古筆いろはかるた

い 一番初めは大聖武
ろ 六代伊行 父との合筆
は 版を重ねた名葉集
に 二段に書かれた歌仙歌合
ほ 本阿弥切 道風は光広の極め
へ 平家納経願文 清盛自筆
と とりあへず学大成を確認
ち ちらし書きの古例 虚空蔵菩薩念誦次第紙背仮名消息
り 良寛も学んだ秋萩帖
ぬ 布目を打って雲母を刷り
る 類聚歌合 平安時代の歌合大成
を 小倉色紙 真贋が難しい
わ 王者の風格 筑後
か 翰墨城 鈍翁旧蔵
よ 予楽院の研究の成果 大手鑑
た 為恭遺愛の品
れ 列帖装と綴葉装は同じ装丁
そ 装飾料紙の見本市 本願寺本三十六人家集
つ つづけ書きとはなち書き 定実の妙
ね 年代測定 科学の力
な 中院切と烏丸切の区別
ら ライティングでキラキラ 雲母砂子
む 宗尊親王 平安時代
う 繧繝彩色 関戸古今
ゐ 威勢のいい伊房の書
の 残つた奥書 今城切
お 老いた俊成の奇癖
く 雲紙いろいろ重之集
や 八幡切と香紙切 麗花集の貴重な伝本
ま 万葉集の五大写本
け 月台 近代古筆研究の出発点
ふ 風信帖を切った秀次
こ 古今集 朗詠集 その他
え 延喜式の紙背に残つた兼行書状
て 伝称筆者は筆者にあらず
あ 謝つてばかりの佐理
さ 西行を伝称筆者とする一連の古筆
き キリではなくキレ
ゆ 行成の子孫 世尊寺
め 名家家集切の大きな飛雲
み 見努世友と藻塩草
し 真行草で書かれた三体白氏詩巻
ゑ 絵より詞書を見よ 源氏物語絵巻
ひ 屏風詩歌切 行成のかな
も 木食応其が秀吉から拝領した高野切
せ 切断され修学院切と名付けらる
す 寸松庵と継と升とで三色紙
京 京にあり 大坂にあり いろんなところにあり

判比量論(東寺切)の所在

先日、判比量論の新出断簡に関する報道がありました。

www.chosunonline.com

記事中、判比量論の所在について語られてます。ただ、ざっくりした記述だったのでよくわからず。というわけで調べてみました。

まずは小林強さんの『出典判明仏書・経切一覧稿』の当該部分を引きます。なお、この本は現物の所在をリストにしたものではなく、図版などが載っている資料を整理・列挙したものです。◆は重文、★は当該資料で出典が指摘されていないものの印。

判比量論《東寺切》(◆大谷大学図書館蔵〈神田喜一郎氏旧蔵・重文〉・『当市一鶴庵及某家所蔵品入札目録(大美・大正3年6月11日)』ー123古筆手鑑帖・『当市某家所蔵品入札目録(大美・大正12年5月6日)』ー39古筆手鑑・高まつ帖126・五島美術館蔵手鑑染紙帖〈『写経入門(淡交ムック)』ー129頁〉・★あけぼの〈上〉75・昭和62年度『東京古典会古典籍下見展観大入札会目録』ー1107古筆手鑑・酒井宇吉氏蔵手鑑〈富貴原章信氏「元暁,判比量論の研究」・『日本佛教』29〉・落合博志氏蔵〈平成16年11月国文学研究資料館秋季特別展「古筆と和歌」展示目録ー60・『古筆への誘い』ー61・2面呼び継ぎ〉)

さて、上記の報道は新出断簡に関するものでした。ですから、一応このリストには載っていないと考えます。また「東京国立博物館にも存在が確認されたと説明した」とのことですが、これはおそらく毫戦所収の断簡のことではないかと愚考します。

E0059947 古筆手鑑_毫戦 - 東京国立博物館 画像検索

余談ながら、極札は了音でしょうか。高㮤帖も了音極め。上のニュース記事で、「判比量論のこれら写本はいずれも1冊の本だったが、江戸時代末期に分散したとみられる」とのことですが、了音極めであることと琴山印の欠損状況から、遅くとも18世紀初頭には切断が始まっていると考えられます。

『一覧稿』に掲載されたものに、新出と毫戦断簡を加えてまとめます。

所蔵 資料
A 大谷大学図書館(重文残巻)  
B 不明 『当市一鶴庵及某家所蔵品入札目録』(大美・大正3年6月11日)
C 不明 『当市某家所蔵品入札目録』(大美・大正12年5月6日)
D 三井記念美術館(手鑑「高㮤帖」所収) 『高松帖 古筆手鑑 重要文化財
E 五島美術館(写経手鑑「染紙帖」所収) 『写経入門』(淡交ムック)
F 梅沢記念館(手鑑「あけぼの 上」所収) 『古筆手鑑大成6 あけぼの 上』
G 不明 昭和62年度『東京古典会古典籍下見展観大入札会目録』
H 不明(酒井宇吉氏蔵手鑑所収) 富貴原章信氏「元暁,判比量論の研究」(『日本佛教』29)
I 落合博志氏 『古筆への誘い』
J 東京国立博物館(手鑑「毫戦」所収)  
K 某氏(新出断簡)  

BとCについては資料を確認できずまったくわかりません。同一品を指しているようにも思えますが、『一覧稿』の書式からするに別の断簡と判定している様子。Gも資料を確認していません。Hについては、富貴原さんの論文には翻刻のみで図版はありません。(BとCに疑問はあるものの)AからIまでは、小林さんが別物として掲出しているので、重複はないと考えられます。さらにJが別。ただ、今回のKについては、上のものと重複しないとは言い切れません。たとえばBやC、またはGと同じものであるという可能性を私は否定することができませんでした。

