翰墨城を見てきました

去年から撮影可能になったMOA美術館。翰墨城の写真が溢れるんやろなあ、なんてことは当然なく。というわけで熱海まで行ってきました。以下が展示されていた断簡すべてです。台紙ごとに撮影したのを切ったので、斜めになっているのも多いですがご了承ください。

凡例
通番号 作品名(という表現でいいのか)/通称(あれば)
筆者/伝称筆者(貼付の付箋に基づく)/時代

164・165 白居易詩断簡

不明/菅原道真平安時代
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2紙合わせて白居易の新楽府「百錬鏡」完存。直前の「驪宮高」が陽明文庫に所蔵されています(文化遺産データベース)。新楽府のみ書写したか、白氏文集の全写または抄写か、それ以外か、これだけでは判断は難しいところです。推定書写年代は11世紀初期とのこと。料紙が変な感じありますよね。類似したものを見た記憶がないような。

166 古今集巻9断簡/高野切第一種

不明/紀貫之平安時代
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167 兼輔集断簡/名家家集切

源兼行(一説)/紀貫之平安時代
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高野切二種系統の筆跡。同筆すなわち源兼行筆という意見もある一方、別手類筆との見解も。

168 大乗本生心地観経巻1

不明/小野道風平安時代
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不思議な断簡です。筆跡からするに11世紀かなあと思いますが、耳慣れない経典の装飾経。下絵は後書きの可能性もあるのかなと思いつつ、見た感じそうは見えません。

169 斎宮女御集断簡/小島切

不明/小野道風平安時代
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170 古今集巻11断簡/本阿弥切

不明/小野道風平安時代
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171 許渾詩断簡/絹地切

不明/小野道風平安時代
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許渾の「題成陽城東楼」の後半で、前半が手鑑「隠心帖」に押されています。ツレに同じく許渾の「長慶寺遇常州阮秀才」および「下第有懐親友」*1。許渾集でしょうか。

172 未詳漢文断簡

不明/藤原佐理平安時代
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古筆学大成(以下「大成」)にツレは掲載されていません。医方書の類かと。

173 道済集断簡/紙撚切

不明/藤原佐理平安時代
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174 白居易詩断簡/絹地切

藤原佐理(一説)/藤原佐理平安時代
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C0010086 絹地切 - 東京国立博物館 画像検索がツレとのこと。大成では白氏文集抄出本かとしますが、さすがにこれだけではなんとも。また「絹地切」としてますね(複製本、またそれに基づく展示室のキャプションでは「綾地切」)。さらに、佐理真筆の可能性が指摘されています。

175 古今集巻17断簡/筋切

藤原定実(推定)/藤原佐理平安時代
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176・177 業平集(本願寺本)断簡/尾形切

不明/藤原公任平安時代
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178 法華文句巻4上断簡

不明/藤原行成平安時代
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179 猿丸集断簡

不明/藤原行成平安時代
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180 白氏文集(後嵯峨院本)断簡

藤原行成(推定)/藤原行成平安時代
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正木美術館所蔵の国宝後嵯峨院本のツレ。他に19行の掛幅。また大成の解説に「田中親美旧蔵」として「春遊」の残りの部分2行の図版が掲載されています。

181 摂政藤原頼通大饗屏風詩歌断簡

藤原行成(推定)/藤原行経/平安時代
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寛仁2年1月21日摂政藤原頼通大饗屏風の色紙形の手控え本か。現存4葉で、行成筆と推定されています。その推定が正しいのならば、これら一連のものが現存する唯一の行成のかな。なお、大成によるとMOA美術館にもう1葉(図114)あるとのこと(掛幅)。そのうち展示されることもあるでしょうか。

182 未詳佳句集断簡/詩書切

藤原定信(推定)/藤原公任平安時代
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183 後拾遺集抄出本断簡/糟色紙・粽切

不明/藤原公任平安時代
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184 ・185 兼輔集断簡/砂子切

藤原定信(推定)/藤原公任平安時代
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186 後撰集巻7断簡/烏丸切

不明/藤原定頼平安時代
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187 法華経巻2譬喩品断簡/津田切

不明/藤原定頼平安時代
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188・189 万葉集巻4断簡/栂尾切

源兼行(推定)/源順/平安時代
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190 上宮聖徳法王帝説断簡/西大寺

不明/源兼行/平安時代
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知恩院本で脱字があるところですね。4字中3字。

191 重之子僧集断簡/針切

不明/源道済平安時代
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針切は一般には伝行成。

192 法華経巻4見宝塔品断簡

不明/源俊頼平安時代
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193 御形宣旨集断簡

不明/源俊頼平安時代
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194 古今集巻11断簡/大江切

不明/源俊頼平安時代
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大江切は一般には定頼。左下に旧蔵者の鈍翁が「定頼 大江切」と訂正しています(写真では切りました)。押界が見やすい。

