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\大洋優勝/

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ここに書く話なのかという疑問もありますが、年に何回あるんだって試合にあたったので。

ヒーローはもちろんサヨナラタイムリーの倉本と同点2ランのゾノですけど、個人的に印象に残っているのが1回裏のタケヒロのヒット。いきなり3点とられてまずいなあと思いましたが、このヒットで雰囲気変わりました。6回裏のロペスしかり、10回裏のタカユキしかり、ここだという回の先頭がヒットで出て得点するという、どこの強豪チームだという試合運びでしたね。

ラミレス監督の采配もズバリ。砂田の交代は打者数人遅かったかもしれませんが、6回裏の代打的中、8回三上投入(調子のいいD打線の打順1番からで、他の投手なら失点敗北していた可能性)、三上回跨ぎ(10回裏は打順よくなりそうで、表にヤスアキを投げさせたい。とすれば9回表の選択肢は三上回跨ぎがベストか。まあもともと跨ぐ予定だったかもしれませんけれど)と、スタンドにいても勝ちに行くんだという攻めの姿勢を感じました。

そして、ヤスアキ。正直、球場に足を運ぶのは半分ヤスアキ目当てというところもありまして、見れてよかったです。映像見てないのでなんともですが、スタンドから見る限りは球のキレは良さそうで、ツーシームも落ちてました。調子取り戻してそうですね。試合後ボールをスタンドに投げ入れるのですが、そこでグランド中央からスタンドへの大遠投で客を沸かすなど、プレイだけでなくファンサもいい選手。

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ヤスアキvs藤井。いい場面は写真を撮っている場合ではないので、こんな写真しかないのは仕方ないところです。

こんな試合を見せられたら、また行くしかないじゃないかと。

@nosuke_pooh さんの連ツイに対するご返答

Tweets with replies by ク (@nosuke_pooh) | Twitterさんによる、私の「http://ouix.hatenablog.com/entry/20160509/1462728365」を受けての連ツイがありました。それに対してご返答します。

まず最初に、

こちらの方こそ、言及しておきながらお伝えせずに失礼いたしました。ツイッターの機能を誤解していまして、リンク貼ったら通知が行くものだと勘違いしておりました。誤解に気付いた時には気勢が削がれており、まあいいかと放置していたところ、このように丁寧なお返事ありがとうございます。

というわけでご返答。なお、反論や提案も含んでいますが、思うままに書いているもので、回答を期待しているわけではありません。お気になさらず。


やはり、根本的な部分で考え方の差があるなあという感じは私にもあります。基本的に「作者」の欄は、研究者が責任をもって実際の作者である(またはそう推定される)人物の名前を書く欄であろうと私は考えているんですよね。もちろんたとえば文学作品における「作者」とは何か? など深入りすると泥沼に嵌りそうなものもありますが、少なくとも書跡の作者(=筆者)は特定の1人(または複数人)なわけですから、作者欄に書いてもよいのはその人物だけであるべきではないでしょうか。学問研究の成果と、過去の古筆家の(現代の目から見たら杜撰な)鑑定結果が同じ欄に並ぶことに、一般人である私は違和感を抱きます。しかし、むしろ研究者の方が同じ欄に書くべきだと主張されるのは、わりと興味深く感じました。


私も誤解しており、失礼しました。


「作者欄に「(伝称)」と明記しておけば、「馴染みの薄い人」にも、通じるのではないのかな?と思ってい」ることが「傲慢」であるとは思いませんが、古筆の世界に浸りすぎて一般人の感覚が分かりにくくなっているようには思えます。通じない人の割合が高いのではないでしょうか。作者の欄に筆者である可能性がまったく無い人物の名前が記されていることがあるなどとは、馴染みの薄い人には想像の埒外でしょうから。しかし、たとえばゲームで日本刀に興味を持った女子中高生が東博に行ってふと古筆展示に目が行ったときですら誤認しないレベルの明快な表示というのはなかなか難しそうです。とりあえず、筆者が不明の場合は作者欄に「筆者未詳」と明記することはある程度効果的かと。



作者欄と伝称筆者欄の2本立てでいくと、こういうケースはシンプルに記述できますね。筆者が不明の場合は作者欄に「筆者未詳」と明記した上で、別に伝称筆者も書ける。私は、この2本立てがベストであるような気がしてきました。

貴重書展楽しみにしております。前回なぜか行き忘れていたこともあって、伝国冬筆古今集のことを把握していませんでした。画像上げていただきありがとうございます。次回は伺います。

最後に、お忙しい中、丁寧にご返答いただきありがとうございました。厚く御礼申し上げます。

とりあえず、この件はこれで終わりにしたいと思います。

資料用に、件の連ツイすべてを順に貼っておきます。問題があったらお知らせください。

















最近行った展覧会(で見た作品)の気になったことなどを粗々と

恋歌の筆のあと@五島美(終了)。筆陣毫戦の真名序切(伝佐理)。『五島美術館の名品【絵画と書】』で「江戸時代」ですが、『やまとうたの一千年』では平安時代とし、

大字で書写した『古今和歌集』「真名序」の部分。もとはどのような書写本であったのか不明の断簡。伝称筆者を藤原佐理(九四四-九九八)とする。和様の筆致を見せ、佐理筆とする極めは的を射ているが、佐理の真筆と較べ、時代がやや下るかと思われる。

とのこと。後者の方が新しく詳しいので、平安時代でしょうか。いずれにせよ、わりと好きな断簡です。なお東博の手鑑(B-12)に同じく伝佐理の大字真名序切があります。ツレ?

C0083664 古筆手鑑 - 東京国立博物館 画像検索

字数少ないので筆跡の判断はできず。ただ、墨色は違うんですよねえ。

美の祝典I@出光美(終了)。伴大納言絵巻。さすがやっぱりいいですね。図版で見たときよりはるかに色が良く見え魅了されました。しかし、ごく一部良すぎるように見える所も。補筆あります? 佐竹本。詞書の墨色が薄いことに今さら気づくなど。なぜこんなに薄いのか。魚養経。図録解説に麻紙とありましたが、魚養経は楮紙(一部荼毘紙)なので、これも楮紙ではないかと。東博で展示中の薬師寺蔵重文のが力強い筆跡で好みでした。いずれ魚養経の筆跡の研究(整理分類)がなされることを心待ちにしております。絵因果経。この筆跡に似たようなのをどこかで見たことがあるような、気のせいなのか。奈良時代推定の根拠ってなんでしょう。それとこれが国宝ではない理由も気になります。奈良時代で断定でき他に問題ないなら国宝であるべきはず。

コレクション展@芸大美(終了)。久しぶりの訪問。エレベーターを利用したらテプラがベタベタ貼られてるのが目につきまして、まさか芸大美術館でデザインの敗北を見れるとは。トイレの個室の扉にも「押」が貼られてました。「引いて開かないから中にいるのかと思って使えなかった。押すものなら押すって書いとけ」みたいなクレームがあったんですかね。月光菩薩坐像。半壊の木心乾漆像で木心が覗けます。壊れかけた資料は破壊が進みやすいのでより慎重な扱いが求められるでしょう。しかも見栄えが悪い。結果、展示には向かないわけですが、こういう資料をあえて展示するところに、修復に関しても力を入れる芸大の気持ちを感じます。絵因果経。五島美の染紙帖に貼られた5行はかなりいい筆跡だと思うのですが、こちらの国宝残巻の展示部分はちょっと崩れ気味。いいところを選んで切ったのでしょうか。他の部分も確認しないとなんともですけれど。金錯狩猟文銅筒後漢時代の青銅の筒で、竹を模したもの。金象嵌の狩猟文はちょっと見づらかったですが、細かくてよさげ。恐らく祭祀用。しかし、どのように使ったのかは想像つかず、気になります。

アフガン@東博表慶館(~6/9)。1番魅了されたのは、166の脚付彩絵杯(1世紀)。透明度の高い無色のガラス(ここでまず驚く)に、2000年前というのは信じられないほどの鮮やかな色絵。エナメルで絵付けして焼き付けたものだそうで、ずいぶんときれいに残りますね。しかも、その絵もなかなかいいんですよね。特にハイライトの入れ方。あまりに気に入ったために、初めて絵葉書を買ってしまいました。九博のサイトに画像があります(いずれ消されると思われ)。

広重@サン美(~6/12)。とくに六十余州名所図会は状態がよく、ところどころツヤがあってテカるという。浮世絵でこんなの初めてみました。

「しん板なぞなぞ双六」の謎かけ読解の一例

以前、くずし字アプリKuLAにも収録されている「しん板なぞなぞ双六」について取り上げたことがありました。

ouix.hatenablog.com

先日、いくつかの謎かけについて、ざあさんという方にコメントで解説していただきました。そのうちの1つがちょっとおもしろいものだったので、ここでご紹介します。

まずはその謎かけ。

3(1-5)