さて、次のツイート

師さんがここで挙げてらっしゃるのは、ADEIJKです。現在所在が確認できているものに絞っているとしても、Fが抜けているのは不審ですね。小林さんの認定ミス? それとも調査された方の見落とし? 図版を見る限り私もツレのような気がしますが、ただ、私はこの判比量論、文字が読めず中身も全く理解できないので、なんとも言えず。

「料紙のよそおい」展@五島美術館

簡単にメモを。

聖武凄かったですね。19行(1)、5行(2)、計24行(3)、7行(20)の合わせて55行と豪勢な展示。しかも、これで五島美の所蔵するすべてではないという。染紙帖に5行、筆陣毫戦に5行の少なくとも10行が別にあります。大聖武ではよくみる白い荼毘紙と色調の異なる紙の2種類ありました。もともと違う色のを交用していたのか、それとも変色によるものなのか。後者はいわゆる赤聖武

聖武3巻(4・5・6)は今更一部一切経かも。だとすれば、4は山部諸公筆、5と6は他田嶋万呂筆。山部諸公は善光朱印経の首楞厳経の筆者山辺諸公と同一人物でしょうか。4は比較的線も太く丁寧で堂々とした字、5と6はおそらく同筆で奈良写経としては粗く早書きに見える癖のある字。山部諸公と他田嶋万呂はともに聖語蔵に筆跡が残るので、比較すれば同定は可能です。いずれも原表紙か。

紫紙金字経(7・8・9)。9は最勝王経とのことですが、調べてみると華厳経の巻67で、7・8ともと一具だったもの。根津美に出てるの断簡が同じ巻67ですね。7の巻61と8の巻63は同筆とのこと、確かにそう見えます。9の巻67は異筆でしょう。

二月堂焼経(10)は、かなり銀字がきれいに残ってます。対して金銀交書法華経(11)の銀字はひどく薄れてしまっています。なお、根津美に出てる巻7巻末断簡がツレかも。今回の展示ではいつもより金峯山埋経(13)が見やす気がします。好きな方はおすすめ。紺紙金字経3巻の秀衡経(13)・神護寺経(14)・荒川経(15)。見比べるとけっこう違いがありますね。見返し絵は13が抜群、15の紺紙は他と比べ明るめ、13の金字は少し赤みがかっており、15のは輝きが少し鈍い。

蝶鳥下絵経切(18)は28行の大断簡。蝶鳥下絵経切の下絵は十数行もしくはそれ以上の幅をひとまとまりとして描かれているので、下絵を見るにはこういう大断簡でないと。

手鑑 鴻池家旧蔵(20)。太秦切の宝塔が幽かにほんの幽かに見えます。初めて確認しました。ちょっと感動。なおこの宝塔について銀泥で描いているというように説明されていました。銀泥と断定する根拠は不明ですが、たとえば11の銀字の薄れ方などを見ると確かに銀泥かなあとも。描くのは大変そうなので擦るなり捺すなりしたような気がしますが。覚誉親王の懐紙について「『法華経』の摺経の紙背を利用」との解説、順序が逆ではないかと。

蓬莱切(23)と亀山切(24)は根津美では展示のなかった平安時代の雲紙。亀山切の雲がいいなあ。なおともに雲母砂子撒きとのことですが、見えません。戸隠切(37)の宝塔も見にくかったです。この辺は特製ライトを準備した根津美に軍配といったところ。考慮しているだろうとはいえ、その分強い光が当たっているというのは気になるっちゃ気になりますが。

久能寺経2巻はともに結縁者名の書かれていない巻。ヘレーネ・アルトさんは序品(54)は崇徳天皇、法師功徳品(55)は高陽院泰子と推定されています。法師功徳品に型を使って斜めに区切った砂子撒きがありますね。

装飾観普賢経断簡(56)は帝京大学総合博物館での「日本書道文化の伝統と継承」展に出ていた金銀箔装飾観普賢経断簡のツレかなあと私が推測しているものです。装飾法華経陀羅尼品(57)はおもしろい書き方をした写経。太い字で書いてあるかと思えば細い字に変わり、1字置きに太い細いを変えたり、文字の右側を太く左側を細く(または逆)の行があったりと数行ごとに変化します。

観普賢経(64)はいわゆる目無経。目無経と言えば金光明経と理趣経が有名で(染紙帖(19)は金光明経の断簡のところを開いてましたね)、他に華厳経巻53の断簡を東博とハーバート・アート・ミュージアムが所蔵しています。さらにこの観普賢経と、とりあえず3種類。白描下絵梵字陀羅尼経(64ほか諸家蔵)も含めれば4種類。他にもあるのかな?

鹿下絵和歌巻断簡(70)は、鹿2頭しかいない寂しいところですけど、牝鹿が牡鹿をふりかえる素敵な絵。小倉山荘色紙和歌(74)、1帖と1幅。掛幅に仕立てられた1葉のみ具象の継ぎ紙でした。興味深い。江戸時代の継ぎ紙って他にありましたっけ?

「主な本展関連用語」という用語集が配布されていました。その「漉染」の解説、

紙を漉く時に装飾する染紙の技法。藍や紫の染紙を水に浸け、漉く前の状態(紙素/繊維状態の紙の素)に戻し、新たな紙を漉く際にそれで着色する。

これは、前々回の記事でいうところの「漉き掛け」の説明にあたるものですね。この「漉染」を用いたものとして、藍紙本万葉集切(26)と泉福寺焼経(29)が挙げられ、今城切(28)については「外見からでは「浸染」「引染」「漉染」かの判断が難しい」とのこと。

「はじめての古美術鑑賞 紙の装飾」展@根津美術館

根津美術館で開催中の「紙の装飾」展に行ってきました。そのメモと感想です。

料紙装飾に関する展示で、展示の中心は古筆切でした。古筆切は切断される前はたいてい本であって、ということは古筆切に施された装飾も本を見るような距離角度で見るのがもっとも装飾効果の大きい見方であると言えます。ですから、掛幅装にしてあるものを壁に掛けガラス越しに遠目に見てしまうと、その効果を味わうのは難しい。とくに厳しいのが雲母砂子で、壁に掛けてあるとまず見えないものでした。