195 高光集断簡

不明/源俊頼平安時代
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196 新撰朗詠集巻上断簡/山名切

藤原基俊(推定)/藤原基俊/平安時代
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197 古今集巻17断簡/鶉切

不明/藤原顕輔鎌倉時代
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198 古今集巻18断簡

不明/藤原清輔/鎌倉時代
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252 消息断簡

文覚(一説)/文覚/平安~鎌倉時代
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複製本解説には「神護寺に伝存する自筆書状とも、よく似ている。字形、筆の運び、構成など筆跡上の種々の特徴は、同筆といってさしつかえないと思われる。が、なお、考究の余地が残る」とあります*2

253 小大家君集断簡

不明/西行平安時代
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254 後撰集巻8断簡/白河切

不明/西行平安時代
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255 殷富門院大輔集断簡(推定)/出雲切

不明/西行鎌倉時代
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256 八雲御抄断簡

不明/顕昭鎌倉時代
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おまけ。公式サイトで紹介されていない石山切貫之集(掛幅装)です。
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*1:古筆学大成25、図版101。大成では出典未詳とするもの。題が「臥病杜陵以抒惟」と異なる点に疑問はあります。

*2:つづく文が「十二世紀初めの書写」とあって混乱しますが、「十三世紀」の誤植でしょう。

亀山切に両面雲紙はあるのか(附、墨写りおよび原装について)

池田寿さんの『紙の日本史』(勉誠出版、2017)には、亀山切の料紙について次のような記述があります。

紙には、雲母砂子を散らした片面あるいは両面に青い雲が横に長くたなびいているような模様を漉き込んだ独特な和紙を交互に組み合わせている。(p191)

まず先に関係ないところで1点指摘して置きますと、雲紙は紙を漉くときに施す装飾で、雲母砂子撒きは漉きあがった紙に施す装飾です。この文章は雲母砂子撒きの後に雲を漉き込むかのように読める点、あまりいいとは思いません。

それはさておき。「片面あるいは両面に」は明らかに「漉き込んだ」に掛かっています。すなわち両面雲紙があるという説明です。その存在は初耳だったのでちょっと驚きました。両面飛雲紙は残っているので(元暦校本万葉集、中院切後拾遺集)あっても不思議はないのですが、念のため確認してみようと思った次第。

結論から言うと、私は両面雲紙を見つけることが出来ませんでした。しかし、池田さんは文化庁の方なので、私が確認できていない遺品について知った上での記述かもしれません。とりあえずは、ここに私が調べたものをすべて晒しておきます。

その前に亀山切について簡単に。11世紀後半の書写と推定される古今集の写本で、原装は冊子本(列帖装か)。巻1・2・4のうちの30葉ほどが現存し、うち17葉は1折帖に貼られています(重文、九博現蔵、鈍翁旧蔵)。料紙は雲紙または白紙(雲紙の裏面か)に雲母砂子を撒いたもので、重之集(重文、徳川美術館蔵)などに似ています(ほかに指摘されるのは益田朗詠や荒木切の一部の料紙)。

現存するのは1頁またはそれ未満の断簡のみで、すべて相剝ぎされています。つまり、両面雲紙があるか否かを調べるには、現存断簡でもと表裏であったものを特定し、ともに雲が漉き掛けられたものがあるかを確認するという作業になります。

2葉が丁の表裏であるのは、内容が連続しかつ丁の表側裏側の順になっている場合のみです。内容の連続については古今集なので確認は簡単です。ただし流布本にない歌があったり、歌順が異なるところもあり注意を要します。丁の表裏については、多くの断簡で綴穴が確認でき、それが手掛かりとなります。この綴穴はおそらく原装が崩れて改装したときに空けられたものだと推定されますが、綴側をわざわざ入れ替えるとは想定しづらく、その点は無視して差し支えないでしょう。もちろん綴穴が右にあるのが丁表。

利用したのは古筆学大成です。収録断簡は30葉。ほぼ全てが1頁分の断簡ですが、1・2・8は更に切断されています。このうち1・2はもと同一頁だと推定されます(雲文様が連続、合わせても1頁未満)。以下はその目録。歌番号の*は異本歌。図版不鮮明のため綴穴の左右と雲白について迷うところがありました。たぶん大丈夫だと思うのですが一応「か」を付けています。また「重文」は九博蔵の重文折帖に貼付された断簡を指します。学大成の記述だと不明瞭なため、ここに記しておきました。