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  • ばかものトかけて まぐろのさしミとトく 心ハ 知りへがない
  • 馬鹿者とかけて、マグロの刺身と解く。心は、知り得?/後方?がない。
  • よくわからず。

これに対する、ざあさんのコメント。(自分で考えたいという方が意図せず目に入らないように、少し空白をおきます。)










3(1-5)は、「智へがない」で「血合いがない」との掛け、でしょうか。刺身に血合い部分は使わない、から…

つまり、「知りへ」ではなく「智へ」であろうと。しかし、どうみても「智」ではなく「知り(里)」に見える。ということは誤写を想定されているのではないかと思われます。仮に誤写だったとして、その誤りがこの双六からなのか、ネタ本の時点ですでにそうだったのかは不明ですが、幾度かの転写でこのように変化したというのはありそうな話。「智恵」を「智へ」と表記することに疑問がある点(これも誤写か)、また「智へ(智恵)」から「血合い」がでてくるかについて多少の懸念はありつつも、「馬鹿者は智恵がない」と「マグロの刺身は血合いがない」で完全に筋が通っていますし、この解釈でよさそう。

もちろんこれが正解であるかは判断つきません。素直に読んだ「知りへ」で筋が通る解釈があれば、やはりそちらを取るべきでしょうし。しかし、誤写を考慮して鮮やかな解釈を導き出す発想力には感服です。おみそれしました。

伝称筆者についての前の記事に対する反応へのレス

ouix.hatenablog.com

先日の記事でいくつは反応をいただきました。ありがとうございます。見つけた範囲でレスします。

まずは、ツイッター


これってまさに私が「伝称筆者は作者ではない。もちろんその伝称(過去の古筆家の鑑定)が当たっていると思うなら作者欄に記せばいいんですよ、「伝」抜きで。ちょっと留保したいというなら「(推定)」くらいはつけてもいい」と書いたケースですよね。むしろ「伝えられる筆者と真の筆者が筆からして同一だと思うんだけど、客観的な決め手がないから「伝」つけざるを得ないケース」を、高野切における「伝紀貫之」と同じ欄に同じような表記で書いていることに納得しているということが私には理解しがたい。



「無いとやっぱり非常に困る」というのは、私も「誤解されないように言っておきますが、私は伝称筆者を書くなと言っているわけではありません云々」と書いたとおり、全くの同意見です。そして、これは伝称筆者を、それがどんなに大事なものだったとしても作者ではないのだから作者の欄に書くべきではないという私の主張に対する反論にはなっていないと思いますが、如何?
続いて、作者欄に伝称筆者を書く理由として「パッと見た時の視認性」を挙げてらっしゃいますが、馴染みの薄い人が誤認する可能性を下げることよりも、私達の見やすさが優先されるべきだというのは、すくなくとも一般に開かれた美術館の展示などでは受け入れがたい意見ですね。私が先の記事で問題にしたのは特にこの展示のケースであり、論文や専門書などでは誤認される可能性は低いので、視認性が優先だという意見も分からないではないです。
「筆者として認定・愛玩されてきた歴史もあるので、それは相応に重視されてもよい」にしても、個人的にはあまり説得力を感じないですね。さらに言うと、実際の筆者が判明(推定)されたときには伝称筆者を書かないというちぐはぐさも気になるんですよ。たとえば高野切第二種の伝紀貫之、筋切・通切の伝藤原佐理、今城切の伝飛鳥井雅経など、「王羲之から空海へ」展のリストには書かれていないのですが、整合性が取れてないなあという印象です。「重視されてもよい」と言いつつも、実際の筆者が判明したらリストから排除する。これが「相応」ということなんでしょうか。
これはおそらく私の先の記事への反応です。いくつか「伝承」「伝承筆者」になっていましたが、変換ミスです、すいません。修正しました。(読み返したら、この記事でも同じミスを犯していたという。。。グ、グーグルが悪いんや、グーグルが)



ちょっと引用の仕方をミスしたかなと反省しております。高橋さんの本へのネガティブなイメージを広めたのだとしたら申しわけない。高橋さんは日本美術界隈の「伝○○」という慣習などに見える曖昧さについてだいぶ批判的ではないかと思われます。しかし、それを厚いオブラートに包んでいる。そのオブラートのひとつとして、日本美術界隈の慣習について日本的であるので一定程度の理解は可能であるがというようなことを仰っているのではないのかなあと愚考します。本音はかなり批判的だろうと私は読みました。分かりにくくて申しわけないのですが、この節全体を読んでみると日本的云々については多少気になるものの、言いたいことは理解できるという感想でした。



作者の欄に書かなくても「受容史を示す役割」を果たすことはできると思います。



「西洋美術の"attributed to"(「推定」や「帰属」の意)」が、欧米でどのように使われているかというのは、私も気になるところです。また、詳しくは知りませんが、日本の西洋美術界隈では"attributed to"を「(帰属)」と訳すのが一般的になりつつある印象。逆のケース(日本の「伝」を向こうがどう訳すのか)も知りたいところです。フリーア美術館やバークコレクションの公式サイトをざっと見たところ、そもそも伝称筆者の記載自体がみあたらず。仮に"attributed to"と訳すのが一般的だったとしても、それが"attributed to"という語の意味として許容範囲であるのか、日本美術(古筆)を語る時だけの特殊であるのかの判断も必要そうです。



こちらの方ははてブを利用されていまして、上のDG-Law/稲田義智さんのコメントを受けてのコメントで、そこから「西洋美術の「attributed to」(ホントかも)」という表現が出てきています。自分で紹介しておいてなんですが、「伝」を「ウソ」っていうのは極端な言い方でして、あまり言い広めて欲しくないかも。美術館などに展示される名物切についてはだいたい「ウソ」という程度の認識でいいのですけれども。
美術館も博物館なのでウソを書いてはまずいと思います。「作品の向こうに消失点として設定されたファンタジー」という表現はわりと好きです。



高橋さんの本へ批判が向くというのは本意ではありません。できれば本を読んでいただきたいところですが、もう少しだけ引用させていただきます。

 二〇〇二年四月二三日~五月一九日、東京国立博物館で『没後500年特別展「雪舟」』が開かれましたが、展示されていたのは「雪舟」作よりも「伝 雪舟」とされるものの方が多かったのです。それを鑑賞したオランダの日本美術研究家が、私に凄まじい剣幕で憤りを訴えてきました。「二一世紀になっても、以前とまったく変わらないじゃないか。日本はどうなっているんだ? 真贋の研究を真面目に行っているのかい?」。つまり、真贋が判明していない作品を国立の美術館が展示していることに疑問を投げかけているんですね。確かに、これほど怒られてみると、我々日本人は真贋が判明していない「雪舟が描いたものかもしれない」作品を一生懸命、ありがたがって鑑賞しているにすぎない。滑稽といえば滑稽です。その研究家は、「あれは鑑賞者に対する裏切りだ」とまで断言していましたけれど、海外の研究者から見ると、そういう風に批判されても仕方がないということです。

「伝世情報が作品理解にとって重要だ」で、このオランダの日本美術研究家が説得されるのか否か。作者欄以外に記載していればさほど怒らなかったかも。


続いて、はてブ。重複は省略します。

どうなんでしょう・・ - consigliere のコメント / はてなブックマーク
どうなんでしょう・・。ツイッターを拝見する限り、批判的な上2つをリツイートされているので、反対なのかなと推測しますが。


うーん、書いたほうが良い派かな。もちろん個別に詳しく背景を解説できれば、それに越したことはないけど。「伝」の歴史叙述側面を重視したいというか、『孔子家語』は偽書ゆえに焚書すべきとは思わないというか。 - nagaichi のコメント / はてなブックマーク
伝称筆者は作者欄に書くべきではなく、別の欄に記すべきであるというのが先の記事の主旨です。作者欄に記すのを反対すると「「伝」の歴史叙述側面を重視」することに反するというのは理解しかねます。


↓これは全く問題ない。そしてこれは西欧美術史におけるattributeやschoolでもない。あえて西欧美術史の文脈でいうと筆記は同一化の対象なので。「お筆先」という言葉がある通り(シミュラクルとしての)魂の問題>id:florentine - Midas のコメント / はてなブックマーク
このご意見の内容が、私はまったく理解できませんでした。正直、賛成していただいているのか、反対なのか、どちらでもないのかすらも読み取れない。。。すみません、勉強してきます。今回はパスということで、ご勘弁ください。かみ砕いて説明していただけたら幸いですが、ご面倒なら無視していただいて構いません。


作者欄ではなく備考欄とかに書けって話では。 - nt46 のコメント / はてなブックマーク
仰るとおりで、その点についてかなり明確に書いたつもりなのですが、理解していただいていないと思しい反論が散見されまして、書くのって難しいなあと実感いたしました。

以上です。


なお、私はかなり妥協的な人間でして、思いの外批判もありましたし、譲歩しましょう。

伝称筆者は筆者ではないのだから筆者・作者欄に書くべきではない。一方、現実には筆者・作者欄に伝称筆者を書くという慣習がかなり根強く定着しているので、それを変更するのは得策ではない。しかし、やはり「筆者」とか「作者名」などと称されている欄に伝称筆者を書くのはおかしい。せめて「筆者または伝称筆者」や「作者名など」というように変更すべきであろう。

これだったら先の記事に反対された方も同意できるのではないかと思いますが、いかがですか?


