青鳥居清賞展の図録を読んで気づいたことをいくつか その2

青鳥居清賞展の図録を読んで気づいたことをいくつか - ときかぬ記の続き。成田山書道美術館で開催中の「新春特別展 青鳥居清賞―松﨑コレクションの古筆と古写経」展の図録に関してです。

その前に、展示風景の動画があがっていたので貼っておきます。


新春特別展 青鳥居清賞―松﨑コレクションの古筆と古写経

古筆54 藤原定家筆 大記録切(明月記切)(古筆篇p69、解説篇p44)

解説では釈文なく、年月日も明記していませんが、建仁2年3月21日22日であろうかと思います。国立国会図書館デジタルコレクション - 明月記. 第1

午時許依召参大臣殿即参八条殿影供(3字?不明)
取了退出高倉源両大納言三位季能隆信
予伊豆守許也数反取之即退出
近日久蟄居如神社御幸事惣不聞及
廿二日 天晴
依召又参大臣殿終日往反

1行目「御布施」のところは、断簡では文字が切れていたり修正でごちゃごちゃしていたりと読みにくく、かつ「御布施」には読めないように思います。また、次行の「隆信」のあとの「朝臣」はありません。

濱千鳥89 伝慈覚大師筆 焼切 般若波羅蜜経巻第十八(古筆篇p158、解説篇p68)

出典を確認してみると華厳経(80巻本)巻35(T0279_.10.0186c21-26)。焼切といいつつ焼痕がないという点も疑問です。あるいは図版を掲載し間違えたかとも思いましたが、解説でも焼痕がないことは認めており、記載された寸法と図版の縦横比にも矛盾はないので、その可能性は低そうです。なんらかの混乱にもとづく単なる出典の記載間違いでしょうか。

穂高43 伝光明皇后筆 蝶鳥下絵経 装飾法華経妙荘厳王本事品第二十七(古写経篇p137、解説篇p100-101)

解説篇で同巻のツレとしてセンチュリー文化財団所蔵の紫紙の断簡が指摘されています。http://www.ccf.or.jp/jp/04collection/item_view.cfm?P_no=2495のことでしょう(勧発品)。根津美術館所蔵の手鑑第一号に押された茶紙の1葉も厳王品でツレか(館蔵古筆切p18左)。図録解説では、笠覆寺蔵の巻5、金剛峯寺蔵の巻6が僚巻と指摘されています。穂高ほかの断簡は巻8ですね。複数の色紙を交用し、金箔撒き、金銀泥下絵、金界、墨書。筆跡は異なります。似たものとして、手鑑「月台」 蝶鳥下絵経切 - e国宝と翰墨城所収断簡(ともに薬草喩品)があります。これももと一具の巻3でしょうか。また穂高38(譬喩品)、見努世友(譬喩品)、根津美蔵掛幅(信解品、手鑑第四号より改装、館蔵古筆切p19)、手鑑「月台」 蝶鳥下絵経切 - e国宝(信解品)が、ひょっとしたらこの巻2かもしれません。各巻で筆跡が異なると推定され、また断簡としてごく一部しか確認されない巻もあるため、もともと一具であったか否かの判断は難しい。下絵が手がかりになるでしょうか。図録解説では、穂高38は39の丁字吹の蝶鳥や39の素紙蝶鳥観普賢経と近しいものと判断しています。蝶鳥下絵経は複数種あることは間違いないのですが、どれを一纏めにするか難しいところがあり、一度きちんと整理しないといけないなと思います。

古写経手鑑「穂高」の本紙情報(古写経篇p106-107)

穂高」は新調された手鑑で、その際に料紙の調査が行われました。その結果が「本紙情報」としてまとめられています。

「料紙加工、装飾など」の項を見ると、藍紙について「藍繊維混合漉き」と「藍繊維漉きかけ」の2種類の記述が見られます。これは漉き染めと漉き掛け - ときかぬ記で語った漉き染めと漉き掛けに対応するものであろうと思います。前者が奈良写経の2点と平安写経の1点、後者が平安写経の5点。このうち前者の平安写経1点(48)は図版を見る限り、またツレと考えられる手鑑「月台」 法華経切 - e国宝を見ても、藍紙には見えません。意図せず藍繊維が混入したか、意図して僅かに混ぜたとしても藍紙とは別物として扱うべきでしょう。とすれば藍繊維混合漉き(漉き染め)は奈良時代、藍繊維漉きかけ(漉き掛け)は平安時代という傾向が見えます。

