為家歌の「あだちのまゆみ」

池田寿さんの『紙の日本史』(勉誠出版、2017年)、198頁。

藤原為家(一一九八~一二七五)の自撰家集である『中院詠草』の一首に「あだちのまゆみ」なる言葉がみえる。これは陸奥の歌枕である「安達が原」の特産になる「まゆみ」紙をさしていると思われる。歌題「紅葉」からすると、色付く前の景観としての純白さと神聖さとを「まゆみ」に譬えているのであろう。

為家の歌はこの本では引かれていないので、『中世和歌集 鎌倉篇』(新日本古典文学大系、1991年)から歌とその訳を引用すると

   紅葉 貞永元年、関白家百首
あさぎりのあだちのまゆみ秋はまづ時雨をこめて色付にけり
朝霧のたちこめる安達が原の檀の木は、秋になるとまず、時雨を一面に受け籠もらせて色づいたのだったよ

『日本うたことば表現辞典 植物編(下)』(遊子館、1997年)の「まゆみ【真弓・檀】」および「まゆみもみじ【真弓紅葉・檀紅葉】」に「葉は鮮やかに紅葉する」とあり、真弓の紅葉を歌ったものとして次の3首が引かれています。なお、3首目「ぬれる」は「塗る」+完了の「り」。

うつろふもうれしかりけり我がために深き真弓の色をみすれば 古今和歌六帖(六)
関越ゆる人にとはばや陸奥の安達の真弓もみぢしにきや 藤原頼宗金葉和歌集(秋)
引きふせて見れどあかぬはくれなゐにぬれる真弓のもみぢなりけり 古今和歌六帖(六)

以上から考えるに、為家の歌も「まゆみ」は紙と考えるべきではなく、素直にマユミの木(より具体的にはその葉)と解釈すべきでしょう。新体系本では参考として「長月の時雨の雨にぬれとほり春日の山は色付きにけり」(万葉集十)を挙げています。時雨によって葉が色づくというのは和歌でよく歌われる内容。上句で「あ」の頭韻を踏んでいること、また霧の白とマユミの葉の紅の色の対比がこの歌の工夫でしょうか。強いて言うならば、霧の白を強調するために「まゆみの紙」を響かせていると解釈することもできるかもしれませんが、さすがに深読みのし過ぎな気がします。引用部最後の一文「歌題「紅葉」からすると、色付く前の景観としての純白さと神聖さとを「まゆみ」に譬えているのであろう」についてはさっぱり意味がわからず。この本、「非常に分かりやすい」との評を見かけましたが、同意できません。私には分かりにくい本に思えました(論の飛躍、迷走、不徹底、不明瞭が多いように見受けられます。十分な知識と理解力があれば分かりやすいのか)。

この引用の前では、うつほ物語に見える「まゆみのかみ」(以下「真弓紙」と書きます)という語を取りあげています。この語が指し示すのはコウゾを原料とするコウゾ紙であるかマユミを原料とするマユミ紙であるかと問題を提起した上で、奈良時代の紙でマユミを用いたマユミ紙が発見されたことを語ります(いわゆる荼毘紙がマユミ紙であった)。結果として、うつほに見える真弓紙はマユミ紙であるという結論づけているように読めます(はっきり書いていないので分かりにくい)。

奈良時代にマユミ紙が存在したことが確かめられたからといって、うつほの(すなわち平安時代中期頃の)真弓紙はマユミ紙であると結論づけてよいのかについては疑問があります。真弓紙は檀紙と同じものであったのか否か、またそれがコウゾ紙であるのかマユミ紙であるのか。真弓紙=マユミ紙かつ檀紙=コウゾ紙で真弓紙≠檀紙なのか、真弓紙=檀紙=マユミ紙なのか、真弓紙=檀紙=コウゾ紙なのか。さらに陸奥国紙(陸奥紙)との関係(おそらく陸奥国紙⊂檀紙であろうと思います)。最近この辺りに関心があり、いろいろ読んでいるのですが、どうも判然としない。おそらく平安時代中期の檀紙はすでにコウゾ紙であり、また真弓紙は檀紙と同じものであると考えていいと思ってはいます。

重之集の墨映り

小川剛生さんの『兼好法師』(中公新書)42頁。

書状の表面には別の書状の文字が反転して映っており(略)。これを墨映文書というが、文字のある面同士を重ねて湿らせ(皺を取るためである)プレスしながら一定期間保管していたため起こる現象である。

この一節を読んで即座に思い起こしたのが徳川美術館が所蔵する重文の重之集(1帖)。この重之集、書かれた文字以外に薄く文字が見えるんですね。作品詳細 | 重之集(ものとしらなむ) | Image Archives - アート専門フォトエージェンシー。確認してみると綴じた時に接する面の文字だったので、どういう原理で映ったのかなと不思議でならなかったのですが、やっと理解しすっきりしました。なお重之集は原装がよくわからないというすっきりしない点がもうひとつあるのですけれど。

評判に違わず『兼好法師』とても面白いですね。

狩谷棭斎展

早稲田大学會津八一記念館で開催中の「狩谷棭斎墓碑受贈記念 狩谷棭斎 ―学業とその人」に行ってきました。

狩谷棭斎墓碑受贈記念 狩谷棭斎 —学業とその人— 11/28~2018/1/20 – 早稲田大学 會津八一記念博物館

戦火で損傷し東日本大震災で倒壊した狩谷棭斎墓碑の寄贈を受け修復完了を記念しての展覧会です。なお碑は「修復の後に常設展示となった」(図録p25)とのこと。今回の寄贈に関して尽力された財前謙さんはこの碑について「江戸文化の頂点に位置する名碑」(同p9)と絶賛されています。それはもちろん松崎慊堂の文や小島成斎の書が優れいているから、また他ならぬ日本金石学の礎を築いた棭斎の墓碑であるからでしょうが、さらに財前さんは広瀬群鶴(5世か、同p28)の彫りを挙げています。

