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雑記1

削除・切断

古今和歌集第一断簡〈(高野切)/(さくらのはな)〉 文化遺産オンライン

石橋美術館の所蔵する高野切(古今集断簡)ですが、この断簡は両端1行づつ削除しているんですよね。文字を削りとっている。本断簡は巻一の62番歌から66番歌が写された箇所で、おそらく右端は61番歌の下句にあたる部分、左端は67番歌の詞書の1行目を削りとったと思われる痕跡がわずかに残っています。切断して掛幅にする時に両端に余白を持たせるために、1行ずつ余分に切り取った上で文字を削りとって余白としたものだそうですが、結果として半端になった61番歌や67番歌の残りの部分もダメにしてしまっていることも考えあわせて、もったいないことをするなあという感じです。

http://library.tsurumi-u.ac.jp/library/kotenseki/kz014.gif

つづいて鶴見大学が所蔵する藤原教長筆の今城切(古今集断簡)。この左側の空白も解説によれば次歌の詞書を削ったものだとのことです。高野切と違ってこちらはもともと冊子本だったので、切断する箇所を工夫して内容の切りがいいところで切るということができません。そこで、内容上半端な部分を削りとって体裁を整えるわけですが、不自然な空白が目立ってしまい却って変になっている気がします。見た目よりも、読んだ時の内容のまとまりのよさを優先させるという意識のあらわれでしょうか。

C0068427 今城切 - 東京国立博物館 画像検索

これも今城切で、東博が所蔵しているもの。同様に最後の1行を削っていて、こちらは次歌の詞書の冒頭「なりひらのあそむのいせのくにゝ」が薄ぼんやりと見えます。

http://www.ishibi.pref.ishikawa.jp/syozou/sakuhin_detail.php?SakuNo=12004800

今城切以外もひとつ挙げましよう。こちらは藤原俊成筆の了佐切(古今集断簡)。同じく最後の1行は次歌の詞書の1行目ですね。はっきりとは読めませんが、別本を参考にしつつ「長月のつこもりのひおほゐにて」あたりかな。なお左側に空いている穴は綴じ穴です。綴じ方はよく知らないのですが、左端にある上中下3つの穴と、それより少し内側にある4つの穴は別の時のものでしょうか。

古今和歌集巻第十五断簡(高田切) - e国宝

手鑑藻塩草に貼られた高田切(古今集断簡)です。文字が裏写りしていることから原装が冊子本であったことは間違いありません。読んでみると1行目が789番歌の下句から始まっていることがわかります。冊子本であるため、もともとこのように中途半端な始まりをするページだったとしたら仕方ない話なのですが、実はこの断簡は右端の1行(またはそれ以上)を切断した結果このように内容が半端になってしまったものなのです。なぜそう言えるかというと、1行目「り」の右下に見える墨の跡が失われた行の痕跡だと考えられるから。この墨の跡は、上句が「死出の山麓を見てぞかへりにし」であることと4行目の「ふ」の字形と合わせて、「ふ」の左下の部分だと思われます。切断した理由は分かりませんが、汚損がひどかったのでしょうか。

2行書き・頁またぎ

http://www.ccf.or.jp/jp/04collection/item_view.cfm?P_no=1785

みたび今城切。古今集巻八巻頭部分で2首書かれています。画像を見ていただくとお分かりかと思いますが、2首共に1行目の行末が詰まって苦しいんですよね。行頭に比べると字を小さくして無理矢理に書き込んでいる感じがある。これは1行目に上句五七五を書ききりたい、書ききれなかった部分を次行にまわすということをしたくないという筆者の気持ちを感じさせます。

現在では和歌を2行書きするとき五七五と七七を1行づつ書くのが一般的です。その書写形式をここではA形式と呼ぶことにしましょう。この呼称は吉田紀恵子さんの「藤原定家『下官集』に関する一考察 ―かな書道作家の視点で― 」から拝借したものです。

http://atlantic2.gssc.nihon-u.ac.jp/kiyou/pdf09/9-379-390-Yoshida.pdf

和歌を2行書きするときはA形式で書くのが当然だろうを思われるかもしれませんが、実はA形式に固定されるのは平安末期以降なんですよね。それ以前、12世紀前半までの写本では、初めから終りまで2行書きはすべてA形式で統一したというものは存在しません。と自信を持って断言できるほど徹底的な調査はしていないのですが、おそらくないでしょうし、あっても例外的なものだと思います。それが平安末期を過渡期として、鎌倉以降の写本になると2行書きについてはA形式で書くことが定式化します(もちろん例外はあります)。この変化を考える上で重要な写本のひとつだと私が思っているのが、この今城切です。

今城切の画像を最も多く載せる古筆学大成をまだ確認してないのですが、少なくとも私が見たことのある31葉54首は1首の例外もなくA形式でした。同筆と推定される二荒山本後撰集(上巻のみ伝存)の約700首もすべてA形式で書かれている(これは確認済み)ことを考えると、今城も同様だと思われます。そして、この今城切は当時の写本しては珍しく詳しい書写奥書が書かれ残されいるため、筆者と書写年代がはっきりしている写本なんですよね。筆者は藤原教長、書写年代は治承元年(1177)ということがわかっています。つまり、1177年頃教長はA形式で書写するという意識を持っていたと言えるでしょう。

