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九品仏東門扁額

先日、紅葉狩り九品仏を訪れた際、東門に掛かる扁額を目にしました。

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読めない。。。

というわけで、僅かに読めるところを手がかりに調べてみると、どうやら四天王寺の石鳥居に掛かる扁額と文言および筆跡が同じものですね。字配りと扁額のデザインは異なりますけれど。その四天王寺の扁額の画像は、ネット上にたくさん転がっているのでそちらをご覧ください。

四天王寺 石鳥居 扁額 - Google 検索

で、その釈文と解釈を、四天王寺の公式サイトから引用すると、

扁額の文字は「釈迦如来 転法輪処 当極楽土 東門中心」と書いてあり、これは『 おシャカさんが説法を説く所であり、ここが極楽の東門の中心である』の意です。

境内ご案内 - 参拝・供養・祈祷 - 和宗総本山 四天王寺

「処」? 「所」のような気がします。

検索してみると「処」と「所」の両方見つかりますね。「処」にしているのは公式サイト由来でしょうか。まあ意味は同じだしどっちでもいいのかもしれません。(いいのか?)

四天王寺とは逆に、九品仏では東門に掛けられています。境内を極楽に見立てているのでしょうか。特に紅葉の季節はきれいですから、そんな例えも分からないではないですけどね。

「時代を映す仮名のかたち」展@出光美術館 再訪

前回訪れたときはよく分からずあまり楽しめなかったので、図録で勉強してからまた訪れました。前回よりはだいぶマシでしたけど、やはり中世の書・和歌・歴史について決定的に知識が欠けているなあと。とりあえずは、以下記録用にいくつか気づいた些事を。

13. 石山切 伊勢集

図版で見るのと実物の印象がかなり異なりました。唐紙なんですけど、地は暗く文様部分は発光しているかのような不思議な見え方でおもしろい。図録解説の料紙についての説明を引いておきます。

本断簡の料紙は黄色具引き地に、桜蔓唐草文を雲母刷りにした唐紙に、銀泥で鳥や折枝を描く。

22. 右大臣百首切

仲綱の歌が好み。

これやこのつもれはうみとなるといふなみたのひとつおちはしめぬる
(これやこの積もれば海となるといふ涙のひとつ落ち初めぬる)
けふまてはおしふる人もなかりしにきみこそこひのいろはなりけれ
(今日までは教ふる人もなかりしに君こそ恋のいろはなりけれ)

必ずしも優れた歌というわけではなさそうですけど、わりと印象深い。源頼政の子で、平家物語で活躍するあの仲綱でいいんですよね?

28. 新古今和歌集竟宴和歌懐紙 伝後京極良経筆

前回訪れたときは「伝」付きで会場内には特に解説もなかったので、しっかり見ていなかったのですが、図録解説によると真筆の可能性が高いと。なかなかときめく一品。

31. 珍誉集切(重要文化財手鑑『隠心帖』中の内)/55. 金剛院切(重要文化財手鑑『隠心帖』上の内)

会場内でも図録でも隠心帖という手鑑に関して説明はありませんでした。上と中があるということは全3帖でしょう。全3帖で重要文化財に指定されていると手鑑といえば「大手鑑{第一帖九十三葉/第二帖九十九葉/第三帖百一葉}」(文化遺産データベース)だけだと思うので、おそらくこれではないかと思います。

東京大学史料編纂所の「2015年度に実施された一般共同研究の研究概要(成果)」のうち「一般共同研究 研究課題  『隠心帖』を中心とする古筆手鑑の史料学的研究」によると

松下幸之助旧蔵、逸品中の逸品として知られる古筆手鑑『隠心帖』
この『隠心帖』は、長年行方不明となっており、史料編纂所蔵の写真帖によってしか内容を知ることができなかった。ところが2013年度に現蔵先が判明

今回の展示ではこの手鑑について説明もなく、また展示も見開き2面のみとごく僅かだった理由は分かりませんが、そのうち一般にも紹介される時期が来るのではないかと期待をしております。個人的にとりあえず気になるのは、前回の記事で触れた天平十四年五月一日経が貼られているのはこの手鑑なのかということ。それだけでもいいのでどなたか教えてください。2013年度といえば、所在不明重要文化財が話題になった年。現蔵先が判明したのはこれがきっかけなのかな。

31. 珍誉集切(重要文化財手鑑『隠心帖』中の内)/32. 珍誉集切/33. 高瀬切

31と32はツレで、珍誉集の原本と考えられているもの。珍誉自筆か。図版で見ると32の料紙が青っぽく見えるのでちょっと疑問でしたが、実物は31同様の素紙でした(金泥下絵は後入れとのこと)。

33の高瀬切は、31・32を含む珍誉集原本の転写本の断簡。本品とほぼ同じ箇所の原本の断簡(つまり31・32とツレの断簡)が京博の所蔵する重文「大手鑑(八十葉)」(図録では『高松家旧蔵御手鑑』と呼称)に貼られています。

大手鑑(八十葉) - e国宝

図録の図版は、この原本の方ですね、高瀬切ではありません。間違えたのでしょう。図版(珍誉集切)は詞書で終わっていますが、高瀬切はその詞書の歌の部分まであります。

41. 和歌色紙 伝後京極良経筆

本断簡の興風の和歌は、勅撰集の所載歌ではないが、貫之撰『新撰和歌集』、公任撰『三十人撰』、定家撰『百人秀歌』(『百人一首』の原型)などの代表的な秀歌集に所載のある名歌で

本品に記された和歌は「たれをかもしる人にせむたかさこの松もむかしのともならなくに」。古今集所載(巻17・909)で百人一首歌ですよね。何と勘違いしたのか、どういう間違え方をしたのか謎。百人秀歌所載で百人一首に漏れた歌のような書き方ですが、その4首はすべて勅撰集所載歌ですし。

44. 伊勢切(手鑑『墨寶』坤の内)

料紙は”焼唐紙”を使用する。"焼唐紙"は本来は、文様を陽刻した版木等に紙を押し当てて焼き色の文様を付けたものであるが、本断簡のような鎌倉時代の和製の焼唐紙は茶色の染料で摺り出している。文様は梅樹。

前半の本来の焼唐紙の説明が意味不明です。どうやって焼き色の文様を付けるのか書かれていません(版木を押し当てただけでは付かないでしょう)。(追記)私が誤解・錯誤している可能性がありますので見せ消ちにしておきます。失礼いたしました。もう少し調べてから記事にするかもしれません。(追記了)この焼唐紙については知らなかったので、あとで確認しようと思います。

図版を見てこんなの展示されていたかなあと記憶になかったのですが、再訪して分かりました。会場では文様はほとんど見えず。覚えていないわけです。図録で見るといい感じの料紙なので、ちょっと残念でした。

48. 伏見院三十首切

左側に不自然な余白あり。かすかに読み取れる文字から、もともとは「浦千鳥/我が世には集めぬ和歌の浦千鳥むなしき名をや跡に残さん」の歌が書かれていたことが判明します。図録解説では、この歌は在位中に応製百首を催行できなかった無念さを読み込んだ歌であろうとした上で、「おそらく無念さの調子が掛け物に相応しくないとされて、削られたのだろう」と推測しています。ちょっと疑問。本当のところは削った人間に聞いてみないと分かりませんが、抹消痕を見るに詞書1行と和歌2行書きのうちの前半1行しか書かれていなかったはず。すなわち、この1ページで見れば半端な歌になっていたわけで、そのことを嫌って抹消したのではないかなあと。そういう断簡(抹消痕があり、その抹消した部分は和歌が半端である)はわりと見かけるんですよね。

なお、1の高野切の奥1行は、余白を作るためにわざわざ1行多く切って抹消したものです。

55. 金剛院切(重要文化財手鑑『隠心帖』上の内)/56. 金剛院切

この2葉はツレということでいいんですよね? 図録解説がその点明瞭でなく、また筆跡は同じでしょうけど、料紙装飾の雰囲気がかなり異なるので迷います。で、この56の下絵がいい。

57. 巻物切

雲とをくとひつれてゆくゆふからすまかはぬいろもはてはきえつゝ
(雲遠く飛び連れて行く夕烏紛はぬ色も果ては消えつつ)

59. 足利尊氏奉納春日社詠七首和歌(七社切)

直義歌

  鹿
春日野のほかまてしかのわけゝるは神もみちある世をまもるらし(有註)

この「有註」について、たまたま今読んでいる小川剛生さんの『武士はなぜ歌を詠むのか』*1に出ていて知りました。

和歌の末にある「在(有)注」という注記は、一首がある事実に基づくものの、その具体的内容は明示したくない場合の、一種のサインである。最初から「注」は記されてはおらず、読み手は一首の背景に思いを馳せなければならない。

別府節子さんの「「足利尊氏諸寺社法楽和歌(七社切)」について」*2によると、本法楽和歌の尊氏による発願は建武3年(1336)6月、人々への勧進は同年11月、詠進を受けて、清書・奉納は暦応2年(1339)12月末とのこと。端作りにみる直義の官位(従四位上左兵衛督)は暦応元年8月以降のものということで、作歌は1338年か1339年でしょう。さて、何の事実に基づくのでしょうか。

なお、別府さんの論文では、個人蔵の手鑑「翰墨城」所収の七社切について触れられていません。当時は知られていなかったでしょうか。『日本書道文化の伝統と継承』63ページに図版が掲載されています。題(神祇)と和歌1首の3行の断簡。別府さんは現存の七社切について5つに分類していますが、この断簡がそのうちどこに分類されるか、私には判断つかず。

60. 足利尊氏奉納稲荷社詠八首和歌(七社切)

図録解説に

和歌本文部分に装飾はないが、この料紙には裏絵がある。そのモティーフは水鳥、蝶、蜻蛉、飛鳥、葦叢、碁盤、稲穂、鳴子等、多様で、この裏絵が表側に映って見えている。

この写本は東京大学史料編纂所所蔵で、紙背を含めて画像が公開されています。

画像一覧 - SHIPS Image Viewer

00000007から00000010までが紙背で、水辺の景色、水草、水鳥、蝶、蜻蛉などが確認できますが、画像が粗くちょっと見づらい。00000009、水辺に脚つきの四角いものが2脚あります。これが碁盤?

*1:角川選書、2016年。元版は角川叢書、2008年

*2:出光美術館紀要』第20号、2014年

註楞伽経の五月一日経本と伝魚養筆本(続)

註楞伽経の五月一日経本と伝魚養筆本 - ときかぬ記」の続きです。

この時言い忘れていましたが、「五月一日経本」と「伝魚養筆本」という名称は私が勝手に呼んでいるだけで、一般的な用語ではないのでご注意ください。

さて、上の記事を書いた当時は五月一日経本の画像がネット上には上がっておらず、かつ書籍の図版も小さいものしか見れていなかったので、両本の比較が難しかったのですが、現在は書陵部蔵の巻3と5が「宮内庁書陵部収蔵漢籍集覧」で見れるようになり状況が一変しました。

比べてみると、雰囲気は似たところはあるのですが異筆でしょうね。

皆川完一さんの「光明皇后願経五月一日経の書写について」によると、五月一日経本の筆者は古神徳で天平12年3月写(なお願文と跋はそれぞれ異筆)。

皆川さんの論文では古神徳筆の五月一日経が他に2点挙げられています。

ひとつは出曜経巻8。こちらも書陵部蔵ですが、現在のところ「宮内庁書陵部収蔵漢籍集覧」には掲載されていません。

もうひとつは、おもしろいものなので引用しましょう。

田中光顕は古経題跋随見録の中において、「仏本行経巻第七 天平十四年五月一日記 光明皇后御願文多クハ天平十二年五月一日ニシテ、十四年五月一日全ク同文ノ跋アルモノ甚稀ナリ、埜邨素軒氏出曜経ヲ蔵ス、十四年五月一日ノ跋文アリ、余カ見シ所僅ニ二巻ノミナリ」という。この仏本行経巻第七について頭書は「浅艸蔵前冬木手鑑ニ在リ」と注しているが、この手鑑は中野忠太郎等の手を経て、現在松下幸之助氏の有に帰している。本文六行と願文のみの断簡であり、全体をみることはできないが、願文と本文は同筆である。これは天平十四年十月・十一月の間に古神徳によって写されたもので、手実に「第七巻十七枚」とあるものであり(八ノ九六)(中略)。恐らく古神徳は十四年に写したために、誤って「天平十四年五月一日記」と書いてしまったのであろう。

田中光顕の古経題跋随見録は自筆本が早稲田大学にあり、その画像が公開されています。

簡単にまとめると、五月一日経の願文の末尾が「天平十四年五月一日記」となっている写本を田中光顕が記しているのですが、それは誤写であろうと。間違えた理由は、写した年が天平14年だったからだという話です。

この断簡が貼られている手鑑は当時松下幸之助さんが所蔵していたということですが、現在出光美術館で展示されている隠心帖のこと?

ちなみに上記の出曜経巻8と思われるもの*2も随見録に見え、「書法絶倫」と絶賛しています。

同筆の註楞伽経も書法絶倫という理解でいいのでしょうか。

*1:私の使用端末の問題もあるのかもしれませんけれど、このビューワー使いにくいですよね。画面のどこでもクリックすると次のページに行くという機能を停止して欲しい。せっかく公開して頂いているのにあまり文句を言うのもあれなんで、ここでこっそり愚痴っておきます。

*2:「巻第十」の「十」を見せ消ちして「八」と訂正している点ちょっと疑問も。画像が挙げられれば、「巻首闕/信品第十」の記述と合致するか否かで判断できますので、最終的な判断はそれを待ちます。

雲紙経と金銀交書経

某所で写経を拝見してきました。公開されている展覧会なので隠す必要もないでしょうが、なんとなくボカしておきます。私のような育ちの悪い貧乏人には居づらさを感じてしまうところであり、長居できずじっくり見れなかったのが心残り。

すべて掛幅です。

泉福寺焼経
紺紙金銀交書法華経
雲紙法華経
二月堂焼経
心西願経
紫紙金字経

雲紙経と金銀交書経について。

雲紙経は2紙ほどの大断簡。雲紙に箔撒き銀界だったかな?に墨書。写経で雲紙を用いるのは比較的珍しいですよね。雲が仮名古筆でよく見かけるのとは少し異なるように感じました。あえて近い印象を抱いたのを1つ挙げれば雲紙朗詠か。筆跡はかなりいいと思います。12世紀前半か、11世紀まで遡る?

紺紙金銀交書経と言えばまず思いつくのが中尊寺経。ただそれにしてはいい筆跡だなと思ってスタッフの方に確認してみると、中尊寺経ではないとのご返答。内容が法華経ということで、中尊寺経より前の11世紀の遺品か。

実兼の歌がおもしろそうなんだけど、いまひとつ理解できない

出光美術館で開催中「時代を映す仮名のかたち」展に出ている詠十首和歌(宮内庁書陵部蔵)の西園寺実兼の歌におもしろそうなのが3首あるのですが、いまひとつ歌意がとれずもどかしい思いをしております。とりあえず書き出して、現時点での考えを記しておこうかと。

   冬動物
酒のかたは人すけもなきしはす猿さるからのみつかほあかむまて

下句は「然るから飲みつ顔赤むまで」(だから飲むんだ顔が赤くなるまで)でいいと思うんですけど、上句がわからないんですよね。第3句は「師走猿」かなとも思うのですが、それがどういう意味なのか。単純に12月の(冬の)猿という意味? 初句第2句はさっぱり。

(追記)
ツイッター上で解釈されている方がいらしたので、貼っておきます。







(追記了)

   寄人軆恋
身のはたへしたしかるへき限あれはそれまてとこそこひはせらるれ

「はたへ」は肌か。肌は「親しかるべき限」があるから、それ(肌)までと恋はせらる。ひとつに溶け合いたいのに肌(体)という物理的な限界が邪魔をして、そこまでしか愛し合えないみたいな意味に読み取ってしまったのですが、和歌っぽくないので違和感多いんですよ。どこかに誤解があるんでしょうか。

   寄人事無常
かくしつゝいつをかきりの人の世そしぬれはむまれむまるれはしぬ

下句は輪廻を意味するか。しかし、ちょっと調べが軽やかに過ぎるような。上句で人の命なんていつ終りを迎えるか分からない(だからはやく仏の道に入って後世を願えかな?)と言いながら、死んだから生まれるんだよね、生まれたから死ぬんだけどと受けるのは変な気がしつつ。

図録『時代を映す仮名のかたち』釈文の修正案

出光美術館で開催中の展覧会「時代を映す仮名のかたち」の図録には図版の釈文が掲載されていますが、脱字や未読また誤読と思われるところが散見されました。単純なミス・勘違いの類いもある一方、検討の余地があるなと思わせるところもあり、見つけたものを指摘しておきます。あまりアテにはならないかもしれませんが。

()内の数字は指摘箇所の行数です。行数だと却ってわかりづらい場合は、別の方法を取っています。「→」の左がもとの釈文、右が修正案で赤字が修正箇所(衍字の場合は左に赤字)。その後に※に続けて注を書いたものがいくつかあります。改行位置を表す「/」の誤脱および、旧字新字などの字体の違い、濁点、くの字点をなぜか「++」と表記している箇所、図版に比べ釈文が足りないものなどについては除外しました。

3. 如意宝集切

(3)立つきしは → つきしは

4. 端白切

(3)ならぬをとりて → ならぬをりて

14. 石山切

(1)我身にしあれは → 我身にしあれ()
(6)よみてやりにける → よみてやれりける

15. 東大寺

(6)((心))いた((き))((た))((と))さく → いたきこ((と))さく

16. 倭漢朗詠抄 巻下

(慶賀)3行脱

29-2. 春日懐紙(重要文化財「春日懐紙」二五枚の内)

()隔海恋 → 隔海恋

30. 詠十首和歌

(実兼)寄人倫述懐すてられん/身は身をはなけかし → 寄人倫述懐すてられん身をはなけかし
(覚深・寄人事無常)なきはほくそ → なきはほくそ
(覚深・寄方角尺教)弥陀のみのりをこのむみは → 弥陀のみのりをのむみは

33. 高瀬切

(最終行)つかはしける → つかはし
※これ図版あってます?