その彫は筆線の中心を最も深く掘る薬研彫。私の経験では薬研彫の碑は、できれば朝日の、あるいは午後の日が傾いた時間帯にながめるのを最上とする。それは斜光によって筆線の半分が陽、半分が陰の、陰翳を帯びた立体感のある味わい深いものとなって、碑が単なるテキストとしての次元を超えて、美術品となる一瞬だからだ。(同p12)

また徳泉さちさんも同様のことを仰ります。

一般に碑は野外に立てられる。そのため薬研彫りの文字は、陽の光に照らされた時に陰影がつき、立体的に浮き上がって見える。また、本碑の一文字一文字の彫りを仔細に観察していくと、線の太細や、抑揚ある曲線など小島成斎の肉筆の息遣いが、石面に迫真的に再現されている。(同p28)

碑をこういう視点で見たことがなかったので、なるほどなあという感じです。なお帰宅後にこの図版を読んだので、展示室での照明がこの彫り活かすようなものであったかははっきりとは覚えていません。

他の展示品でまず目を引くのが、棭斎の書入れがびっちり入った倭名類聚鈔。数日前に箋注のとある部分をさらっと見たのですが、ちょうどその箇所が開いているといううれしい偶然がありました(ちなみに紙のところです。別にもう1冊展示)。また書作品として和歌と漢詩および手紙。漢詩は李益の立秋前一日覧鏡。さらに稲山先生山梨君墓銘の拓本もありましたが、田村南海子さんによるとこれは小島成斎の代筆らしい(同p26)。なお棭斎墓碑の篆額は渋江抽斎によるものと碑に刻まれていますが、これも田村は成斎の代筆と指摘されています(同p26)。

また翌年2018年は古京遺文成立200年でもあり、會津八一手沢本が展示されています。あわせて古京遺文に掲載された碑の拓本もいくつか。これらは八一の弟子の加藤諄さんがとったもの。宇治橋断碑、那須国造碑、多胡碑、多賀城碑、薬師寺仏足石と著名なものが並ぶのは壮観でした。

東博で『かな』を読む

小松茂美さんの『かな』(岩波新書、1968年)を読んでいるのですが、「I 発生」のところで取り上げられている遺品のなかに、東博で展示されているものが(模造を含め)多くあったので、東博に行って確認してきました。

例の金印(国宝。黒田長礼氏蔵)(p6)

模造品(明治11年頃)が東洋館4室にて展示中( ~ 2018年2月12日(月))。思いのほか小さい。
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天理市櫟本の東大寺山古墳から発掘された「漢中平紀年銘太刀」(天理参考館蔵)(p7)

所蔵が天理参考館となってますが、東博蔵です。間違いなのか、それとも所有が移転したのか。平成館考古展示室にて展示中(~ 12月3日(日))。残っているところははっきり文字が見て取れます。花形環頭飾金象嵌銘大刀 - e国宝東京国立博物館 - 1089ブログ
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船山古墳(熊本県玉名市江田町)出土の太刀(p15)

平成館考古展示室にて展示中(~ 2018年6月17日(日))。銀象嵌銘大刀 - e国宝
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和歌山県橋本市の隅田八幡神社に伝わる「人物画像鏡」(p16)

隅田八幡神社蔵ですが、平成館考古展示室にて示中(~ 2018年6月17日(日))。撮影禁止です。矢印の先にあります。
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3 法隆寺献納宝物・菩薩半跏像銘(推古天皇十四年・六〇六)(p23)

法隆寺宝物館にて展示中(~ 2018年4月1日(日))。観音菩薩立像(N-165)と誤解しておりまして、写真撮り忘れてしまいました。菩薩半跏像(N-156)ですね。菩薩半跏像 - e国宝

11 法隆寺献納宝物・釈迦如来光背銘・甲寅年(白雉五年・六五四)(p23)

法隆寺宝物館にて展示中(~ 2018年4月1日(日))。ただし、銘のある裏側は見えません。光背 - e国宝
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12 船王後墓誌天智天皇七年・六六八)(p23)

模造が平成館考古展示室にて展示中(~ 2017年12月25日(月))。
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13 小野毛人墓誌天武天皇五年・六七七)(p23)

模造が平成館考古展示室にて展示中(~ 2017年12月25日(月))。
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鳥取県からは伊福吉部徳足比売の墓誌銘〈和銅三年・七一〇〉(p33)

これは実物。平成館考古展示室にて展示中(~ 2017年12月25日(月))。伊福吉部徳足比売骨蔵器 - e国宝
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かな―その成立と変遷 (岩波新書 青版 679)

かな―その成立と変遷 (岩波新書 青版 679)

直りませんねえ

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御文庫切は単なるタイポ、家煕懐紙も不注意かもしれませが、綱吉色紙は明らかに素人仕事。翻刻ミス、行くとたいてい1つ2つ見つけます。そもそも問題を把握していないのか、把握しているけれど放置しているのか。それほど大きな作業量でもないですし(文字が書いてある作品のうち一部にしか付いていません)、ボランティアスタッフでも十分対応可能な程度の事柄なわけで(難しければ付けなくても構わないので、わざわざ担当研究員の手を煩わす必要はない)、簡単に直せる事だと思うのですが。まあ、わりと楽しんではいるので、そのままでもいいですけど。