藍繊維漉きかけの中で注目したいのは金峯山埋経(48)。他の泉福寺焼経3点(49・50・79)および藍紙法華経(45)と色味がだいぶ違うので同じ染め方なのか疑問はあります。なおもう1点ある金峯山埋経(78)にはその記載はありません。また上記の蝶鳥下絵経切(43)も漉き掛けのようにも見えますが、こちらにも藍繊維漉きかけと書かれていません。

野邨宗十郎銅像銘

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目黒不動にある野邨宗十郎銅像の銘文。見慣れぬ字が多く困っていたところ、墓碑史蹟研究に釈文を見つけました。

国立国会図書館デジタルコレクション - 墓碑史蹟研究. 第9巻

うち2字不審(擧→奉、當→會か)、またいくつかの字を銘の字体に近づけ、字詰も合わせて釈文を示すと次のとおり。

君諱宗十郎安政四秊五月四日生于長崎薩摩屋敷服
部氏出嗣野邨氏少入新街新塾受活版術于昌造本木
翁明治六年入東京大學豫備門以病退十二年任大蔵
省銀行局員尋轉主計局二十二年辭官入築地活版製
造所四十年奉社長君之在社也晨起夜寐看社務遊乎
技嘗創九波因活字問諸世於癸卯大阪博覧會九波因
行乎世昉于此也大正二年官賜藍綬褒章賞焉更又慨
活字字軆紛亂如决決諮衆定之又省略點劃以論評可
読不可読其致力不啻於活版術也終任国語調査会委
員焉十二秊會關東地震災起活版所帰烏有氏日夜黽
勉圖厥復興胡天也不假年俄然病歿大正十四年四月
二十三日也特旨叙正七位 文学博士遠藤隆吉記
昭和五年六月上浣        堀 進二作像
                亀田雲鵬 書


以下いちおう読んでみたのですが、いろいろあやしいところがあるかと思います。ご批正賜りたく。

君諱宗十郎安政四秊五月四日生于長崎薩摩屋敷服部氏出嗣野邨氏

君諱宗十郎安政四年五月四日長崎薩摩屋敷服部氏に生る。出でて野邨氏を嗣ぐ。

少入新街新塾受活版術于昌造本木翁

わかきとき新街新塾に入りて活版術を昌造本木しょうぞうもとき翁に受く。
本木昌造 - Wikipedia。新街新塾はその塾。

明治六年入東京大學豫備門以病退十二年任大蔵省銀行局員尋轉主計局

明治六年東京大学予備門に入るも病を以て退く。十二年大蔵省銀行局員に任ず。いで主計局に転ず。

二十二年辭官入築地活版製造所四十年奉社長君之在社也晨起夜寐看社務遊乎技

二十二年官を辞し築地活版製造所に入る。四十年社長を奉ず。君の社に在るや晨に起き、夜に寝、社務を看、技に遊ぶ。

嘗創九波因活字問諸世於癸卯大阪博覧會九波因行乎世昉于此也

九波因9ポイント活字をためし創りて、癸卯大阪博覧会に於いて世に問ふ。九波因世に行われること此にはじまるなり。
嘗はかつてよりは試すの方がいいかなと。また諸は前置詞と解釈しました。癸卯大阪博覧會は1903年明治36年)の第5回内国勧業博覧会

大正二年官賜藍綬褒章賞焉

大正二年官は藍綬褒章賞を賜ふ。
ちょっと自信ありません。賜ふ主体が官でいいのかとか、賞は余計な気がするとか。

更又慨活字字軆紛亂如决決諮衆定之又省略點劃以論評可読不可読其致力不啻於活版術也終任国語調査会委員焉

更に又た活字字体の紛乱決決の如きを慨し、衆に諮りて之を定む。又た点画を省略し、以て可読不可読を論評す。其の力を致すや啻だ活版術においてのみにあらざるなり。終いに国語調査会委員に任ず。
活字字体の紛乱を決決と形容すること手許の中型辞書を引く限りではしっくりこない感じがあります。点画を省略し云々も判然としませんが、これは野村さんの事跡を調べればわかるでしょうか。

十二秊會關東地震災起活版所帰烏有氏日夜黽勉圖厥復興

十二年関東地震災起こるに会ひ、活版所は烏有に帰す。氏日夜黽勉びんべんの復興を図る。
墓碑史蹟研究では當としていたところ、字体事典を確認しても似ている字体を見つけられず。ほかにいろいろ見た結果、會がいいかなと思いましたがいかがでしょうか。
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胡天也不假年俄然病歿大正十四年四月二十三日也特旨叙正七位

なんぞ天や年を仮らざる。俄然病歿。大正十四年四月二十三日也。特旨により正七位に叙す。
天不仮年という成語があるようです。天不假年_百度百科。寿命不長を指すとのこと、短命を嘆く意でしょうか。

