当の和歌の部分に切り継ぎがあるわけではなく,したがって,断簡のほうは,この一軸から切り出されたものでなく,別に存在したものであることになる。

また小島孝之さんは「模写・記録・贋作 : 古筆切研究の悩ましさ」(成城大学リポジトリ)で、世々の友断簡の方のみを取り上げ次のように言います。

一部の字母に相違があり、かつ詞書に三字分の脱落があるから、その部分を切り出して書き直したというのが最も考えやすい理由だが、完本の方に、その部分を切り出したような切断の痕跡がないということだから、やはり初めから別にもう一巻同じ巻の写本があったと考えざるをえない。

と、複本説をとる方は切断痕・切り継ぎが存在しないことを根拠にしています。

一方、切り出し説は、誤写や重複書写を理由に現存完本から切り出されたものだとする説です。切られた時期は不明ですが、書写時に誤写を切り取ったのだとすれば、その断簡が千年残ったことになるので考えにくいでしょうか。毫戦の極札は古筆家6代了音(1674-1735)なので、298番歌の方はその頃切り出されたものなのかもしれません。

この巻五断簡が完本から切り出されたものだとすれば、完本には切断痕が残っているはずですし、切り取られた前後の紙は横幅が他と異なっているでしょう。上記の複本説をとる方たちはその切断痕がないと言っているわけですが、しかし切り出し説をとる飯島春敬さんや小松茂美さんは切断痕があると言っているんですね。世々の友断簡については。

飯島さんは「伝紀貫之筆 高野切の研究」(『飯島春敬全集第四巻平安二』所収)で、268番歌と269番歌の間に「継手が入っている」こと、それを含む料紙が寸足らずで断簡を加えると平均寸法と一致することを指摘しています。しかし、毫戦所収断簡の方については根拠は提示されず、まとめて「いずれも重出歌を切りとったものと思われる」と結論づけています。

また小松さんは古筆学大成の解説で、(前者は世々の友断簡、後者は毫戦断簡)「前者は、複製本や図版によって見ると、たしかに不自然な切断痕があらわにみられる。が、後者は、歌順序を著しく錯乱してはいるものの、その前後に切断箇所を思わせるものが見当たらない」と言いながらも、両者とも重複書写の切り出しと認め、以前抱いていた複本説(二部説)は捨てているようです。

さてどっちが正しいのでしょうか。名筆選の図版はきれいな原寸カラー画像で継目まで見えるので、それを眺めながらいろいろ考えております。しかし、もし切り出しが正しかったとしたら、たかだか古今集巻五の1巻を書写するのに、すくなくとも2首重複書写したってことになるところが気になる点です。ミスは誰にでもあることですが、さすがに異常な感じがしますよね。一方複本説も、なぜ複数書かれたのかとか、他の巻についてはどうなのかなどと疑問がわきます。いずれにせよ不思議なんですよね。

伝西行の文字の傾き

図15は天理図書館蔵『源氏物語』「竹河」の二十八丁表である(略)。文字の中心線が左に傾斜する、珍しい書き癖を示している。そうしたことともおそらくかかわって、(実際はそうではないと思われるが)西行の書いたものといい伝えられてきている。

今野真二さんの『日本語の考古学 (岩波新書)』77ページからの引用なんですが、ちょっと変なんですよね。

まず「文字の中心線が左に傾斜する」と書いてますが、図を見るとほぼ真っすぐ、どちらかと言えばわずかに右傾しているように見えます。図と記述が一致していないように思えます。

第2に「文字の中心線が左に傾斜する、珍しい書き癖」といいますが、右手で文字を書くばあい右傾より左傾する方が多いと思います。横画は水平より右あがりに書きがちですし、縦画は垂直より右に流れるほうが体の構造上自然なので。

第3に、いわゆる伝西行は掲出図版と逆で左傾しているのが多いんですよね。

またこの本の108ページに出光美術館が所蔵する伝西行の中務集の図版が掲載されていますが、これも左傾してますよね。

もちろんすべての伝西行が左傾しているわけではありません。まっすぐのもあるし、右傾しているのもあります。しかし、わずかに右傾している図を掲載した上で、その傾きゆえに「西行の書いたものといい伝えられてきている」というのは、なんか変だなあと思いました。

和歌の2行書き

もう1点、この本で疑問に思うところがあります。

106ページから110ページまで「和歌の二行書き」という項で、高野切巻五完本を取り上げつつ、和歌の2行書きについています。

本題に入る前に、和歌の2行書きを次の3形式に分類します。この分類は吉田紀恵子さんの「藤原定家『下官集』に関する一考察 ―かな書道作家の視点で―」(PDF)によるもので、今野さんの本に後出する分類とは関係無いものなのでご注意ください。

A:二行書き、第一行(5・7・5)、第二行(7・7)
B:二行書き、一行目第三句末の一文字或は二文字以上が二行目行頭に送られている
C:二行書き、一行目行末に、二行目第四句の始めの一文字或は二文字以上が書かれている

以前にも書いた通り、平安末期を過渡期として後世には和歌の2行書きはA形式でほぼ統一されることになりますが、平安時代には形式は統一されていません。写本によって様々で、Bを欠くもの、Cを欠くもの、ABCすべて見られるものと色々あります。その中ではやはりA形式が多く、またA形式にするために行末が詰まっている行を有する写本など意識的なものを感じるものもあるものの、基本的には成り行きで、つまり内容は関係なく下辺に達したら改行していたように思えます。