34. 百首詠草断簡

(杜郭公)きゝすてゝえそ()やらぬ → きゝすてゝえそ()やらぬ
(夕立雲)うきたつ雲の → うきたつ ※「雲」の訂正線なし
()秋二十首 → 秋廿
(初秋夕)わきて身にしむ秋のゆふくれのそら → わきて身にしむ秋の(秋の(重書き))ゆふくれのそら
※「秋のゆふくれ」→「ゆふくれのそら」→「秋のゆふくれ」と推敲した痕跡
(里擣衣)あきは又(よもす(墨消))あきは又(よもすから)
※「(墨消)」と書かれているのは、ルビに訂正線を引けないソフトを使ったのだと思われます。このブログでは可能なので引きました。

35. 松木切

(最終行)身と/なりなめ → 身と/なりなめ

37. あがた切

(2)はるとやはみむ → はとやはみむ
(最終行)桜のこすゑそ→のこすゑそ

39. 嵯峨切

(1)春水→春
(4)呼沱→呼

40. 嵯峨切

(3)火足臘天□→火足臘天
(5)炭言/□事也→炭言/事也 ※晋書羊琇伝

61. 頓証寺法楽一日千首短冊残闕

(寄草恋)いつまてこのむ → いつまてのむ

62-1. 宸翰短冊帖

(尋野花)野へ分つゝ → 野へ分つゝ

63. 詠百首倭哥

(餘寒)春寒きしつかた山のしら雪を → 春寒きしつた山のしら雪を ※賤機山

64. 禁裏御会和歌

(77頁下段・第1首)春やくぬらん → 春やぬらん

74. 懐紙詠草

(9)また朝露のきえぬまに → また朝露のけたぬまに
※あるいは「けさ」でしょうか。何れにせよ意味上は「きえ」の方がいいのでしょうが。
(10)はなのさかのゝ秋の色はみましを → はなのさかのゝ秋(の色)はみましを
※「○」は挿入記号として使っています

76-9. 和歌懐紙

(夕鷹狩)くれはてにけり → はてにけり

76-11. 和歌懐紙

()君か経ん代を/師久免半動なき/岩のおひさき水の行すゑ → 君か経ん代の左/師久免半動なき/岩のおひさき水の行すゑ
※「左師久免半」で「差し汲めば」?

77. 慈鎮和尚三百年忌和歌短冊帖

(知法常無性)時しる雨の → 時しる

78-3. 連歌切 伝阿野季綱

(1)物あか□たるうたゝね床 → 物あかれなるうたゝね
(2)なき跡に猶たらちね□思らん → なき跡に猶たらちね思らん
(3)我□□のかはるとし/\ → 我□のかはるとし/\ ※1字読めず

78-6. 千載集切

(1)源仲正 → める 源仲正

78-8. 和歌一字抄切

(4)對水待月 藤基俊 → 對水待月(金) 藤基俊

「時代を映す仮名のかたち」展@出光美術館

中世古筆を中心とした展示で、会場内の解説が少なくなかなか難しい展覧会でした。図録読んで勉強してまたうかがおうかと思いますが、その前に簡単に平安古筆の一章のみについて簡単にいくつかのことを。

1. 高野切

この展覧会では高野切の展示は2葉で、この掛幅と手鑑「見努世友」所収の1葉。いずれもじっくりと眺めたのですが、雲母砂子は見えませんでした。五島ではあれだけはっきり見えたんですけどね。

図録解説(以下断りのない引用はすべて図録解説のものです)

料紙は麻紙の白紙で、雲母の砂子が一面に撒かれてる。

髙橋裕次さんの「日・中・韓の料紙に関する科学的考察」では、東博所蔵の巻19断簡(列品番号B-2983、古今和歌集巻第十九断簡(高野切本) - e国宝)の料紙について

高野切の料紙については、従来より、厚手の麻紙風の紙などと表現されているが、顕微鏡による観察では、雁皮紙を主たる成分としており、料紙中に短く切断された藍繊維の混入が確認できることを考えると、漉き返し紙である可能性が高い。

と麻紙ではなく雁皮を主成分とする紙だと書かれてます。様々な紙が交用される可能性はあるので、出光断簡は麻紙であるかもしれませんけれども。

3. 如意宝集切

もと素紙の巻子本。

田中登さんは冊子本説を取ってますね。

現存の如意宝集はもと四半形の冊子本であったかと思われるが、縦の寸法が二五センチにも及んでおり、これは通常の四半本よりやや大きめの、いわば大四半本とでも称すべきもので、それが切断されると、ややもすれば巻子本を切ったものと見られがちなことは、まま例のあるところである。

Kansai University Repository: 『古筆名葉集』 記事内容考

手鑑「月台」に貼られた断簡(手鑑「月台」 如意宝集切 - e国宝)には綴じ穴が見られます。たぶん冊子でいいと思うんですけど、どうなんでしょうか。

4. 端白切

新出だそうです。これすごい状態がいいんですよ。私が今まで見た端白切とは雲泥。唐紙の文様も筆跡もはっきりと残っています。確かにこれも周囲は白くなっているのですが、これだけの美品でこんな感じの褪色をするのかなあと。確かに図版で見ると端の白い部分にも中央の青色の痕跡は感じ取れるんですけどね。

5. 石山切 伊勢集

今回石山切は3葉出てます。1番はこれでしょう。破継。上の白い布目打ちの紙の白色が美しい。左下の唐紙は、会場で見たものは少しだけほんの少しだけピンクがかった白でしたね。図版では少し色が違うように見えます。この1葉はとくに図版で見るのとは印象が全く異なりました。もちろん言うまでもなく、段違いに実物がいいんですよ。

6・7. 継色紙

十世紀頃までは区別されていたア行とヤ行の「エ」の書き分けが見られる。

平安古筆の名品展@五島美術館 - ときかぬ記」に書いたとおり、私の調べた範囲内では書き分けたと断定できなかったのですが、調べが甘かったのかな。古筆学大成出版以後に発見された継色紙は「よしのかは」(文化遺産データベース)のみでいいのでしょうか。だとすれば、この断簡は「え」を含まないので、私の考えは変わらず。

10-10. 糟色紙(粽切)

伝公任筆の後拾遺集抄出本と考えられる写本。破継の料紙。これ期待していたのですが、あまり見栄えしなかったですね。もうちょっと強い光を当てればよく見えるかも。もちろん保存第一なので当てなくていいですけれど。

もと綴葉装冊子本

『古筆大辞典』の「後拾遺集切(源俊頼)」項では粘葉装と書かれています。はっきりしたことは言えませんが、粘葉じゃないかなと私は思いました。あとで調べます。

10-11. 堺色紙

いいですねえ。今回一番見とれてたのはこれです。

16. 和漢朗詠集 巻下

荒木切はさまざまな料紙を交用してます。展示品は雲に飛雲を合わせたもので珍品。荒木切でも現存4葉、ほかの写本で使われてるというのも聞いたことないです(単に私が知らないだけかもしれませんが、珍しいことは変わらず)。

平安古筆の名品展@五島美術館 - ときかぬ記

と書いたばかりで、この久松切本が出るというね。すっかり忘れてました。なお、五島に出てる上巻の断簡は飛雲だけで打雲はありません。以前、出光でこの巻下の別の箇所が出ており拝見したと思うんですが、そこも打雲はなかったはず。全体的にどのように装飾料紙を使っているか気になります。機会があれば調べようかと。

19. 梁塵秘抄

この梁塵秘抄の断簡については、以前「後白河院自筆説はどうなったのでしょうか? - ときかぬ記」で取り上げたことがあります。古谷稔さんがこの梁塵秘抄切4葉について、一筆でかつそれは撰者後白河院の筆跡だと主張したのに対し、小松茂美さんが複数筆跡がありかつそのなかに後白河院の筆跡はないと論争になったものです。

今回の図録では

美麗な料紙への染筆は能書によるものと推測される。『梁塵秘抄』は、治承三年(一一七九)の成立であるが、本作品は成立年代をあまり降らない頃の書写と考えられる。筆跡がやや異なるが、他に二葉が知られる。

と複数筆者説を取り、かつ後白河院筆説には触れていません。なお、他に3葉で計4葉ではないかと。

単なるミスなら構わないんですけど、うち1葉になにか問題でもあったのか。

22. 右大臣家百首切

この断簡はかなり紙背の文字の裏写りが濃いですね。もともと巻子本で裏の白紙を表に袋綴に改装して何かが書かれていたらしいですが、何が書かれていたのでしょうか。

24. 中務集

内、二丁に丁字を用いた叢と板子の下絵がある

この下絵のあるページを展示していて、何で描いているんだろうと疑問に思ったのですが、丁字だったんですね。

「日本書道文化の伝統と継承」展@帝京大学総合博物館

うかがってからだいぶ間が空いてしまいましたが、まだ開催中ということもあり、記録を残しておこうかと。もう1度くらい行くかもしれませんし。相変わらず、愚にもつかない話を。

なお、この展覧会では近世や近現代の書も展示されていますが、ここでは「第一章 古筆の美」のみを取り上げます。

会場で配られた出品リストには、実は展示されていないものも掲載されています。厳密に言うと、その断簡が貼られた手鑑自体は展示しているが、展示箇所にはその断簡が含まれないもの。聞いてみたところ展示替えはないそうです。ただ、その展示されてはいないがリストに載っている作品は、図録には図版や解説が載っています。そして、図録は展示とは構成を変えています。ここでは、図録に準拠して書き進めたいと思います。

図録は既に一般書店でも販売しております。

日本書道文化の伝統と継承

日本書道文化の伝統と継承

その前に。この展覧会の第一章で展示されたものは、未装5葉、掛幅5幅、手鑑5帖ですが、この手鑑についてざっくりと。

展示されている手鑑は「翰墨城」、「はまちどり」、「まさごの鶴」、「古筆手鑑」、「時代不同和歌抄」で、いずれも個人蔵。

このうち後3者については詳しい解説はありませんでした。展示も各数葉ほどで、うち展示キャプションがついているのは1葉2葉。ほかに展示されていないが図録に掲載されているのが各1葉ほどあったりなかったり。さほどいい古筆切が収録されていない手鑑であろうかと思います。

「まさごの鶴」は全106葉(表53葉、裏53葉)。図録に掲載されているのは「柏木切」と伝二条為明筆「狭衣物語断簡」。

「古筆手鑑」は全72葉(表40葉、裏32葉)。図録に掲載されているのは伝小野道風筆「装飾法華経断簡」と「法輪寺切」と「広沢切」。

「時代不同和歌抄」は全123葉(表65葉、裏58葉)。図録に掲載されているのは「公実集切」(真観監督書写本)。

「はまちどり」は全295葉(表152葉、裏143葉)。この手鑑は2012年に出光美術館(丸の内)で開催された「古筆手鑑」展でも出品されたものです。その図録の別府節子さんによる解説を参考にすると、大正末期の前田家の売り立て目録である『前田侯爵家御蔵器入札目録』(東京美術倶楽部、1925年)に記載されていることなどから、前田家伝来品と判明するものです。「配列や全体としての内容に体系的な秩序はみられ」ないながらも、貴重な古筆切を含む手鑑であるとのこと。この出光の図録に図版が掲載されているのは、

の6葉。今回の図録に図版が掲載されているのは、

の6葉。聖武と俊頼は名称違いで同じ断簡ですが、それ以外は重複していません。

つづいて「翰墨城」。個人蔵で、MOA美術館が所蔵する国宝とは同名異品。全131葉(表66葉、裏65葉)。ただし裏の101の1葉剝されており、それを引けば130葉。表の24は「尼崎切」と「如意宝集切」の呼び継ぎのようで(展示も図版もないのでどのようになっているかは不明です)、それを分けて考えれば1葉足す、というような数え方はしないみたいですね。図録の74-75ページに「古筆手鑑『翰墨城』所収古筆切一覧」が掲載されています。高城弘一さんの解説によると、明治時代ころの仕立てで、「概ね手鑑行列に従った配置」、「色紙・短冊は一切ないという質的水準」、「平安時代の書写にかかるかな古筆も少なくなく、資料的価値が高い」。『古筆学大成』には1葉も紹介されていないので調査から漏れたかとのこと。

剝された101について。展示が裏だったので、この剝された箇所を見ました。極札が残っており、筆者は「弘法大師」、書き出しは「丘當知」。「所収古筆切一覧」には「「絵因果経切」あったも現存せず」とのこと。SAT DBで検索すると、過去現在因果経のなかで「丘當知」の3字が連続するのは1箇所(03.0650a24)のみで、巻4の中ほど後ろより。ここで思い浮かぶのが国宝芸大本です。芸大本は2紙失われていますが、この佚失部は「丘當知」を含みます。すなわちここにもともと貼ってあった「絵因果経」は芸大本の断簡であったのではないかと推測されます。

以前書いた記事「鈍翁による翰墨城の改変について - ときかぬ記」に頂いたコメントで、11行の芸大本断簡で手鑑剥がしのものについてご教示頂きました。言及されている手鑑は如意宝集切2葉で極が宗尊親王紀貫之だとのこと。これは翰墨城の特徴と一致します。これを踏まえると、やはり剥がされた断簡は芸大本でいいようです。コメント通りの行づつ分けるとこの断簡の書き出しが「丘當知」にならないような気がする点気になりますが(私がどこかで勘違いをしているのか)。

しかし、なぜ極札を手鑑に残したのか、一緒に剝さなかったのかは疑問です。鑑定書は鑑定品とセットにしておくべきでしょう。考えられるのは、この札は新しくたいして価値がないものであるから剝さなかったということ。「所収古筆切一覧」を見ると、この鑑定は「不明A」なる人物のもの。この不明Aによる鑑定は、翰墨城所収断簡の半分近くを占めます。とすると、この札は、明治時代ごろにこの手鑑が作成された際の、その作成者またはそれに近い人物によるものだという風に考えられないでしょうか。すなわち、この不明Aの筆跡が判明すれば、この手鑑の作成に関わった人物が見えてきそうに思います。

以上で手鑑に関する話を終えまして、図録の構成に従って、各断簡を見ていきます。なお、展示の有無については多少記憶があやふやなところもあり、間違っていたらごめんなさい。

1. 賢愚経断簡

聖武天皇筆|奈良時代/8世紀

  • 古筆手鑑「翰墨城」所収(展示なし)
  • 古筆手鑑「はまちどり」所収(展示なし)

翰墨城断簡は5行、2行(巻12、大施抒海品、0405a03-05)と3行(巻1、二梵志受斎品、0353c17-19)の呼び継ぎ。はまちどりは5行(巻6、月光王頭施品、0389b11-15)。後者は紙が赤みを帯びたいわゆる赤聖武。図録解説曰く

料紙表面に塗布された胡粉から、白色の料紙が大半を占めるが、赤みを帯びた部分も存在する。制作当初からのものか、経年による変色かは不明。

根津美術館蔵の手鑑第一号に押された大聖武は、はまちどり断簡に直接続きますが、根津断簡は図版(『観賞シリーズ12 館蔵 古筆切』)を見る限り白いですね。ここがちょうど継目で紙が違うのかもしれませんが。

2. 鳥下絵観普賢経断簡

光明皇后筆|平安時代/11世紀

  • 古筆手鑑「翰墨城」所収(展示なし)

丁字吹き金銀泥下絵金界墨書の観普賢経。2行(09.0393b27-29)。同様の法華経が伝存しますが、もともと一具だったのか否か。センチュリー文化財団蔵品(センチュリー文化財団 オンラインミュージアム)がツレらしい(『出典判明仏書・経切一覧稿』25ページ)。ただ、これひと目見たときからしっくり来ないんですよね。素人の感覚なんてまったくあてにならないでしょうが、法華経の切(たとえば妙法蓮華経巻第四断簡(鳥下絵切) - e国宝)と比べて、たしかに字形は似るけどうまくないように見える。手鑑「月台」 蝶鳥下絵経切 - e国宝と比べると別手か。いや、別手なのはかまわないんですけど、腕がけっこう落ちる気がしたりしなかったり。

3. 紫紙金字金光明最勝王経断簡

菅原道真筆|奈良時代/8世紀

  • 古筆手鑑「翰墨城」所収

3行(巻3、09.0415c12-15)。図版では紙の色が紺色に見えますが、展示物を拝見したところ、他の紫紙金字金光明最勝王経断簡と同様の紫色をしていました。また、この図版では金字に濃い薄いのムラがあるように見えます。現物はそのようには見えなかった。意図的か否かはともかく、そういう点が強調されるような写り方で撮られた写真なのでしょうか。ちょっと興味深い図版です。