図版 歌番号 連続 綴穴 同一丁 重文
1 221 20
2 222
3 246 24-26 左か
4 223 27-29 白か
5 224 30・31
6 247 38・39 右か 白か
7 225 43-45
8 248 46 右か
9 226 56・57
10 227 63-65
11 228 69・70
12 229 71-73
13 230 74・75
14 231 76・77
15 232 78・79
16 233 80・*
17 234 81・83
18 235 82・*
19 249 84-86 右か
20 236 87・88
21 237 89-91
22 238 95・96
23 239 104-106
24 240 107・108
25 241 109-111
26 242 112・113
27 243 126・127
28 244 204-208
29 250 228・229
30 245 230-232

以上より、もと表裏であったものが8丁確認できましたが、いずれも雲紙白紙の組です。不確実なのは、強いてあげるなら4が白紙か確証が持てないところ。

以下、余談を2つ。

先に書いた通り、この亀山切の料紙は重之集に似ています。筆跡も同筆ではなくとも近い雰囲気であり、書写年代は近いと推定されています。

この重之集について、以前触れました。重之集の墨映り - ときかぬ記。見開きの反対側の頁(閉じたときに接する頁)の文字が映っていることに以前から疑問を持っていたのですが、一定の条件下に置かれると墨が映るという現象が起きるというのを、小川剛生さんの『兼好法師』で知ったという話です。

実はこの亀山切にも同じ現象が起きているんですよね。e国宝の画像はちょうど14と15の見開き部分(古今和歌集巻第二、第四断簡(亀山切) - e国宝)。互いの文字が映ってるのを見て取ることができます。類似する2点の古筆に同じ現象が起こっているのは興味深い話。あるいは作成者が近い関係で作成後いっしょに保管され、そのときに墨映りが起きる条件下に置かれたのでは、と考えるのはちょっと想像が過ぎるでしょうか。

続いて原装について。かりに粘葉装であれば見開きは必ず雲雲または白白になるはずで、亀山切はそうなっていないことを考えると、候補は列帖装になります。

上の表で連続して残っている断簡の紙を確認すると雲白が交互に現れますが、14と15で雲紙が、23と24で白紙が連続と、その順序は2箇所で狂っています。仮に列帖装であるならば、この2箇所は括の中央と堺ではないかと推測することができます。15から23までは、21と22の間に1頁分また22と23の間に2頁分の脱落を考えて、合計6丁。6紙12丁で1括と、ありそうな数字がでることも、その考えを補強します。

そこでまず思い浮かぶのが、14と15がその括の中央の見開きであるという考え。13から16までで構成されるを1紙を、雲の面である14と15を上にして、一番上に重ねて谷折りしたというものです。しかし、これは14と15の雲の模様が連続しないことからただちに排除されます(上掲e国宝参照)。ならば白連続の23と24が中央かと考えたいんですが、前後があまり残っていないので、これ以上の確認は難しそうです。

しかし、雲面を上にして重ねていないというのは、なんか引っかかるんですよね。重之集もまた、原装を考えるとしっくりこないところがあります。両者、こんなところまで似なくていいのにと思ったり。

仁和寺展の手鑑に貼られた伝行成は法輪寺切?

自信はないのですが、いちおう書いておきます。

現在、東博平成館で開催中の仁和寺展に手鑑が1帖でています。見開きのみで4葉の展示。図録では伝貫之の如意宝集切が紹介され、図版も隣の伝道風の写経断簡と合わせて2葉のみです。しかし、私が気になったのは、その隣りにある(つまり図版に掲載されていない)伝行成の1葉、2紙呼び継ぎの右片。藍紙に「世の中に牛の車のなかりせば云々」の和歌1首2行書きです(表記は正確なものではありません)。この料紙を見て思い浮かんだのは法輪寺切。羅文飛雲はなかったですし、雲母砂子も確認できませんでしたが、紙の感じは過去に見た法輪寺切のものに似ていると思います。そして和歌も和漢朗詠集所収の歌。筆跡はというと、ちょっと変な感じはあるんですよね。そもそも、法輪寺切(つまり高野切第三種系統)の筆跡が頭に入っているわけではないので、あやしい。そこで古筆学大成を確認したところ、この断簡は載っていませんでした。一方、如意宝集切はあったので、つまり小松さんはこの手鑑を調査した上で、伝行成について少なくとも法輪寺切とは認定しなかったということになります。というわけで、かなり分は悪いのですが、念のため書いておきます。

九博の王羲之と日本の書展に出品予定の公任本古今集

九州国立博物館で開催される王羲之と日本の書展の出品目録が公開されたので見てたのですが(http://www.kyuhaku.jp/exhibition/img/s_50/exhibition_s50.pdf

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この48公任本古今和歌集というのはいったい何なんでしょうか。時代は平安時代12世紀ということも合わせて、私はあれしか思い浮かべることができません。2013年の東博和様の書展で、修学院切と名付けられた断簡がいくつかでてたましたよね。残りが九博に入ったのかな。それとも、別に公任本と称される古今集がありましたっけ?