ブコメが増えたので追加です。

古典美術から史的側面を後退させろっていう提案に見える。それも含めて作品の魅力なんだから難しいと思う。 - EoH-GS のコメント / はてなブックマーク
伝称筆者「も含めて作品の魅力」というのは分かります。しかし伝称筆者を作者欄に書くべきではない、しかし重要な情報だから別の欄には記載すべきだという主張に対して「古典美術から史的側面を後退させろっていう提案に見える」という応えは、私には不可解です。


伝~伝伝、伝~伝伝(AKIRAの曲) - nomitori のコメント / はてなブックマーク
AKIRAにこんな曲ありましたっけ? 1回しか見てないのでよく知らないのですが、1番有名な曲を指してます?


五島美術館の展覧会で「伝藤原佐理」のキャプションに「筆跡から藤原○○だと思われる」と書いてあって混乱した。/陵墓参考地とかと似たような。 - Flymetothemoon のコメント / はてなブックマーク
直近の展覧会で出てますし、筋切・通切のことでしょう。伝称筆者は藤原佐理。巻子本古今集、元永本古今集、下絵拾遺抄切、西本願寺本三十六人家集のうちの人麿集と貫之集上などと同筆で、推定筆者は藤原定実(藤原行成の曾孫)です。この推定は確実さに欠けるところがあり、おそらくそのため五島美術館では伝称筆者の藤原佐理を残し、また「王羲之から空海へ」展では「藤原定実(推定)」と留保しています。2013年東博平成館の「和様の書」展では「藤原定実」で断定していました。

更に続く

作者の欄に「伝○○」(伝称筆者)を書くべきではないと思う

三菱一号館美術館の館長である高橋朋也さんの『美術館の舞台裏』(ちくま新書、2015)に次のような一節があります。

美術館の舞台裏: 魅せる展覧会を作るには (ちくま新書)

美術館の舞台裏: 魅せる展覧会を作るには (ちくま新書)

 日本美術の展覧会で作品紹介のプレートに「伝 ○○」と明記されているのをご覧になったことはありませんか? 例えば「伝 雪舟」と記載されていれば、「これは雪舟の作であろうといわれています」という一種のお断りです。特定できない作品については、あくまで個人名記載はせず、ぼやかした表現を選択する。所蔵者・関係者に対する一種の気配りでもあり、断定するのを避けて、とりあえず判断を保留しておくことも日本的な手法なのです。*1

「あくまで個人名記載はせず」の部分がよく分かりませんが(特定できないなら記載もできない)、それはさておき、「断定するのを避けて、とりあえず判断を保留しておく」手法として「伝○○」という表記が取られている、理由のひとつは「所蔵者・関係者に対する一種の気配り」という主張でしょう。しかし、この考えは古筆好きからすると、かなり違和感があります。古筆の展示における「伝○○」は判断保留のためではないケースが多いのです。

例えば、大阪市立美術館で開催中の「王羲之から空海へ」展の出品予定作品リスト(PDF)をご覧ください。展示期間変更が3点あり、それらについては冒頭にも掲示しています。その部分。

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127の「高野切第一種(古今集巻第二十)」の筆者の欄は「伝紀貫之」で、時代は「平安時代・十一世紀中期」。紀貫之は9世紀後半から10世紀前半の人です。時代つまり書写年代を11世紀中期としているということは「断定するのを避けて、とりあえず判断を保留」なんてしていないですよね。「高野切第一種(古今集巻第二十)」の筆者が貫之であることを明白に否定しています。

これは一般的に受け入れられた考えで、展覧会独自の判断ではありません。高野切の筆者を貫之と考えている人は、研究者も愛好家も誰ひとりとしていないでしょう。高野切だけではありません。この展示予定リストで筆者が「伝○○」になっているもののほとんどは、真筆であることが明確に否定される、またはかなり疑わしいと推定されるものです。

にもかかわらず、なぜ「筆者」の欄にこの「伝○○」(以下「伝称筆者」とも表記します)を書くのか? この美術館・展覧会だけではありません。例えば出光美術館。開催中の「美の祝典」展の出品リストでは「作者名」の欄に伝称筆者を書いています。

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他の美術館も同様で、展示キャプションや出品リストまた図録などで、作者・筆者が書かれている欄(必ずしも明確に「作者名」や「筆者」などの名称が使われているわけではありませんが、そうと判断できる箇所)に当たり前のように伝称筆者が記されているのです。これが私にはどうにも納得がいかない。

よく博物館などに行かれまして、展示されているものを見て、例えば「伝紀貫之筆 高野切」とかですね、「伝なになに筆」、「伝える」という字を頭につけている場合があります。そうでない「伝」がつかないものがあります。「伝」がついている場合はどう読むかというと「ウソ」って読めばいいんです、あれは。

02.「第一講 変体仮名を読もう(1)第二章 古筆切を読む(1)」 | Waseda Course Channel

Waseda Course Channel | 早稲田大学公開授業動画にある授業動画での兼築信行さんのご発言。授業ですからね、話を聞いてもらうためにちょっと極端な言い回しをするのは一種のテクニックであり、不用意な言い回しだと思いますが批判しようというつもりはありません。むしろ、大袈裟に言えば「ウソ」であることを、美術館・博物館が書いているということに不満があるのです。

冒頭に引用した高橋さんはさらに次のようにも仰っています。

 なぜ、日本の美術界が不明瞭さを選択してきたのか。一つには、日本人は、「ファジー(曖昧)」な領域を許容する、場合によってはそこに魅力を感じる精神性を持っているからだとも推測できます。他方で、現実的な側面においては、真贋が曖昧なままのほうが都合がいいと思う人が多数いるからだとも思われます。
 美術品の真贋には、必ずお金が関係してきます。万が一、真作が贋作になれば、評価額がまったく違ってきます。一億円の価値があると思われていた作品が一〇〇万円相当と評価されてしまったら、資産価値が百分の一になってしまう。評価額が変われば、保険料が変わります。美術館側も各画商も資産価値が変わることで、所蔵家との関係がかなり微妙になることも考えられます。
 このようにいろいろと不具合が出てくるのは否めません。日本美術はそういうケースを慮って、真贋をなるべくグレーにしているところがあります。決して感心できる不文律ではありませんが、ここに大きくメスをいれるとなると日本美術界全体がひっくり返るような大騒動になるやもしれず。今後の改革が望まれる課題ではあります。*2

「日本の美術界が不明瞭さを選択してきた」のは「真贋が曖昧なままのほうが都合がいいと思う人が多数いるからだとも思われます」ということから分かるのはは、「伝○○」という表記は真贋を曖昧にすることが目的のひとつだという意見です。しかし、古筆における筆者欄の伝称筆者表記は、一般的にはこれが当てはまりません。先ほど述べたように、多くの場合「伝」が付いている筆者名は実際の筆者ではないと広く認識されているから。特に美術館などで展示されるような美術的価値の高い作品(すなわち金銭的価値が高い作品)については、そう考えていいでしょう。曖昧ではありません。明確に否定されている、もしくはそれに準ずるレベルで疑わしいと考えられているのです。

ではなぜ作者欄に「伝」をつけて伝称筆者を書くなんてことをするのか。正直、私にはさっぱり理由がわかりません。

書跡・古筆に関心のある人ならば、こういう慣習について知っているでしょうから特に問題にはなりません。しかし、書跡展示になじみのない人がこの表記を見たときどのように捉えるでしょうか。それがほんとうの筆者である可能性が高いと誤解したとしても仕方のないことだと思います。実際紛らわしいですから。そういう観点から見れば、この表記は高橋さんの仰るとおり曖昧だと思います。その上で鑑賞者に対して誠実さを欠いているとも言えます。