4. 太秦

聖徳太子筆|平安時代/12世紀

  • 古筆手鑑「翰墨城」所収(展示なし)
  • 未装

紺紙金字1行9字の法華経。定信の筆跡に似ています。翰墨城の展示は裏であり、ほぼ全開でしたが、展示場所のスペースの関係でごく一部畳んでおり、見れない断簡がありました。その1つがこの太秦切。残念。2行(譬喩品、09.b18-19)。未装の1葉は5行で、1行(譬喩品、09.0015b20-21)、2行(信解品、09.0016c04-05)、2行(信解品、09.0017c16-18)の呼び継ぎ。いずれも宝塔らしきものは確認できず。

5. 装飾法華経断簡

小野道風筆|平安時代/12世紀

  • 古筆手鑑「はまちどり」所収
  • 古筆手鑑「古筆手鑑」所収

この装飾法華経を見たのは確かなのですが、両方展示していたか片方だったか記憶にありません。雲母引き、天地に金の小切箔撒き、金界墨書。はまちどり断簡は2行(巻5、提婆達多品、09.0035c19-21)。古筆手鑑断簡は5行(巻5、踊出品、09.0041c05-10)。「月台」と「紫の水」にツレと思われるものがあります。いずれも同じく巻5の断簡。

6. 金銀箔装飾観普賢経断簡

筆者未詳|平安時代/12世紀前半

  • 未装

天地に金銀箔撒き、金界(鍮泥か)墨書。6行(09.0390a06-12)。裏面の装飾をそのまま残しているとのことですが、それが見えるような展示ではなくかつ図版もないので、どのような装飾であるか不明です。またツレの情報などもありませんでした。『久能寺経と古経楼』121ページに掲載の五島美術館所蔵の掛幅「装飾経断簡」(12行、観普賢経)が、場所も近く、料紙や特に筆跡が似ていると思います。ツレなのかなと思いますが、ただ状態があまりにも異なるという点が気になるところ。こちらは、あい剥ぎした紙背と思われるものを呼び継ぎしています。

7. 安倍小水麿願経断簡

伝安倍小水麿筆|平安時代/貞観13年(871年)

  • 古筆手鑑「翰墨城」所収

小水麻呂願経(慈光寺大般若経)の断簡。5行(巻113、05.0633b09-14)と5行(願文前欠、下部欠損激しい)の呼び継ぎ。

8. 飯室切

嵯峨天皇筆|奈良時代/8世紀

  • 古筆手鑑「翰墨城」所収(展示なし)

黄紙(図版を見る限りでは茶色)墨書、白墨による書き入れあり。3行。図録では勝鬘師子吼一乗大方便方広経(勝鬘経)としていますが間違いで、瑜伽師地論巻31、30.0456b11-14です。国宝翰墨城に勝鬘経の飯室切が押されているので混乱したでしょうか。小林強さんの『出典判明仏書・経切一覧稿』34ページ、「嵯峨天皇、瑜伽師地論《飯室類切・空海加筆》」の項に掲載されています。ツレなし。なお、展覧会の図録解説では「書風や料紙から、奈良時代の書写と考えられる」としつつ、同書掲載の「古筆手鑑『翰墨城』所収断簡一覧」では「平安時代」と違いがあります。図版見る限りなかなかいい筆跡。奈良ですかねえ。

なんとなく根津美術館の所蔵する五月一日経の瑜伽師地論巻24(文化遺産データベース)とこの断簡を比べたんですけど、これがびっくりするくらい筆跡が似ていたんですね。ひょっとしたら同筆ではないかと。松本包夫さんの「聖語蔵五月一日経の筆者と書写年代その他(二)」によると、瑜伽師地論の第3帙(巻21から巻30)の筆者は高忍熊(読めない。あとで調べます)。この断簡の筆者も高忍熊なのかもしれません。高忍熊が五月一日経の瑜伽師地論第3帙を書写したのは天平11年10月と11月なので、もしかりに本断簡が同筆なら、書写年代はどんなに広くとっても前後数十年以内、絞れば天平写経ということになるでしょうか。なお念のため、五月一日経の瑜伽師地論第4帙(すなわち巻31から巻40)は忍坂成麻呂が写しており、巻31を含む8巻が聖語蔵に現存します。五月一日経本と大正蔵本の巻31の開始位置は同じであり、調巻が異なりこの断簡の部分が五月一日経本では巻30であるということでもない。すなわち、この断簡は五月一日経ではありません。

9. 清水切

後鳥羽天皇筆|鎌倉時代/13世紀

  • 古筆手鑑「翰墨城」所収(展示なし)

銀界銀天蓋蓮台墨書法華経。4行、2行(巻5、踊出品、09.0040a07-09)と2行(巻1、序品、09.0004b13-15)の呼び継ぎ。図録には「白紙に銀泥で天蓋と蓮台を刷った料紙に」とあります。しかし、半蔵門ギャラリーさんの解説では、

蛇足ですが、『古筆手鑑大成』『写経の鑑賞基礎知識』『手鑑月台』等に、界の上下の天蓋、蓮台を銀泥にて「描く」とありますが、どう視ても捺したようにしか見えません。「薄い銀泥で捺している」との解説を最近みつけ、やはりそのような解釈もあるのだと納得しました。

半蔵門ギャラリー - 装飾法華経『清水切』 | 古美術品専門サイト fufufufu.com

刷りなのか捺しなのか、言い換えればプリントなのかスタンプなのか。私はスタンプだと思っていたのですが、プリントなのかなあ。それともスタンプの意(またはそれを含む意)で刷るという語を使ったのか。

10. 笠置切

万里小路宣房筆|南北朝時代/14世紀

  • 古筆手鑑「翰墨城」所収(展示なし)

金界墨書観普賢経。1行、09.0392c05-06。万里小路宣房真筆の法華経の結経の断簡。

11. 法輪寺

藤原行成筆|平安時代/11世紀半ば

  • 古筆手鑑「古筆手鑑」所収

今回の目玉ですね。数年前だかに新たに発見されたもので、初公開だったかな。藍紙に羅文飛雲を漉きかけ。雲母砂子も撒いているでしょうか。和漢朗詠集巻下、詠史全部、題を含め6行。漢詩と和歌の間に継目がありますが、当初のものだと思われ。

12. 紙縒切

藤原佐理筆|平安時代/11世紀後半~12世紀前半

  • 未装

飛雲紙に金銀砂子撒き。道済集。7行。紙縒切いいですよね。この断簡もそうですけど、行がすっとまっすぐ通る感じが心地よい。釈文6行目「さきくのかみも」の「く」の読みがちょっと疑問。

13. 白氏文集切

藤原行成筆|平安時代/11世紀後半

  • 古筆手鑑「翰墨城」所収

白氏文集巻26江州司馬庁記。2行。古筆学大成25白氏文集10藤原行成筆白氏文集切のツレ。同書50ページ掲載の図版38の5行の模写のうち、所在不明とされた前2行の断簡です。この前の東博での行成特集展示で東博所蔵のツレが展示されていました。「伝」をつけつつも「藤原行成の真筆である可能性が高い」と。また小松茂美さんは真筆認定です。この帝京の展覧会での図録では、「行成自筆説に慎重な意見もあり、今後の詳細な筆跡研究が期待される」と留保し、また時代を「十一世紀後半」としているということは否定的なのかな。

14. 荒木切

藤原行成筆|平安時代/11世紀後半

  • 古筆手鑑「翰墨城」所収

古今集巻10、449。奥1行抹消か。

15. 香紙切

藤原佐理筆・伝小大君筆|平安時代/11世紀後半

  • 古筆手鑑「翰墨城」所収(伝藤原佐理筆)
  • 古筆手鑑「翰墨城」所収(伝小大君筆)

前者は高城弘一さんの言う第2種、後者は第1種。後者は詞書のみ3行ですが、いいですね。

16. 巻子本古今和歌集

  • 未装

赤い蠟箋で、牡丹文でしょうか。5行。古今集巻5。第1行は2字で1字欠損「け□(釈文は「り」を充ててます。293を脱しているのか、293の末尾を誤写したか)」。2行目以降は294詞書と作者。

17. 東大寺切(三宝絵詞断簡)

源俊頼筆|平安時代/保安元年(1120)

  • 掛幅装

和製唐紙。菱唐草文。寄り合い書きなんでしたっけ? まだ区別つかず。

18. 唐紙拾遺抄切

源俊頼筆|平安時代/12世紀前半

  • 古筆手鑑「翰墨城」所収
  • 古筆手鑑「はまちどり」所収

伝俊頼筆の唐紙拾遺抄切で次の伝公任筆のとは別本。和製唐紙。翰墨城断簡は3行、七宝繋ぎ。はまちどり断簡は9行、牡丹唐草文。図録解説の「部分的に他の平安古筆には確認できない文様も含まれる」という点が気になります。

19. 唐紙拾遺抄切

藤原公任筆|平安時代/12世紀前半

  • 古筆手鑑「翰墨城」所収
  • 掛幅装

和製唐紙ですが、ともに状態があまり良くなく文様ははっきりせず。

20. 柏木切 類聚歌合断簡

藤原忠家筆|平安時代/12世紀半ば

  • 古筆手鑑「まさごの鶴」所収

歌題不明の右1首、樹留寒風の左右2首の計3首10行。歌合大成の古筆索引に掲載されておらず、3首とも和歌 語句検索でかからないのでお手上げです。料紙はA罫、筆跡を判断する力は私にはありません。

右歌の末尾2箇所に「本まゝ」と書かれており、また歌には字数がおかしいなど変なところがある。書写の際に善本を手に入れられなかったみたいですね。筆者自体が親本に疑問を持っているせいか、字形が不確かなところがあり、釈文はすべて解読していますが、実際そう読むのか、そもそも読めるのかと思うところも。ただとりあえず、「右 かへ」と読んでいるところは「右 かつ」でしょう。余談ながら、「かち」ではなく「かつ」であることに以前から違和感が拭えず。。。

21. 詩書切

藤原公任筆(推定/藤原定信筆)|平安時代/12世紀前半

  • 古筆手鑑「翰墨城」

3行。和漢朗詠集巻下・草に所収の漢詩句(437)。本朝文粋・奏状中に全出。いわゆる直幹申文。

22. 日野切

藤原俊成筆|鎌倉時代・12世紀後半

  • 古筆手鑑「翰墨城」所収(展示なし)

5行。千載集巻13、817歌及び818詞書後欠。

4行目「くたり/\けるを」を「くだりくだりけるを」って読んで一瞬なんだろうなと思ったのですが、「くだりたりけるを」ですね。

23. 石山切貫之集下断簡

藤原公任筆|(推定/藤原定信筆)|平安時代12世紀

  • 掛幅装

唐紙で白具引き地に獅子二重丸唐草文、銀泥下絵。

最終行の「わひし」の書き方がおもしろい断簡。以前図版で見て印象深かったものですが、思いかけずも実物を拝見しました。こういうの嬉しい。

24. 白河切

西行筆|平安時代/12世紀

  • 古筆手鑑「翰墨城」所収

後撰集巻10、613詞書前欠から614作者まで。

釈文の「あまた或本」は「あきたゝ或本」ではないかと。

25. 本能寺切

藤原定家筆|鎌倉時代/13世紀

  • 掛幅装

時代不同歌合773番。

26. 公実集切

藤原公任筆|鎌倉時代/13世紀

  • 古筆手鑑「時代不同和歌帖」

真観本。

27. 年魚市切

藤原為家筆|鎌倉時代/13世紀

  • 掛幅装

金銀箔撒き。詞花集巻7、188下句から190第2句まで。もともと小さいサイズの本の断簡で、実物と図版は印象がだいぶ異なります。

28. 北野切

藤原為家筆|鎌倉時代/13世紀

  • 古筆手鑑「翰墨城」所収

古今集巻20、1071から1073。和歌2行書きで題を含め9行。奥1行の直前に継目があり、その1行の紙のみ上下藍の雲紙です。巻子かと一瞬錯誤しましたが、冊子本(列帖装)のようです。

29. 内侍切

伝藤原良経筆|鎌倉時代/13世紀

  • 古筆手鑑「翰墨城」所収

天地藍の雲紙に金銀箔砂子を霞引き。和漢朗詠集巻上・春・鶯、70から72。藻塩草にツレがあります。和漢朗詠集巻上断簡(内侍切) - e国宝

30. 雁金切

伝慶運筆|鎌倉時代/13世紀

  • 古筆手鑑「翰墨城」所収

金銀箔撒き金泥下絵(雁金の部分の傷み方からすると金泥ではないかも)。古今集巻4、227詞書から上句まで。藻塩草にツレがあります。古今和歌集巻第二断簡(雁金切) - e国宝

31. 右衛門切

伝寂蓮筆|平安時代/12世紀

  • 古筆手鑑「翰墨城」所収

古今集巻2、117詞書前欠から118歌まで。

最終行の末字の右下の「ハ」は裏写りした文字でしょうか? ただ、なぜここに「ハ」があるのか。

32. 今城切

伝飛鳥井雅経筆(推定/藤原教長筆)|平安時代/12世紀

  • 未装

古今集巻11、511から513の3首。素紙。

33. 角倉切

伝阿仏尼筆|鎌倉時代/13世紀

  • 古筆手鑑「翰墨城」所収

後撰集巻14、1004詞書前欠から1006詞書まで。

釈文5行目「入こす」の「こ」を脱、また6行目「たえたりし」は「たえたりと」だと思います。それはいいとして、同行「うちはしを」なのかなあ。ぱっと見そうは見えないですよね。他の断簡の字も見て比べたいところ。解説、

細身の線は女筆を思わせ、筆者を阿仏尼と伝えるが確証はない。

当時は性別によって筆線の太い細いに明瞭な差があったという証拠があるのでしょうか。なかったとしたら剣呑なもの言い。

34. 醍醐切

二条家俊筆|南北朝時代/正慶2年(1333年)

  • 古筆手鑑「はまちどり」所収(展示なし)

右ページは古今集巻19、1016作者から1021詞書後欠。左ページは奥書。列帖装で、綴じ穴残ります。呼び継ぎしたものではなく、もとの1紙でしょうか。新撰古筆名葉集に「奥書アル切レナリ」とあるので、このときには既に切られていた(というかバラされていた)のでしょう。奥書

正慶二年二月八日以相伝之証
本所終書写之功也
   右近衛権中将藤原朝臣(花押)

ここまで書いてあったら特定できるのかなと疎い私は考えてしまうのですが、伝称どおり二条家俊である可能性も含め、まだ特定できていないみたいですね。というか、そもそも家俊という人がよくわかっていないらしい。

35. 重之女集断簡

源実朝筆(藤原資経筆)|鎌倉時代/13世紀

  • 古筆手鑑「はまちどり」所収(展示なし?)

布目打ち、下絵(この下絵が何で描かれているのか、少なくともこの断簡を見る限り私には分かりません)。冷泉家時雨亭文庫に伝存する資経本私家集と同筆で、これもその一具であったもの。

36. 五条切

伝二条為世筆|鎌倉時代/13世紀

  • 古筆手鑑「翰墨城」所収(展示なし)

後撰集。伝称筆者の為世は続後撰集の撰者。解説に

本文は、上質な白紙に巻子本の形態で書写しており、勅撰和歌集の写本としてはかなり由緒のある典籍であったと考えられる。撰者自筆の可能性も指摘されており、今後詳細な筆跡の検討が望まれる。

正直、あまりうまい字には見えず。

37. 七社切

世尊寺行尹筆|南北朝時代/14世紀

  • 古筆手鑑「翰墨城」所収(展示なし)

藍の雲紙に、金界、天地に金銀砂子撒き。「足利尊氏が複数の寺社に奉納した法楽和歌の断簡」とのこと。ちょうど今日から出光美術館(丸の内)で開催される「時代を写す仮名のかたち」展で2巻出陳されます。詳しく知らないので、そちらで勉強してきます。

38. 源氏物語絵巻詞書切

伝津守国冬筆|鎌倉時代/13世紀

  • 古筆手鑑「はまちどり」所収(展示なし)

天理本源氏物語絵巻の詞書断簡。5行。若菜下。

39. 狭衣物語断簡

伝二条為明筆|鎌倉時代・13世紀

  • 古筆手鑑「まさごの鶴」所収(展示なし)

金銀箔撒き。12行。

40. 筑後

伏見天皇筆|鎌倉時代/永仁2年(1294年)

  • 古筆手鑑「翰墨城」所収(展示なし)

上下藍の雲紙。3行。後撰集巻12、884詞書。

41. 広沢切

後伏見天皇筆(伏見天皇筆)|鎌倉時代/13世紀

  • 古筆手鑑「翰墨城」所収(展示なし)
  • 古筆手鑑「古筆手鑑」所収(展示なし)

翰墨城は題「獣」1首、古筆手鑑は題「秋地儀」と「促織」の2首。

42. 宸記切

後鳥羽天皇筆|鎌倉時代/13世紀後半

  • 古筆手鑑「翰墨城」所収(展示なし)

雲母引き。5行。後鳥羽院宸記。

43. 金沢文庫

伝尊円親王筆|南北朝時代/14世紀

  • 古筆手鑑「翰墨城」所収(展示なし)

金沢文庫万葉集。2行、巻13、3336前欠。

44. 竹屋切

後円融天皇筆|室町時代/15世紀

  • 古筆手鑑「翰墨城」所収(展示なし)

藍雲紙下絵。源氏物語・初音。藻塩草にツレがあります。源氏物語「夕霧」巻断簡(竹屋切) - e国宝

平安古筆の名品展@五島美術館

せっかくいい展覧会にうかがったので、取るに足らないものですが、感想などを残しておこうかと。

Ⅰ 仮名の成立から典型へ

1. 綾地歌

草仮名の遺品。古筆学大成25の未詳歌集②伝藤原佐理筆綾本未詳歌集切に当たるものです。①の伝なしの方の綾地歌切(賀歌切)とは別本。ツレは1葉で共に夏歌。そのツレの金沢市立中村美所蔵の1葉は、同様に4行1首で上半中央に大きく四菱文様が見えます。本品もわずかに同様の文様が残るということですが、図版でもガラス越しの現物でも確認できず。

筆跡は秋萩帖に似ており、また下の方が痛み1字分ほど失われてます。そこで思い浮かぶのが秋萩帖の第1紙。3字の脱字があり、うち2字は行が変わるところなんですよね。小松さんは、それを踏まえて、秋萩帖の第1紙は模写で原本はこの綾地歌切本ではないかと推測されてます。真偽のほどは定かではありませんが、興味深いお話。

貴重なものなのでしょうけれど、傷み激しくなんとも言えず。。。

2. 継色紙

五島美術館蔵。何度か拝見していますが、いつ見てもいいですねえ。

原装は粘葉装で、内面書写つまり料紙表側のみ書写し裏側は白紙としてます。この場合、書写してる見開きと白紙の見開きが交互に現れますが、実際は、折り目をつけなければページをめくったときに裏側で開ききらずそのまま次の表側までめくれると思うので、その点はあまり不思議に思わなくてもいいのかもしれません。(追記)東博のお土産屋さんで、粘葉装のメモ帳を買ったんですが、思っていたのと違う動きをして、白紙のページは開きますね。そのまま次の表側までめくれるということはありませんでした。頭で考えるだけではなく、実物に当たるのは大事だなとあらためて。細かく言えば、当時のものとは紙や仕事の丁寧さなどで違いはあるでしょうけど。(追記了)

むしろ面白いのは、(継色紙にもいくつかの書き方がありますが、とりあえずこの歌は)上句を見開きの左ページに書き、下句をめくった次ページ(厳密に言うと次々ページになるのか)の見開き右ページに書いているということでしょう。つまり、いま掛幅の状態では1首を一目に収めることができますが、原装だと上句下句を別々に見ることしかできなかったわけです。なぜこんな書き方をしたのでしょうか?