青鳥居清賞展の図録を読んで気づいたことをいくつか その2

青鳥居清賞展の図録を読んで気づいたことをいくつか - ときかぬ記の続き。成田山書道美術館で開催中の「新春特別展 青鳥居清賞―松﨑コレクションの古筆と古写経」展の図録に関してです。

その前に、展示風景の動画があがっていたので貼っておきます。


新春特別展 青鳥居清賞―松﨑コレクションの古筆と古写経

古筆54 藤原定家筆 大記録切(明月記切)(古筆篇p69、解説篇p44)

解説では釈文なく、年月日も明記していませんが、建仁2年3月21日22日であろうかと思います。国立国会図書館デジタルコレクション - 明月記. 第1

午時許依召参大臣殿即参八条殿影供(3字?不明)
取了退出高倉源両大納言三位季能隆信
予伊豆守許也数反取之即退出
近日久蟄居如神社御幸事惣不聞及
廿二日 天晴
依召又参大臣殿終日往反

1行目「御布施」のところは、断簡では文字が切れていたり修正でごちゃごちゃしていたりと読みにくく、かつ「御布施」には読めないように思います。また、次行の「隆信」のあとの「朝臣」はありません。

濱千鳥89 伝慈覚大師筆 焼切 般若波羅蜜経巻第十八(古筆篇p158、解説篇p68)

出典を確認してみると華厳経(80巻本)巻35(T0279_.10.0186c21-26)。焼切といいつつ焼痕がないという点も疑問です。あるいは図版を掲載し間違えたかとも思いましたが、解説でも焼痕がないことは認めており、記載された寸法と図版の縦横比にも矛盾はないので、その可能性は低そうです。なんらかの混乱にもとづく単なる出典の記載間違いでしょうか。

穂高43 伝光明皇后筆 蝶鳥下絵経 装飾法華経妙荘厳王本事品第二十七(古写経篇p137、解説篇p100-101)

解説篇で同巻のツレとしてセンチュリー文化財団所蔵の紫紙の断簡が指摘されています。http://www.ccf.or.jp/jp/04collection/item_view.cfm?P_no=2495のことでしょう(勧発品)。根津美術館所蔵の手鑑第一号に押された茶紙の1葉も厳王品でツレか(館蔵古筆切p18左)。図録解説では、笠覆寺蔵の巻5、金剛峯寺蔵の巻6が僚巻と指摘されています。穂高ほかの断簡は巻8ですね。複数の色紙を交用し、金箔撒き、金銀泥下絵、金界、墨書。筆跡は異なります。似たものとして、手鑑「月台」 蝶鳥下絵経切 - e国宝と翰墨城所収断簡(ともに薬草喩品)があります。これももと一具の巻3でしょうか。また穂高38(譬喩品)、見努世友(譬喩品)、根津美蔵掛幅(信解品、手鑑第四号より改装、館蔵古筆切p19)、手鑑「月台」 蝶鳥下絵経切 - e国宝(信解品)が、ひょっとしたらこの巻2かもしれません。各巻で筆跡が異なると推定され、また断簡としてごく一部しか確認されない巻もあるため、もともと一具であったか否かの判断は難しい。下絵が手がかりになるでしょうか。図録解説では、穂高38は39の丁字吹の蝶鳥や39の素紙蝶鳥観普賢経と近しいものと判断しています。蝶鳥下絵経は複数種あることは間違いないのですが、どれを一纏めにするか難しいところがあり、一度きちんと整理しないといけないなと思います。

古写経手鑑「穂高」の本紙情報(古写経篇p106-107)

穂高」は新調された手鑑で、その際に料紙の調査が行われました。その結果が「本紙情報」としてまとめられています。

「料紙加工、装飾など」の項を見ると、藍紙について「藍繊維混合漉き」と「藍繊維漉きかけ」の2種類の記述が見られます。これは漉き染めと漉き掛け - ときかぬ記で語った漉き染めと漉き掛けに対応するものであろうと思います。前者が奈良写経の2点と平安写経の1点、後者が平安写経の5点。このうち前者の平安写経1点(48)は図版を見る限り、またツレと考えられる手鑑「月台」 法華経切 - e国宝を見ても、藍紙には見えません。意図せず藍繊維が混入したか、意図して僅かに混ぜたとしても藍紙とは別物として扱うべきでしょう。とすれば藍繊維混合漉き(漉き染め)は奈良時代、藍繊維漉きかけ(漉き掛け)は平安時代という傾向が見えます。

藍繊維漉きかけの中で注目したいのは金峯山埋経(48)。他の泉福寺焼経3点(49・50・79)および藍紙法華経(45)と色味がだいぶ違うので同じ染め方なのか疑問はあります。なおもう1点ある金峯山埋経(78)にはその記載はありません。また上記の蝶鳥下絵経切(43)も漉き掛けのようにも見えますが、こちらにも藍繊維漉きかけと書かれていません。