しかし、今回の展示では特製ライトが用意されていて、そのおかげで雲母砂子がよく見えたのです。ちょっと感動でしたね。このライトがあったからこの企画ができたんだろうなと思われるほどの素敵な道具。根津美術館は壁沿いの展示ケースが多く、距離を短くするのが難しい。そのため料紙装飾の展示は難しいんじゃないかと思っていましたが、素晴らしい工夫で魅力的な展覧会になりました。

解説も料紙装飾を中心としいて、書や出典に関するものなど他の事柄は控えめなところも好感でした。紙の展示だ、書を見るな紙を見ろと。欲を言えば、浮気せずにもうちょっと料紙装飾に徹底的でも良かったかもしれません。

なお、前の記事でも触れましたが、スライドレクチャーに参加された方がメモを公開されています。

はじめての古美術鑑賞ー紙の装飾ーメモ|けろみんのブログ

メモということもあり、誤字やおそらく誤解されているのではと思うところもあるものの、もとは学芸員さんのお話ですし非常に参考になります。こういうメモを作成し公開するのは面倒だろうなと想像されるところ、参加できなかった身としてはほんとうにありがたく思います。

雲母に光を!

先述の通り、この展覧会での一番の見所は特製ライトでよく見える雲母装飾。1から3が雲母砂子で、4から13が唐紙(雲母摺り)です。ライトは左側から当たっていて、右側から見ると雲母がきれいに見えました。

1. 小島切

雲母砂子撒き。雲母砂子は密に撒かれています。ツレには飛雲が漉き掛けられているものもあります。飛雲は片面のみに漉き掛けるのが通常で(例外は元暦校本万葉集と中院切後拾遺集)、この断簡は飛雲のない裏面なのか、それともそもそも飛雲のない紙も交用していたのか。

2. 大字朗詠集切

染紙に金砂子と雲母砂子撒き。キャプションからするに銀砂子も撒かれているかもしれませんが、確認できず。正面から見ると雲母砂子は見えませんが、右ななめから見ると金砂子とは輝きの違う粒があり、それが雲母砂子でしょう。光の当り方で輝きの異なるものを混ぜて用いている魅力的な装飾。

3. 伊予切

飛雲紙に雲母砂子撒き。雲母砂子の撒き方は小島切に似ています。

4. 本阿弥切

布目打ちの紙に具引きをして雲母で夾竹桃文を刷りだした舶載唐紙。布目打ちは紙漉きのときに布を押し付けて布目の文様をつける技法。書写材料として紙よりも絹が珍重されていた伝統を踏まえ、絹地っぽさを紙に表現した技法でしょうか。ということを踏まえると、唐紙に施された文様のベースにあるのは絹織物の文様なのかもしれない(雲母の光沢が絹の光沢と通う?)と思いつきましたが、どうでしょう?

5. 太田切

舶載唐紙に金銀泥下絵。2紙呼び継ぎ。右紙は状態悪く文様不明、左紙ははっきりしていますが何文だろ? 紙幅が狭く特定できませんでした。ともに布目打ちをしていると思います。金銀泥下絵は日本で描かれたもの。下絵の感じは、展示品の中では後出の蝶鳥下絵経切が1番近いでしょうか。

6. 松葉屋色紙

舶載唐紙、波文。これよかったですね。『館蔵 古筆切』に掲載の図版とは全く見違えるくっきりと輝く波文。

7. 民部切

唐紙、鳳凰唐草文。舶載唐紙説がある一方、和製唐紙でありかつ粗悪で時代の下ったものだという説もあり、書写年代も11世紀という意見もあれば、鎌倉時代まで下がるという意見もあり、果ては炭素14年代測定で江戸時代という値が出たりと諸説紛々です。ガラス越しに遠目に見ても粗悪な作りかどうかは、私にはよくわかりませんでした。

8. 巻子本古今集

3紙(もとの継ぎ)。舶載唐紙。第1紙は青系統の色の具引き地に蓮唐草文。第2紙と第3紙は褪色しているのかぼんやりした色ですが、もとは薄い赤系統の色だったでしょうか。前者が牡丹唐草文、後者が獅子二重丸唐草文かな。蠟箋だったかもしれません。記憶曖昧。

9. 尾形切

和製唐紙、二重複丸唐草文。銀泥下絵。上にリンクを貼ったのスライドレクチャーのメモでは「さらに鳥、草花を銀泥で捺す」とあります。すなわちスタンプのようにペタペタ捺したものだということでしょうけど、どうなんでしょう? そういう可能性もありますが、未確認。公式サイトでは「銀泥で(略)描いた」と書いてますね。

10. 東大寺

2紙。和製唐紙、右が七宝繋文で左が菱唐草文。

11. 戸隠切

和製唐紙、宝塔文。この展覧会では白具引きの上で雲母摺りとしています。一方、髙橋裕次さんは「日・中・韓の料紙に関する科学的考察」(『東京国立博物館紀要』47所収)のなかで

 薄墨色にみえるのは(略)漉き返した紙を使用しているためである。
 和製唐紙では、具引きを施さず、素紙に版木で文様を摺り出した唐紙が作られるようになる。型文様を摺り出すには、紙に布海苔や礬水などを塗布して滲み止めを行なう必要がある。この種の料紙を四辻秀紀氏は「糊引きの唐紙」と称している(24)。
(24)四辻秀紀『彩られた紙 料紙装飾』徳川美術館、2001年