図録解説に

伝称筆者は小野道風(八九四~九六六)、自筆との確認はできないが、書写時期は道風の活躍時期と近いと考えられる。その根拠は、使用される言葉に「あ行」と「わ行」の「え」と「ゑ」の使いわけがなされていること、料紙に色違いの染紙を使用し、装飾料紙としては古い形式と考えられることによる。

これは「あ行」と「や行」の「え」の間違いでしょう。「あ行」と「わ行」の「え」と「ゑ」の使いわけだと、道風の時代か否かの判断基準にはなりません。で、実際に使いわけがなされているか調べてみました。古筆学大成16掲載の継色紙所収歌全34首(うち半端4首、模写2首)のなかで「え」が使われているのは次の3首の1箇所づつ。冒頭のアラビア数字は「「継色紙」と他歌集所収歌との対比一覧」(418から421ページ)で付された歌番号です。なお、古筆学大成出版以後に出てきた継色紙については未確認。

  • 09はなのいろはゆきにまかひてみすともかをたにゝほへひとのしるへく
  • 26われみてもひさしくなりぬすみののきしのひめ松いくよへぬらん
  • 33きみをおきてあたしこころをわかもたはすゑの松山なみもこなむ

09は「見ゆ」の未然形、33は「越ゆ」の連用形なのでや行、また「江」は万葉仮名でや行えの訓仮名として使われているので26も同じくや行。図版を確認するとすべて「盈」を字母とした仮名を用いています。

橋本進吉の「古代国語の「え」の仮名について」*1によると、「盈」の字は「奈良朝から平安朝初期までの文献に於て、仮名として用ゐた例は(略)一つも無い」とのこと。古い論文なのでその後状況は変わっているかもしれませんが、「盈」の字はあ行とや行の「え」が確実に区別されていた頃には使用例がないというわけです。しかしながら、「盈」の字が「え」の仮名として使われたとすればや行だろうという話もしている*2。この場合、どのように考えればいいのでしょうか。

3. 古今集切(未詳歌集断簡) 伝藤原行成

今回の目玉の1つ。この切については以前取り上げたことがあります。

源氏物語が書かれた頃の仮名と製本 - ときかぬ記

ツレの断簡について、料紙の放射性炭素年代測定によって、西暦1000年頃の紙だと判明しました。すなわち書写年代もその頃であると。もちろんこの件について疑問を挟むことはできます。測定は1度しかなされてないので、測定ミスかもしれない。また、ずいぶんと失礼な話ではありますが、捏造という可能性も否定はできません。検証がなされてないので扱いは慎重にすべきでしょう。さらに測定結果を認めても、古紙を用いたとか、漉き返しなどの可能性も考えられます。しかし、料紙装飾や、筆跡、崩し方、散らし方などを考え合わせて、古いものだと考えていいのではないかと思います。

原装は巻子装。展示されている断簡は、藍と薄藍の紙の継目部分をまたいで書かれています。現存6葉中この断簡を含め3葉が継目またぎ。ゆったりと間を取った書き方をしていることから、前から順に書いてたまたま継目をまたいだのではなく、あえてこの色が変わる継目部分を選んで書いてたのでしょう。

継色紙の上記のような不思議な書き方も、これを考慮すると1つの考えが浮かびます。当時は1紙を1色にしか染めなかった(と思う)。だとすれば、地の色を変えるには料紙を変えるしかなかったのではと。

4. 仮名消息 伝藤原行成

読めない。。。

鳩居堂所蔵の国宝「伝藤原行成筆仮名消息(十二通)」(文化遺産データベース)のツレですよね。この12通に複数の筆跡があるようで、伝行成ですが、少なくともすべてが行成筆であるとは言えないわけです。解説では、本品について行成より少し時代を下げてました。

5-7. 関戸本古今集

高野切と同時代かもしくは少し遡るかもと推定される古今集の古写本です。同色の濃薄を1枚づつ重ねた2枚を1括とする列帖装(綴葉装)が原装。

5は内容が左右連続し、切り継ぎのないもとの見開き。中央の上下2箇所に2穴づつ綴じ穴らしきものが確認できます。6は5行2行1行の3紙呼び継ぎです。

8-13. 高野切

高野切が6葉出てるって凄くないですか!?

今回の展示では、料紙の雲母砂子がはっきりと見えます。高野切の雲母砂子は展覧会での展示では見えないことが多いのですが、今回はくっきり。特によく見えるのが五島美の巻1巻頭断簡で、正対すると見やすいですね。他の5葉は、展示場所が異なり照明の当たり方が違うからか、斜めから見た方が見えます。

14. 大字和漢朗詠集

高野切第一種系統で、同筆と言われてます。和歌3行書きと、2行書きの高野切より大字で書かれてます。東博が所蔵してるのでそこそこ見る機会はありますが(直近は行成の特集展示)、現存10葉ほどの珍品。

8の高野切巻1巻頭に近い丁寧な書き方ですね。同じ高野切でも、巻1巻末に近い9や巻9の断簡である10などは、もっと早くリラックスした書きぶりです。

15. 升色紙

これも雲母砂子撒きですが、今回の展示で初めて雲母砂子を確認できました。ほんと今回いい展示ですよ。

16. 桂本万葉集断簡(栂尾切)

高野切第二種系統で、同筆、源兼行の筆跡とされます。三の丸尚蔵館蔵桂万葉のツレ。

これ好きだなあ。仮名で書かれた和歌、1首を2行に書いてますが、行間を狭め、一部重なりつつ文字が絡み合う様がいい。

17-18. 関戸本和漢朗詠集

これも第二種系統で、一般には同筆と考えられているかと思いますが、図録解説を読むと含みのある書き方。

17は鶯のところ全部です。原装は巻子。関戸朗詠は行書きで前から順に詰めて書いてるはずなので、鶯がこの場所に書かれているというのは偶然であり、切断するときも内容に基づいて切ってるだけなんですが、計ったようにいいバランスですよね。色変わりの料紙の継目部分で、右が濃藍、左が薄藍。料紙幅が2対3くらいの絶妙な位置です。また漢字で書かれる漢詩の箇所は比較的に墨付きが多く黒いわけですが、それが薄藍まで達している点などを含め、料紙と筆跡のバランスもいい。そして極めつけは、継目を真ん中に堂々とまたいで書かれた1行。

19-20. 名家家集切

第二種系統ですが異筆。原装は粘葉装冊子本。飛雲紙ですが見えないので、ない部分(裏?)なのでしょう。20は2紙呼び継ぎ。

21-24. 十巻本歌合切

21は寛平御時后宮歌合の断簡ということで、東博の国宝残巻(寛平御時后宮歌合(十巻本) - e国宝)の佚失部の一部ですね。

22と24は同筆でしょうか。21と23も近い感じがします。機会があれば確認しようかと。歌合大成では(手元にあるのは不十分な資料なので機会があれば後で補充します)、

  • (21)5〔寛平五年九月以前〕皇太夫人班子女王歌合。巻4。
  • (22)105某年或宮菊合。巻9。
  • (23)75天延三年三月十日一条中納言為光歌合。巻9。
  • (24)72天禄三年八月規子内親王前栽歌合。巻7。

25-26. 如意宝集切

公任撰の私撰集である如意宝集の現存する唯一の写本の断簡。筆跡は高野切第二種系統と言いますが、けっこう雰囲気違うような気がしたりしなかったり。

27. 亀山切

上下藍の雲紙に雲母砂子撒き。この断簡の雲ははっきりしないですね。雲母砂子ははっきり見えます。

非常に繊細な印象をうける字です。好き。

28. 近衛本和漢朗詠集断簡

高野切第三種系統。

唐紙ということですが、痛み激しく文様はよくわかりません。角度をつけて下の方からのぞきこむようにすると、かすかに見えなくもないのですが。

29. 法輪寺

同じく第三種系統。うまいですねえ。

料紙は藍紙で、現存品では唯一の羅文飛雲を漉きかけ、さらに雲母砂子撒きで、展示品はその羅文飛雲がある部分です。帝京大学総合博物館の「日本書道文化の伝統と継承」展でも詠史の部分が出てまして、そちらは羅文飛雲が2箇所。地の藍紙は(もともとなのか、照明の関係かわかりませんが)、こちらの方が明るい色できれいに見えました。

30. 催馬楽

鍋島報效会蔵の国宝催馬楽譜の佚失部の一部です。この国宝鍋島本について図録に

もと粘葉装の冊子本で、現在、三十一枚の綴葉装に改装した一冊として残る

と書かれているのですが、粘葉装を綴葉装(列帖装)に改装するというのがよくわからず。

II 多彩な仮名表現の展開

31. 寸松庵色紙

三色紙揃い踏み!! なおいずれも五島美術館蔵品です。

で、この五島美の寸松庵色紙は何度か見たことがあるんですが、今回ほどはっきりと唐紙の瓜文様が見えたことはありません。この五島美所蔵品は、現存品の中では比較的状態がいい。それが普段より見やすく展示されています。

この展覧会は、いい品が大量に出てるというだけでなく、展示の仕方もいいですね。

32. 小島切

原装は粘葉装とのこと。右下が傷んでいるのは、ページをめくる指で汚れたか。左側に糊代らしき痕跡は見えませんが、虫食い多いのでこちらが綴じている側、右が小口か。ちょっと印象薄い。

33. 荒木切

荒木切もいい古筆ですよね。本品は特に重ね書きなどをもちいて見どころの多い断簡。

荒木切はさまざまな料紙を交用してます。展示品は雲に飛雲を合わせたもので珍品。荒木切でも現存4葉、ほかの写本で使われてるというのも聞いたことないです(単に私が知らないだけかもしれませんが、珍しいことは変わらず)。(追記)と書いたそばから出光美術館で久松切本の和漢朗詠集で見かけるというね。すっかり忘れてました。(追記了)

ちなみに上記の「日本書道文化の伝統と継承」展で、個人蔵の翰墨城が出陳されており、そこに荒木切が1葉押されてます。1首2行に詞書作者の行を含め3行、特に工夫のない普通の2行書き。歌は、上掲の升色紙とおなじ深養父のかはな草の歌で、見比べてみるのも一興かと。隠し題ですけど、ともにその点に工夫した書き方はしてないですね。詞書に書いているからわざわざそこを強調する必要もないでしょうけど。

34-35 元暦校本万葉集切(有栖川切)

34は巻4、35は巻11の断簡で同筆とのこと。同じ字(相・尓・成・事・宿など)を比べてみると確かにそっくり。ただ、筆か書写態度の違いか、少し印象は異なります。35のほうが丁寧ですね。34は最後の2行が弓なりに曲がってしまっている。

36. 針切

重之の子の集の巻頭部分。見開き2ページ分で、継いだものではなくもともと1紙のようにみえます。中央に綴じ穴か虫損か単なる汚れか判然としない物あり。原装は列帖装。列帖装で巻頭部分が継目のない1紙に見開き2ページ分書かれるというのは不自然ですよね。針切は相模集と合せて書かれたもので、相模集が先、重之の子の集が次に書かれたのかな。

自撰家集のようですね。冒頭の長い詞書はどういうときに歌を詠んだのかというようなこと。自意識の発露を感じ、興味深く読みました。

37. 藍紙本万葉集

推定筆者は藤原伊房で、国宝藍紙万葉巻9のツレです。本品は巻10。筆が割れても構わずにグイグイと書いていく力強い筆跡。

出光美術館で19日から開催される「時代を写す仮名のかたち」展で京博の国宝残巻(萬葉集巻第九残巻(藍紙本) - e国宝)出るみたいですね。五島のこの展覧会は平安古筆と推定されるもののみ(一部厳密に言えば鎌倉極初期)で手鑑の展示なし、出光の展覧会は中世古筆に力点がありかつ手鑑見努世友出陳と相互補完的な展覧会になりそうです。

38. 久海切

舶載の唐紙でかなり状態悪いですね。文様もわかりませんし筆跡も追いづらい。なお図録に

現在は、巻十二、十三、十四、十五に限った断簡が八葉確認できるのみである。本品は、巻十二恋歌一の断簡。ほかはすべて個人蔵。

とありますが、東博蔵の手鑑毫戦(もと個人蔵、10年ほど前に東博が収蔵)に1葉貼られてます。

手鑑「毫戦」 - ときかぬ記

39. 御蔵切

図録解説に「丸みがあり、曲線の強調された音楽的なリズミカルな書風」と書かれていますが、残念ながら私にはその音楽は聞こえず、リズムも感じませんでした。模写すれば分かるのでしょうか。しかし技巧的で難しそうです。

40-42. 太田切

和漢朗詠集の断簡で、漢詩は端正な筆致、和歌は個性的で独特、ところどころ奔放ささえ感じる筆跡で、一筆なのか疑問に思ったりもするおもしろい写本。ただ、舶載の唐紙で状態悪いものが多く、とくに細い線で書かれた和歌の方は筆跡が読み取りづらいですね。今回の展示品では、比較的状態のいい40は和歌の部分が太田切独特の魅力が薄い部分ですし、41と42は傷み激しい。なかでは、41の6行目「わた」が可愛らしい字形です。

43-44. 本阿弥切

有名古筆のなかで、私が特に魅力を理解できないのが、この本阿弥切。なんど見てもよく分からない。今回も残念ながら分からず。。。

45. 和泉式部続集切

これもわりと分からない方です。

46. 惟成弁集切

いいですねえ。

図録解説に

本断簡のほか、藤田美術館東京国立博物館の手鑑と個人の手鑑にある。掛物は二点。合せて十点に満たない。

藤田美術館の手鑑は知りません。東博のは月台を指すでしょう。個人は毫戦で、久海切の項に既述のとおり東博現蔵ですね。

Ⅲ 仮名の新風の登場

47-48. 筋切

藤原定実筆と推定される古今集の断簡。

47は見開き。48は1頁分よりすこし幅が狭いので1ページ足らず。この48の最終行が特殊表記和歌なんですよね。

伝越部局筆「阿野切」の特殊表記和歌 - ときかぬ記

筋切・通切でも、この表記はページの変わり目(左ページの左端)でいくつか見られます。和歌がページで分断される(一覧できない)のを避けるためでしょうか。切断されているので確証はありませんが、この断簡も同様でしょう。気にせず分断しているところもあるけれど、継色紙のころに比べると随分意識が変化してると言っていいのかもしれません。時代下って今城切は、私が確認した限りではページまたぎが1首もない。書写する人にもよるでしょうが、こういうところに時代の変化を感じます。

なお上にリンクを貼った記事で取り上げてる阿野切は見努世友所収。出光の展覧会で展示されるかも。

49-51. 巻子本古今集

筋切・通切や元永本と同筆で藤原定実筆と推定されています。

筆跡が類似するだけでなく、草仮名や訓仮名をまぜるところも共通します。舶載の唐紙で、蠟箋の51は比較的マシですが、いずれも状態が芳しくなく。49は図録解説で「人物文、壺」と書かれます。壺はなんとか確認できますが、人物は1行目「此哥」の右に顔が薄っすら。一番良く見えるのは上部の波文ですね。

52-53. 拾遺抄切 伝藤原公任

ちょっと印象薄い。。。

帝京大学総合博物館の「日本書道文化の伝統と継承」展に2葉(個人蔵掛幅と個人蔵手鑑翰墨城)でている伝公任筆唐紙拾遺抄切のツレでしょう。

54. 唐紙朗詠集切

文様は一本竹。こちらは壁にかけていたため多少距離がありましたが、くっきり文様が見えます。この文様いいですよね。平安時代っぽくないデザインのようにも見えたり。当時の趣味の幅の広さを感じさせます。

筆者は伊房か。ただ伊房説を取っていたとしたら、藍紙万葉とここまで離して、章も違う所で展示する点が疑問なので、別筆の可能性を考慮してるでしょうか。

右端の2行は和歌で、次のように書かれています。図録の釈文を参照しました。

十月錐れと共に甘南美の社の木葉は雨に去雨れ

これ「神無月時雨とともに神名備の森の木の葉は降りにこそ降れ」なんですけど、こんな書き方するんですね。「錐れ」で「しぐれ」、「去」で「こそ」(「去年」なら理解できる)。「雨」で「ふる/ふ(れ)」と読むのは辞書にあるので、それなりに使われた読みでしょうか。私は初めて知りましたが。「社」は「杜」の誤写。

55. 銀切箔唐紙切(金玉集切)

公任撰の私撰集である金玉集の最古写本の断簡。ただしツレはなくこの1葉のみ現存です。

筆者は筋切や巻子本古今集切などと同筆で定実らしい。筆跡が似ているのは確かですが、状態のさほどよくない断簡1葉で確実な筆跡鑑定ができるや否や。

56. 下絵拾遺抄切

この比較的大きな銀泥下絵はいいですよねえ。筆者はこれも定実説有力だそうです。

図録に

現在、図版を確認できる断簡は、巻一と三の八点のみ。本図のほか、東京国立博物館に一点、そのほかは個人蔵でなかなか目にできない。

とのこと。東博の1点とは

C0014644 下絵拾遺抄切 - 東京国立博物館 画像検索(列品番号:B-2430)

のことでしょうか。ならこれは?