ですから、私は作者欄に伝称筆者を書くのをやめるべきだと思うんですよね。美術館・博物館はすべての人に開かれているべきであり、なじみの薄い人にも明快で誤解の少ないようにすべきでしょう。この表記は明らかにそれに反します。

しかも、そこに明瞭さを求めたとしても「日本美術界全体がひっくり返るような大騒動」にはならない。というのも、コレクターも愛好家も古美術商も美術館も研究者も、古筆に関心ある人はすべて既に「伝」がついてる時点で筆者とは見なさないわけですから。何らかの手段によってほんとうの筆者が特定されればそれを筆者と見なし、特定されないならば筆者未詳、場合によっては伝称筆者が実際の筆者である可能性を考慮するといった感じ。作者欄から伝称筆者名がなくなったとしても、たいして状況は変わらないわけです。

誤解されないように言っておきますが、私は伝称筆者を書くなと言っているわけではありません。伝称それ自体は尊重すべきでしょうし、分類整理に便利だったりもするし、特に時代が下がったものに関しては、古筆家が実際の筆者を知っていた可能性もあるなど蔑ろにはできない。しかし、それは作者の欄に書くものなのかって思うのです。

どこに記すべきなのか。実際の作者であると間違われる箇所でなければどこに書いたっていいと思います。展示リストには表記されている方が望ましいので、説明欄落ちは困る。とすれば、作品名に入れ込むか、新たに伝称筆者欄を設けるかの2択しょう。その上で作者欄に「未詳」と書いてあればさらに親切ですね。

作者の欄に記すのは作者(と推定される人物)に限定されるべきで、それ以外は書いてはいけない。これ、当たり前のことだと思うんですよ。そして、伝称筆者は作者ではない。もちろんその伝称(過去の古筆家の鑑定)が当たっていると思うなら作者欄に記せばいいんですよ、「伝」抜きで。ちょっと留保したいというなら「(推定)」くらいはつけてもいい。「伝」をつければ作者欄に絶対に作者とは考えられない人物の名前ですらも記載することができるというのは、私には到底理解できない感覚です。

そりゃ、作者欄に「伝紀貫之」とか「伝藤原行成」とか書いてる方が見栄えはいいかもしれません。でも、美術館・博物館って見世物小屋じゃないのですから、こういう誤解を招くことは避けた方がいいですよ。

実際、どういう理由があってこんな慣習が続いているのか、私には想像がつきません。ご存知の方がいらしたらご教示いただければ幸いです。そして、仮に大して意味がないなら、害があることなので止めた方がいいと思います。


なお、否定的な形で引用してしまったために誤解を受けそうですが、この『美術館の舞台裏』は面白い本ですよ。美術館・展覧会に足を運ばれる方なら楽しめます。おすすめです。


続き

ouix.hatenablog.com

*1:手許にあるのがKindle版なのでページ数不明です。「第5章 美術作品はつねにリスクにさらされている? 2 日本美術、グレーゾーンへの執着――「伝 ○○」という逃げ道」より。

*2:同じ節からの引用

七夕契久和歌懐紙 後醍醐天皇筆

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画像は「国立国会図書館デジタルコレクション - 宸翰英華. 乾」から。ただしNDLデジコレの画像は2枚に分けて撮影したもので、それをこちらで継ぎ合わせたものです。4行目と5行目の間にうっすらとみえる筋がその継目。

正中2年7月7日に開かれた後醍醐天皇主催の七夕御会のときの自筆懐紙。歌題は「七夕契久」。大東急記念文庫現蔵で、現在五島美術館で開催中の「春の優品展 恋歌の筆のあと」にて展示されています。となりに展示されている藤原為定の懐紙も同じ時のもので、同じく大東急記念文庫蔵。ともに、『大東急記念文庫善本叢刊 中古中世篇 第7巻』*1に図版があります。また、さらに北畠親房・洞院公敏などの懐紙12枚が冷泉家時雨亭文庫に所蔵されております。重要文化財、指定名称「正中二年七夕御会和歌懐紙(十二通)」(文化遺産データベース)、図版は冷泉家時雨亭叢書第34巻『中世百首歌・七夕御会和歌懐紙・中世私撰集』*2に収録されています。

そのうち、例えば三条実任は「めくりあふちきりもとをしくものうへやきみか千とせのあきの七夕」、坊門清忠は「すゑとをき御代のためしはひさかたのそらなるほしのちきりにそしる」とわかりやすく賀歌を歌っていることを考えると、御製も表面上の意味を取るだけでは足らず、やはり「すゑとを」きことを祈り願うことも込められているでしょうか。

第2句の「へにけるとし」から思い浮かべるのは後鳥羽院の「思ひつつ経にける年のかひやなきただあらましの夕暮の空」(新古今巻11)。天上の久しき契りが、人の心の変わりやすさと対比され、強調されます。

後醍醐も所詮は地上の人であり、願いむなしく吉野で無念の最期を遂げたことは人の知るところ。

しかし、700年ほど後の現代にこの御製宸翰は残りました。それを前に、同じようにはるかな昔ととおい末とを思いつつ、うまく言えませんが、なんだか妙に不思議な気分を味わうなど。

*1:大東急記念文庫・汲古書院、2005年、NDLサーチ

*2:朝日新聞社、1996年、NDLサーチ

「よみがえる仏の美」展@静嘉堂文庫美術館

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静嘉堂文庫美術館で開催中の「よみがえる仏の美」展に行ってきました。いろいろ素晴らしい作品が出陳されていますが、目当ては古写経です。

2. 大般若経巻245(和銅経)

展示は巻頭。折本、5行1折。虫損多し。太平寺旧蔵か。

大般若波羅蜜多経巻苐二百卌五
初分難信解品苐卅四之六十四*1

この写経について、キャプションは次のように解説しています。

本経は文武天皇の菩提を弔うために長屋王(684~729)の発願により書写されたもの

発願文を普通によむと確かにこのような解釈になります。今回はその部分が展示されていなかったので、代わりに京博蔵の巻250の発願文を示すと(大般若経巻第二百五十 - e国宝

藤原宮御㝢 天皇慶雲四年六月
十五日登遐三光惨然四海遏密長屋
殿下地極天倫情深福報乃為
天皇敬写大般若経六百巻用尽酸割
之誠焉
和銅五年歳次壬子十一月十五日庚辰畢
     用紙一十八張    北宮

「藤原宮御㝢天皇慶雲四年六月十五日登遐」の「天皇」が文武天皇を指すことは間違いありません。その上で「為天皇敬写」と書いているわけですから、崩御した文武天皇のため、菩提を弔うことを目的として書写したと考えられます。しかし、それを否定する説もあります。

上代写経識語注釈』(勉誠出版、2016年、NDLサーチ)には次のよう書かれてます(該項の執筆は桑原祐子さん)

 写経の目的を文武天皇追福とするなら、次の三点において疑問が生じる。
 第一は、写経の時期である。文武天皇没から既に五年経過している(略)
 第二に、経典の種類である。『続日本紀』「正倉院文書」等から考えると、天皇・皇后・皇太后追福のために「大般若経」が書写された例はない(略)。大般若経の書写や転読は「消除災害・平復疾病・国家安寧」を目的とする。(略)
 第三に、願文中に死者の死後の世界に関わる表現が見いだせない。(略)つまり追福を目的としていることが、願文の表現から明確には窺えないのである。
 以上の点から、「天皇」は「元明」をさす可能性を考え、写経の目的を「国家安寧」とする可能性を考えたい。(p27-28)

願文4行目の「為天皇敬写」の「天皇」を、1行目の「天皇」即ち文武天皇とではなく、そのとき位にあった元明天皇と解釈すると。

また、今回のキャプションでは触れられていませんでしたが、この願文には「北宮」という論点もあります。e国宝の解説では「長屋王の妃であり、文武天皇の妹でもある吉備内親王草壁皇子の女)の宮であると推測されるに至った」としていますが、同じく『上代写経識語注釈』には

従来、「北」を夫人の住まいと解して、吉備内親王をさすと考えられてきたが、近年の長屋王家木簡の解読によって、高市皇子の宮(香具山之宮)の家政機関を引き継いだ長屋王のもう一つの家政機関を示す名称と考えられている。

とのこと。参考文献には

が挙げられていましたが、私は

で読みました。森さんは当時研究所に勤めてたので、おそらく『調査報告』も森さんの手になるものでしょう。読んだ限りは、北宮=高市皇子の宮の家政機関継承説の方がよさそうです。

3. 仏説華手経巻4(五月一日経)

~5月15日

展示は巻頭。表紙欠、多少破損が見えますが、わりと保存状態はいいと思います。首題、

華手経惣相品第十四   [下部欠損]