と具引きではないという説ですね。野尻忠さんは『平安古経展』(奈良国立博物館)で

戸隠切は、白の色料を薄く引いた紙に

これは具引き説でいいのでしょうか。

12. 鶉切

和製唐紙、殿舎と唐子文。これも素晴らしかった。鶉切は東博で2度手鑑に押されていたのを見ました。1度(毫戦)は文様確認できず、1度(月台)ははっきり見えましたけど、ただ今回のほうがくっきりと輝いていましたね。特製ライトの効果でしょう。

13. 壬二集和歌色紙

唐紙、大振りな楓の葉の文様。

「染め」のバリエーション

染め紙、および漉き染め(漉き掛け)と、漉き掛けの技法を用いた飛雲紙・雲紙が並ぶところ。

染めの解説の中に「はじめは防虫を兼ねていたのでしょう」とあります。この話よく聞きますが、明確な根拠はあるのでしょうか。宍倉敏さんは「科学の眼で見た奈良朝古経料紙」(『水莖』28所収)のなかで、防虫目的説に懐疑的な意見を述べています。

 キハダ染めの主な目的については次のようにいわれている。

写経料紙の90%は黄紙である。これ程までに黄紙が多用されたのは、黄の染料となるキハダの皮ににがみがあり、それが防虫の効を有し経紙の染料として最もふさわしかったからにほかならない。
河田貞「和紙文化と仏教」(別冊太陽『和紙』一九八二年刊)

 紙を喰うヤマトシミ・シバンムシ・ゴキブリ・シロアリなどの虫類が、人間が感じると同じようにはたしてにがみを感じたかどうか、疑問に思う。キハダの残留物はC染色液で紫色に反応しているので澱粉質に近似ということになる。となれば、紙を喰う虫達には反対に好まれたはずである。
 むしろこの時代におけるキハダの多用は、白い紙よりも蛍光発色性のあるキハダで染めた黄色の紙に書いたほうが、墨色が鮮明に見え、電灯のない薄暗い部屋でも読んだり書いたりしやすいためではなかったかと考える。

重要なのは当時の人が効果があると思っていたか否かであり、実際に効果があるか否かではないので、否定の根拠としては弱いかなとは思います。ただ、見やすいというのはさもありなんという感じ。

ついでに、いま書いている途中でふと思いついた案を1つ。写経などでは界線が引かれます。これはかつては簡牘に書いていた名残だという話です。ならば色も合わているんじゃないか。

14. 註楞伽経巻第四断簡

キャプションでは当該断簡の染を直接語らず、一般論として「写経の料紙は、黄檗の樹皮や橡(どんぐり)で染めた黄色または褐色のものが多い」と語るにとどめています。

15. 紫紙金字華厳経巻第六十七断簡

紫紙は紫根染め。浸け染めなのか刷毛染めなのか明記はしてません。髙橋裕次さんは前出論文のなかで、この華厳経と非常によく似た金光明最勝王経(いわゆる国分寺経)について

染料が繊維の所々に付着しているのは引き染めによるものであろう

と引き染め(刷毛染め)説を唱えています。一般的には浸け染めと言われることが多いように思いますが。

16. 紺紙銀字華厳経巻第五十(二月堂焼経)断簡

藍染。浸け染めなんでしょうか。

17. 紺紙金銀字法華経巻第七断簡

藍染。16と同じく紺紙と表現されますが、より暗い色調の紺紙です。この差は、状態の問題なのか、染めの濃さの違いなのか、染め方の違いなのか、それとも原料から異なっているのでしょうか。キャプション「紫や紺を濃く染めるためには、何度も染料に浸けては乾かし、さらに何度も打ち紙をしなければならない」からするに、15から17の3点は浸け染めという見解なのでしょう。

18. 無量義経

茶の染め紙に金砂子撒き。染め方は紙背を刷毛で染めたもので、表の色はそれが表まで滲んだ色だとのことですが、そんな染め方でこんなにきれいに染まるんですね。

19. 華厳経巻第三十七(泉福寺焼経)

藍紙に金砂子撒き。金砂子は18よりも大きめで不整形、揉箔と呼んだほうがいいでしょうか。この藍紙は前回の記事で言うところの漉き染めなのか漉き掛けなのか。

20. 香紙切

茶の染め紙。どういう材料でどのように染めたのかという話が知りたかったのですが、キャプションに書いてあるのは「不羈奔放な書風」だとか関係ないことばかりなんですよね。不徹底さを感じたのは、たとえばこういうところ。

21. 今城切

藍紙。この作品の前に「漉き染め」の解説がありました。

藍色に染めた微細な繊維を無色の繊維と混合して漉く技法

この説明を読む限り、(前回の記事の用語を使えば)漉き掛けではなく漉き染めということになろうかと思いますが、さて。

22. 棟梁集切

濃い藍紙に銀砂子撒き。キャプションでは不明ですが、スライドレクチャーでは「たくさんの藍染紙を繊維にして混ぜ漉いたので色が濃い」と漉き染めと解説されていたようです。図版を見る限り表面にモヤモヤとした感じがあるので、漉き染めなり漉き掛けなりを使用してるようには見えます。いずれにせよ、こんな濃い色もでるんですね。

23. 和泉式部続集切

2紙呼継ぎ。右は薄い藍色で、左は染めていない紙(素紙)でしょうか。

24. 愛知切

丁字吹き。裏は見えません(おそらく剥いでいる)が、裏も丁字吹きされていたようです。吹き染めの染め方についてスライドレクチャーでは

竹の筒に目の荒い布を貼り、そこに染料をつけて息を吹いて紙に吹き付ける、または網の上から染料をつけたブラシを擦り紙に染料を散らす方法。
丁子染めである。丁子はクローブのこと。色が似ているからか、本当に丁字を使ったかは不明。

と解説されていたようです。この写経はもともと法華経開結合せて10巻あったと思います。大量の料紙が必要になります。同じ装飾で統一したとすれば、それらすべてを息を吹いて染めるのは大変そうです。こういった大量の料紙を染める必要がある場合は息で吹きかけたものではないのでは。とすれば、もう1つの方法を使ったのでしょうか。