C0066484 下絵拾遺抄切_「ひくらしに」 - 東京国立博物館 画像検索(列品番号:B-3276)

57. 久松切

図録掲載の図版、さすがにこれはないやろ。

上巻巻頭の目次部分と前栽の呼び継ぎ。飛雲紙に金銀箔撒き。巻頭の方は箔が寂しいですね。印象薄し。

58-62. 二十巻本歌合断簡(柏木切・二条切)

前後期展示替え含め全5葉出ますが、一番の注目は後期展示の58。A罫料紙で、紙背に「財」印(2顆見えます)が捺されたものです。もちろん筆跡もいい。

歌合大成では(手許の不十分な資料に基づくので抜けがあり間違いがあるかも)、

  • (58)197承保二年二月廿七日陽明門院殿上歌合。巻5。A財二甲。
  • (59)300元永二年七月十三日内大臣忠通歌合。巻12。E三甲。
  • (60)104某年或所不合恋歌合。巻次不明。
  • (61)5〔寛平五年九月以前〕皇太夫人班子女王歌合。巻4。A財一甲。
  • (62)300元永二年七月十三日内大臣忠通歌合。巻12。E三甲。

63-67. 石山切

石山切が5葉ですよ(展示替えありで1度に出るのは4葉ですけれど)。

石山切といえばなんといっても継紙。67に重継、66と67に破継、64に切継と3種揃いました。67(五島美蔵)・65(前期)・63(後期)は壁に掛けているので少し見づらいですが、64と66は間近に見れる展示でいいですね。64の紺紙と藍紙の色の良さよ。

65は漉き返し紙です。『王朝美の精華・石山切』の解説 資料編の34ページに

ただし「伊勢集」には紙屋紙が見開き一枚(四頁分)、および継紙の中に使用されている箇所が一つあり、漉き返しである紙屋紙は表裏に剥げないため、そのままとされた(図版番号59-1・2)

とあります。実際に図版番号59のもの(徳川美術館蔵)、1枚の半分の両面2ページ分で両面表具にしているようです。継紙の中に使用されいるのは、参考図版3として掲載されている湯木美術館蔵品で、こちらは切断せずに1枚4ページ分そのまま、同じく両面表具を使用。ただし、裏の右ページは貫之集の遊紙。上から貼って見えなくしているのでしょうか*3。鈍翁旧蔵品で、そもそも両面表具が鈍翁の発案らしい。

では、この春敬文庫蔵の本品(もと徳川美術館蔵品と1枚だったもの)はどうなっているのでしょうか? あい剥ぎしていないのならばそのまま裏が残っているのか。両面表具だという話は聞きませんから、裏側をそのままにして表具に貼り付けているのでしょうか。

67はもとの見開き2ページ分。ただし料紙裏で継いでいた側。つまり左右でもとの料紙が違い、装飾が異なります。右は破継で、左は唐紙の裏側。石山切は1ページ毎に見る機会が多く、また見開き2ページ分でも料紙表側が多いので、こうして料紙の裏側の見開きで1幅にしているというのは貴重ですね。正直、左右が調和してない感じがあります。

68. 本願寺本三十六人集断簡(兼輔集切)

図録解説「紙は、唐紙の裏面」とだけですが、ちょっとした下絵もあるでしょうか。

69-71・73. 砂子切

まとめちゃいますね。

兼輔集、中務集、業平集、さらに公忠集の断簡が残っており、筆跡は異なるものの料紙に共通するところがあることなどから、もともと一具のもので本願寺本とは別本の三十六人家集の写本であろうと考えられています。ただし、すべて断簡であり確証はないせいか、図録解説の態度は慎重。

73の業平集いいですね。ただ切断されており、1ページまたは見開きでのバランスが見たかった。

72. 貫之集切 伝藤原行成

これわりと好きで、現地で見とれてました。

図録解説だと、いわゆる伝藤原行成筆貫之集のツレであるのか今ひとつわかりづらい。会場の解説だと文面が異なり、明瞭にツレであると書かれていました。24.0x22.0cmと大きい断簡で、継目はありません。冊子本だと思われますが、大きい冊子本ですね。

74. 多賀切

藤原基俊真筆。名筆とはいい難いかもしれませんが、解説も言うように、俊成の筆跡の中に影響があるようにも見えます。俊成は基俊の弟子なので、実際に影響があるのか、それもと2人の関係を知った上で見るから、関連付けてしまうのか。

75. 山名切

新撰朗詠集断簡。多賀切との筆跡の比較から、撰者藤原基俊自筆と推定されています。2紙呼び継ぎ。間に漢詩句2首と和歌1首が入ります。

この銀泥下絵があまりいいものには見えず。さらに字の上に書かれているようにも見えるのは、経年による変化なんでしょうか。

76. 烏丸切

後撰集。飛雲紙に金銀箔撒き。本品は白いので具引き? 多くは次の中院切と似たような紙色です。

図録の

ほぼ同筆と思われるものに(略)伝藤原定頼筆「下絵拾遺抄切」などがある。

は79の下絵歌集切(拾遺抄)を指しているのだと思われます。すなわち80も「ほぼ同筆」。

77-78. 中院切

後拾遺集。烏丸切に非常に雰囲気が似ており、油断すると見分けがつかなくなります。一番わかりやすい違いは飛雲で、こちらは縦長。飛雲を漉きかける時は横長にするでしょうから、紙を(幾つかに切断し)90度回転させて使用してます。これは筋切と同じ。また両面に飛雲が漉かれているのも特徴で、これは他に元暦校本万葉集くらいしかありません。つまり飛雲がなければ烏丸切。

両者とも勅撰集で雰囲気が似ているとはいえ、料紙のサイズも違いますし、細かく言えば装飾も異なるので、もともと一具であったとは考えにくいでしょうか。

79-80. 下絵歌集切

79が拾遺抄で80が古今集。各数葉のツレがあるのみで詳細不明ですが、もともと一具のものであった可能性があるそうです。なお、言うまでもなく56下絵拾遺抄切とは別本。

81-83. 大色紙・中色紙・小色紙

もと同一の巻子本から切り出されたと考えられる3葉。先日、三の丸尚蔵館で展示された大色紙もツレですね。というと、縦の寸法がかなり異なることに疑問を懐きますが、かなり自由な散らし書きをしていて、上下に余白をとりながら書いたところもあり、その余白を切と取ったのが小色紙になるということです。なかには和歌を6行書きにして、上下2段に書いているところもあるよし。

82の右の余白部分に継目があります。一見すると文様がつながっているようですが、花菱文がほぼあっているだけで唐草はずれてますね。おそらく右側に余白が欲しかったので呼び継ぎしたかと。人知れずこそ。

84-85. 松籟切

これは状態がいいですね。和製唐紙で文様がはっきり残ります。

会場での釈文は確認してませんが、図録だと、84の9番左第3第4句で、1字落としているのではないかと。「まつはらはかすにきみか」→「まつはらはかすにきみか」。それともこの点は「か(可)」の一部と考えて「ゝ」を書き落としたと見るべきなのか。

85の10番左の第2第3句は「きみにあふよもあるへきに」を「きみにあふへき」と書き間違え、「き(支)」の上に「よ」を重ね書きして「もあるへきに」と続けています。これも図録の釈文「きみにあふへきよもあるへきに」とあるのはおかしいかと。

86-87. 天治本万葉集

字が小さくてよく見えず。あまり見せるための筆跡という感じもせず。実用向けの写本なのかなと思われます。しかし、ならばなぜ巻子なのか。

88. 拾遺抄唐紙色紙

ツレがなくこの1葉のみの伝存とのこと。ならばなぜ拾遺抄だとわかるのだろうと思いましたが、どうやら拾遺抄くらいにしか載っていない歌のようですね。「和歌 語句検索」(拾遺抄未収)ではこの歌は見つけられず。

89-92. 源氏物語絵巻詞書断簡

五島美術館徳川美術館が所蔵する国宝源氏物語絵巻のツレ、詞書の断簡です。短い断簡とはいえ4葉もあるんですね。贅沢な展示です。

国宝本と同様に金銀箔をふんだんに用いた豪華な料紙がみどころ。筆跡も見事ですが、暗めの料紙なのでちょっと見づらい。

平安時代末期の仮名

93. 胡粉地切

具引き地で、剥落したために文字も少し読みづらくなっています。唐紙や雲母引きもそういう傾向ありますよね。1000年残すなら料紙装飾は選ぶ必要がありそうです。

94. 今城切

同じく巻15ですが、右の藍紙は826と827、左の素紙は772から774。

95. 大江切

金箔は残っているところ疑問ですが、左2行抹消してそう。

96. 歌切 伝藤原行成

謎断簡。ツレはないとのこと。緑の染紙に、不成型で大きさも不揃いな金箔を撒いたもの。図録は「79「下絵歌集切」にやや似る料紙で、筆跡も内容的にも近いものがあるが」と言いますが、料紙については箔の大きさの不揃い感からちょっと賛同しづらい意見です。筆跡も、どうなんでしょう。他の方の意見もうかがってみたいところ。そもそも、似ているというならなぜ章を分けて展示しているのか。これ下絵があったような気がします。ただ図版だと見えず。

97. 戊辰切

和漢朗詠集の写本で原装は巻子上下2巻。完本として伝存しましたが、1928年戊辰の年に切断されました。上巻は藤原伊行筆、下巻はその父藤原定信筆というのが定説。ただし上巻はともかく下巻については異論あり。図録解説では、

下巻を親が書写し、子が上巻を書写する例は、当時の常識としては尋常ではなく、さらに検討が必要であろう

と留保しているように読めます。展示場所も石山切や砂子切から離れてますし。

右紙の巻頭部分の料紙には無数の斑点あり。紙背に撒かれた銀箔の影響でこのような斑点が出ることがありますが(目無経など)、これもそうなのでしょうか? ただ戊辰切の他の部分でこの斑点を見ないんですよねえ。そもそも戊辰切に紙背装飾があったのでしょうか。巻頭だということを考えると、見返しの影響?

98. 尼子切

拾遺抄の断簡で、一般には藍紙万葉などと同筆で藤原伊房筆と推定されているものですが、本展では慎重な姿勢。藍紙万葉と離して別の章に展示しているということは、これも否定的な見解なのかな。似てはいますけどね。

図録に

本図は裏面で見えないが、ほかは藍や緑の染められた紙に、銀泥で蝶や鳥、折枝などを描いたものがある

と本品には下絵はないと書かれていますが、2行目「り」の右、同「つこ」のところ、また3行目「は」のところに小さいながら下絵が描かれているようにみえます。

99. 大色紙 伝寂蓮筆

料紙装飾は展示されている作品の中では源氏物語絵巻詞書断簡に近い金銀箔撒き。原装は巻子。筆跡は信貴山縁起絵巻詞書に似ると。今回のポスターに使われた作品。

中央に継目があります。文字が切れてるので不審もありますが、歌は繋がってるので、もとの継目でしょう。改装や修理の際に少し切断されたのでしょうか。

伝寂蓮の大色紙といえば、国宝翰墨城から1葉剥がされてます(代わりに伊予切が押されている)。本品なのか、別の断簡なのかまだ確認とれてません。別かな。

鈍翁による翰墨城の改変について - ときかぬ記

100. 未詳歌集切 伝西行

現存7葉48首。おそらく誰かの自筆草稿と考えられるもので、筆者イコール作者。ただ、なぜか紛れた能因の1首を除いてほかの歌集に見えず、作者すなわち筆者が特定できずにいます。

冷泉家時雨亭文庫所蔵の断簡から筆者はどうやら俊成と近い関係にあったようであり、また放射性炭素年代測定でもその辺の年代がでたため、ひょっとしたら伝称通り西行ではという意見もあり、とすれば西行の歌が新たに47首増えることになる。仮に西行でなくとも、50首近い和歌と名筆と評価の高い筆跡の持ち主が特定できたとしたらかなり熱い話であり、注目を浴びる古筆であります。

101-102. 五首切

もと巻子本で、紙背を利用するため一時袋綴の冊子本になっていたとのこと。102に見える裏写りした文字はそのときのものでしょう。

103. 曽丹集切(枡形本)

西行の一連の古筆のなかで、私にとって比較的魅力が理解しやすいのがこの枡形本曽丹集切ですね。比較的読みやすいというのが一番の理由。

104. 橘為仲集切

枡形本曽丹集切に似ており、こちらも伝西行のなかではわかりやすい。

105. 小大君集切

左の余白はもともとですかね。ここに並んだ伝西行のうちでは比較的紙質がいいように見えます。

ちょうど今雨降りける夜に書いてますが、冬なので晴れませんね。

106-107. 小色紙 伝西行

図録解説で「……力強い闊達な連綿を見せる。さらに心地よい流れで、詞書と和歌とが一体となり、頁ごとの表現の完成度が高い」と絶賛。私にはまだちょっと早いみたいです。

108. 白河切

現在、東博で白河切が6幅展示中ですね。帝京大学総合博物館で開催中の「日本書道文化の伝統と継承」展でも、個人蔵翰墨城に押された1葉が展示中。2016年秋冬の白河切祭り。出光でも出るかな。

原装は列帖装。該品は見開きで、中央上下に綴じ穴が確認できます。

109. 昭和切

俊成真筆と推定される古今集の写本は御家切、了佐切、昭和切とありますが、個人的には昭和切が好み。しかもこの断簡は賀歌の巻頭とめでたいところ。墨色も黒々と美しく残ります。

もと列帖装とのことですが、右に見える2組4つの穴は列帖装で開く穴じゃないですよね、たぶん。後世の修理の際、紙縒りを通して補強した穴でしょうか。

110. 歌合切 藤原定家

通具俊成卿女五十番歌合を定家が書写し、判を加えた冊子本の断簡と推定されるもの。もと列帖装。これで見開き2ページ分だと思いますが、もともとどうなっていたのかよくわからず。

後で判を書き加えるため余白をたっぷりとって歌合を書いていたので、左ページのような空白があるのは問題はないのですが、継目や綴じ穴が確認できませんでした。

*1:橋本進吉博士著作集. 第3冊 (文字及び仮名遣の研究)』(岩波書店、1949年)所収

*2:なぜそんな話をしているのかというと。そもそも、奥村栄実の古言衣延弁には、高橋富兄による増補によって、や行えの仮名の1つとして「盈」が挙げられています。これは古事記巻中の神武天皇の「宇陀の高城に」の歌に「畳畳」という箇所があって、これを古事記伝では、よくわからないが「盈」の草書を「畳」と誤ったのだろうとして「エエ」と訓じており、富兄曰く「盈ハ以成ノ切ニテ清韻第四等」(ここらへん私はよく分かりません)だからや行えとして挙げているのです。橋本はこの「盈」がえ音を表すならや行に当たるだろうというのは同意しています。しかし、ここの「畳畳」は「盈盈」ではなく「亜亜」で「ええ(あ行)」だろうと結論づけています。

*3:表は内容が見開きで連続するが、裏は左右のページで内容がつながらないのでそれを嫌ったか。

東博の古筆・古写経展示(2016年6月から8月)

仏教の興隆―飛鳥・奈良

東京国立博物館 - 展示 日本美術(本館) 仏教の興隆―飛鳥・奈良 作品リスト
本館 1室 2016年6月21日(火) ~ 2016年8月7日(日)

四分戒本并序

1巻|奈良時代神護景雲2年(768)|堀達氏寄贈・B-2395

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C0059158 四分戒本並序 - 東京国立博物館 画像検索