華手経(全15巻*2)の1巻。天平十二年五月一日光明皇后願経(五月一日経)。奈良博所蔵の巻12がおそらく僚巻ではないかと思います。

華手経 巻第十二(五月一日経)|奈良国立博物館
華手経(巻第十二)(五月一日経)|画像データベース | 奈良国立博物館

この五月一日経は発願文に「天平十二年五月一日」と年記が記されていまして、書写年代はこの天平12年(740)が採用されることが多いですが、正倉院文書によって具体的に書写年月が特定される場合があり、それを用いることもあります。今回の展覧会では、この制作年は「天平12年(740)以降」と記されていました。しかし、上にリンクを貼った奈良博のサイトでは巻12について「天平10 738」「正倉院文書から天平10年書写と推定される」と書かれており矛盾します。

奈良博の時代推定の根拠は、正倉院文書の「写一切経充装潢帳」(続々修27ノ4、大日古7p110*3)の「(天平10年)六月七日道守味当受経 花手経十五巻百六十三……」(書写の終った華手経15巻などの装潢(ここでは製本)を装潢師の道守味当に割り振ったという帳簿)によると思われます。書写からそれほど間を置かずに装潢に回される筈なので、書写年代は天平10年(738)と推定されます。静嘉堂の言う「天平12年(740)以降」の根拠は分かりません。あるいは僚巻ではないのか。

5. 紺紙金銀行書華厳経巻15断簡(「古経鑑」の内)

展示されていたのは25行、華厳経(60巻本)巻15(T0278_.09.0495b07-c04)。

界罫が特殊で、天地の横界が金、縦罫が銀です。この特徴的な罫は、「金銀交書経 - ときかぬ記」で触れた植村和堂さんの『日本の写経』(理工学社、1981年、NDLサーチ)p136記載の出典未記載の3行断簡と同様です。清衡経より古体に見えるのも同様。

8. 古経貼交屏風

作品名は「古経貼交屏風」ですが、経切だけではなく仏画や裂も貼られていました。キャプションによると

蜀紅錦をはじめ「法隆寺献納宝物」と同じ裂などが多くみられることから、法隆寺什物との深い関わりが推定される。

とのこと。

この屏風に貼られた経切についてはまだ調べが足りないので、簡単に。

註楞伽経が2葉。別本だろうと思います。左隻第2扇6行は伝魚養筆本、巻7で根津美本の佚失部でしょう。右隻第2扇19行断簡は巻6。伝魚養筆本でないとすれば五月一日経本かと思いますが、巻6は個人蔵(重文、現在所在不明)。この巻に抜けがあるのか、それともまた別本なのでしょうか。五月一日経本は図版に恵まれないので、ちょっと比較が難しい。

右隻第3扇に光覚知識経(巻末および識語部分)。舍利弗阿毘曇論巻10。『日本古写経現存目録』p67-68に収録。

右隻第3扇に二月堂焼経(13行、巻52)、第6扇に隅寺心経。同第4扇5行は行信経か。大般若経巻81。

*1:この1字重ね書きによって修正

*2:10巻など巻立の異なるものあり

*3:https://clioimg.hi.u-tokyo.ac.jp/viewer/image/idata/850/8500/05/0007/0110.tif

東博の中国の漆工展示(2016年4月から7月)

東博の中国の漆工展示(2016年1月から4月) - ときかぬ記」に続いて2回目。

中国の漆工

東京国立博物館 - 展示 アジアギャラリー(東洋館) 中国の漆工 作品リスト
東洋館 9室 2016年4月12日(火) ~ 2016年7月10日(日)

花鳥堆黒長方盆

1枚|中国|南宋時代・13世紀|個人蔵

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花卉堆黒長方盆

1枚|「戚壽造」銘・中国|南宋時代・13世紀|TH-496

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E0029782 花卉堆黒長方盆 - 東京国立博物館 画像検索
C0104552 花卉堆黒長方盆 - 東京国立博物館 画像検索
C0104555 花卉堆黒長方盆 - 東京国立博物館 画像検索
C0060997 花卉堆黒長方盆 - 東京国立博物館 画像検索

東博画像検索の1番上の画像は拡大図で、それを見ると黒や朱や黄などの色漆をいく層にも重ね塗りしている様子が分かります。

花鳥堆朱重合子

1合|中国|南宋時代・13世紀|TH-41

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C0077045 花鳥堆朱重合子 - 東京国立博物館 画像検索
C0076360 花鳥堆朱重合子 - 東京国立博物館 画像検索

2段組の蓋付き容器なので重合子。東博画像検索の上の画像は底で、そちらにも文様があります。

松竹梅填漆合子

1合|「大明宣徳年製」銘・中国|明時代・宣徳年間(1426~35)|TH-387

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C0073832 松竹梅填漆合子 - 東京国立博物館 画像検索
C0017005 松竹梅填漆盒子 - 東京国立博物館 画像検索
C0003626 松竹梅存星盒子 - 東京国立博物館 画像検索
C0032257 松竹梅填漆盒子 - 東京国立博物館 画像検索

キャプションによると「文献資料によって明時代には填漆が行われていたことが分かりますが、明代の遺例は少なく、この合子は貴重な存在です」。魚子地。ただし存星展(五島美術館、2014年)に出陳されていた填漆の魚子地は彫られて窪んでいましたが、こちらは平滑に見えます。

童子存星方勝形合子

1合|「大明嘉靖年製」銘・中国|明時代・嘉靖年間(1522~66)|TH-510

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C0083187 童子存星合子 - 東京国立博物館 画像検索
E0028362 童子存星合子 - 東京国立博物館 画像検索

龍存星鋌形盆

1枚|「大明嘉靖年製」銘・中国|明時代・嘉靖年間(1522~66)|TH-513

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これ、キャプションが置いてある側から撮ったものですが、上下逆ですよね。

龍存星長方盆

1枚|「大明萬暦乙酉年製」銘・中国|明時代・万暦13年(1585)|広田松繁氏寄贈・TH-347

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C0084480 龍存星長盆 - 東京国立博物館 画像検索
E0028355 龍存星長方形盆 - 東京国立博物館 画像検索
C0005184 龍存星長方形盆 - 東京国立博物館 画像検索
C0002339 龍存星長方形盆 - 東京国立博物館 画像検索
C0032144 龍存星長方盆 - 東京国立博物館 画像検索

これも逆でした。

この2点は(他のいくつかの作品と共に)反対側からも鑑賞できる展示ケースに入っていたので、そちらに回れば上下を正しく見ることはできます。とはいえ、大抵はこちら側からしか鑑賞しないですし、ライティングもその方が見やすい。ということは、明らかにこの2点の盆は上下をひっくり返して鑑賞してもらおうとして展示しています。こういう置き方があるのでしょうか。どういう意図または意味があるのでしょうか。

霊獣存星盆

1枚|「大明萬暦乙未年製」銘 ・中国|明時代・万暦23年(1595)|TH-503

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C0065265 霊獣動物文存星小盆 - 東京国立博物館 画像検索

龍涛存星輪花盆

1枚|「大清康熙年製」銘・中国|清時代・康熙年間(1662~1722)|TH-524

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C0089110 龍涛存星輪花盆 - 東京国立博物館 画像検索

鳳凰存星銭形盆

1枚|中国|清時代・18世紀|TH-61

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黒漆稜花形合子

1合|中国|元時代・14世紀|TH-365

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蓋上部中央の龍が彫られた白い部分は何を素材とし何を目的としたのか分かりません。一見すると蓮の花の雌しべのようなものにも見えます。よく見ると竜が彫られてますが、何でしょうか。

黒漆十二花形合子

1合|中国|元時代・14世紀|工藤吉郎氏寄贈・TH-464

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楕円形の輪形合子。花弁が12箇所あるので十二花形。

朱漆稜花盆

1枚|中国|元時代・14世紀|TH-398

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C0024519 朱漆稜花盤 - 東京国立博物館 画像検索

朱漆菊花

1枚|中国|明時代・15~16世紀|TH-144

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東博の古筆・古写経展示(2016年4月から5月)

仏教の興隆―飛鳥・奈良

東京国立博物館 - 展示 日本美術(本館) 仏教の興隆―飛鳥・奈良 作品リスト
本館 1室 2016年4月12日(火) ~ 2016年5月15日(日)

大般若経 巻第三百二十九(薬師寺経)

重文|1巻|奈良時代・8世紀|奈良・薬師寺

撮影禁止でした。

薬師寺経または魚養経。薬師寺所蔵の重文33巻のうちの1巻で、展示は巻頭部分、「薬師寺印」朱円印2顆を見せます。濃い茶色(こげ茶色)の料紙に、力強い筆跡、表紙はおそらく後補で、軸端は当初のものでしょうか。