25. 名家家集切

飛雲紙。飛雲は時代が古いほど大きく、下るに従って小さくなっていくと言われています。比較的時代が古く大きい飛雲。

26. 難波切

飛雲紙。名家家集切に比べると飛雲は小さめ。

27. 中院切

飛雲紙、金銀砂子撒き。難波切と同じくらいの大きさ。なお、1で話題にした元暦校本万葉集の断簡の1つが上の難波切で、これが中院切。通常飛雲は横長ですが、縦長になっています。そのように漉き掛けたのか、それとも縦横を回転させて使用したのか。一般的に言われるのは後者。

28. 八幡切

天地紫の雲紙。

29. 八幡切

天地藍の雲紙。

30. 三十六歌仙短冊貼交屏風

天藍地紫の雲紙。雲紙は14世紀ごろを堺に変質するといわれ、それ以降の雲紙は雲の際がはっきりとし、また繊維が大きく目立つようになるとのことですが、28・29と30にはあまり違いを感じませんでした。今回展示はないですけれど、平安時代の雲紙は確かに違うような気もします。

金銀の多彩な飾り

金銀泥下絵と金銀箔散らしによる装飾です。

31. 蝶鳥下絵経切

茶染(丁字吹きか)の料紙に金銀泥下絵、金界墨書。蝶鳥下絵経切は幾種類か残っています。これはそのうち最も有名な丁字吹き料紙が使用された1部のうちの断簡であると思いますが、見た感じ丁字吹きに見えないんですよね。キャプションでもそういった指摘はなく。不思議。下2つと異なり、そして前出太田切と同様に金銀泥両方を使って描いています。既述の通り、絵柄も比較的太田切に似ています。

32. 下絵朗詠集切

金銀の小切箔や砂子を銀主体に撒いた料紙に銀泥下絵。絵柄自体は両隣に比べ簡略化されて文様化してますが、濃淡の使い分けはいいですね。

33. 下絵拾遺抄切

銀泥下絵。32と比べ濃淡をつけないベッタリとした描き方ですが、絵柄は精緻に描かれています。

34. 烏丸切

茶の染め紙に金銀箔撒き。烏丸切は飛雲紙が使われていますが、これは飛雲のない側です。

35. 砂子切

染め紙に銀砂子撒き。何色といえばいいんでしょうか、青系統の暗い色。この章のうち32・34・35の箔の撒き方は、一面にだいたい均等に撒くという点で似ています。次の2点は霞引きで異なる撒き方。

36. 戊辰切

雲母引きに金銀の砂子と大小の切箔を霞引きに撒いた料紙。

37. 箔切

金銀箔砂子と銀の野毛を霞引きに撒いたもの。36の幅が狭いのでちょっとわかりにくいのですが、同じ霞引きとはいえ、大きな箔を用いる36と、銀野毛を用いより多くの霞を引く37にはかなりの違いがあります。

38. 五徳義御書巻

金銀箔砂子撒き、金泥下絵。砂子撒きは型紙も使用しています。砂子撒きで型紙を使用するのは、すでに源氏物語絵巻の詞書で見られます。三十六人家集ではまだ使われていない?

39. 花卉摺絵古今集和歌巻断簡

金泥刷り、蔦と竹の文様。刷りものであるにも関わらず色にムラがあります。スライドレクチャーによると「膠で解いて塗ると一様にならないところを利用し面白い濃淡を作った。琳派のたらしこみなどの技法に繋がっていく」とのこと。

40. 平家物語画帖

金箔撒き金泥下絵。質のよさ、状態のよさ、ライティングが合わさって、非常にギラギラと眩しく輝いていました。泥は膠で溶くので箔より輝きが鈍ります。箔と泥の輝きの差をうまく利用しつつ装飾している感じがあります。

41. 百人一首画帖

金銀泥下絵、金箔砂子撒き。右頁に描かれた植物らしきもの、照りのあるごく薄い緑の色料、これなんでしょう?

42. 風俗図

金箔砂子撒き。雨や雲を表しているということですけど、今ひとつわからず。見慣れれば見えてくるのかな。

43. 勅撰集和歌屏風

いろいろな技法を用いておりよくわからないものの、豪華ですてきな屏風です。上記のスライドレクチャーメモが参考になります。

さまざまな装飾技法

44. 大聖武

荼毘紙、具引き。チラシとスライドレクチャーでは胡粉に檀の表皮の粉を混ぜて塗布したとの説ですが、キャプションは「漉きこまれた檀の表皮の粉末」と紙に漉き込まれてる説ですね。

45. 巻子本古今集

舶載の蠟箋、獅子二重丸唐草文。蠟箋は雲母摺りの唐紙と一括りにされ同様に唐紙とも呼ばれますが技法的には異なります。紙の文様をつける方を表とします。雲母摺りの唐紙は版木に膠と布海苔で溶いた雲母の粉末を付け、具を引いた料紙の表側を下にして、表に雲母の粉末を写しとる装飾法です。一方、蠟箋は紙の具引きをした表側を上にして、何も付けない版木の上に置いて擦り、版木の文様の形に艶を出す技法です。同じ版木を用いると唐紙と蠟箋とで文様は反転します。

46. 和漢朗詠集巻下断簡

具引き地に桃の枝ほかの文様。会場内にある蠟箋の解説の後段「鏝で焼色をつけたもの、それに擬して色で摺り出したものもある」に当たるものでしょう。焼唐紙と言われたりもするものですよね。実際に鏝で焼色をつけた(すなわち熱を加えて文様をつけた)ものが実在するのかどうか存じませんが、これは茶色の染料で摺ったものかな。