景雲経。傷みは激しいですが、筆跡はいいですよね。大ぶりで堂々としつつ、丁寧に書かれています。かなり好きな1巻。

神護景雲二年歳在戊申五
月十三日景申弟子謹奉為
先聖敬寫一切経一部工夫之荘
厳畢矣法師之転読尽焉伏願橋
山之鳳輅向蓮場而鳴鑾汾水之龍
驂泛香海而留影遂披不測之了
義永證弥高之法身遠墍存亡
傍周動植同茲景福共沐禅流或
変桑田敢作頌曰
非有能仁誰明正法惟朕仰止給脩
慧業権門利広兮抜苦知力用妙兮
登岸敢對不居之歳月式垂罔極之
頌翰

以下、上代文献を読む会[編]『上代写経識語注釈』(勉誠出版、2016年、NDLサーチ)に依ります。景雲経の執筆を担当されたのは井上幸さん。

この願文は大きく3つに分けることができます。まずは4行目「転読尽焉」まで。神護景雲2年5月13日に弟子(称徳天皇)が先聖(聖武天皇)の為に一切経を写し荘厳し法師による転読を終えた。「景申」は「丙申」で唐世祖李昞の諱を避けたものですが、単に習慣として伝わったものではないかという神田喜一郎さんの説を引いています。なおこの5月13日は「丙申」ではなく「丙辰」とのこと。「弟子」は称徳天皇で、「先聖」は聖武天皇ですが、後者は淳仁天皇説もあるようです。たとえばこちらこちら。『注釈』では理由を示さずに淳仁天皇説を否定し聖武天皇と断定しています。「転読」は真読に対する語としての略読の意ではなく、「出来上がった写経を供養のために読み上げること。(略)梁・慧皎撰『高僧伝』巻第十三・経師篇論には、「転読」は経典を読む時に読むときに*1美しいメロディーをつけてよむこととあり、「転読」の本来の意味を知ることができる」。

次は9行目「変桑田」までで、先聖が説法の場に来て教説を表し真理を明らかにして欲しいなどと願うところ。最後に頌によって能仁(如来)を褒め称えます。

大般若経巻第二百九(和銅五年十一月十五日長屋王願経)

国宝|1帖|奈良時代和銅5年(712)|滋賀・太平寺蔵

撮影禁止でした。展示は巻頭と巻末。

和銅経。去年末から年初にかけて同じく太平寺蔵の巻206が展示されていました。今回は巻209。

以前根津美で拝見した巻23は素晴らしいと思ったのですが、この前の静嘉堂文庫の巻250はちょっとしっくりこない感じ。この巻209は悪くないと思います。まあ私の記憶力と美的感覚なんてまったくあてにならないので、それはさておき、複数の筆跡があることは事実で、かつまだ未整理のはず。和銅経の筆跡の分類整理がなされることを心待ちにしております。

修理奥書

近江州甲賀郡鮎河郷祥雲山太平禅寺常什
 六十巻之内        修補施主観音講
享保三年戊戌十月吉辰    現住比丘竜乙記焉*2

色紙金光明最勝王経巻第六断簡

1幅|奈良時代・8世紀|個人蔵

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今春以来の展示。

紫紙と縹紙を交用した色紙経であるという珍しさもさることながら、筆跡いいですよね。同筆遺品の有無が気になるところ。

なおキャプション

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付け間違えですね。直前の展示のものなので、替え忘れたのでしょう。

遺告

東京国立博物館 - 展示 日本美術(本館) 遺告 作品リスト
本館 2室 2016年6月14日(火) ~ 2016年7月24日(日)

遺告

1巻|良源筆|平安時代・天禄3年(972)|京都・廬山寺蔵

撮影禁止でした。展示は巻頭から第11紙まで。

国立国会図書館デジタルコレクション - 群書類従. 第拾五輯

仏教の美術―平安~室町

東京国立博物館 - 展示 日本美術(本館) 仏教の美術―平安~室町 作品リスト
本館 3室 2016年6月21日(火) ~ 2016年8月7日(日)

内証仏法相承血脈譜

重文|1巻|平安時代・12世紀|B-1037

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内証仏法相承血脈譜 - e国宝

展示は巻頭です。

国立国会図書館デジタルコレクション - 伝教大師全集. 第一

願文

重文|1巻|慈円筆|鎌倉時代・貞応3年(1224)|B-1400

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願文 - e国宝

大毘盧遮那成仏経疏 巻第一

1冊|睿尊筆|平安時代・康和4年(1102)|佐久間嘉七氏寄贈・B-1646-1

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C0045962 大毘盧舎那成仏経疏_巻第1 - 東京国立博物館 画像検索

大毘盧遮那成仏経疏 巻第十

1冊|睿尊筆|平安時代・康和4年(1102)|佐久間嘉七氏寄贈・B-1646-7

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C0059143 大毘盧舎那成仏経疏 - 東京国立博物館 画像検索

大毘盧遮那成仏経疏 巻第十八

1冊|睿尊筆|平安時代・康和4年(1102)|佐久間嘉七氏寄贈・B-1646-13

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C0045964 大毘盧舎那成仏経疏_巻第18 - 東京国立博物館 画像検索

丹後国普甲山別所御房ニシテ書写了
康和四年五月十五日 睿尊之

金光明最勝王経注釈断簡(飯室切本)

1幅|伝嵯峨天皇筆|平安時代・9世紀|B-3291

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C0078057 金光明最勝王経注釈断簡(飯室切本) - 東京国立博物館 画像検索

今年の1-2月以来の展示。

道元霊場

重美|1幅|伝孤雲懐奘筆|鎌倉時代・13世紀|B-2453

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これがよくわからなかったんですよね。当たるべき資料も見当がつかず。

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短い解説の中でわざわざ懐奘について触れているということは、懐奘の真筆の可能性が高いということなのでしょうか?

羯磨金剛目録

国宝|1巻|最澄筆|平安時代・弘仁2年(811)|滋賀・延暦寺

撮影禁止でした。

国立国会図書館デジタルコレクション - 羯磨金剛目録・法華年分縁起
国立国会図書館デジタルコレクション - 伝教大師全集. 第四

羯磨金剛二□唐/持来 永納比叡鎮国道場
禅鎮師子像一大唐大唐天台大師/所持 永納止観院経蔵
赤桯木尺三□白柏木尺二枚香炉峯神送木/大唐持来
       弘仁二年七月十七日最澄永納
上件道具盛漆泥皮筥壱合
白角如意□□端黒角 永納比叡止観院
       弘仁二年七月十七日最澄永納
水精念珠一貫水珠具足 蓮子念珠一貫水精母子并/小珠具足
    已上二念珠永納鎮国道場
□件□□盛漆泥皮筥
       弘仁二年七月十七日最澄永納

伝教大師度縁案並僧綱牒

国宝|1巻|平安時代・9世紀|京都・来迎院蔵

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近江国府牒案(宝亀11年11月10日)

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最澄度縁案(延暦2年1月20日)

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僧綱牒(延暦4年4月6日)

宮廷の美術―平安~室町

東京国立博物館 - 展示 日本美術(本館) 宮廷の美術―平安~室町 作品リスト
本館 3室 2016年6月21日(火) ~ 2016年8月7日(日)

兼輔集(砂子切)

1幅|藤原定信筆|平安時代・12世紀|B-12-8

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C0091372 砂子切_兼輔集 - 東京国立博物館 画像検索

本願寺本三十六人家集とおおよそ同時代に書写されたと推定されている同じく三十六人家集の1葉。兼輔集のほか業平集・公忠集・中務集(筆者は各々異なる)の断簡が残ります。兼輔集・業平集・公忠集の筆者は本願寺本にも参加、兼輔集の筆者は藤原定信と推定されています。春にツレが押された「月台」が展示されていました

ほとゝきすなきまふさとの
しけゝれはやまへにこゑの
 せぬもことはり
  をとこのもとよりをむなにく
  しこひたるにあひかはりて
      もあふきか
うれしくていとゝゆくすゑ
  わひしきは秋よりさきの
    風にさりける

詞書が意味不明です。誤写でしょうか。なお、歌仙歌集本では「山里にすむころなんをとこのもとより女の許にあふきえたる人にかはりて」。

下絵和漢朗詠集

1幅|伝藤原公任筆|平安時代・12世紀|深山龍洞氏寄贈・B-3145

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古筆学大成14、伝藤原公任筆下絵和漢朗詠集切、図93、p177。
古筆学大成解説によると、現存35葉。同筆なし。料紙装飾が西本願寺本三十六人歌集に似たものあり、その頃の書写か。片仮名訓点がありましたが、多く抹消されています。この断簡も抹消痕あり。原装は巻子本。この断簡の左端は継目に当たるところだと思います。

和漢朗詠集巻上・夏・蝉(193-198後欠)

千峯鳥路含梅雨五月蝉声送麦秋
鳥下緑蕪秦菀寂蝉鳴黄葉漢宮秋 許渾
今年異例腸先断不是蝉悲客意悲 
歳去歳来聴不変莫言秋後遂為空 
なつやまのみねのこすゑのたかけれは
そらにそせみのこゑはきこゆる
これをみよひともひともとかめぬこひすとてねをな

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伏見天皇御集(広沢切)

1幅|伏見天皇筆|鎌倉時代・14世紀|B-2422

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C0045976 広沢切 - 東京国立博物館 画像検索

古筆学大成20、伏見院筆広沢切、図版142、p274。
伏見院自筆の御集断簡。

  雑
さためなき世は時のまもしらぬ身に
のとかにたのむあすのあらまし
をそくゝれはやくあくるは日のかけの
いているかたのゆへにそありける
  雨中山
ふりかすむあめのゆふへのをちかたに
それかとはかりのこる山のは
  雨中桧
雨はなをふらむとすれやまきもくの
ひはらの山にくもかさなりぬ
  雨中山家
山かけやけふのあはれをとはむ人の
なさけおほえぬ雨のうちかな
  雨中旅泊
きゝあかすとまやの雨のくらき夜に
なきさの浪のをとそうちそふ
  雨中述懐
あめにあふのへのくさはの色はあれと
身は時しらぬ春もふりゆく
  風雪
松かせはのきはのやまにふきくれて
たにのとふかくた雲そおりゐる
  身心
世にむけて身をはさすかにをくとすれと
心そ人にことさかりゆく
  夕松
をちかたにさすやふゆひのかけみえて
もとあらはなるみねの松原

和歌懐紙

1幅|飛鳥井雅親筆|室町時代・15世紀|B-3203

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 詠三首咊歌
        栄雅
  早苗
うらわかみなひく早苗に
はる/\と音なきかせの
みえて涼しき
  瞿麦
庭にうつす濱のま砂に
植をきて見るかひあれや
とこ夏の花
  岸竹
ねくらとふ鳥は聲して
川かせもふかぬになひく
きしの呉竹

短冊手鑑

1帖|鎌倉~江戸時代・14~18世紀|B-3058-1|2帖のうち

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「後宇多院宸翰」、「伏見院宸翰」、「後伏見院宸翰」
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「光明院宸翰」、「後円融院宸翰」、「後小松院宸翰」
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「後土御門院宸翰」、「後柏原院宸翰」、「後奈良院宸翰」
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「正親町院宸翰」、「後陽成院宸翰」、「近衛関白」(忠嗣)
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「近衛関白」(政家)、「近衛関白」(信尹)、「近衛関白」(信尋)
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「九条関白」(尚経)、「二条関白」(持通)
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「二条関白」(晴良)、「一条関白」(兼良)、「一条関白」(教房)

C0073586 短冊手鑑 - 東京国立博物館 画像検索
C0013605 短冊_短冊手鑑のうち - 東京国立博物館 画像検索
C0033899 短冊手鑑 - 東京国立博物館 画像検索
C0028966 短冊手鑑 - 東京国立博物館 画像検索
E0035750 短冊手鑑_付属目録 - 東京国立博物館 画像検索
C0046951 短冊手鑑筆者目録 - 東京国立博物館 画像検索

茶の美術

東京国立博物館 - 展示 日本美術(本館) 茶の美術 作品リスト
本館 4室 2016年6月7日(火) ~ 2016年9月11日(日)

如意宝集切

1幅|伝宗尊親王筆|平安時代・11世紀|B-12-11|~2016年7月24日

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C0014625 如意宝集切 - 東京国立博物館 画像検索

古筆学大成16、伝宗尊親王筆如意宝集切、図版75、p128。

詞書には「寛和内裏の哥合」とありますが、天徳4年内裏歌合13番右。

  寛和内裏の哥合
         兼盛
みやまいてゝやはにやきつるほとゝき
すあかつきかけてこゑのきこゆる

平成27年度新収品展 II

東京国立博物館 - 展示 日本の考古・特別展(平成館) 平成27年度新収品展 II 作品リスト
平成館 企画展示室 2016年5月31日(火) ~ 2016年7月10日(日)

和漢朗詠集巻下断簡(戊辰切)

1幅|藤原定信筆|平安時代・12世紀|B-3476

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古筆学大成15、藤原定信筆戊辰切、図29、p40-41。

和漢朗詠集巻下・恋(778-788)。恋部のうち最後の和歌「いまこむと」の1首を欠きます。この1首2行分の断簡1葉は別に現存するようです。古筆学大成の図版31。

  恋
為君薫衣裳君聞蘭麝不馨香為君事容
餝君見金翠無顔色 
更闌夜静長門閇而不開月冷風秋団扇杳
而共絶 張文成
行宮見月傷心色夜雨聞猿断腸声
春風桃李花開日秋露梧桐葉落時
夕殿蛍飛思悄然秋燈挑尽未能眠 已上長恨歌/白
南翔北嚮難付寒温於秋雁東出西流亦寄瞻望
於暁月 
聞得園中花養艶請君許折一枝春 無名
寒閨独臥無夫聟不妨蕭郎枉馬蹄 十市采女
貞女峡空唯月色窈娘堤旧独波声 為憲
わかこひはゆくへもしらすはてもなし
あふをかきりとおもふはかりそ 躬恒
たのめつゝこぬよあまたになりぬれは
またしとおもふそまつにまされる 人丸

書跡-国宝 細字法華経と古経典-

東京国立博物館 - 展示 法隆寺献納宝物(法隆寺宝物館) 書跡-国宝 細字法華経と古経典- 染織-古代のさまざまな技法― 作品リスト
法隆寺宝物館 第6室 2016年6月21日(火) ~ 2016年7月18日(月)

細字法華経

国宝|1巻|唐時代・長寿3年(694)|N-7-1

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細字法華経 - e国宝

展示は方便品から授記品の途中まで。最近、この写経にまつわる面白い伝説について書きました。

http://ouix.hatenablog.com/entry/20160526/1464202133

部分的に黒ずんでいるところが散見されます。どうやら訂正痕のようですが、こすって墨が広がってしまったかのような汚れ具合。擦消には見えません。洗消痕?

http://ouix.hatenablog.com/entry/20160525/1464109072

経筒 細字法華経付属品

国宝|1筒|唐時代・7~8世紀|N-7附属

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経筒 - e国宝

細字法華経を納めていた経筒。今回の展示は外側を見せています。

梵網経

重文|2巻のうち1巻|平安時代・9世紀|N-13-1

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梵網経 巻一 - e国宝

展示は巻頭。残念ながら題簽は見えません。なぜ残念なのかというと、この題簽は聖徳太子が自らの手の皮を剥いで作ったものだという伝承があるものなんですよね。

http://ouix.hatenablog.com/entry/20150825/1440432541

e国宝で見ることは出来ますが、1度実物を見てみたいなと思っております。なお、上の記事にも書きましたが、この題簽は革を使用しているとのこと。題簽に革を用いたというのは他に聞いたことがありません。類例ご存知のかたはご教示いただければ幸いです。

寺要日記(七)

12冊のうち1冊|室町時代・宝徳元年(1449)|N-23-7

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C0045166 寺要日記 - 東京国立博物館 画像検索

7月。展示は6丁裏および7丁表。

解説曰く「南北朝時代法隆寺の年中行事を1ヶ月ごとに12冊にまとめたもの。各月の行事を、日をおって記載し、法会の次第や由緒を中心に、経費を負担した各地の寺領についても記してある。このうちの7冊に宝徳元年(1449)9月24日に書写した旨の年会五師専祐などの奥書がある。他4冊も同時期に写されたものと考えられるが、4月の冊のみは、寛永5年(1628)の書写になっている。」

*1:ママ

*2:この1字新川登亀男さん[編]『仏教文明の転回と表現』(勉誠出版、2015年、NDLサーチ)所載の「天平改元以前の仏典・仏菩薩等一覧」では「之」としていますが、私のメモでは「焉」でした。とりあえずメモに依ります。

奈良時代の「冊子」

杉本一樹さんの「正倉院の古文書」(『日本の美術』440号、至文堂、2003年、NDLサーチ)72ページに、興味深い形態の正倉院文書の写真が掲載されていました。なお図版の転載はしません。

この文書は継紙ではなく、冊子状に束ねて綴じています(綴じは左側)。奈良時代に冊子本に類するものがあって、しかもそれが残っていたのかとちょっとびっくりしました。

キャプション。

第123図 千部法花経充紙筆墨帳(乙 続々修 第三六帙第一冊)横帳形式の帳簿を広げた姿。

「横帳」または「長帳綴」とは、一般に紙を横長に半分に折って折目を下にして重ねて右端で綴じたものを指しますが、これは写真を見る限りでは紙を折っていないので「単葉装」に分類するほうがいいような気がします。ただし、いずれにせよ左綴じというのは特徴的でしょう。