文学博士遠藤隆吉記 昭和五年六月上浣 堀進二作像 亀田雲鵬書

上浣は上旬。

青鳥居清賞展の図録を読んで気づいたことをいくつか

成田山書道美術館で開催中の「新春特別展 青鳥居清賞―松﨑コレクションの古筆と古写経」展の図録をざっと拾い読みしているのですが、いいですねえ。図版は大きくきれいですし、解説も図録解説としては上々ではないでしょうか。読みごたえがあります。そのなかで、いくつか気づいたことなどを。

濱千鳥71 伝小野道風筆 未詳詩集切(古筆篇p143、解説篇p61)

草書漢文で、剥落激しく判読難しいものです。解説篇掲載の釈文は、

開須水孤帆遠路□梁
山□高遅此地従来可

「出典も見いだせず不明」とありますが、高適「東平別前衛縣李寀少府」であろうかと思います。

黃鳥翩翩楊柳垂,春風送客使人悲。
怨別自驚千里外,論交卻憶十年時。
雲開汶水孤帆遠,路繞梁山匹馬遲。
此地從來可乘興,留君不住益淒其。

東平別前衛縣李寀少府 - 维基文库,自由的图书馆

濱千鳥132 伝吉備真備筆 成唯識宝生論巻第二(古筆篇p197、解説篇p74)

吉備由利願経断簡でしょうか。巻1が高㮤帖、毫戦、筆陳毫戦、翰墨城、藻塩草などに押され、また巻2は染紙帖などに押されています。経切手鑑(東博蔵)も同形の虫喰い跡ありツレでしょう。

経31 華厳経巻第十一・巻第十二、経32 華厳経巻第二十七・巻第二十八(古写経篇p46-47、解説篇p88)

現状2巻を1帖に仕立てた唐経(ただし巻11は元の趙仲穆の補写)で、解説篇で指摘されている僚巻は台東区書道博物館所蔵の2帖(巻序は明記されず)のみですが、国会図書館所蔵の巻20・21もそれかと。

穂高7 伝聖武天皇筆 中聖武 十住経巻第三、穂高8 伝聖武天皇筆 中聖武 金剛三昧経序品第一(古写経篇p111、解説篇p95-96)、穂高74 伝聖武天皇筆 中聖武 十住経巻第四(古写経篇p162-163)

解説によるとこの3葉同筆とのこと。金剛三昧経は染紙帖に貼られているのはツレか。十住経は色違いの荼毘紙ながら、同筆であればもともと僚巻だったでしょう。東博蔵経切手鑑に巻3の3行あり、なんてことより気になるのが、藤田美術館蔵の重文巻3。完本か否か摑めていないのですが、料紙筆跡共に似ているので、ここから抜けたものではないのかと推測しているのですが如何。

穂高11 伝菅原道真筆 紫切 紫紙金字華厳経巻第七十(古写経篇p114、解説篇p96)

紫紙金字華厳経巻70といえば、奈良博所蔵の重文1巻があります。「2紙欠失」とのこと、そのうちの5行でしょうか。

「青鳥居清賞―松﨑コレクションの古筆と古写経」(成田山書道美術館)

成田山書道美術館で開催中の「青鳥居清賞―松﨑コレクションの古筆と古写経」に行ってきました。

公式サイトには詳細が載らず、この展覧会の規模わかりませんでした。そういうわけで、あまり期待はせずに観光ついでに見てこようかなと思ったら、あに図らんや、全68点という大規模なものでびっくり(I期のみ、II期も同数)。しかも、うち2点は手鑑で、「濱千鳥」(全160葉)は数十葉贅沢に開いて展示していました。加えて、この展覧会は2期あるのですが、ほとんどが展示替えします。通しで出るのは手鑑「濱千鳥」と写経手鑑「穂高」(展示箇所は変更すると思われます)、百万塔および百万塔陀羅尼、金銅経筒(仁平3年)、松﨑春川さん作の本願寺本複製3点の合計7点のみです。複製はその春川さん作の3点と、親美さん作の平家納経副本(I期信解品、II期見宝塔品)のみ。

数ばかりではなくもちろん物も良いです。いま展示されているもの限定でいくつか挙げると、古筆は、高野切第二種、久海切、大江切、栂尾切、有栖川切、大字朗詠、太田切、伝行成古今和歌六帖切、香紙切、石山切伊勢集、伝西行小色紙、筑後切、十巻本歌合切、今城切、如意宝集切などなど。古写経は、色紙最勝王経断簡、金塵色麻紙最勝王経断簡(現存稀な奈良時代の箔撒き紙)、大聖武、五月一日経断簡、国分寺経断簡、二月堂焼経断簡、伝魚養註楞伽経断簡、飯室切、小水麻呂経断簡、道長金峯山埋経断簡、永恩具経5巻、薬師寺経、唐代の華厳経(元代補写)などなど。図録は1万円と高価ながらも、手鑑に収録されている断簡もすべて図版が掲載され、まだ斜め読みなので断定はしませんが解説の質もかなり高そう。