47. 白氏詩巻

薄茶の紙に濃い茶で鯉の文様と鴛の文様の2紙。これも焼色ではなく摺りでしょうか。こういうところの説明が足りないなあと。

48. 筋・通切

古今集断簡。2紙呼継ぎ。右片が筋切で、銀砂子撒き銀泥下絵。左片が通切で、布目打ち、銀砂子撒き。もと1枚の表裏で順番通りに並んでます。スライドレクチャーでは通文様は篩を使ってつけたという解説がなされたようで、前回の記事で疑問を呈しましたが、展示キャプションでは布目と書いてますね。

49. 相生橋

墨流し

50. 嘉元百首切

墨流し、金銀箔砂子撒き。型紙で糊を置きそのあと金銀砂子を撒くことによって型の形に砂子を撒く手法で絵や文様を描きます。泥は金銀粉を膠で溶くので輝きが鈍りますが、この手法だと鈍らず絵が描けます。砂子を撒くとき型紙を使うのは、源氏物語絵巻の詞書ですでに見られるという話は既にしましたが、こういう細かい図柄のものだと13世紀初頭と推定される慈光寺経の授記品が古いところでしょうか。蒔絵でも型は使いそうですけど、影響関係はあるのかな?

51. 巻物切

50と同様の型紙を使った砂子撒きが見られます。キャプション曰く14世紀初めころから、型紙の使用が目立つようになるとのこと。

52. 本願寺本三十六人家集(模本)

ぼかし染め、継ぎ紙、箔撒き、下絵、唐紙などをバランスよく選んで展示していました。

53. 石山切(貫之集下)

銀砂子撒きに銀泥下絵

54. 石山切(貫之集下)

継ぎ紙に金泥下絵。宗達紅白梅図屏風を思い起こすような形の継ぎ紙です。

55. 石山切(伊勢集)

銀砂子撒きに銀泥下絵。

56. 岡寺切

濃い藍の染め紙に金銀砂子撒き銀泥下絵。スライドレクチャーでは漉き染めとのこと。

57. 平家納経(模本)

平家納経のなかでも選りすぐりの4巻といったところでしょうか。

漉き染めと漉き掛け

根津美術館で開催中の展覧会「はじてめての古美術鑑賞 ―紙の装飾―」展のチラシの裏に、藍紙の今城切の図版を添えつつ次のような記述がありました。

すきぞめ【漉染め】
藍色に染めた微細な繊維を無染色の繊維と混合して漉く技法。藍色の繊維の分量により、淡い水色から藍色に近い色まで出すことができる。

今回の展覧会では、この漉き染めの遺品として(しっかりとメモを取ってはいないので、あやふやなところもあるのですが)

が展示されていたかと思います。

しかし、上記の漉き染めの解説、私の記憶にある藍紙の作り方と違う説明がされてい気がしたんですね。そこで、いくつか本にあたってみたところ、どうやらいわゆる漉き染めには2種類あるらしい。両者を区別するために、ここでは仮に根津美のチラシで解説されている方を「漉き染め」、もう1つを「漉き掛け」と呼びたいと思います。「漉き掛け」も一種の「漉き染め」でそう呼ばれることもあるのですが、ここでは分けて考えるために語を区別します。もちろん2種類の技法があるということ自体は何の問題もありません。困るのは同一遺品について食い違う説明がなされているケースですね。どちらを取るべきなのでしょうか。

以下、目についた漉き染めと漉き掛けに関する記述を引用します。さらに細かく見ると漉き染めの説明も多少異なる点があるようにも思えますが、この際置いておきます。

漉き染め

小川靖彦『万葉集 隠された歴史のメッセージ』(角川選書

藍紙本万葉集

料紙は雁皮紙ですが、漉染(紙の原料を先に染色してから漉く方法)による薄藍色で統一されています

『平安古筆の名品展』(五島美術館

藍紙本万葉集

料紙は、藍の染料を混ぜて漉きこんだ紙で

『時代を写す仮名のかたち』(出光美術館

藍紙本万葉集 巻第九

藍の漉きかけ(染料で先染めした繊維を水中に溶解させて漉き上げる)による料紙

「漉きかけ」という語を使っていますが、説明から漉き染めと判断したのでこちらに分類します。

髙橋裕次「日・中・韓の料紙に関する科学的考察」(『東京国立博物館紀要』47所収)

12 藍紙金光明最勝王経巻第6断簡 B-53
C0010092 藍紙金光明最勝王経断簡 - 東京国立博物館 画像検索
13 藍紙金光明最勝王経巻第6断簡 B-5-1-1
C0094407 藍紙金光明最勝王経断簡 - 東京国立博物館 画像検索

料紙は、藍染の紙の反故と無着色の繊維を混合した「漉き染め」による料紙で、その配合の量によって色の濃淡が生じていると判断できる。混合紙であることは、図13-3の虫損箇所の内部に藍繊維が確認できることからも明らかである。(略)
 漉き染めについては、神護景雲4年(770)の「奉写一切経料紙墨納帳」に「須岐染紙二万張」とあり、繊維の段階で染めるか、着色繊維を混ぜるかのいずれかの方法によるもので、漉き染めの技法はおそらくは中国より伝わったと考えられる。
 正倉院紀要の調査報告では、唐時代の詩人王勃の詩文集である「詩序」(ID117)の第7紙に、藍染めの繊維の漉き込みが確認でき、さらに再生原料も利用されたことが分かるとする。また、特定の染料で染めた調布(おそらくは2mm前後に裁断されたもの)に雁皮系繊維を交えて漉き上げた色紙は、配合率はともかく、現存する「法隆寺献物帳」「大小王真跡帳」などの色紙の抄紙法と共通するとの指摘は注目すべきである。