関連する本文を見ると、

以上みたように、分節化した個々の仕事一つひとつに対応する文書を用意するのが原則である。その際にはファイリングシステムの構築(横とじの帳面〈第123*1図〉〔継文の作成、折本状の加工(第101図)〕や見出しの取り付け〔題箋軸〈第124図〉の使用、見出し紙の貼り付け〕、品物の移動の後に残す留守番札の使用〔雑札=木簡〕(第125図)など、さまざまな工夫も忘れない。

いまひとつ綴じのことが分からない。

というわけで、調べてみると、同じく杉本さんが「端継・式敷・裹紙-正倉院文書調査報告三題-」(『正倉院年報(正倉院紀要)』13号、宮内庁正倉院事務所、1991年、PDF)で、本冊について詳しく紹介されています。

先に言うと、残念ながら現状は明治時代に改装を受けているものでした。しかし、当初も同様に横長左綴じの単葉装であったことは間違いないようです。

 右の報告と同じ年度に、続々修第三十六帙第一冊の調査を行った。同冊はいわゆる「千部法華経料紙筆墨充帳(乙)」で(十384~435)、天平二十年正月に始まる法華経千部八千巻の書写事業において、経師に支給した筆・墨・紙の数量を記した帳簿の第二冊に当たる。
 この前に内容上連続する帳簿は、折本状の形態を持つことで注目されている「千部法華経料紙筆墨充帳(甲)」で、これについては土田直鎮氏に原本調査報告に基づく詳細な論考がある。事情が許せば土田論文の顰みに倣って、紙充帳(乙。以下土田論文にならってこの略称を用いる)の調査報告を行いたいところであるが、煩雑となる恐れがあるので、ここでは、論点を絞って述べて行こう。
 調査に先立っては、取扱う際の安全を期して、あらかじめ明治時代の整理による綴じを一たんはずして、必要と思われる繕いを施したが、この状態は、一枚ずつ詳細な観察が可能なまたとない機会であった。
 ア、外形上の特徴
 本冊は、現在、本紙五十六張を重ね合わせ、その上に重ねた続々修の表紙ともども、左端二箇所の紙縒りで綴じ付けた横帳形式をとっている。この綴じが新しいもので(明治整理期)、これとは別に毎紙左端に小さな円形の穴と、小刀で切ったような縦長の切れ目とが、天地に残っていることは、土田論文がすでに指摘するところであるが、今回この旧綴目の全容が明らかになった。
 まず、旧綴目に注目して全体を通観すると、五十六張全てを一度で貫く綴目は存在しないことがわかった。逆に、料紙についたシミの形や、重ねたときの料紙の位置関係を勘案して、三つのグループ(および帰属不明の数枚)が抽出可能である。

A…第2~22、24、26~28、31、32の各紙
 天平二十一年正月~四月に始まる記載を持つ一群。ほぼ共通の紙質・界線の規格をもつ。綴じ穴は数種類(多いもので六組以上)ある。
B…第35~49紙
 天平勝宝二年正月~二月に始まる。綴じ穴は少ない(二組が標準)。
C…第50~56紙
 天平勝宝二年三月以降に使用開始。紙質はまちまち。
D…第1、23、25、29、30、33、34紙
 帰属不明

 つぎに各グループごとに旧綴目を目安として紙を重ねてみると、かつては小口、すなわち紙の右端で揃えて綴じられていたことがわかる。現状の左端揃えでは、紙の長短にしたがって、右端に記された経師名に出入りが生じて見にくいが、この問題はごく自然な形で解決されているわけである。
 ところが、この小口揃えという方法には別の問題がある。それは横の長さの短い紙が混じる場合、帳簿の面(頁)の有効面積が、その短い紙に規制されてしまうという点である。本冊中で髪の長さがもっとも短いのは、第45紙(岡大津)の三八・七糎であるが、この第45紙が含まれるB群の一頁はこの幅に揃うわけである。
 とはいうものの、B群が見るからに窮屈というわけではない。むしろ横幅がゆったりあるはずのA群のほうが、長さを持て余している節がある。
 A群の中で、裏に紙充帳の記載が及ぶところが三例(第3、9、21紙)ある。その箇所は、表では左端一杯までは書かれずに、約一五糎の余白を残して改頁し、裏でも、めくった頁の右(のど)いっぱいからではなく表と同様の空白をおいて書き始められている。つまり、紙に余裕があっても、帳簿自体の幅が余り広くなるのは不都合と考えられたのであろう。左端寄りの使わない部分は裏側に折り返しておかれたらしく、A群の二七枚を重ねて真横からみると、その際の折り目に由来すると思われる紙面の波打ちが残っている。

すなわち、左側に綴じ穴の痕跡があると。この痕跡は正倉院文書の伝来を考えると(その当時に幾度かの綴じ直しはあるにせよ)奈良時代の当初のものであるでしょう。現状と異なるのは、(所属不明を除き)3グループに分かれることと、現状は左端(綴じている側)で揃えていますが、当初は右端(小口)で揃えていたこと。

左綴じ小口揃えであることによって、右端に書かれている経師名が見やすくなって、記入する際に該当箇所を探しやすくなるという利点があったようです。

綴じ穴の大きさについては触れられていないので、細い糸を通していたのか、それとも紐や紙縒りなどで綴じていたと思われる大きさの穴なのかはわかりません。

最後に指摘されている「波打ち」は、冒頭に触れた「正倉院の古文書」掲載図版からも看取することができます。ちょうど裏の「空白をおいて書き始められたところ」が開かれていまして、前後の紙も合せてちょうどその部分に「波打ち」があります。

なお、「折本状の形態を持つことで注目されている「千部法華経料紙筆墨充帳(甲)」」は「正倉院の古文書」の引用中にある「折本状の加工(第101図)」にあたるものです。62ページに掲載された図版からは、折本状の形態を持つことは見取れませんけれども。

ともかく、奈良時代や平安初期までは、書物の装丁としては巻子装しかなかったのかもしれませんが、帳簿などでは単葉装や折本装に類するものがありました。また「三十帖冊子」から、少なくとも平安初期には粘葉装があったことが分かります。


以下余談。先日こんなツイートを拝見しました。

これを受けてのconsigliereさんのツイート。

実際に抜き書きや備忘録のようなものが存在したのか不明です。不明ですけれども、仮にあったとして、もしそれが存在したとしたならば、どういう形態をもつのかというのがちょっと気になったんですよね。

抄出しているのなら巻子装にしても原本よりは参照しやすいかもしれません。書物という意識が低ければ軸や表紙を付けず継紙のままにしているという可能性もあるでしょう。その継紙を蛇腹に折って折本状にしたかもしれません。また今回取り上げたような単葉装に類する方法で束ねていたかもしれませんし、粘葉装であったかもしれません。

実際に抜き書きや備忘録のようなものが存在したとしたら、以上挙げた装丁のうち1種類に限ったものではなく、いろいろなタイプがあったと考えるのがよさそうです。

なお、敦煌からそういう類のものと考えられる唐時代後期の粘葉装の白氏文集が出土しています。

山本信吉さんの『古典籍が語る : 書物の文化史』(八木書店、2004年、NDLサーチ)、60ページ。

 中国の現存する最古の粘葉装本は、おそらくフランス・パリ国立図書館のペリオ将来敦煌本のなかにある白楽天の『白氏文集』(一帖・番号二四九二号)であろう。以前訪問した節に、とくに閲覧する機会を与えられた。現存枚数一一丁のやや小形の残簡本で、本文は半葉八行に書写されている。唐時代後期の筆と認められる無雑作な手控えノート風のもので、当時粘葉装本が敦煌の地にも普及していたことを示している。

ちなみにこれ。

gallica.bnf.fr

*1:「128」と誤植。訂正して引用します。

細字法華経の「其不在此会」の「会」字と「歓喜未曾有」の「有」字

現在、東博法隆寺宝物館にて、国宝の細字法華経法隆寺献納宝物)が展示されております。

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私はまだ見に行っていないんですけどね。これは、前回の展示の時の写真です。前回同様、この写経の入れ物である経筒も一緒に展示されているようです。

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写経のほうが太くて、入らないように見えるのですが。。。

軸は特別太いように見えないので、裏打ちで一回り大きくなってしまったのでしょうか。

それはさておき。この細字法華経にまつわるおもしろい伝説があるので、ご紹介します。なお今回のネタ本は飯田瑞穂さんの「小野妹子法華経将来説話について」*1です。かなり端折っていますので、詳しく知りたい方はそちらをどうぞ。また、他に参考になる文献がありましたら教えて下さい。

さて、その伝説。

と、これが真実だとすれば、この細字法華経はとんでもなく由緒ある経巻であることになるわけですが、実際はこの伝説は穴だらけなんですよね。

  • 生まれ変わりなんてあるわけないだろという根本的なツッコミは脇に置くにしても、慧思(515-577)と聖徳太子(574-622)の生存期間が被ってしまっている。
  • 細字法華経には「長寿3年」(694)の年記をもつ書写奥書があり書写年代が知れるが、これは慧思の生存期間以前であるどころか、太子没後70年以上たっている。
  • 法華義疏が注釈をしている法華経は提婆品を含まない27品本である一方、細字法華経は提婆品を含む28品本である。

と、まあ、デタラメ放題なんですが、しかし、この伝説はなんと奈良後期まで遡ることができるというんですね。奈良後期といえば1200年以上前。さすがにこれだけ長い歴史があると無下にはできません。

そしてもちろん、長い歴史があれば、伝説も変化したり派生が生まれたりします。

上のツッコミの中で一番問題視されたのが提婆品の有無でした。そこで例えば、妹子のもたらした写経は間違いで、太子があらためて慧思時代に使っていた経巻を青竜車に乗って取りに行ったのだという話になったりします。

そんないろいろある派生のひとつにこんな話があります。飯田さんの論文注(18)

また聖徳太子伝私記等によれば、この経には五百弟子受記品の「不在此会」の「会」字と「歓喜未曾有」の「有」字とに焦痕があつたらしい。前世所持の経に焼けた箇所、或は虫損のあつた為に、後身に於いてその所のみ記憶できなかつたといふ説話は例が多く(略)この場合、特にこの焼字について説話の発展は見られないが、これらの説話と何等かの関係が存した痕跡なのであらうか。実際に焼けた痕があるのかどうか、この経について詳細な調査を行はれた兜木正亨師にお尋ねしたが、記憶しないとのことであつた。他日若し拝見の機を得たならば、これらの点についても確かめてみたい。


聖徳太子伝私記とは13世紀前半の法隆寺の僧である顕真が編纂したもので古今目録抄とも言います。顕真自筆本が現存し(東博蔵、法隆寺献納宝物)、e国宝で画像が見れます。当該部分

      所入経一巻小字
一行ニ書卅四字黄紙木軸入玉
入栴檀別筥此御同法之持
経也而同法之好眠走火焼
其不在此会之会字歓喜未
曾有之有字

この論文が書かれた1962年当時、飯田さんはこの焦痕があるという箇所を確認することはできませんでした。亡くなるまで30年ほどありますし、後に図版も出たようなので、なんらかの形で知り得たと思われますが、少なくともこの当時は研究者であっても簡単に当該部分を見ることはできなかったわけです。

しかし、今なら、細字法華経は巻頭から巻尾まで漏らさずすべてe国宝で見れるので、誰でも簡単に確認することできるのです。いい時代になりました。

では、その部分を見てみましょう。まずは「其不在此会」の「会」字。確かに、穴があいて読みにくくはなっていますが、焼痕? 続いて、「歓喜未曾有」の「有」字。こちらも同様に穴があいていますが、焼痕なのかなあ。しかし、ズームアウトしていただくとわかりますが、傷んでいるのこの2字だけじゃないんですよね。この2字の周囲とその間はかなりボロボロ。しかも、全巻通じでここだけやけに状態が悪い。なぜなんでしょう?



なお、同時に展示されております梵網経にも興味深い伝承がありますので、ご興味ある方はこちらもどうぞ。

ouix.hatenablog.com

*1:坂本太郎博士還暦記念会[編]『日本古代史論集 中巻』(吉川弘文館、1962年、NDLサーチ)所収。また確認していませんが、『聖徳太子伝の研究 飯田瑞穂著作集1』(吉川弘文館、2000年、NDLサーチ)に所収のものは、この再録でしょうか。

水で文字を消す

筆と墨で文字を書いていた昔、間違えたときなど訂正の必要がある場合には、もとの文字を消す(消したことにする)のにいくつかの方法がありました。例えば、ある程度厚さのある紙であれば擦消と言って紙ごと削るという手があり、また見せ消ちと言って抹消記号を書くという手法もあるし、貼紙を用いたり、重ね書きをしたり、墨で塗りつぶしたり、胡粉や白緑などで塗りつぶしたり。

そして、更に、水で文字を消すという方法があるようなんですね。栗原治夫さんの「奈良朝写経の製作手順」*1より。

 誤りの訂正としてはこれも種々の方法がとられるが、(略)墨の乾かぬうちに水で洗い流して訂正する方法(洗消とでも呼ぶべきか)(略)などがある。
 (略)
 洗消による訂正は書写作業中の訂正になるものが多いのではないかと考えられるが、その証明のつかぬものが多い。行頭に校正符号のない場合などはこの例に入るのではなかろうか。但し洗消は一字から数字の訂正に限られ一行に及ぶものはないようである。

また杉本一樹さんの「正倉院の古文書」*2には「訂正あれこれ」として「御野国加毛郡半布里戸籍」の部分図版のキャプションに。

① 洗消による訂正 御野国加毛郡半布里戸籍
通常の擦消⑧の変則タイプ。べつに水をかけて洗うというのではなく、ちょっと湿らせて擦消す程度。用語自体が仮使用中である。婢の記載に関わる訂正箇所を中心に、大きく輪ジミが広がる。(続修 第3巻 表 一63~64)

というわけで、水で文字を消すという方法があるようなのですが、ここでふたつ疑問があります。

ひとつはもちろん、水で消せるの? という疑問。いま書道で使うような半紙とは異なり、墨が簡単に染み込まない紙なのでしょうけれど、それでも「ちょっと湿らせて擦消」そうとしたら、墨が薄く広がって汚れてきたなくなってしまうんじゃないかって思うんですよね。実際に消えるのか、「洗消」をしているところを見てみたい。

もうひとつは、それがなぜ「洗消」の痕跡だとわかるのかということ。単なる汚れと「洗消」の痕跡をどうやって区別するのでしょうか。「正倉院の古文書」に掲載されている「御野国加毛郡半布里戸籍」の縮小モノクロ図版からは、その輪ジミを「洗消」の痕跡と判定した根拠が、私には読み取れませんでした。またこの訂正方法を知って以降、展示品や図版を見るときに気をつけているのですが、これだというのを見たことがないんですよね。見分けるコツとかあるのでしょうか。

正倉院の古文書 日本の美術 (No.440)

正倉院の古文書 日本の美術 (No.440)

*1:坂本太郎博士古稀記念会[編]『続日本古代史論集 中巻』(吉川弘文館、1972年)所収

*2:至文堂[編], 国立文化財機構[監修]『日本の美術』440号(ぎょうせい、2003年)所収

所在不明の重文写経・版経

5月13日に文化庁から「国指定文化財(美術工芸品)の所在確認の現況について」が発表されました。

www.bunka.go.jp

ここに掲載された「所在不明の国指定文化財(美術工芸品)一覧」(PDF)は情報が少なく、これだけでは具体的に何であるかわからなかったので、少し調べました。

参考にしたのは、文化庁[監修]・毎日新聞社図書編集部[編]『国宝・重要文化財大全 7 (書跡 上巻)』(毎日新聞社、1998年、NDLサーチ)です。

124. 版本法華経〈巻第二/〉

平安|1巻|文化遺産データベース
「承暦四年六月三十日点了」の奥書がある版本。(百万塔陀羅尼を除けば)現存最古の日本の版本である天喜元年の仏説六字神呪王経(石山寺)に次ぐもので、寛治2年に観増が開版した春日版の成唯識論8巻(巻3と4を欠く、聖語蔵経巻)に先んじます。

125. 是法非法経

奈良/740|1巻|文化遺産データベース
天平12年3月15日藤原夫人願経(元興寺経)の1巻。

126. 黒氏梵志経

奈良/740|1巻|文化遺産データベース
同じく元興寺経。元興寺経の現存は10巻ほどでしょうか。とりあえず私が確認できたのは

  • 一切施王所行檀波羅蜜経(根津美)
  • 太子刷護経(書芸文化院)
  • 阿難四事経(京博)
  • 文陀竭王経(東博
  • 実相般若波羅蜜経(五島美)

他に田中塊堂さんの『日本古写経現存目録』(思文閣、1973年、NDLサーチ)には

  • 道行般若経巻5(神護寺
  • 瑜伽師地論巻99(大雲寺)
  • 婆娑羅王諸仏供養経(檀王法琳寺)
  • 身観経(五島美)
  • 仏説四願経(五島美)
  • 央掘魔羅経巻1(個人)

およびこの所在不明の2巻が挙げられています。すべて現存したとしてわずか13巻。

127. 註楞伽経〈巻第二、第六/〉

奈良/740|2巻|文化遺産データベース
天平12年5月1日光明皇后願経(五月一日経)。この2巻については「註楞伽経の五月一日経本と伝魚養筆本 - ときかぬ記」でとりあげています。巻3と5が書陵部、巻7が大東急記念文庫(巻首欠)。