しかし、今野さんはこの本の中で、C形式で書写する筆者の意図を読み取っています。高野切巻五完本のうち292から294番歌の部分の図を掲出し、また巻五にはC形式で書かれた歌が他にも多いことを指摘した上で、次のように言います。

 それは、「上の句+一字」「上の句+二字」「上の句+三字」といった書き方は、連続性を重視した書き方ではないかということである。
(略)
 上の句に一字または二字、三字続けて書くことによって、まだ続くということを示すことができる。これはむしろ、本章の最初でみた『土左日記』自筆本の「行の感覚」に通じているようにみえる。このような書き方においては、「切れている」ことよりも「つながっている」ことの表示が重視されているのではないだろうか。つまり「上の句+一~三字」という書き方は、かつて作り物語や歌物語でとられていた、和歌の部分を区別することなく、むしろ韻文と散文とが融合して一つの文学作品を造るということを支えるような和歌の書き方を受け継ぐものではないかと考える。

この意見については私はまったく納得ができません。歌集に書かれた和歌について「まだ続くということを示す」必要性がさっぱり理解できないからです。我々現代人でも写本を見れば歌の単位は一目瞭然ですし、しかも読者として想定される平安貴族は我々より和歌にも書にも通じていたでしょうから。また「まだ続くということを示す」のが最も必要なのは三句切の歌でしょうが、高野切巻五で言えば三句切でA形式に書いているものがいくつも見つかります。この点も、今野さんの説の難点だと思います。

さらに、A形式については「上の句・下の句という「和歌における単位」の側に「書く単位」を合わせたものと見ることができ」るとし、B形式についてははっきりとは触れていませんが「一行目と二行目との文字数を揃えようという「発想」」と見ているようです。前者は同意しますが、後者は疑問です。

ただ、むしろ注目すべきは、平安時代に書かれた歌集の写本はABCの3形式また3行書きや散らしなどを含めいくつかの形式がほとんど無秩序に使われているように見えるというところにあります。前出の吉田紀恵子さんの論文では、いくつかの写本について書写形式の分類をしていますが、すべての写本がいろいろな形式を含んでいることが読み取れます。またそれに限らず、平安時代の歌集写本はほとんどが複数の形式で書いています。見ていただければわかると思いますが、それぞれの形式は規則性無くランダムで現れています。唯一はっきりと根拠を言えるのは巻末のちらし書きで、余白を残さないようにするためです。才葉抄にその件について触れられているので、これは意識的に行っていると断定していいでしょう。また先にも書きましたがA形式にするために行末がきつい行を有する写本もあります。たとえば、「萬葉集巻第九残巻(藍紙本) - e国宝」とか。ただこれもA形式で統一していないところが平安写本という感じですよね。

というわけで、平安時代に写された歌集の書式について、それぞれの形式がどのような根拠に基づいて選択されたのかについて考えるのはあまり意味があることとは思えません。むしろ以前触れた、A形式で統一されて行く過程の方が面白いんじゃないかなあと思っております。

現代の字の捉え方

 また、活字によって自分なりの字形美をイメージしている人は、古典のようなすっきりとした書き方はせず、活字の特性に似た文字を書くにちがいない。その人の文字は、「活字っぽい」と表現されることだろう。それも、手書き文字のひとつのスタイルであり、現代では書のひとつとしてみるべきであろう。ふとしたことで、さまざまな機会に活字っぽい書を探せば、それは明治時代以降の小説家や詩人、芸術家、そして漫画家などの文字に多いことに気づくはずである。それが近代書の鑑賞のひとつといってもよいのではなかろうか。それらは、活字を使う環境のなかで生まれたものであり、字形美の基準が歴史上のほかの遺墨とかなり異なるとしても、文字として否定するものではない。今後生まれてくる書も含めて、歴史にのこりそうな美意識をもつ文字として多くの人の賛成が得られればよいのである。

名児耶明さんの『書の見方―日本の美と心を読む (角川選書 419)』の一節ですが、いい文章ですよね。

私は下降史観が大っ嫌いなんですよ。昔はよかった、今はダメだという考えが。もちろん先人は尊ぶべきでしょう。古いものは大事に後世に残していくべきだと思います。しかし、過去を尊重するからといって、現在を否定する必要はないわけですよ。過去も現在もそれぞれに尊重すればいいだけの話であって、現代人は堕落しているなどと歎くのは未来がなく過去に生きるジジイの戯言、人を不快にさせるだけですよね。

書に関連する本を読んでいると、時折こういった不快な発言に出会います。歴史と伝統がありながら、近現代に入り激変をうけた世界であるため、不満を持つのは分からなくはありません。しかし、活字が~、横書きが~、ワープロが~、みたいな話を繰り返されるとイラッとしちゃうんですよ。とはいえ、字は下手だし、歴史から切り離されているし、そもそも過去の文章は読むことすらまともにできないしなどと、不快ながらも納得してしまいそうになったりもしたわけです。

そういった中で、この名児耶さんの文章に出会い惹かれました。活字の影響を受けた現代の字にも字形美を認め肯定的に捉えた上で、「今後生まれてくる書も含めて」と未来の書まで視野に入れて歴史化・客観化しています。初めて読んだ時、束縛から放たれふわっと空に舞うような感覚がしたんですよね。視野の広さというか、懐の深さというか、こういうの好きだなあと。

どちらが正しいかとかそういう話ではなくて、正誤に関わらず、こういう考えを持っていたいなと思いました。