去年の7月にもこの巻329を展示しています(なお神亀経1巻1幅との組み合わせも同じ)。

大般若経 巻第四百六十八(神亀五年五月十五日長屋王願経)

重文|1巻|奈良時代神亀5年(728)|個人蔵

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神亀経巻467。展示は巻末で、発願文を見せます(去夏の展示は中ほどでした)。

以下、上代文献を読む会[編]『上代写経識語注釈』(勉誠出版、2016年、NDLサーチ)に依ります。神亀経の項の執筆は、影山尚之さん。

仏弟子長王、至誠発願、奉写大般若経一部六百巻」すなわち長屋王発願の大般若経。ただし、長屋王の私的な写経ではなく、公的な側面のある写経であろうという指摘があります。その目的は発願文に曰く2つあって(現代語訳は『上代写経識語注釈』のを利用させていただきました)、「以此善業、奉資登仙二尊神霊(この、写経という善い行いによって、すでに天上界にいらっしゃる貴い両親のみたまをお援け申しあげたい)」および「又、以此善根、仰資現御寓天皇并開闢以来代代帝皇(また、この写経という善い営みを因として、つつしんで今上天皇ならびに開闢以来歴代皇帝をお援け申しあげたい)」。つまり両親や歴代天皇のため。

神亀五年歳次戊辰五月十五日」は発願の日で、「神亀五年歳次戊辰九月廿三日」は完成の日。「『続日本紀』によればこの間に皇太子(基王)の病臥と薨去があった」。

最後から2行目「検校藤原寺僧道慈」の「藤原寺」は興福寺を指します。「道慈」は「奈良時代三論宗の入唐学問僧」。願文8行目の「三宝覆護、百霊影衛」について、この三宝と百霊を対にすることが、『懐風藻』所収の道慈の詩「五言、在唐奉本国皇太子」の「三宝持聖徳、百霊扶仙寿」にも見えるので、この願文に道慈が関わった可能性が示唆されています。

根津美術館所蔵の巻267は5紙を継いだもので1紙の幅は176cmと通常の料紙の3から4倍の長さ(天平尺で6尺ほど)。これは国家珍宝帳に用いられた3尺相当の料紙や正倉院文書に見える4尺の長麻紙を遥かに超える長さで、舶載の料紙と推定されています。この巻468も「用長麻紙陸張」とあることから同様の料紙(なお目測おおよそ1.5mのこの展示では継目は尾題前の1箇所のみしか確認できません)。

最後から5行目「作宝宮」とは長屋王の邸宅のひとつである佐保宅の雅称で、「作宝宮」の役人がこの書写事業に関与するのは、「佐保宅が写経の場に提供された可能性を示唆するであろう」とのこと。

なお、この巻には白点が打たれています。

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神亀五年歳次戊辰五月十五日仏弟子長王
至誠発願奉写大般若経一部六百巻其経
乃行行列華文句句含深義読誦者蠲耶去
悪披閲者納福臻栄以此善業奉資
登仙二尊神霊各随本願往生上天頂礼弥勒
遊戯浄域面奉弥陁並聴聞正法俱悟无生忍又
以此善根仰資  現御寓天皇并開闢以来代代
帝皇三宝覆護百霊影衛現在者争栄於五岳
保寿於千齢  登仙者生浄国昇天上聞法悟
道脩善成覚三界含識六趣稟霊无願不遂有心必
獲明矣因果達焉罪福六度因満四智果円
 神亀五年歳次戊辰九月廿三日書生散位寮散少初位下張上福
   初校生式部省位子无位山口忌寸人成
   再校生式部省位子无位三宅臣嶋主
   装潢図書寮番上人无位秦常忌寸秋庭
   検校使作宝宮判官従六位上勲十二等次田赤染造石金
   検校使陰陽寮大属正八位上勲十二等楢曰佐諸君
   検校薬師寺僧基弁
   検校藤原寺僧道慈
      用長麻紙陸張

大般若経 巻第四百六十五 断簡(神亀五年五月十五日長屋王願経)

1幅|奈良時代神亀5年(728)|B-1812

C0005957 大般若経跋(神亀5年長屋王願経) - 東京国立博物館 画像検索

同じく神亀経巻465の巻末断簡です。横寸61.5cm。

仏教の美術―平安~室町

東京国立博物館 - 展示 日本美術(本館) 仏教の美術―平安~室町 作品リスト
本館 3室 2016年4月12日(火) ~ 2016年5月15日(日)

大乗百福相経

1巻|平安時代・仁平2年(1152)|高嶋九藏氏寄贈・B-1639

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『日本古写経現存目録』p154-156の「大門寺一切経(其一)」にあたる1巻でしょうか。ただし、該巻は『目録』に未収。

仁平二年正月晦日摂州観音寺書写畢 願主経尊智成坊
                 執筆良意覚乗坊

文殊師利根本大教王金翅鳥王品(神護寺経)

1巻|平安時代・12世紀|個人蔵

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神護寺経。首題下の「神護寺」朱角印は消されています。

紺紙金字一字宝塔法華経断簡(太秦切)

1巻|平安時代・12世紀|B-1643

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C0049119 古写経(一字宝塔) - 東京国立博物館 画像検索

太秦切。法師品残巻。聖徳太子が黒駒に乗って富士山まで飛ぶ伝説を描く見返しは後補。いつごろの物なのでしょうか?

笠置切

1幅|万里小路宣房筆|鎌倉時代・14世紀|B-12-22

踊出品断簡。万里小路宣房真筆。

書状

1幅|円爾筆|鎌倉時代・13世紀|B-2525

C0075393 書状 - 東京国立博物館 画像検索

キャプションによると「建長4年(1252)九条忠家東福寺に寄進した京都九条御領内の田地に関するものと思われ、剛健荘重な書風である。」とのこと。なお、現地に翻刻あります。

四天王寺縁起残巻

重文|1巻|惟宗季重筆|平安時代・承安3年(1173)|京都・三千院

撮影禁止でした。最近展示があったばかりですね。展示も同じく17条憲法のところ。

東博の古筆・古写経展示(2016年1月から2月) - ときかぬ記

申日児本経

1巻|勝賢筆|平安時代・永久3年(1115)|B-1641

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法隆寺一切経

承久三年歳次乙未七月十日書写勧進僧勝賢
施主目安里住人清原安清結義所生愛子為息灾延安穏法界衆生平等利益也

宮廷の美術―平安~室町

東京国立博物館 - 展示 日本美術(本館) 宮廷の美術―平安~室町 作品リスト
本館 3室 2016年4月12日(火) ~ 2016年5月15日(日)

古筆手鑑「浜千鳥」

重美|1帖|奈良~江戸時代・8~17世紀|個人蔵

撮影禁止でした。展示は聖武天皇から尹大納言師賢卿まで。

展示中で特にメジャーなのは大聖武くらいでしょうか。写真が撮れれば、または資料館に画像があるなどして画像を入手できれば、いろいろ調べることもできたのでしょうが、ちょっとこれはハードルが高いのでパスします。キャプションによると、蜂須賀家伝来で、2帖451葉とのこと。



なお、「東博に行ってきました - ときかぬ記」ですでに取り上げていますが、他に本館特別第1室に「伝源俊頼筆 拾遺抄切」、本館5室に「伝藤原行成筆 関戸本古今集切」(ともに4月24日まで)が展示されています。

民部切は江戸時代?