新年早々いいものを拝見しました。

為家歌の「あだちのまゆみ」

池田寿さんの『紙の日本史』(勉誠出版、2017年)、198頁。

藤原為家(一一九八~一二七五)の自撰家集である『中院詠草』の一首に「あだちのまゆみ」なる言葉がみえる。これは陸奥の歌枕である「安達が原」の特産になる「まゆみ」紙をさしていると思われる。歌題「紅葉」からすると、色付く前の景観としての純白さと神聖さとを「まゆみ」に譬えているのであろう。

為家の歌はこの本では引かれていないので、『中世和歌集 鎌倉篇』(新日本古典文学大系、1991年)から歌とその訳を引用すると

   紅葉 貞永元年、関白家百首
あさぎりのあだちのまゆみ秋はまづ時雨をこめて色付にけり
朝霧のたちこめる安達が原の檀の木は、秋になるとまず、時雨を一面に受け籠もらせて色づいたのだったよ

『日本うたことば表現辞典 植物編(下)』(遊子館、1997年)の「まゆみ【真弓・檀】」および「まゆみもみじ【真弓紅葉・檀紅葉】」に「葉は鮮やかに紅葉する」とあり、真弓の紅葉を歌ったものとして次の3首が引かれています。なお、3首目「ぬれる」は「塗る」+完了の「り」。

うつろふもうれしかりけり我がために深き真弓の色をみすれば 古今和歌六帖(六)
関越ゆる人にとはばや陸奥の安達の真弓もみぢしにきや 藤原頼宗金葉和歌集(秋)
引きふせて見れどあかぬはくれなゐにぬれる真弓のもみぢなりけり 古今和歌六帖(六)

以上から考えるに、為家の歌も「まゆみ」は紙と考えるべきではなく、素直にマユミの木(より具体的にはその葉)と解釈すべきでしょう。新体系本では参考として「長月の時雨の雨にぬれとほり春日の山は色付きにけり」(万葉集十)を挙げています。時雨によって葉が色づくというのは和歌でよく歌われる内容。上句で「あ」の頭韻を踏んでいること、また霧の白とマユミの葉の紅の色の対比がこの歌の工夫でしょうか。強いて言うならば、霧の白を強調するために「まゆみの紙」を響かせていると解釈することもできるかもしれませんが、さすがに深読みのし過ぎな気がします。引用部最後の一文「歌題「紅葉」からすると、色付く前の景観としての純白さと神聖さとを「まゆみ」に譬えているのであろう」についてはさっぱり意味がわからず。この本、「非常に分かりやすい」との評を見かけましたが、同意できません。私には分かりにくい本に思えました(論の飛躍、迷走、不徹底、不明瞭が多いように見受けられます。十分な知識と理解力があれば分かりやすいのか)。

この引用の前では、うつほ物語に見える「まゆみのかみ」(以下「真弓紙」と書きます)という語を取りあげています。この語が指し示すのはコウゾを原料とするコウゾ紙であるかマユミを原料とするマユミ紙であるかと問題を提起した上で、奈良時代の紙でマユミを用いたマユミ紙が発見されたことを語ります(いわゆる荼毘紙がマユミ紙であった)。結果として、うつほに見える真弓紙はマユミ紙であるという結論づけているように読めます(はっきり書いていないので分かりにくい)。

奈良時代にマユミ紙が存在したことが確かめられたからといって、うつほの(すなわち平安時代中期頃の)真弓紙はマユミ紙であると結論づけてよいのかについては疑問があります。真弓紙は檀紙と同じものであったのか否か、またそれがコウゾ紙であるのかマユミ紙であるのか。真弓紙=マユミ紙かつ檀紙=コウゾ紙で真弓紙≠檀紙なのか、真弓紙=檀紙=マユミ紙なのか、真弓紙=檀紙=コウゾ紙なのか。さらに陸奥国紙(陸奥紙)との関係(おそらく陸奥国紙⊂檀紙であろうと思います)。最近この辺りに関心があり、いろいろ読んでいるのですが、どうも判然としない。おそらく平安時代中期の檀紙はすでにコウゾ紙であり、また真弓紙は檀紙と同じものであると考えていいと思ってはいます。