同じ頃、藤原行成5代の孫伊行は書論「夜鶴庭訓抄」の中で「哥を書様。二行ならば五七五一行七々一行」と2行書きはA形式で書けと言っています。伊行は教長より30歳ほど年少ですが、30代で亡くなっていており、没年は一説に1175年または1169年頃ともいわれています。この「夜鶴庭訓抄」は晩年娘に与えたとされる書論書で、つまり60年代初頭から70年代前半で、今城切から遡ること10年ほどの同時代のもの。なおこの娘というのは建礼門院右京大夫です。

伊行の真筆では芦手絵和漢朗詠抄が残っています。和漢朗詠集の写本で、永暦元年(1160)に写されたもの。巻子本上下巻が完存、京都国立博物館が所蔵し、全巻がe国宝で公開されています。

芦手絵和漢朗詠抄 上・下巻 - e国宝

これを見るとA形式ではないのが散見されるんですよね。非A形式のほとんどは万葉仮名風に書いたところで、つまり特殊な書写形式なので原則の範囲外という意識なのかもしれません。一番の見ものは上巻・秋・月の「天の原」と「白雲に」の2歌を「天原振去見者春日在御笠乃山尓出之月可毛」「白雲尓翼打加者之飛鴈乃影佐へ見留秋夜月」と1行づつに書いたところでしょうか。和歌の1行書きといえば定家に始まると言われていますが、こういった例外もあるようです。また「飛鴈」が葦手っぽいのも注目点。とはいえ、普通に書かれたところでも数首非A形式のところがあり、A形式で貫徹するという意識は絶対のものではないようです。

ただいずれにせよ伊行にはA形式で書くべきであるという意識があったことは間違いなく、少なくとも教長や伊行周辺ではその意識が共有されていたでしょうか。

教長には「古今集注」という著作もあって、つまり歌学者でもありました。A形式で統一すれば和歌が読みやすくなるわけですが、その書き方を推し進めた一人が歌学者であったというのは意義深いことだと思います。もちろん仮名序の頃から歌学はあったわけですが、古今集が読みにくくなり一層歌学が発達した平安末期に、歌の形式と合う書写スタイルが定着しだしたと関連づけたくなります。

さて、今城切での書写形式にはもうひとつ興味深いことがあります。それは和歌の頁またぎを避けているということです。

藤原教長筆今城切|春日井市

この窮屈さの一因は頁またぎ避けでしょう。私の知る範囲では、今城切で和歌が半端に書写されたものはありません。つまり頁またぎをしていないということになります。また、二荒山本では見開きの頁またぎはありますが、丁表から丁裏へかけての頁またぎは1首もありません。これについても、A形式での書写と同様に意識的なものだと思われます。

この二行書きと頁まだぎ避けについては興味深い写本があります。元暦校本万葉集です。平安時代に写された万葉集の写本の一つで、その中では最も現存する部分の多いものなんですが、現存品の殆どを東博が所蔵しており、そのすべてをe国宝で閲覧することができます。

元暦校本万葉集 - e国宝

元暦校本の書写年代ははっきりしませんが、11世紀末から12世紀初頭と考えられています。当時の写本として当然のようにA形式に対するこだわりはないし、頁またぎも平然とおこなっています。寄合書きで巻ごとに筆者が異なりますが、その点については巻による差はありません。が、しかし巻六だけは例外で、すべて1首の例外もなく短歌は本文と訓ともに頁またぎをしていませんし、短歌の訓はA形式で書かれています。この巻六は補写本で、他の巻と書写された時期が異なるのでこういった違いがでているわけです。この補写本の書写年代も原本同様はっきりしていませんが、平末鎌初あたりと言われていて、つまり原本の書写からばっくり100年後と言ったところ。その程度の時代差にも関わらず、他巻を参考にしつつ作成したはずの補写本が書写スタイルにおいてこれほどはっきりとした違いがあらわれてしまっているというのがなかなか面白いと思います。

修復の動画


夢をつむぐ人々 (25)伝統を守り伝える・・表具師の世界 - YouTube

科学技術振興機構製作の動画で、表具師の坂田雅之さんに密着したものです。取り上げられているのは絹本の絵画修復ですが、糊や補絹の話などなかなか興味深くいい番組だと思います。なおこれは14年前のものでして、坂田さんは現在国宝修理装潢師連盟の理事長さんです。



文化財の保存修復~表装・表具~:文部科学省 - YouTube

つづいて文部科学省製作の動画で、お話は岡墨光堂の岡泰央さん。裏打紙(肌裏紙・増裏紙・中裏紙・総裏紙)や糊(新糊・古糊)の話。裏打ち作業については先程より詳しく見せてくれます。「ご本紙」という言い方が印象的。

NHK高校講座 | 芸術(美術 I/書道 I) | 第38回 書道(19) 鑑賞スペシャル 〜書の文化に触れよう〜

こちらはNHKの高校講座なので年度が変わると動画が差し替えられるかもしれません。右側の動画リスト「書の文化を伝える 修復ってどうやるの?」が目当ての動画です。裏打ちの作業が見れるのですが、裏打されているのが石山切なんですよね。修理は100年サイクルであるという話は先の動画でも言われていましたが、石山切の分割は1929年なので、そういうサイクルに入ったようです。