聚美 Vol.19 (Gakken Mook)

聚美 Vol.19 (Gakken Mook)

『聚美』最新号入手しました。池田和臣さんの連載「続 最新科学で書を鑑定する」、今回は「伝源俊頼筆「民部切古今集」の謎」。

民部切とは古今集の写本断簡で、料紙は唐紙。推定書写年代は11世紀後半とするものから12世紀、また鎌倉時代に下げるものまで諸説ありますが、現状有力視されているのは11世紀後半から12世紀前半でしょう。現在、東博本館第3室(手鑑「月台」、~4/10)および五島美術館(手鑑「筆陣毫戦」、~5/8)で展示中です。ウェブ上で閲覧できる画像は、その「月台」断簡国文研所蔵の古筆手鑑(99-136)所収断簡など。

この民部切にはいくつかの興味深い謎があり、測定結果を多少なりとも裏打ちする、また測定結果を踏まえて考察するには重要な手がかりになりそうですが、ここでは省きます。興味のある方は『聚美』19号をご覧ください。放射性炭素年代測定の驚くべき結果だけご紹介します。測定は3回(1葉を2回と別の1葉の測定で計3回)。測定結果には幅があるものの、もっとも確率が高いのは17世紀半ばという結果が出たようです。

この結果には池田さんも驚きを示しており

 これまでになされてきた平安時代か鎌倉時代かという議論とあまりにかけ離れた結果であり、正直言って我ながら狐につままれた感じである。
 しかし、民部切には前に述べたいくつかの不審がある。三度に及ぶ厳粛な科学的測定結果として、ここに民部切が江戸時代書写であるデータを公表しておく。
 なお、測定した二葉が偶然江戸時代の写しであるという、万が一の可能性も留保して、新たな民部切の測定試料の提供を待ち受けたいと思う。

と慎重さも見せます。

専門家が揃って平安時代または鎌倉時代と推定していたものですからね。この結果が本当だとすれば、江戸時代製と平安鎌倉製の唐紙の区別がつかないケースがあるということになるでしょう。とりあえずは3葉目4度目の調査待ちといったところでしょうか。前回といい今回といい、連載再開から衝撃的なのが続きます。

次回も楽しみにしております。

東博に行ってきました

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庭園を一番の目当てで行ったのですが、天候不順で本日は開放中止。いつもタイミングが悪くて、今まで1度しか入ったことがないんですよね。残念。

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源俊頼筆 拾遺抄切(B-2936)@本館特別1室(東京国立博物館コレクションの保存と修理) 2016年3月15日(火) ~ 2016年4月24日(日)

伝俊頼筆の拾遺抄切。なお3室に展示されている手鑑「月台」に押されているのは伝公任筆で別本。古筆学大成未掲載? 唐紙(七宝繋文)。古筆学大成の解説によるとこの拾遺抄切にある文様のうち七宝繋文と花菱文が東大寺切と元永本にも見える(同版?)とのことで、時代もそのころ。

  たいしらす  みなもとのつねも■
あはれとしきみたにいはゝこひわひて
しなんいのちのをしからなくに
よみひとしらす
あひみてはしにせぬみとそなりぬ
へきたのむるにたにのふるいのちを
        柿本人丸
ちはやふる神のやしろもこえぬへし
いは□わかみのをしけくもなし

1行目。作者は源経基なので最後の字は「と」のはずですが「と」に見えず。はっきりしないものの強いて言うなら「り」でしょうか。最終行「いまはわかみの」とあるべきところ、2字目は明らかに「は」(隣りとほぼ同形)、3字目不読、4字目も判然とはしませんがこれは「わ」でよさそうです。

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1行目行末
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最終行行頭


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藤原行成筆 関戸本古今和歌集(B-3448)@本館4室 2016年3月15日(火) ~ 2016年4月24日

平成26年度新収品。その時の展示で1度取り上げています古今集の巻1で内容は連続しています。ただ古筆学大成では右片は掲載されていますが(1巻p232図版211)、左片は未掲載。


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唐紙法華文句切(B-12-5)@本館3室 2016年3月1日(火) ~ 2016年4月10日(日)
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藤原行成筆 唐紙法華文句切(B-2461)@本館3室 2016年3月1日(火) ~ 2016年4月10日(日)

この2葉について「ツレだと思われます」と前に書いたのですが、『出典判明仏書・経切一覧稿』p30では別にしていてアレって思い今回見比べてみたところ、寸法が少し異なるようですね。ツレではなさそう。

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なお『一覧稿』によると、翰墨城(MOA美術展蔵)や筆陣毫戦(五島美術館蔵)に押されているのは3行の方のツレとのこと。


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近衛信尹筆 柿本人麿自画賛(B-3253)@本館8室 2016年3月8日(火) ~ 2016年4月17日(日)

柿本人麿の四文字をくずして簡略に人麿像を描き

と解説にありましたが「柿本人麿」ではなく「柿本人丸」でしょう。

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葛飾北斎筆 鷽 埀櫻(A-10569-662)@本館10室 2016年3月15日(火) ~ 2016年4月10日(日)

これ好きなんですよね。

鳥ひとつ濡れて出にけり朝さくら 雪万


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広目天立像(京都・浄瑠璃寺蔵)@本館11室 2016年1月19日 ~ 2016年4月17日(日)

華麗な彩色・截金文様に飾られた本体だけでなく、光背・台座まで造像当初の姿をよく残している。

と説明板に。ということは、この2枚目の彩色も当初ということ?

法隆寺の所蔵する行信願経

2月に奈良に旅行した際、法隆寺大宝蔵院にて行信願経を拝見しました。「奈良旅行中に見た写経について - ときかぬ記」にも書いた通り、展示されていたのは大般若経巻293。

後日、田中塊堂さんの『日本古写経現存目録』(思文閣、1973年、NDLサーチ)を確認すると、(この項記述が混乱していて、願文を有する巻の列挙が2箇所にあり、かつ挙げている巻数・巻次に相違があるのですが)願文があるとして列挙されている中に巻293が見当たらないのです。

  • (p72)大般若経巻433、494、498、279、280(列挙の順序はそのままです)
  • (p73)大般若経巻384、363、432、494、497、498、499。法華経巻2。瑜伽師地論巻13

当然、法隆寺大宝蔵院では撮影ができなかったので、大般若経巻293が展示されていたというのはメモによります。私のミスなのか、それとも『現存目録』の誤記載か。

そこで法隆寺が所蔵する経典のリストが掲載されている『法隆寺の至宝 : 昭和資財帳 第7巻 (写経・版経・板木)』(小学館、1997年、NDLサーチ)を確認してみました。

法隆寺が所蔵する経典は「法隆寺一切経」890巻(重文、文化遺産データベース)および「大般若経〈写経四百七十巻/版経百三十巻〉」(重文、文化遺産データベース)、その他があります*1。巻末の目録を参考に、行信願経の願文を有するものを挙げると

行信願経の願文を有する大般若経巻293が法隆寺に現存するので、私の間違いではなかったようです。

更に目録に漏れている断簡があります。『法隆寺の至宝』には山本信吉さんによる解説「法隆寺の経典」が収録されています。ここで挙げられているのは、

行信発願の奥書がある経巻は『大般若経』七巻のほかに勧進『一切経』のうちに『法華経巻第三』『瑜伽師地論巻第十三』『同十九』の三巻があり、そのほか『瑜伽師地論巻第二十残巻』『大般若経(巻次未詳)断簡』があって、合せて十二巻が寺内に現存している。(p202)

この『大般若経(巻次未詳)断簡』は、

瑜伽師地論巻第十九断簡(1) 一巻
 もと五重塔内に納置されていた経巻入木箱の中に伝わったもので、断簡ではあるが巻末に天平四年五月廿三日の書写奥書がある。弥勒信仰に基づく知識経である。
 なお、経巻入木箱には他に三種の写経が納められていて、一は瑜伽師地論巻第七十一(奈良時代写経)の上端部断簡、二は大般若経断簡四種を一巻に合せたもので、奈良時代三種、平安時代後期一種。奈良時代写経の一つは行信発願経である。*3(p213)

とあるものでしょう。

さて、この「法隆寺の経典」をよく読んでみると、どうやら他にも大量に行信願経が残っているようにも読めます。

 法隆寺の写経の中で、最も有名なのは奈良時代の東院『大般若経』と平安時代の勧進の『一切経』である。東院『大般若経』は「行信大僧都一筆大般若経」とも呼ばれて、法隆寺にとって由緒ある『大般若経』で、時代には『行信大般若經信讀記』があって、室町時代の在り方を伝えている。もとは六百巻が完存していたが、伝来の途中で欠巻を生じ、現在は奈良時代写経四百十二巻を中心に平安時代写経五十九巻と鎌倉時代版経七十八巻、室町時代版経五十一巻を補って六百巻としている。奈良時代写経のうち七巻には神護景雲元年(七六七)九月五日に僧行信の発願文(実は行信の発願の趣旨を伝えた弟子孝仁等の敬白文)があり、僧行信が大般若経法華経、金光明経、瑜伽師地論など合せて二千七百巻の書写を発願したが、完成を見ることなく死没したため、弟子孝仁らが先師の志をついで神護景雲元年九月に完成したことを伝えている。本文の筆跡は奈良時代後期の写経生の手になるもので、巻第三十一・第百八十七・第五百五十八の巻末紙背に校生の校正墨書がある。
 (略)なお、行信発願の奥書がある経巻は(略)合せて十二巻が寺内に現存している。(p202)

重文大般若経600巻の内412巻が奈良写経で、内7巻に「行信発願の奥書がある」。問題は行信発願の奥書がない405巻の奈良写経。これが願文のない(書かれなかったor失われた)行信願経なのか、それともまったく別の奈良写経なのか。明確には書いていませんが、前者であるように読めます。