14 法隆寺献物帳 N-5
法隆寺献物帳 - e国宝

藍色の楮繊維75%と無色の雁皮繊維25%による混合紙

15 淮南鴻烈兵略聞詰第廿(秋萩帖 紙背) B-2532
秋萩帖/淮南鴻烈兵略聞詰(紙背) - e国宝

第2紙以下は、(略)藍紙については藍染の繊維を混合していることからみて、これらの料紙は7~8世紀の紙であると判断できる。

16 円珍贈法印大和尚位並智証大師諡号勅書 B-2405
円珍贈法印大和尚位並智証大師諡号勅書 - e国宝

料紙は、墨で文字が書かれた紙を漉き返している。雁皮系の繊維が多いが、楮も含まれている。薄縹色にみえるのは、0.01mm~0.03mm程度に短く切断あるいは磨り潰されたと思われる藍染の繊維を混合しているためである。次の「幼学指南鈔」の写本にみえる料紙と比較しても明らかなように、12世紀頃、典籍に用いられた上質な漉き返し紙においては、稀に染色された繊維が混じることがあっても、色紙にするために藍繊維を混合した例は他にみられない。おそらく、意図的に紙の漉き返し繊維を使用した混合紙は、この勅書を最後に見られなくなるのではないかと推測される。

円珍贈法印大和尚位並智証大師諡号勅書」は927年。「意図的に紙の漉き返し繊維を使用した混合紙」というのはここで話題にしている「漉き染め」とイコールと考えていいのでしょうか。それとも違うのか。前者だとすれば10世紀前半に漉き染めは廃れたということになります。とすれば、上に挙げたもののうち泉福寺焼経、今城切、棟梁集切、和泉式部続集切、藍紙本万葉集は11世紀以降であるので漉き染めではないということになりますが、如何?

漉き掛け

『王朝美の精華 石山切』(徳川美術館

【漉きかけ すきかけ】
漉き染めの一手法。漉き染めは染色をおこなった紙素(煮熟して塵取りをし、さらに叩解した紙の原料となる繊維)を漉き上げて作られるが、漉きかけは、打曇紙と同じく地紙として別に漉き上げられた湿紙のうえに、染色された紙素を漉きかけて作られている。
 伝藤原行成筆「猿丸集切」(図版番号153・154)の浅葱色は漉きかけによっている。また重ね継ぎの裏面(五枚重ねの一番下の表面)には漉きかけ紙が多く用いられている(図版番号86左頁および参考図版5)

ポイントとなるのは地紙です。着色した紙素を(他と混ぜるなどして)漉くのが漉き染め、別に漉き上げた紙(地紙)を用意して、さらに上に着色した紙素を漉く(漉き掛ける)のが漉き掛け。

増田勝彦「平安時代の打雲」(『必携古典籍・古文書料紙事典』(八木書店)所収)

 「漉き掛け」とは、一度漉いた紙を地紙として、その上にさらに紙漉き技術で著色繊維を堆積させる技法です。著色した繊維は漉き掛けに使用するだけではありません。無色あるいは他の色の繊維と混合して絵具のように望みどおりの色の紙を造っていた例が、すでに八世紀には見られます。「法隆寺献物帳」(天平勝宝八年〔七五六〕の修理報告書『修復』五、岡墨光堂、一九九八年)によると、薄い藍色の表紙は紙全体を染料に漬けたり、刷毛で塗布したりすることをせず、無色の雁皮繊維二五%に藍色楮繊維七四%を混合して漉き上げた混抄紙でした。そして繊維の殆どが短く切断されているのです。繊維切断は、八世紀の製紙技術では珍しくありません。
 その後、一一世紀になると著色繊維による漉き掛けを施した料紙の例が俄然多く残されています。藍紙本として知られる『万葉集』第九残巻(京都国立博物館蔵)、『桂本万葉集』(宮内庁蔵)、「栂尾切」(大和文華館蔵)、「堺色紙」(手鑑『美努世友』所載、出光美術館蔵)、『古今和歌集』(曼殊院蔵)が知られています。いずれも一一世紀の成立とされていますが、「法隆寺献物帳」の伝統を引いた全面に著色繊維が観察される料紙であり、文様を造るには至っていません。そして、殆ど全部の漉き掛け繊維が切断されているのです。

ちょっとわかりにくいのですが、おそらく「法隆寺献物帳」は漉き染め、他は漉き掛けということであろうと思います。

髙城弘一「古筆と料紙」(『必携古典籍・古文書料紙事典』(八木書店)所収)

 染め紙は、原紙を染料に浸けて染める「浸け染め」、刷毛で塗る「刷毛染め」(=引き染め、王朝期の古筆にはほとんど遺例なし)、染め紙を紙素に戻したものを「華」といい、それを湿紙に漉き掛けて紙表だけに色をつける「漉き染め」などがある。
 漉き染めで全体的に華を漉き掛けてあっても、大根の切り口のようにモヤモヤと繊維が絡み合っているような「羅文紙」もある(口絵45頁)。これは今日なお不明な技法の一種であるが、一方、復元も試みられている。また漉き染めを部分的に施したものが、「雲紙」(打雲・打曇)や「飛雲」(口絵45頁)である。王朝期の雲紙は、天地ともに(または角から)藍色の華が雲形に漉き掛けられている。
(略)
 伝藤原行成筆「法輪寺和漢朗詠集」(陽明文庫他蔵)は、飛雲が羅文になっている唯一の例といえる珍しいもので、料紙全体は漉き染めの上、雲母砂子も撒かれている。

雲紙、飛雲、羅文紙と同様の技法であり、「華」を一面に均等に漉き掛けたのが、今話題としている漉き掛けです。

髙橋裕次「日・中・韓の料紙に関する科学的考察」

15 淮南鴻烈兵略聞詰第廿(秋萩帖 紙背) B-2532
秋萩帖/淮南鴻烈兵略聞詰(紙背) - e国宝

第1紙は雁皮を主体とする漉き返しと思われる地紙の上に、藍染めの紙を細かく切断して再利用した楮繊維を漉きかけるという、10世紀以降の漉きかけの料紙とみられる。

18 継色紙「こひしさに」 B-2459
C0023370 継色紙 - 東京国立博物館 画像検索

やや黄色がかった楮と雁皮の混合紙(墨痕から漉き返し紙と判断できる)の上に藍色の楮繊維を漉きかけており、緑がかってみえる。漉きかける藍色の繊維の量の多寡によって料紙の色合いが異なる