128. 般若心経

奈良/755|1巻|文化遺産データベース
隅寺心経ですが、数ある隅寺心経の中でも重要な1巻。奥に「天平勝宝七年料」と書かれたものです。

129. 增壹阿含経〈巻第四十九/〉

奈良/759|1巻|文化遺産データベース
善光朱印経。この経は天平宝字3年12月23日科野虫麻呂筆の1巻です。山下有美さんの「嶋院における勘経と写経」*1に善光朱印経の奥書が35集成されています。ここにはフリーア・サックラー美術館が巻末断簡を所蔵する阿含経巻21が抜けていますので、合わせると36。ただしこれは、巻末断簡が残っている、または目録などに写されたことによって知られた奥書も含みます。完本またはそれに近く残り、かつ所在がはっきりしているのは半分程度の20巻足らずでしょう。

130. 中心経

奈良|1巻|文化遺産データベース
「嶋院における勘経と写経」によると、こちらも善光朱印経とのこと。しかし、善光朱印はありますが、奥書はないようです。

131. 瑜伽師地論〈巻第七十八/〉

奈良/767|1巻|文化遺産データベース
行信経。瑜伽師地論に限ると、

他に『目録』では(個人名はボカします)

  • 巻5(個人)
  • 巻58(個人)
  • 巻69(根津美、印有、願文なしか)
  • 巻82(個人、首欠有印、願文なしか)

132. 法華経〈五百弟子受記品/〉

奈良|1巻|文化遺産データベース
1行12字の大字経。薬草喩品が久保惣コレクション、法師品が京博(e国宝)にあります。

133. 四輩経

奈良|1巻|文化遺産データベース

134. 法華経〈巻第三/〉

奈良|1巻|文化遺産データベース
藤南家経。奥に「藤南家経」と書かれています。藤南家経は他に五島美の法華経巻5のみ。

135. 金光明最勝王経〈自巻第三至巻第五/〉

平安|1巻|文化遺産データベース
平安時代、1行34字の細字経。

136. 根本説一切有部毘奈耶尼陀那目得伽攝頌

奈良|1巻|文化遺産データベース

137. 在家人布薩法〈巻第七/〉

奈良|1巻|文化遺産データベース
原表紙と第1紙継目に「東大寺印」が捺されています。孤本とのこと。(参考)シンポジウム2014 赤尾1

150. 仮名法華経〈巻第三/〉

鎌倉|1帖|文化遺産データベース
綴葉装、押界、半葉7行。

155. 涅槃経集解〈巻第七十一残巻/〉

奈良|1巻|文化遺産データベース
1行15字の注経です。

161. 紙本墨書飛部造立麿写経試字

奈良|1幅|文化遺産データベース
経典ではありませんがついでに。正倉院文書。『大全』に図版が掲載されていませんでした。

*1:正倉院文書研究会[編]『正倉院文書研究 7』(吉川弘文館、2001年)所収、NDLサーチ

*2:宮内庁書陵部編『図書寮典籍解題 漢籍篇』(昭和35年)では「後同寺の僧相慶が長寛前後八年に亘り修覆を加え、三百余巻を補写した。掲出本は「法隆寺一切経」の印があるので、その補写経の一と思われる。」とします。素直に読めば補写経である根拠は「法隆寺一切経」印があることのみなので根拠不十分かと。ただし、一見すれば奈良写経か平安写経かは判別可能なので、該経は補写経かと思いますが、いちおう挙げておきます。

東博の古筆・古写経展示(2016年5月から6月)

仏教の興隆―飛鳥・奈良

東京国立博物館 - 展示 日本美術(本館) 仏教の興隆―飛鳥・奈良 作品リスト
本館 1室 2016年5月17日(火) ~ 2016年6月19日(日)

瑜伽師地論 巻第四十八(行信願経)

1巻|奈良時代神護景雲元年(767)|千葉・円福寺蔵

前回の展示は、去年の12月から今年の1月にかけて

撮影不可(前回は可能でした)。既に撮影済みなんですけど、今回は展示箇所が少し異なり巻尾全開で、軸付け部分に紙背墨書が見えたんですよね。記録用に残しておきたかったところです。「了」「信巻」、他幾つかの字は上下の切断と虫損ではっきりしません。なお田中塊堂さんの『日本写経綜鍳』*1p155には「まゝ軸付に一校田次、一校掃守孫麿など見られて、中央経所の書写であることは明らかである」と書かれています。同時期に内裏系の写経所で書写された景雲経や、数年前に東大寺写経所の経師が参加した善光朱印経などとは趣きの異なる字であるように思えるので、それらとは別の写経機関が関与したでしょうか。

奈良時代元興寺の僧で、法隆寺東院伽藍の復興に尽力した行信の発願経の1巻。願文によると法華経・金光明最勝王経・大般若経・瑜伽師地論「合弐仟柒伯巻経論」としますが、それらを1部づつだと合計718巻で2700巻にまったく足りません。『上代識語註釈』*2p407(該当項執筆は稲城正己さん)は「同一経典が複数部書写されたと思われるが構成は未詳。」とします。『綜鍳』p155では「妙法蓮華経。最勝王経、大般若経、瑜伽師地論等二千七百巻」と別の経論も合せて2700巻と解釈しています。行信は完成前に没し、弟子の孝仁が遺志を引き継いで完成させました。この弟子孝仁は『註釈』曰く「他に見えず。伝未詳。」とのこと。

仏説宝雨経 天平十二年五月一日光明皇后願経

1巻|奈良時代天平12年(740)|B-1035-3

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C0032179 仏説宝雨経_巻第9 - 東京国立博物館 画像検索

前回の展示は去年の9月から10月。巻9。展示は巻末部分。

聖語蔵経巻に同じく五月一日経の宝雨経巻2・5・8・10の4巻があります。松本包夫さんは「聖語蔵五月一日経の筆者と書写年代その他(一)」*3にて、この4巻について天平14年9月建部広足筆と推定されています。正倉院文書の天平14年7月の装潢本経充帳(禅院本経充帳、八112)に「宝雨経五巻建部広足用九十二紙*4とあり、また同年9月30日作成の建部広足手実(天平14年6-11月の一切経経師手実案帳うち、八92-93)に「建部広足 請雑経十八巻既写了/(略)宝雨経五巻第二十八文一第五十九文一第八十八第九十九文一第十十八文一(略)/「以上十八巻」天平十四年九月卅日「読道主 勘人成」」*5とあることなどによります。

筆跡の比較をしていないので断言はできませんが、おなじ五月一日経で、ちょうど聖語蔵に抜けている巻9であることを考えると、この巻も天平14年9月建部広足筆ということでよいのではないかと思います。

手実の「第九十九文一」とは、巻9に19紙および願文に1紙(つまり全20紙)使用したという意味です。上の推定が正しければ、この展示されている経巻は全20紙ということになるでしょう。

なお、なぜ広足が全10巻の宝雨経をとびとびで書写していたかというと、この頃にはまだこの5巻しか伝わっていなかったからだそうです。天平宝字5年に残りが伝来したとのこと。

聖武

1幅|伝聖武天皇筆|奈良時代・8世紀|個人蔵

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前回は1年前。キャプションに賢愚経とありますが、阿毘曇八犍度論巻27です。

この断簡は、聖語蔵経巻の「神護景曇二年御願経」の「阿毘曇経」(No.1657、首欠*6)の逸失部分の一部にあたる断簡ではないかと思います。だとすれば、今更一部一切経のうちで、宝亀6年6月陽胡穂足筆。

近年、聖語蔵経巻の「神護景曇二年御願経」の大半が実際には景曇経ではなく今更一部一切経であると判明しました(飯田剛彦さんの「聖語蔵経巻「神護景曇二年御願経」について」*7)。この飯田さんの論文には、末尾に「神護景曇二年御願経」のリストが付いています。このうちNo.1579から1605の27巻と、No.1656および1657が阿毘曇八犍度論で、今更一部一切経、第1帙(巻1から10)が丈部浜足筆、第2第3帙(巻11から30)が陽胡穂足筆と特定されています。

宮内庁正倉院事務所所蔵聖語蔵経巻 カラーデジタル版 第3期 第3回配本 (神護景雲二年御願経 3)』*8で、巻27のNo.1657を確認すると、展示断簡に相当する部分は失われています。また断簡と比べ、字形は酷似し、字詰も同様、行が真っ直ぐではなくちょっとふらつく感じも同じ、また紙質も(聖語蔵の画像は少し見にくかったですが)巻末を除き同様の白い料紙であり、傷み具合も似ていると思います。

元暦校本万葉集 巻一・巻二(古河本)

東京国立博物館 - 展示 日本美術(本館) 元暦校本万葉集 巻一・巻二(古河本) 作品リスト
本館 2室 2016年5月10日(火) ~ 2016年6月12日(日)

元暦校本万葉集 巻一(古河本)

国宝|1帖|平安時代・11世紀|B-2530-7
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元暦校本万葉集 巻第一(古河本) - e国宝

  中皇命徃于紀温泉之時御歌
君之齒母吾代毛所知哉盤代乃岡之草根乎
去来結手名
きみかよもわかよもしらすいはしろの
をかのくさねをいさむすひてな
吾勢子波借廬作良須草無者小松下乃草
乎苅核
わかせこはかりほつくらすくさなくはこま
つのもとのくさをかれかし
吾欲之野嶋波見世追底深伎阿胡根能
浦乃珠曽不拾
わかおもひしのしまはみせつそこふか

元暦校本万葉集 巻二(古河本)

国宝|1帖|平安時代・11世紀|B-2530-8
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元暦校本万葉集 巻第二(古河本) - e国宝

登母
あきのたのほむけのよするかたよりにきみ
によりなくことたかふとも
  勅穂積皇子遣近江志賀山寺時但馬皇女御作
  歌一種
遺居而恋管不有者追及武道之阿廻尓標結吾勢
おくれゐてこひつゝあらすはおひゆかむ
みちのくまわにしゆへりわかせ
  但馬皇女高市皇子宮時竊接穂積
  皇子事既形而御作歌一首
人事乎繁美許知痛美己世尓未渡朝川渡
ひとことをしけみこちいたみおひのよに
いまたわたらぬあさかはわたる
  舎人皇子御歌一首

仏教の美術―平安~室町

東京国立博物館 - 展示 日本美術(本館) 仏教の美術―平安~室町 作品リスト
本館 3室 2016年5月17日(火) ~ 2016年6月19日(日)

去年7月の展示と同じセットです。

大般若経 巻第二百二十一(安倍小水麿願経)

1巻|平安時代・貞観13年(871)|大井才太郎氏寄贈、B-949

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「小水麿」に「こみずまろ」とルビをふっていました。去年の奈良博での「平安古経展」や埼玉歴博での「慈光寺」展では「おみずまろ」と読んでましたね。

巻末22行+尾題+願文という、数多く残る小水麿経のなかでは短い断簡ですが、この巻の筆跡はわりといいほうだと思います。

大般若経 巻第三百六十四

1帖|鎌倉時代・13世紀|B-2051

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藤井庄春日社経。前回展示より1行多く見せています。

大乘院御門跡 正徳六丙申年三月日被加修覆畢
  正平廿三年戊申六月日為現當二世所願成就加修複了 源盛
       元仁二年三月十四日■春日御社■本

2字読めず。後者は「直」?

春日版大般若経 巻第九

1巻|鎌倉時代・13世紀|内藤堯宝氏寄贈、B-2835

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大般若経 巻第四百三十(東大寺八幡宮経)

1巻|鎌倉時代・寛喜元年(1229)|B-2053

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キャプションの言う「紙背に捺(お)された黒印から「東大寺八幡宮経」と呼ばれる」の黒印「東大寺八幡宮」がこれか。

大般若経 巻第一百卅八

1巻|鎌倉時代・宝治元年(1247)|B-2007

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書写奥書の「白豪寺」は奈良の白毫寺のことでしょうか。キャプションは「奈良・白豪寺」と書いているんですよね。豪と毫は通用したのでしょうけど、現在の表記は「白毫寺」で固定されているはずなので、キャプションは「白毫寺」であることを否定しているようもに読めます。

宮廷の美術―平安~室町

東京国立博物館 - 展示 日本美術(本館) 宮廷の美術―平安~室町 作品リスト
本館 3室 2016年5月17日(火) ~ 2016年6月19日(日)

書状

重文|1幅|慶滋保胤筆|平安時代・10世紀|B-2536
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書状 - e国宝

狭衣物語絵巻断簡

重文|1幅|鎌倉時代・14世紀|A-1294

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狭衣物語絵巻断簡 - e国宝

狭衣物語絵巻に物語の古写本の断簡を貼り付けています。この断簡は狭衣ではなく、源氏・澪標。

御いとゝつゝましけれとはしちかうゝち
なかめ給けるさまなからのとやかにてもの
し給けはひいとめやすしくゐなのいと
ちかうなきたるを
 くゐなたにをとろかさすはいかにして
 あれたるやとに月をいれまし
といとなつかしういひけち給へるそとり/\
にすてかたきよかなかゝるこそ中/\みもく
るしけれとおほす
 おしなへてたゝくゝゐなにをとろかは

平成27年度新収品展 I

東京国立博物館 - 展示 日本美術(本館) 平成27年度新収品展 I 作品リスト
本館 特別1室・特別2室 2016年5月17日(火) ~ 2016年5月29日(日)

装飾法華経

1幅|平安時代・12世紀|百瀬治氏・百瀬富美子氏寄贈、B-3458
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法華経見宝塔品。天地に金銀箔撒き、金泥界墨書。ツレの候補になるほどに似た経切の記憶はありません。キャプション曰く「その書風や料紙装飾のあり方などから、平安時代後期(12世紀)の制作と考えられる。」とのこと

法華経 薬王菩薩本事品第二十三

1幅|鎌倉時代・12世紀|百瀬治氏・百瀬富美子氏寄贈、B-3456
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法華経薬王品。キャプションでは目無経と書風が相通じるとして、鎌倉時代(12世紀)と推定しています。こちらも似たようなのを見た記憶はありません。

明月記断簡

1幅|藤原定家筆|鎌倉時代・建暦元年(1211)|百瀬治氏・百瀬富美子氏寄贈、B-3464
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1089ブログによると、写本から文章自体は知られていたものの、原本は新出とのこと。

大井川行幸歌会序断簡

1幅|伝後京極良経筆|鎌倉時代・13世紀|百瀬治氏・百瀬富美子氏寄贈、B-3462
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「承保3年(1076)10月に催された白河天皇の鷹狩の大井川行幸歌会の(源師房作)の部分」だそうです。古筆切所収情報データベースで検索してもかからないので、これ以上この写本に関する情報つかめず。

古今和歌集

1幅|伝後京極良経筆|鎌倉時代・13世紀|百瀬治氏・百瀬富美子氏寄贈、B-3461
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古筆学大成の伝良経筆古今集切のところには見当たりませんでした。3種あるうちの(一)のツレでしょうか。
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みまくのほしきたまつしまかも
なにはかたしほみちくらしあまころも
たみのゝしまにたつなきわたる
 紀貫之かいつみのくにゝはへりける時
 やまとよりこへまうてきてよみてつか
 はしける   藤原忠房

古筆手鑑

1帖|平安~江戸時代・8~19世紀|百瀬治氏・百瀬富美子氏寄贈、B-3466
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121葉で、調製は江戸時代かとのこと。小松茂美さんの調査記録が付属しているそうです。
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右は何でしょうか? 左は古今集巻17。「山科殿 顕言」
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源氏・絵合。「津守国冬」
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何でしょう。「蜷川親当
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百人一首
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新古今巻10。
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分かりません。極札には「かな消息切」とあります。「慈鎮和尚」
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これも不明。「後二条院宸翰」
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同じく。和歌 語句検索ではこの歌かかりません。

いてにけりのわきになれる夕くれの
  くもまのそらをわたる月かけ

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物語の断簡のようですが、特定できませんでした。次の次の断簡とツレで、連続しそうです。その断簡には「とへかしなうつろふ花のいろ/\もさのみやよそにきくのしらつゆ」の歌。「稙通 九条殿」。
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「蒲生形部貞秀」。翻刻、ちょっと自信ないですが。

数ならぬ庭を御笠の山にみて
よろつ世よはふあしたつのこゑ

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書状

1幅|町田久成筆|明治8年(1875)|阿部愛子氏寄贈 P-12660

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これちょっとおもしろかったので、ついでに。東博の前身「博物館」の初代館長町田久成の手紙。「世界地図の文様を摺り出した用箋に本文を書く」とのこと。一部拡大してみます。

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日本(南が上です)
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右に「北アメリカ」の文字。左は「ニウヨーク」か。
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南アメリカ

*1:思文閣、1974年、三明社昭和28年刊の複製、NDLサーチ

*2:上代文献を読む会編、勉誠出版、2016年、NDLサーチ

*3:書陵部紀要』15号(宮内庁書陵部、1963年)所収、NDLサーチ

*4:https://clioimg.hi.u-tokyo.ac.jp/viewer/image/idata/850/8500/05/0008/0112.tif

*5:https://clioimg.hi.u-tokyo.ac.jp/viewer/image/idata/850/8500/05/0008/0092.tif

*6:後出の飯田剛彦さんの論文では「首尾とも欠」と書かれていますが、画像を見ると巻尾は存在しました。ただし料紙が異なっています。よく分かりませんが、ここではとりあえず関係ないので置いておきます。

*7:正倉院紀要』34号(宮内庁正倉院事務所、2012年)所収、NDLサーチ

*8:丸善、2010年、NDLサーチ