田中塊堂さんも同様の見解。『日本写経綜鍳』(思文閣、1974年、NDLサーチ、三明社昭和28年刊の複製)には

法隆寺には大般若經數百卷と法華、瑜伽は諸家の所蔵と共に僅に數卷のみ存してゐる。(略)因みにこの經には願文のないものが多くて識別に困難のやうであるが、表紙、軸と虫損の特徴を以てすれば一瞥明らかにされる。(p155-156)

また『日本古写経現存目録』でも、法隆寺現存の大般若経の巻次を列挙した後「右内願文在尾」として数巻の巻次を挙げているという書きぶりから、願文不在のものも行信願経とみなしていたように見えます。

しかし、一方で対立する見解もあるようで。例えば春名好重さん編の『古筆大辞典』(淡交社、1979年、NDLサーチ)「ぎょうしんきょう 行信経」項

『行信経』は法隆寺に納められていた。『大般若経』は東院に伝えられ(略)現在四百二巻残っているが、平安時代の末の写経や鎌倉時代・室町時代の版経などがまじっていて、『行信経』は七巻だけである。(p286)

402巻という巻数が不明ですが、「『行信経』は七巻だけ」という断言は願文の有しないのは行信願経ではないという主張でしょう。

また、上代文献を読む会編の『上代写経識語注釈』(勉誠出版、2016年、NDLサーチ未登録)「【奈良朝写経66】 大般若経巻第百七十六(行信願経)」(該項の執筆は稲城正己さん)には

 このうちの『大般若経』は、行信願経として尊重され、修理・補写されながら法隆寺東院伽藍に保管され続けてきた。その他の経典は、一一世紀末~一二世紀初頭に整備された「法隆寺一切経」に組み込まれることによって残存している。行信願経の僚巻は、『大般若波羅蜜多経』七巻、『妙法蓮華経』一巻、『瑜伽師地論』二巻が法隆寺に、『瑜伽師地論』数巻が京都国立博物館等に分蔵されている。(p407)

とあって、これも願文のないものは行信願経ではないという判断のようです。

どちらなのでしょうか?

なお、『上代写経識語注釈』の記述は、法隆寺所蔵分に関して大般若経の断簡と瑜伽師地論の1巻(未指定の巻20か)を見落としています。また『上代写経識語注釈』で取り上げられている巻176(唐招提寺蔵)以外にも、『日本古写経現存目録』は「散帙経」として大般若経を3巻挙げています。

  • 巻32(竜門文庫蔵)
  • 巻43(久原文庫蔵)
  • 巻477(守屋孝蔵氏蔵)

龍門文庫善本書目を見ると阪本龍門文庫にあるのは巻571です。『現存目録』には願文について触れられていません(ただし軸付紙に墨書がのこっているとのこと)。久原文庫のは現在あるとすれば大東急記念文庫でしょうが、調べがつかず。なお「有願文」とのこと。守屋孝蔵さんのは京博かと思ったのですが、「館蔵品データベース | 京都国立博物館 | Kyoto National Museum」ではそれらしきものはヒットせず。なお他の巻には「有願文」と書かれているところに「訳文」と記載されていましたが、何のことやら分かりませんでした。訳場列位?

また更に、小林強さん著・高城弘一さん編の『出典判明仏書・経切一覧稿』(大東文化大学人文科学研究所、2010年、NDLサーチ)のp81には「大般若経《行信発願法隆寺一切経》」として、巻56・94・156・185・438の断簡が各巻1葉から数葉挙げられています。

*1:法隆寺の至宝』では一切経(一)重要文化財(二)未指定、大般若経(一)重要文化財(二)(三)未指定、その他の写経、版経と分類しています。ここでは単純化しました。

*2:『日本古写経現存目録』では「巻第二」とありましたが、図版から巻3で間違いありません。

*3:「他に三種の写経」の後に、2種(または5種)しか挙げられていないところ文意不明ですが、引用そのままです。

紙背の文字を手本にした手習い

野尻忠さんの「続修正倉院古文書第五巻の習書-写経所文書の表裏関係-」(『鹿園雑集』11号(2009年)所収)に興味深い習書の例が紹介されていました。

取り上げているのは続修正倉院古文書第5巻のうちの3紙(習書があるのはそのうちの1紙)。正倉院文書は多次利用および(視点によっては破壊行為ともいえる)整理によって複雑になっていますが、とりあえずこの3紙についてまとめると。

  1. (表・第1から第3紙・1次利用)「大宝二年御野国本簀郡栗栖太里戸籍」
  2. (裏・第3から第1紙・2次利用)(天平19年)8月22日から始まる「観世音経紙充帳」
  3. (表・第1から第2紙・3次利用・1の戸籍の上に重ね書き)天平19年8月1日から始まる「観世音経紙納并充帳」
  4. (表・第3紙・3次利用・1の戸籍の上に重ね書き)習書

なお、2の「観世音経紙充帳」が「第3から第1紙」と逆順になっているのは、紙背の利用は一般的に天地は変えずにひっくり返すので、客観的に見ると文字(行)の進行方向が逆になるからです。一方を基準に第1第2第3紙と決めると、その裏は第3第2第1紙の順序になります。

さて、焦点になっているのは4の表・第3紙に書かれた習書(練習のために記した文字)です。この習書の手本は同じくこの第3紙の中にあります。どこにあるかというと、ひとつはその面に書かれている1の戸籍です。これは分かりやすい。いいなと思った文字の側に書いて模しているわけです。

もうひとつの手本が意外なところにあります。習書の紙背に書かれた2の「観世音経紙充帳」(第3紙)です。しかし、紙背の文字を手本にするなんて可能でしょうか? この習書のある紙は、よく見れば文字が裏写りしている。じゃあその裏写りした文字を参考に反転して書いたのかって、そんなわけはない。そうではなくて、巻物を展開しているときには、これから開こうとする直後の紙背が見えます。こういう状態で見えた文字を手本として書かれたのではないかというのが野尻さんの考察。おもしろいですよね。まさに盲点といった感じでした。なお、どういうことかこの説明では分かりにくいという方は、上にリンクを貼った論文内に野尻さんによる模式図が載っているので、そちらをご覧ください。

さて、野尻さんがどのようにしてこの事実に気付いたかというと、ご本人の説明によれば、

 ところで、正倉院文書の原本の状態を知りたいとき、写真を切り貼りして元の巻子本の姿を再現しようとする研究者は多いと思われる。かくいう筆者も、正倉院文書のある部分が気になり始めると、その巻子全体のミニチュア版を作って確認しないと気が済まなくなる。紙背の写真も切り貼りし、表裏を背面で合わせて完成すると、思いがけないことに気付いたりもする。

原本に似せて製本してみると気づくこともあるものですね。

「写経―欣求と耽美―」展再訪

センチュリーミュージアムにて、3月26日(土)まで。前回の訪問記は、

「写経―欣求と耽美―」展@センチュリーミュージアム - ときかぬ記

3 菩薩念仏三昧経巻4(光明皇后発願一切経・五月一日経)

再見してもやはりこれはいいですね。で、なにがいいかというと、字配りが均等で横がビシっと揃っているんですよ。正倉院文書のなかに下纏と呼ばれる横方向に18本の線が引かれた紙が残っているのですが、それをしっかり使って丁寧に書写したのだろうと思います。こういうのは奈良写経で意外に少ないのです。筆者は特定できるのでしょうか?

4 註楞伽経断簡

註楞伽経の五月一日経本と伝魚養筆本 - ときかぬ記でも書きましたが、おそらく五月一日経本ではなく伝魚養筆本であろうと思います。天地化粧断ちかつ補修のため判然としませんが傷んでいる様子です。

6 阿毘達磨順正理論巻27(称徳天皇勅願一切経

前回「とすれば、この写経が本当に景雲経であるかは別に検討を要するでしょう」と書きましたが、景雲経に見えることは見えるんですよねえ。しかしなぜこういう状態になっているのか不思議です。

25 阿毘達磨蔵顕宗論巻4(法隆寺一切経

相変わらずかっこいいなあという印象ですが、そのかっこよさが平安初期写経のかっこよさに通ずるものがある気がします。奈良末期写経を通じて平安初期写経の魅力を再認識。

今回は、常設の仏像展示もじっくり拝見しまして、良品揃いですが強いて挙げるなら6木造地蔵菩薩立像10石造観音菩薩半跏像がお気に入り。前者は静謐で緊張感を湛える佳品。後者は柔らかさ慈悲深さを感じます。素材としては石の方が硬いのに、作品としては前者の方が堅固な印象が残っています。不思議な感じ。