24 群書治要 B-2531
群書治要 - e国宝

紗目のある地紙の表裏に先染めの繊維を漉きかけており、裏側の方が漉きかける繊維の量が多めである。薄茶は引き染め。紫は表は漉きかけ、裏は引き染めである。縹も表は漉きかけ、裏は引き染めで、破損箇所をみると、内部は着色がなく、地紙の色である。

第1文は何色の紙を指しているか明記していませんが、藍紙でしょうか。「破損箇所をみると、内部は着色がなく、地紙の色である」は漉き染めではないことの明証と言っていいでしょう。

27 関戸本和漢朗詠集切 B-2510
C0021961 関戸本和漢朗詠集切 - 東京国立博物館 画像検索

料紙は、雁皮の漉き返し紙の上に、藍染の紙を細かく切断して再利用した楮繊維を漉きかけているとみられる。

28 関戸本古今集切 B-3271
C0066479 関戸本古今集切_「みちのくうた」 - 東京国立博物館 画像検索

本幅の料紙は、黄色がかった雁皮の上に藍染の楮繊維を漉きかけており、地紙は紗漉きで、両面書きの裏側に紗目がみられる。

29 栂尾切 B-3245

本幅は、本紙を相剝ぎし、紗目のある裏を分離して、左に貼り継いでいる。本紙の表は褐色し、後世に上から藍などを塗布したようにみえるが、もとは裏面とほぼ同じ縹系統の色であったと考えられる。顕微鏡による観察では、墨の痕跡が確認できることから、漉き返しの地紙の表裏に、藍色の楮繊維を漉きかけ、さらに雲母引きを施している。

30 藍紙本万葉集切 B-2450
C0008921 藍紙本万葉集切 - 東京国立博物館 画像検索

雁皮の地紙の上に藍染めの楮紙の漉き返しの繊維を漉きかけ、銀揉箔を撒いたもの。

44 石山切(伊勢集) B-1301
C0015518 石山切(伊勢集) - 東京国立博物館 画像検索

右側の水色の紙は雁皮紙に藍の繊維を漉きかけ、あらかじめ型紙を置いて白紙にした部分に、藍と紫の小さな飛雲を配している。

表面的に染めているからこそ、型を置いてその形を白抜きにできるわけです。すなわち漉き染めではありません。

49 色紙華厳経断簡(泉福寺経) B-3216

色が黄色みがかっているのは、地紙が雁皮紙で、その上に藍染めした楮繊維を漉きかけていることによる。藍染めした楮繊維とともに染色されていない楮繊維が混じっているのは、紙の状態で藍に染色した紙を短く切断して再利用しているためと思われる

むすび

「佚名本朝佳句切」と呼ばれる詩書断簡があります。現存4葉のうち2葉に大きな飛雲があり、現存する飛雲のなかで最古のものではないかと推定されています。池田和臣さんがその料紙の炭素14年代測定をしたところ、9世紀末から10世紀末ごろの値がでました。また、上記の「継色紙」は諸説ありますが10世紀後半ごろと言われます。「秋萩帖」第1紙もその頃まで遡るか。漉き染めの「円珍贈法印大和尚位並智証大師諡号勅書」は927年。(私の誤解でなければ)髙橋裕次さんは漉き染めは「この勅書を最後に見られなくなるのではないかと推測される」とされます。漉き掛けの技法が10世紀前半から存在したとすれば、または漉き染めがもう少しあとまで使われていたとしたら、ちょうど入れ替わったように見えます。

私の見た範囲では、11・12世紀の古筆料紙では漉き掛けの方が詳しく説明されているのでそちらを信じたくなりますが、とはいえすべてが漉き掛けなのかというとよくわからんというのが実感です。とりあえず、この2つをしっかり区別して記述してほしいなあと思いました。

おまけ

ほかに気になることを2点

荼毘紙

おなじく根津美術館の展覧会チラシを引用します。

紙の原料にも用いられる檀の木の表面の粉末を胡粉に混ぜて表面に塗った特殊な紙

荼毘紙に見える無数の粒子は紙に漉き込まれていたものだと思っていたのですが、胡粉に混ぜて塗ったという説ははじめて聞きました。どうなんでしょう?

通切

展覧会のスライドレクチャーに参加された方がメモを公開されています。非常に参考になりますので、展覧会に行かれる方はぜひご覧ください。
はじめての古美術鑑賞ー紙の装飾ーメモ|けろみんのブログ
そのなかで、

裏は通しという、ふるいのような目の荒い用具に物に押し付けることで凹凸がくっきりしたマス目になっており描きにくそうである。

通切の文様を通し(篩)に見立て通切と名付けたのは遥か後世のことで、名称と技法は別に考える必要があります。その上で、この篩文がどのようにつけられたかですが、目の縦横が真っ直ぐではなく歪んでいるので、布などの柔らかい素材でつけられたものではないでしょうか。

髙橋裕次さんは上掲論文で

篩目の様な痕跡がどのようにして付いたかが問題であるが、紙漉きの際の紗の痕跡としては、目が粗すぎて繊維が通り抜けてしまう。料紙に布目をつける布目打ちに使用した紗の痕跡であり、その後この紗は、表側の羅文を作るときに用いられたと考えられる

また東京国立博物館 - 1089ブログでは

紙を漉くときに、ふるいに布をひいていたため、布の目がついています。

と漉桁ではなく「ふるい」という言葉を使っているため紛らわしくなっており、かつ上記の髙橋さんの説とは若干異なりますが、ともかく布の目の痕だとされています。