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「能うる限り」について

先日、安倍首相が「能う限り」を「能うる限り」と誤用していると話題になりました。毎日新聞の校閲グループが運営しているブログ記事で指摘されていたものです。

浚う、夥しい、斃れる、能う限り、遵守 | 毎日ことば
首相の言葉には校閲が必要? | 毎日ことば

演説は事前に準備するものですし、また後世に残すものなのですから、もっとまともなスピーチライターを雇いしっかりと校閲するに越したことはないかとは思いますが、それはさておき、「能うる限り」という誤用について気になったので、すこし調べてみました。

その前に、まず次のような推論をしました。

  1. 「能うる限り」という誤用は「~しうる限り」「できうる限り」などとの混用から生まれたものだろう。
  2. 旧かなでは「能ふ限り」と書いて「アトーカギリ」と読んでいた。
  3. 「アトーカギリ」が「~しうる限り」などの影響をうけて「アトールカギリ」また「アトフ(ウ)ルカギリ」になるとは考えにくい。
  4. よって、戦後に生まれた誤用だろう。

という結論に達したのですが、実際に調べてみると戦前の用例が結構見つかるんですよね。この推論のどこに間違いがあるのでしょうか。

さて、用例の調査です。まず利用したのが「青空文庫 Aozora Bunko」ですが、残念ながら「能ふる限り」「能うる限り」の使用例は一つもありませんでした。つづいて「Google ブックス」で調べましたが、ノイズが多い上に年代などの書誌情報が記載されないものがあり使用を断念。というわけで、「CiNii Articles - 日本の論文をさがす - 国立情報学研究所」の全文検索結果のみを参考にしました。ほかにいいサイトがあれば教えて下さい。

CiNiiで「能ふる限り」を全文検索した結果がこれです。最古が1927年で、30年代から40年代にかけて医学・工学・歴史学経営学など様々なジャンルで使われていたことがわかります。これだけ広範なジャンルで様々な人が誤用していることを考えると、1927年よりもだいぶ前から存在したのではないかと思われます。つまり「能うる限り」は100年ほどの歴史ある誤用といっていいのではないでしょうか。まあ、歴史があったところで間違いは間違いなんですが。

さらに言うと、そもそも「能ふ限り」という表現自体が、比較的新しい表現なんですよね。近代に入ってからの言葉であることは間違いないでしょう。青空文庫では、登張竹風「美的生活論とニイチエ」(1901)が最古です。もっと遡ることはできるでしょうが、思いのほか誤用の最古例と時代が近いですよね。「能ふ限り」という語は誕生して数十年後には「能ふる限り」という誤用を生み、使用例は少ないながらも100年近くたった現在でもしぶとく生き残っているものなのかもしれません。